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哲学に関するpantheran-oncaのブックマーク (6)

  • 『哲学』とは何ぞや

    新しく質問をたてようと思いましたが参加させていただきます。 下記の質問で「哲学の「て」の字も知らずに哲学を語っているつもりの人が多い」 とのことでしたので質問者様に逆に問うてみたのですがこ馬鹿にされているようでした。 さすがに哲学科を卒業している方は違うなぁ~とカチンともきましたが。。。 http://bekkoame.okwave.jp/kotaeru.php3?qid=2306049 私が思うに全ての学問の基礎となるもので、考えるための方法論や理解に導くための道具のように思います。 テーマを決めひたすら思索にふけることも良いと思うのですが、 答えを導き出すのに逆説を考えたり、消去法で可能性を消したり、と、 考えるための方法がたくさんあればいろいろな角度から物事を考えることができて便利。 そういうものだと思います。 実験的な科学で証明できないことであっても、哲学的には答えを求めることがで

    『哲学』とは何ぞや
  • 無宗教者の道徳心と宗教の役割

    参考程度に 人間の考える現代における悪とはなんですか? 最大の悪は「唯物論」ですね。「唯物論」が共産主義的思想として教育界に蔓延しているのでしょうね。 1960-70年闘争での学生がいまや教育界の主流でしょう。社会に出た者は社会の荒波でかわらざるおえなかったのでしょうね。しかし、学殖に残ったものが変わらずどうしようもない者になりましたね。唯物論的思想をふりまき、人間を崇高な仏や神の子と信じられないで、ロボット化するわけでしょう。ロボットというと機械的過ぎますから、別の言い方をすれば賢いサルや犬人間にしてしまったということですね。死んだら終わり、生きているうちに楽しもうという思想に若者が陥るのは必然ですね。サルに万引きするなといっても通じないですね。犬に交尾するなといっても通じないですね。そんな状況におちいっていますね。そういう若者を大量に送りだしてきたと考えると空恐ろしくなりますね。教育

    無宗教者の道徳心と宗教の役割
  • 虐殺の神々

    No13 welovekobeです。 >なるほど、人間は神様の愛玩動物として創造された。 誤解されていらっしゃいます。 愛玩動物ではなくて、「子女」として創造されたのです。 つまり、子供です。動物ではありませんよ。 人間は、真美善の「価値」を追求する欲望、 すなわち、知・情・意がありますが、動物には それがありません。知的なポチ、情的なミケはいません。 或るTV番組で見ましたが、ある子供が、「犬の目は笑っ ていない」と言ったそうです。(笑) 確かにそうですね。動物には、笑うということが ありません。価値観が無いのですね。 だから、文化を創造することは出来ないのです。 人間だけが、神様に100%似せて創造されています。 だから、人間にだけ、創造性が与えられているのです。 善を指向する心も当然にあります。 しかし、人間は、後天的に堕落したので、 悪なる欲望を持ち合わせてしまったのです。 これ

    虐殺の神々
  • 哲学はニセ科学か?

    補足拝見いたしましたが、どたばたで、遅れをとってしまったようで。 >ソーカル事件に対するみなさんの意見を教えて欲しい。 この件につきましては、すでに、お見事なご回答があり、 「お水からの伝言」同様、当方に付け加えるような、詳しい知識は御座いません。 今回は、少々、ご質問者様の意図と別の視点で考えてみたいことがあります。 結局、学問や科学が商品になってしまっている。 昔は、出来の良い物を市場に出して、出来損ないを自家消費に廻すと言う傾向が逆転あるいは自家消費が全く無ければ、出来不出来よりも、規格に合いさえすれば良いですし、規格もご都合により曖昧にされます。なんせ、自分のものではなく、他人のものですから。 もう一点、前にも書きましたが、 知識の分散 これは、一人の頭脳の中に、世界中の知識をすべて入れることは不可能なこと、シュレティンガーが50年程前に嘆いた問題ですが、最新の科学の検証が困難にな

    哲学はニセ科学か?
  • 歴史から学ぶものは無い?

    「人間」という括りで言うと、人間が歴史から学んだことはたくさんあります。むしろ、歴史に学んだことの方が圧倒的に多いんじゃないですか。基的人権の尊重然り、民主主義然り、その他法治主義、法の下の平等、三権分立などなど歴史から学んで身に付けたものはキリがないくらいあると思います。 人種差別にしたって、実際には未だに残っているにせよ、どこの国でも大抵法律的には禁じられていますよね。日だって、法の下の平等が憲法で謳われています。 たぶん、奴隷制度が何の疑いもなく受け入れられていた時代には、誰にとっても差別なんて何の問題もなかったと思います。それに引き換え今は大多数の国、大多数の人間にとっては、まがりなりにも「人種差別はいけないことだ」という共通価値観が出来上がっているのではないでしょうか。時間はかかっていますが、着実に歴史から学んでいる証拠と思います。 思うに、歴史に学んで比較的容易に身につくも

    歴史から学ぶものは無い?
  • 貨幣の哲学

    #7さんへの補足を拝見して感想が浮かんだので再びおじゃまします。 お金を必要とする度合いは、その個人が目指す立脚基盤によってかなり異なってくるような気がします。 ここまで貨幣経済の浸透した現代において、お金に全く関与しないで生きることは難しいでしょうが、それでもあえて昔誰かが言っていた【辺境最深部に速やかに退却】することによって、その影響を最小限にすることは可能であろうと思われます。 それはともかくとして、可不可論として、貨幣の創造される以前の状況を想像してみます。 よくはわかりませんが、ともかくある段階で非常な不自由、あるいは不便さを感じたはずです。 逆に言えば、それまではその不自由さ・不便さに気付かなかった、あるいは物々交換のような形態で価値の交換が行なわれることに安住していた時期があった、ということになるように思います。 ある段階でそれに満足できなくなったのは「無駄」に気づいたからと

    貨幣の哲学
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