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2018年6月18日のブックマーク (2件)

  • 分散キューという名の苦しみ - Software Transactional Memo

    TL;DR 分散システムにおいてキューを導入する場合、当にキューが必要なのか再考すべき。そこが地獄の入り口だから。 システムの抽象 コンピュータの世界は、来は0と1の信号の羅列が飛び交う無機質なものである。でも人類は信号だけですべてを語らず、様々な喩えを定義してきた。それはデスクトップ・ウィンドウ・マウスカーソルといったグラフィカルな表現に留まらず、パケットやカプセル化といった用語にロック・キュー・リスト・木などのアルゴリズムやデータ構造の世界にも自然に溶け込んでいる。これらはすべて人間の理解を助けるための喩え話に過ぎず、この喩えこそが人間のより直感的な理解をもたらす一方で、発想の制約を生み出してきた。 人間が大きなシステムを作るときも何らかの喩えを用いてシステム全体を整理する。アーキテクチャの「ポンチ絵」を描いて情報共有をするのは企業に勤めていれば経験した人も多いだろう。パワーポイン

    分散キューという名の苦しみ - Software Transactional Memo
  • 新幹線の通り魔が読まなかった本

    新幹線殺傷事件の加害者が読んでいたという名目で平積みされた背表紙が公開されている。ドストとか塩野があるが、私は疑う。それは、棚に入っていたを一定の判断のもとに抜き取り、撮影のために平積みしたのではないかと。すなわち、棚そのものには公開に適していないが並んでいるのではないかと。 多いか?と思ったみなさん。の虫以外には1年かかっても読みきれない量です。 pic.twitter.com/iU10N8IQJU — ノザキハコネ (@hakoiribox) 2018年6月13日 なぜなら、ドストや塩野を読む人ならば、それ以外も読んでいるだろうから。他のエッセイや小説、コミックなどである。そして、それらは棚に入っているはずだ。しかし、棚を舐めるような映像は(私は)見出せなかった。「棚を全て見せない」という方針の元で抽出→公開されていたと考える。 仮に、棚に大量にマンガが並んでいたの

    新幹線の通り魔が読まなかった本