養老孟司さんの近刊「半分生きて、半分死んでいる」を読んでいて、「国だけを公とする考えを右翼といい、個と公をごっちゃにするのを左翼という」という文が目についた。 前半はわかりやすい。公と対立するものは私であろうが、右翼は私のために生きる方向を否定し、公=国のために生きることこそ人の道であるとする。 自分のために生きるという方向は不幸なものとして排除される。 しかし、「国だけを公とする」左翼というのもいるだろうと思う。たまたまいま自分が生きている国の体制が自分が身をささげるに値しないと思っているから国が公にならないだけで、かつて、北朝鮮の千里馬運動のマスゲームを見て感涙にむせび、中国で毛沢東手帳をかざした群衆を見て目を潤ませるひとはたくさんいた。要するに、自分さえよければほかの人間はどうなってもいいというような利己主義を嫌う心情であって、だから戦前、転向ということは比較的容易におこなわれた。自