『SEKIRO: Shadow Die Twice』(以下、『SEKIRO』)で最後の敵と相まみえたとき、道中で培ってきたシステムの理解や、苦労しながらも倒してきた敵の数を根拠にした自信は、確かにあった。しかし、刃を交えた瞬間に「ひるみ」を感じた。何もわからぬまま屠られ、二戦目には「絶望」した。自信が慢心だったことに気づき、精神が疲弊の波に飲まれそうなって、それでも狂ったようにプレイし続けた。 その中で筆者は、『SEKIRO』にぼんやりと感じていた、“研ぎ澄まされて残ったもの”を見つめなおしていた。 文/Nobuhiko Nakanishi 編集/ishigenn 削り磨かれ残った「戦闘」という結晶 『デモンズソウル』と『ダークソウル』三部作、『ブラッドボーン』はいわゆる「ソウルボーン」シリーズとファンから呼称されている。どれも高い難度で知られる作品ではあるが、それでもそれぞれの作品には「