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ブックマーク / www.style.fm (37)

  • WEBアニメスタイル_アニメの作画を語ろう

    小黒 なるほど。で、『イデオン』の29話「閃光の剣」のアディゴから、“板野サーカス”が始まったと言われていますが。 板野 はい。 小黒 ものすごいインパクトでしたよ。アディゴの動きはコンテでもあんなに? 板野 いや、コンテでは、あそこまではなかったんですよ。コンテでは何機かがミサイルに当たってやられて、1機ぐらい避けるという内容だったんです。それをロケット花火を思い出しながら描いて、ガンガン(カメラを)フォローさせて、ミサイルがまとわりつくように動かして──(バッフクランはイデオンと)重機動メカで戦って、敵わないから小さいメカを出してきたわけですよ。ちっちゃいから、それだけ速くてミサイルを避けるだろうと考えて。雑魚でも「死に花を咲かす」というところを出したかった。顔が出ないパイロットでも、やられメカでも、そういう粘り強さとかがあると、真剣に戦いながらもやられたというニュアンスが出る、それが

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    otsune 2012/07/11
  • WEBアニメスタイル | アニメーション思い出がたり[五味洋子] その66 4代目会長登場

    1974年が日のアニメにとってのターニングポイントだったのと同様に、この1974年という年は、アニ同にとっても歴史の転換点になりました。 アニ同すなわち東京アニメーション同好会は、元々アニメの現場に働く人たちの、会社や職種を越えた交流の場として生まれ、労働運動的な側面も持っていました。アニ同では会のまとめ役としての会長と、会計、事務局等の世話人と呼ばれる人たちが中心メンバーとなって運営にあたっていました。 初代会長の三上さんは私はお顔を見知っている程度ですが、2代目会長の相磯さん、3代目会長の半田さんには当にお世話になりました。仕事相談から引っ越しという個人的なことまで手伝っていただき、今も感謝しています。お2人ともとても謙虚で面倒見がよく大人で、相磯さんは撮影、半田さんはアニメーターと、それぞれの仕事をこなしつつ、可能な限りの力でアニ同をまとめ引っ張っていってくれました。40年前の

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    otsune 2011/08/09
  • WEBアニメスタイル_COLUMN

    アニメスタイルとは サイトマップ お問い合わせ 旧サイト リンク トップ ホーム ■COLUMNメインへ ←BACK ■ 10/06/30 最終回 みんな脚家になれます。 ■ 10/06/24 第225回 自分は自分 ■ 10/06/02 第224回 大成する脚家はアニメから ■ 10/05/26 第223回 『ポケモン』から消えた僕 ■ 10/05/19 第222回 限界シリーズコンストラクション ■ 10/05/12 第221回 ニューヨークのポケモン ■ 10/04/28 第220回 僕が今、必見だと思う番組 ■ 10/04/21 第219回 ふたたび休載のお詫び ■ 10/03/31 第218回 気がついたらニューヨーク ■ 10/03/24 第217回 病室の妄想病悪化? 『ポケモン』の世界で一番って? ■ 10/03/17 第216回 病院の天井を見つめつつ…… ■ 10/

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    otsune 2011/08/05
  • WEBアニメスタイル_特別企画

    先月、NHK総合テレビで、出崎統監督の最新作の放送が始まった。アンデルセンの童話を原作としたTVシリーズ『雪の女王』である。ここ数年、出崎さんは劇場作品を手がける事が多く、TVシリーズの監督は『白鯨伝説』(1997年~)以来の事だ。いったいどんな方向性で、この作品を作っていくのだろうか。お忙しい中、ちょっとだけ時間をとっていただき、話をうかがってきたぞ。 ●放送情報 『雪の女王』(全39話予定)は、NHK総合テレビで毎週日曜日19:30~19:55に放送中。 アニメーション監督。1943年11月18日生、東京都出身。高校時代に貸マンガ家としてデビューし、1963年に、日初の格TVアニメシリーズ『鉄腕アトム』を制作中の虫プロダクションに入社。アートフレッシュ、マッドハウスを経て、現在は自らが設立したあんなぷるに所属。手がけた作品は『あしたのジョー』『エースをねらえ!』『ガンバの冒険』『

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    otsune 2011/04/19
  • WEBアニメスタイル_COLUMN

