中国にも民主化の動きか・・・と北京へ 天安門で座り込みを始めた学生を前に記念写真を撮る余裕がまだある平井記者 この記事の画像(10枚) 平成元年(1989年)になった時、僕はまだ29歳だった。 その年の1月に昭和天皇が崩御するまで、社会部記者として1年半近く、ずっと皇居に張り付いて心身ともに消耗し、春に、外信部に次期海外特派員含みで、異動したものの、気が抜けたようで、何もやる気がしなかった。 そこに起きたのが天安門事件だった。 政治改革に失敗し、失脚した胡耀邦元総書記が心筋梗塞で急死し、怒った学生たちが天安門広場で座り込みを始めたのだ。ソ連ではすでにゴルバチョフが登場しており、民主化の波は中国にも来たのか、と思い部長に志願してすぐに北京に飛んだ。 平井記者の取材メモ そして6月4日を迎えた。 当時の取材メモを見ると、その2-3日前から不穏な空気で、人民解放軍は天安門を囲むようにジリジリと四