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ブックマーク / masao-hate.hatenablog.com (2)

  • 「成熟」という名の妥協の正当化と、ネットみのもんたの「抑圧移譲」 - 世界のはて

    自分の中の「やりたいこと」「思想」「こだわり」といったものと、現実的に社会から「やらないといけないこと」「やるべきこと」として求められる「規範」がい違うということは、誰にでもある。けれども多くの人間は、「意ではないけれど〜」と感じながらも、後者の「現実」を選ばざるを得ない。「労働」なんてものは、その最たる例だと思う。 人は、こうした「妥協」を繰り返しながら「大人」になっていく。それは、社会から「成熟」と呼ばれることもある。この名を与えられることによって、「大人」は自らの人生の選択に正当性を与えることができる。「あれは『妥協』ではないのだ」と。 人々の「妥協」は、社会が成り立っていく上で不可欠な要素。それに「成熟」という呼び名を与えることで正当化を図ることは、社会にとって必要なシステムなのだろう。 しかし、いくら社会から正当化されたとしても、個人に「妥協」の「痛み」は残る。そしてその「痛

    「成熟」という名の妥協の正当化と、ネットみのもんたの「抑圧移譲」 - 世界のはて
    panna-cotta
    panna-cotta 2008/09/11
    成熟に反抗して社会からそっぽ向かれる覚悟がある人ならいいけど、残念ながら一握りの人を除いてそんなバイタリティは無い。成熟してなかろうが社会の犬に成らざるを得ない事はあまりにも多い。という抑圧委譲。
  • 匿名の相手にコメントすることと、行きずりの女の子をナンパすることと - 世界のはて

    僕は増田の記事をブクマするとき、酷いコメントを書いたりネタ化することがコテハンの相手に比べて平気でできるんだけど、コレはやっぱり相手を「人格」として認識していないからなんだろう。コレはアレだ。知り合いの女のコに告白することと、クラブで行きずりの女のコをナンパすることの違いみたいなもんだ。で、そういう相手のバックボーンを一切知りえないからこそ発生する「気楽さ」ってのは、個人的には結構好きな感覚ではある。

    匿名の相手にコメントすることと、行きずりの女の子をナンパすることと - 世界のはて
    panna-cotta
    panna-cotta 2007/03/15
    人格として認識すると、酷い事は出来ない。その他一般の人に対しては、酷い事が出来る。という事は、人と仲良くなる為には他人の人格を認識すればいいのか?
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