    『ミンキーモモ』の脚家が決まる間も、製作準備は着々と続き、色々な事が、決まっていった。 スポンサー側から注文のあったものの中で、最も比重の高かったのが、魔法のペンダントとバトンだった、 つまり、ペンダントとバトンを効果的に使う魔法を出せ……ということだ。 当時、大人になりたくない子供たちが、急増していた。 「大人になりたくない。このまま子供でいたい」とは、大なり小なり、誰もが子供の時に持つ気持ちだ。 しかし、それは、子供の一時期の通過儀礼のようなもので、成長していくうちに次第に消えていくのが普通 だ。 早く大人になって、親許から離れ、自分の力でべていかなければならないのが、昔の普通 の子供の、当たり前の考え方だったからだ。 親離れして、自立して生活するのが、子供として当然の事だった。 大人になったら、今まで育ててくれた親の生活の面倒を見ようとする考えの子供も、当たり前のように多かった。

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    otsune 2011/03/29
  • WEBアニメスタイル | 色彩設計おぼえがき[辻田邦夫]第155回 昔々……93 1995年その13 バイトで覚えたMacintoshな7月〜8月

    節分、そして立春と、暦の上ではもう春になりました。ここ数日東京はこころなしか空気が春めいて、寒さも一時の厳しさはなくなりました。梅も咲いたしね。ああ、冬が終わってしまうなあ。 なんかね、寂しいのです、季節が変わっていくことが。夏には夏の楽しみがあり、冬には冬の味わいがある。この冬、僕はちゃんと冬を満喫できたかなあ? とか、そんなふうに思ってしまいます。毎季節、その終わりかけに、僕はいつも自問しているのでありました。 若い頃にはそんなふうには思ったりしなかったんだけど、さすがにもう50の大台が見え始めてきて、段々と残り時間を気にするようになってます。まだ早いって? いやいや、ホントに身体が元気でムリできるのも、もうあと何年? とか真剣に思います。そして、冬を楽しんで迎えられるのもあと何回? 気がつくと人生って短いものです。 毎年繰り返す季節の移り変わりに乗せて、僕らの思い出や記憶が成り立って

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    otsune 2011/02/09
  • WEBアニメスタイル | ニュースで振り返るアニメ界2010 新しい動きと悲しい知らせに揺れた年

    今年の更新もこれで最後。振り返ってみると、様々なニュースに揺れた1年だった。 停滞する経済状況の中、アニメもまた以前のような好況を謳歌するわけにはいかなくなっている。そんな中でも、「アニメノチカラ」のような果敢な試み、『けいおん!!』『デュラララ!!』のようなヒット作、『おまえうまそうだな』のような佳品など、これからを期待させる動きがいくつかあった。小規模公開での劇場作品が次々現れ、またOVAの先行イベント上映など、従来の公開形態とは異なる道を模索する動きも多く現れている。 一方、大きな訃報に揺れた年でもあった。ベテランから中堅まで、多くの名のある方々が、この世を去られている。中でも今 敏監督の死は、次回作の制作途上ということもあり、衝撃を持って伝えられた。また、『宇宙戦艦ヤマト』で一時代を築いた西崎義展プロデューサーの訃報も、昨年は『復活篇』を公開し、健在ぶりをアピールしていただけに驚き

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    otsune 2010/12/31
  • WEBアニメスタイル | β運動の岸辺で[片渕須直]第47回 宅急便の宅送便「次は自分たちで、ね」

    当時、ジブリの所属でもなんでもないアニメージュ編集部の鈴木敏夫さんが、実質的なプロデューサーとして、宮崎さんがこちらの現場方面に介入してくるのを防ぐため、色々手を尽くしてくれていたのだが、最終的にここがスポンサー乗りしなければこの企画は成立しないことになるという立場の企業の方から、 「当方としては『宮崎駿監督作品』としてのもの以外に出資するつもりはない」 と、実にはっきりしたことを、冗談のひとつも交えず、やけに硬直した面持ちでいわれてしまったことがあり、せっかくネクタイのひとつも締めて新橋まで出かけたこちらも困ったが、鈴木さんと相談してここはこちらから身を引くカタチをとることにした。 当時、メインキャラクターのデザイン、パン屋の美術設定などくらいまでができていたところだった。宮崎さんはキキのキャラクターを『トトロ』のメイのような(あるいは後年の千尋みたいな)はっちゃけた感じにしろといってい

