原子力発電を日本のエネルギーの国策として政官財協調して進められてきたこと自体が間違っていたと思う。開発と称してがむしゃらに自然破壊を推進してきたことと同じ発想だとすれば、今回もまた神のお叱り・警告と受け止め、人間の心のあり方が問われていると考えることも必要かつ重要ではないか。そういう観点での将来のエネルギ対策についての意見も取り上げて欲しい。(2011/04/28)
![東京電力の罪と罰:日経ビジネスオンライン](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/05f492a9ba706b05ca8fd61b1840b099fb59fdc9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbusiness.nikkeibp.co.jp%2Fimages%2Fn%2Fnbo%2F2011%2Fcommon%2Fnbologo_ogimage.png)
原子力発電を日本のエネルギーの国策として政官財協調して進められてきたこと自体が間違っていたと思う。開発と称してがむしゃらに自然破壊を推進してきたことと同じ発想だとすれば、今回もまた神のお叱り・警告と受け止め、人間の心のあり方が問われていると考えることも必要かつ重要ではないか。そういう観点での将来のエネルギ対策についての意見も取り上げて欲しい。(2011/04/28)
素晴らしいお話を紹介して戴き有り難うございます。今回の逸話が御本に載っていないのは残念です。著者ご自身も二訂版以降は別の本になるぐらい書き直したいのが本音かもしれません。今回強く感じたのは、教育は科学教育よりもなによりもまず「精神」を育てるべきものであるという事です。数学者の藤原正彦先生も「論理力」ではなく「情緒力」が重要なのだと強調されています。そしてそれは生涯に亘り向上に向けて努めるべきものなのだと思います。道元禅師も、ただ食を目的とする(食べて生き延びるだけのことや経済的な存続を目的とする)中に未来はなく、「道」を求める事(人の生き方の理想を高く追求する事)の中に結果的に食がある(つまり経済的安定と発展もついてくる)という趣旨の教えを残しています。しかし、「汝・・・するなかれ」と宗教的戒律を強制しても精神は伝わるものではなく、ただ自分自身が先人に倣い後輩や子どもにどの様な生き方をみせ
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