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ブックマーク / note.com/sasakitoshinao (5)

  • エアコンじゃない本物の霧ヶ峰、あまりに爽快すぎる開放感〜フラット登山という提案⑧|佐々木俊尚

    霧ヶ峰(きりがみね)というと、三菱電機のエアコンの名前としか知らない人も多いのでは。でも架空の山の名前ではありません。長野県に、実際に霧ヶ峰という山岳地帯があるのです。 とにかくだだっ広い草原の世界霧ヶ峰の最大の特徴は、とにかく草原!とにかく広大!とにかく気持ちいい! それに尽きます。霧ヶ峰の正体は実は火山なのですが、典型的な山のかたちはしていません。おそらく数十万年前に噴火して山体が吹き飛び、いまのように平たいかたちになったのでしょう。山というよりは、丘の上に高原が連なっているような地形です。 夢の中に出てきそうな草原をひたすら歩く霧ヶ峰を歩くときにスタート地点になる車山(くるまやま)の山頂は、ふもとから展望リフトで上がれます。楽ちんです。リフトで一気に標高を稼いでしまい、あとはちょっとした登り下りがあるだけで、広大な緑の草原をひたすら楽しめる。自動車道や舗装道がなく、建築物もほとんどな

    エアコンじゃない本物の霧ヶ峰、あまりに爽快すぎる開放感〜フラット登山という提案⑧|佐々木俊尚
  • 暑夏には標高2000mの高層湿原を歩くのが最高〜フラット登山という提案⑥|佐々木俊尚

    の夏はほんとうに暑くなりました。東京の最高気温36度とかはもはや論外ですが、これだけ暑いと登山に出かけても暑い。朝晩は涼しくなると言っても、行動するのは昼間です。やっぱり暑いのです。 こういう季節には、標高の高いところに逃げるに限ります。とはいえ標高の高い山は峨々とした名峰が多く、気軽に登れるわけではありません。高ければ登るのにも時間がかかり、日帰りでは難しいことも多い。そこで今回お勧めするのは、長野群馬国境の名峰・浅間山の直下にある高層湿原です。標高2000メートルに位置するこの湿原は、池の平という名前で呼ばれています。 浅間山直下にある池の平湿原に向かう池の平湿原にはスキー場がある湯の丸高原からも歩いて行けますが、湯の丸高原にはバスなどの公共交通機関がありません。わたしは仲間たちと山に入る時は、公共交通機関を利用することを原則としています。自家用車やレンタカーを利用するとなると、人

    暑夏には標高2000mの高層湿原を歩くのが最高〜フラット登山という提案⑥|佐々木俊尚
  • 登山でも散歩でもない、新しい徒歩の旅〜フラット登山という提案①|佐々木俊尚

    登山というと「つらい」「歩くのだるい」「足が痛い」という印象を持つ人が多いようです。そういう意見に対し、山慣れてるしてる登山者の中には「体力つければ大丈夫」「そんなの慣れだよ」とバカにする人もいます。そういうちょいと「上から目線」が、結果的に登山と社会の距離を遠くしてしまってる。 登山というものに対する固定観念もあります。「ヒイヒイ言いながら急な登山道を歩いて、なんとか頂上に到達して達成感を味わう」みたいな固定観念です。しかし当にそれが登山の質なのでしょうか? ここでいったん、すべての固定観念や常識をとりはらって、登山とはいったい何なのか。わたしたちは登山に何を求めているのかを定義しなおしてみようじゃないですか。 登山とは「頂上まで登る」こと?たしかに頂上は気持ちよく、良い眺めを楽しめることも多いでしょう。しかし頂上に行かなくても、気持ちよい場所や眺めの良い場所は無数にあります。 登山

    登山でも散歩でもない、新しい徒歩の旅〜フラット登山という提案①|佐々木俊尚
  • なぜオーガニック信仰の人たちは容易に陰謀論を信じてしまうのか 佐々木俊尚の未来地図レポート vol.673|佐々木俊尚

    特集 なぜオーガニック信仰の人たちは容易に陰謀論を信じてしまうのか 〜〜「20世紀の神話」は今こそ終わらせるとき(第4回) 「世田谷自然左翼」というネットスラングがあります。なんで世田谷?と思う人も多いでしょうが、世田谷区は東京きっての豊かな住宅街。ここに住んでいる裕福な人が社会主義に賛同したり、豪勢な生活をしてるのに環境問題に関心があるかのように語ったりすることを揶揄するスラングのようです。 実際に世田谷区に住んでいるかどうかは別として、環境問題に関心を持つ裕福な人がやたらとオーガニック野菜にこだわる傾向というのは、前世紀の終わりごろから確かにありました。 しかしこのオーガニック信仰というのも、20世紀の神話です。神話であるだけでなく、陰謀論やエリート主義に容易に結びつきやすいという厄介な問題も抱えています。今回はその謎を解き明かしていきましょう。 そもそもオーガニック野菜とは何か。かん

    なぜオーガニック信仰の人たちは容易に陰謀論を信じてしまうのか 佐々木俊尚の未来地図レポート vol.673|佐々木俊尚
  • 「批判するなら対案を」ではなく「批判するなら理念も示せ」で 佐々木俊尚の未来地図レポート vol.662|佐々木俊尚

    特集 「批判するなら対案を」ではなく「批判するなら理念も示せ」で 〜〜理念にもとづいてニュースを立体的に報道することの大切さ 「批判をするには対案を」といった意見をツイッターなどでよく目にします。この意見に対して「対案がなければ批判しちゃいけないのか」「明らかに間違ってる事象に対しては、対案がなくても批判するのは当然だろう」という反論もよく聞きます。これらの反論にはわたしは一定の正当性はあると考えています。対案がなくても、誤っているのなら指摘すべきだというのはその通りです。 では批判をするために当に必要なのは何でしょうか。それは「理念」です。だからわたしはこういう考えを提示したい。「批判するなら理念も示せ」 残念なことに「理念なき批判」が、新型コロナ禍では新聞テレビの報道にあふれかえりました。一例を挙げましょう。これは週刊現代も指摘していたことですが、昨年4月に緊急事態宣言が出た際、朝日

    「批判するなら対案を」ではなく「批判するなら理念も示せ」で 佐々木俊尚の未来地図レポート vol.662|佐々木俊尚
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