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    otsune 2010/09/22
  • WEBアニメスタイル | 板垣伸のいきあたりバッタリ!第179回 直感人生

    第179回 直感人生 何回やってもワクワクしてしょーがないのが、ラッシュチェックです! 業界人でない方でも想像はつくと思いますが、ラッシュチェックとは撮影から上がってきたフィルムを観る事を言います。これはその時の仕事が監督だとか各話演出……はたまた一原画マンだったとしても役職関係なく興奮します。そりゃそーでしょ? だって自分が頭に思い描いたモンが色が着いて動くわけですから。特に俺、クイックチェッカー(原画や動画を線画のまま簡易再生する機械——今はパソコン)を使わない主義なので、アニメ制作中で動く画を観るのはラッシュチェックの時が初めてなわけ。前回の職人話の続きになるかもしれないけど、自宅でコンテ切ってるだけじゃ味わえない楽しみがこのラッシュチェックです。つまり ——な作業を黙々と300カット前後やって はれてラッシュチェックとなるのです!! この連載におつきあいくださってる方はもうご存知か

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    otsune 2010/08/07
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第407回 データ原口

    アニメージュ編集部では、編集者にもライターにもユニークな人が大勢いた。僕にユニークだなんて言われたくないかもしれないが、そんな印象だった。際立って個性的だったのが、データ原口こと原口正宏さんだった。アニメ雑誌で仕事をしている人で、僕が「この人には絶対かなわないなあ」と思った相手は、後にも先にも彼だけかもしれない。 当時から現在に至るまで、日の全商業アニメの放映&スタッフデータをまとめている人物だ。人気作品や好きな作品だけでなく、全てのTVアニメ、劇場アニメ、OVAのデータを記録しているのだ。全テロップをテキスト化し、オープニングやエンディング、アイキャッチ等の変更もチェック。遡って過去の作品もデータ化している。言葉にすると簡単なようだが、大変な作業量だ。 日のアニメデータに関して、原口さんに匹敵する情報量を持つ組織は他にはないし、彼ほどの精度でデータをまとめているアニメ研究家もいない。

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    otsune 2010/07/13
  • WEBアニメスタイル | 色彩設計おぼえがき[辻田邦夫]第125回 昔々……72 1994年その6 ミーティング! はたしてその成果は?

    小惑星探査機「はやぶさ」が帰ってくる! そんなニュースを聞いてからずっと、たった1人で太陽系を地球目指して飛んでいる「はやぶさ」にエールを送っておりました。 そして先日の日曜深夜、いよいよ地球へ帰還。その様子をUstreamの中継で見ておりました。約60億キロの長い長い旅を終えて帰ってきた、はやぶさ。幾多の苦難を乗り越えて、満身創痍で帰還してきたその姿に、あの『宇宙戦艦ヤマト』をダブらせてたのは僕だけではないと思います。あ、いやまあ、僕はそんな世代です(笑)。 はやぶさの苦難の旅路をアマチュアの方々(?)が映像化したムービーをいくつか拝見しましたが、その何かはBGMに『ヤマト』使ってましたね。それがどれも見事に合ってるんですね! 素晴らしい! どうもこの『宇宙戦艦ヤマト』の楽曲は、こんなふうに物語と僕らの気持ちとをつなげていくようです。 地球へ帰還したはやぶさは、残念ながら大気圏で燃え尽

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    otsune 2010/06/16
  • WEBアニメスタイル | 『マイマイ新子と千年の魔法』昭和30年代を生きる少女達を瑞々しく描く

    『マイマイ新子と千年の魔法』 昭和30年代を生きる少女達を瑞々しく描く マッドハウスと片渕須直監督による劇場長編『マイマイ新子と千年の魔法』がこの11月に公開される。原作は高樹のぶ子の自伝的小説「マイマイ新子」。昭和30年代の山口県防府市を舞台に小学生・新子の生活を描いたこの小説を、片渕監督は大胆かつ繊細に脚色。地元の想像力豊かな小学3年生の少女・新子と、都会から転校してきたちょっと気弱な美少女・貴伊子との友情を軸にして、彼女達の成長を躍動感豊かに、ファンタジックに描き出している。 丹念なロケハンと執拗な資料調査が生み出した、細やかな生活描写が何よりも魅力だ。片渕監督によれば、これまでマッドハウス作品にあまりなかった、児童向けというジャンルに挑戦したいという制作会社の意向があり、それに2人の女の子が主人公の企画を考えていた監督の構想が合わさって、結実したのだという。この原作が選ばれたのは、

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    otsune 2010/02/28
  • WEBアニメスタイル | 【artwork】『マイマイ新子と千年の魔法』第1回 イメージボード(1)

    【artwork】『マイマイ新子と千年の魔法』 第1回 イメージボード(1) 戦後の復興期を抜け出したばかりの昭和30年代の日。地方に暮らす新子と都会っ子の貴伊子、対照的な2人の少女が、山口・防府市で出会い、友情を育んでいく。丹念な日常描写に大胆なイマジネーションを重ね、奇跡が起きる瞬間を描き出す。『マイマイ新子と千年の魔法』は、そんなたくらみに満ちた劇場作品だ。 今回は、作品制作にあたって、浦谷千恵が描いたイメージボードを紹介しよう。浦谷は編では、画面構成と作画監督の役職でクレジットされている。脚作業中に、片渕須直監督と二人三脚で相談しながら、描いていったものだ。イメージボードと言っても、実際には短冊のようなかなり小さな紙に描かれており、イメージスケッチと呼ぶほうが似つかわしいかもしれない。 第1回は新子達の日常生活の場面を中心に紹介していこう。自然の残る池からドヤ街まで(!)新子

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    otsune 2010/02/28
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第280回 「Newtype」のデザイン

    「Newtype」について、もう少しだけ続ける。「Newtype」はビジュアルに力を入れていた。カラーの特集ページは当然、コラムページも、誌面デザインが洗練されていた。判型は、当時の「アニメージュ」や「ジ・アニメ」よりも少し大きなA4変型(高さはA4で、横幅が広い)。「読ませる」よりも「見せる」のを優先したサイズだった。 カラーの特集ページに関しては、描き下ろし主義をとっていた。「Newtype」に掲載されたセルイラストは、他の雑誌よりも明らかにクオリティが高かった。「Newtype」の描き下ろし主義は、歴史的に見ると、アニメの画の密度が上がるのを後押したかたちになっている。セルイラストだけの話ではなく、間接的ではあるが、編の画作りにも影響を与えているはずだ。また、描き下ろしのクオリティが高いだけでなく、画のアイデア(=誌面の構成)についても凝ったものが多かった。誌面をながめていて「こん

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    otsune 2010/01/07
  • WEBアニメスタイル_COLUMN

    『戦国BASARA』第13話の監督が終わりました。V編・納品無事終了したというわけです。現在は『はなまる幼稚園』をやりながら、来春新番の脚書いてます。もちろん、コンテ・演出(監督)も自分でやる予定。今現在は忙しく見えるでしょうが、来年の予定はまったく立ってません。ま、来年は業界全体で制作数がかなり減るとの事なので、自分も次の職を考えた方がよい時期かもしれないけど、今年いっぱいは「作品が作れる」という喜びを味わいたいので、今回もハシャいでみます。 『戦国BASARA』に限らず、俺は仕事仕事の間を空けないようにしてます。て言うか、むしろ前後のスケジュールは必ず重ねます。それは、

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    otsune 2009/11/13
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第176回 大学には入ったけれど

    1年間の浪人期間を経て、僕は、1984年4月に大学生になった。ここまで書いてきたように、浪人時代にも浴びるようにアニメを観ていた。バイトもしていたし、あろう事か同人誌作りの真似事までしていた。よくもまあ、合格できたものだと思うが、とにかく都内のあまり有名でない私立の大学に入った。文学部哲学科という、就職にも、実生活にも役に立ちそうもない学科だった。今回はサークルの悪口みたいな事を書くので、学校名は伏せておく。 話は前後するが、当時、早稲田大学に早稲田アニメーション同好会というサークルがあった。そのサークルの初期メンバーには望月智充がおり、当時は原口正宏がいた。彼ら以外にも、大勢の猛者が集っており、驚くくらい充実した研究同人誌を作っていた。後の言葉で言えば「濃い」サークルだった。そこが作った出崎統研究は、現在に至るまでの全ての関連書籍の中で、もっとも出崎統についての詳しい資料だろうと思う。

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    otsune 2009/07/29
  • WEBアニメスタイル_COLUMN

    さて、46話「夢のフェナリナーサ」の話である。 最終回になる予定の作品だ。 脚では題名は「ある日突然に」となっている。 ペンダントを失ったミンキーモモには、平凡な日々が待っている。 その平凡な一日が、前半に描かれる。 そして、突然、玩具屋のトラックに轢かれる。 ここまでの展開は、脚とは意味は同じでも、作品の描写がかなり違っているのに気がつかれるだろう。 脚では、描ききれない部分をミンキーモモのモノローグで語っているが、演出は、それを排除して、できるだけ映像で見せようとしている。 平凡な一日を、作画スタッフ一同が、一生懸命、描いてくれている。 とくに、ミンキーモモが、パジャマからおなじみの服に着替えるシーンは、原画を担当したわたなべひろし氏の力作で、着替えのシーンだけで、アニメが1作れると冗談を言われるほど、枚数を使ったらしい。 特に、前半は、演出と絵コンテの勝利である。 アフレコに

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    otsune 2009/07/20
  • WEBアニメスタイル | animator interview 橋本敬史(4)

    animator interview 橋敬史(4)『エヴァンゲリオン』と磯光雄ショック 小黒 『(超時空世紀)オーガス02』ではどのようなお仕事をされたんですか? 橋 『オーガス』は、ほとんどペンネームですよね。『YAMATO』とほとんど同時期で、「プロジェクトが始まったばかりなのに」と思ったので、とりあえずペンネームで。 小黒 ああ、そうなんだ。 橋 そのうちもう開き直って、名で出てますけど(笑)。 小黒 最終回には橋さんの名前で普通に出てますよね。じゃあ、実際はわりとまんべんなく参加してるんですか? 橋 そうですね。メインキャラのデザインは川元(利浩)さんがなされてたじゃないですか。 小黒 原案は美樹(晴彦)さんですよね。 橋 そうです、そうです。で、メインキャラ以外のデザインは、全部私がやりました。 小黒 えっ、そうなんですか!? 橋 40体とか50体とか作りました

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    otsune 2009/07/01
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第121回 ロリコンブーム

    1982年頃、アニメファンやマンガファンの間で、ロリコンブームが盛り上がっていた。『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の話をする前に、ロリコンブームに触れておきたい。 僕はそちら方面の専門家ではないけれど、多少はロリコンをかじっていた。美少女マンガ雑誌「レモンピープル」は創刊から数年は買っていたし、その前に、吾ひでおの「純文学シリーズ」を目当てに自販機の「少女アリス」を買った事もある(まだ僕は未成年だった。ちなみに「少女アリス」の実写ヌードグラビアはシンドかった)。まんが画廊に出入りしていた事もあって、ロリコン同人誌の草分けである「シベール」にも目を通していたし、その増刊のアニメ特集号「アニベール」は、コミケットで並んで買った。1983年春だったと思うけれど、知り合いのアニメファン(サラリーマン)が交通事故で入院した時、お見舞いに「レモンピープル」を買って持っていった。今となっては笑い話

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    otsune 2009/06/16
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第136回 そんな老後はこなかった(番外編5)

    「第90回 ビデオデッキがやってきた」で書いたように、高校3年の頃から、TVシリーズを丸ごと手元に残したいという欲が生まれて、ビデオのコレクションを始めた。好きなTVシリーズを全話録画して手元に残すようになった。「謎の円盤UFO」「プリズナーNo.6」といった名作SFドラマも再放映で録ってコレクションした。「好きな時にいつでも観られる」という贅沢のために録画していたのだし、「いつかまとめて観返すかもしれない」と思って録っていたのだ。最初に買ったビデオデッキがベータだったので、初期のビデオコレクションはベータテープだ。富野作品でいうと『戦闘メカ ザブングル』から『機動戦士Zガンダム』までがベータだった。『とんがり帽子のメモル』は初期エピソードをベータで録って、途中からVHSに切り替えているから、1984年くらいにVHSのデッキを買って、そちらをメイン機にしたのだろう。当時録画したものを観直す

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    otsune 2009/06/03