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ブックマーク / mazmot.hatenablog.com (20)

  • 息子が不登校になったときの思い出 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    学校は行っといたほうがいい。これはもう大前提だ。その上で、実際には学校なんてそこまでのもんでもない。だから、命がけで行くようなもんじゃない。しんどかったら行かなければいい。新学期のこの時期、こどもの自殺が有意に増える。死ぬくらいなら休めばいいし、何なら不登校になったっていい。私の息子は中1の夏休み明けに不登校になった。それでもおかげさまで二十歳になったいまも元気に生きている。 ただし、彼は絶賛無職アルバイト中で、世間的にいう安定した人生への道からは大きく外れている。たぶん、外れっぱなしのままでいくんだろう。だから、一般には学校に行っといたほうがいいのはまちがいない。命、とまでは言わなくとも、健康(心の健康も含め)に大きく被害が出ない範囲であれば、まあガマンして行っといたほうがいい。 もちろん、いったん路線を外れても復帰する道はある。実際、私がこれまで教えた生徒でも、半年不登校やってましたと

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    peketamin
    peketamin 2023/09/03
  • オンライン家庭教師を2年以上続けたので、そのノウハウを公開する - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    前史(ここは飛ばしてOK) あまり気が進まないままに家庭教師をはじめて10年以上になる。そこら辺の事情は別で書いたので、繰り返さない。やっているうちにいろいろ考えて、「やっぱりこれは自分の仕事なんだろうなあ」と思うようになっていった。そこにすべてを賭ける気にはなれないが、いろんな仕事のひとつとしてこの先もずっと付き合っていくことになるんだろうぐらいに思うようになった。その矢先、アレルギー性の喘息が再発した。再発というのもおかしいかもしれない。小児性の喘息持ちだったのが成人して寛解しても、年をとるとまた出てくることがあるらしい。それだった。自分の感覚では喘息なんて慣れたものと思っていたのだが、実際に数十年ぶりに発症してみると血中酸素濃度が下がって平地にいるのに高山で行動しているような覚束なさに陥った。通常5分の駅までの道のりを途中2回休憩のためにしゃがみこまなければ歩き通せなくなって、命の危

    オンライン家庭教師を2年以上続けたので、そのノウハウを公開する - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
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    peketamin 2022/06/03
  • 第二次世界大戦中の英語教育について(メモ) - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    教育学業界のことは私にとっては謎だ。家庭教師という仕事をしている以上、それに関する学問に興味はあるのだけれど、入門書を眺めてみてもどうにも解せない。だから、アカデミックな教育の話になると私にはいろいろととんでもない誤解があるかもしれない。ということを前提に、教育史の話。たまたま、こういうTweeを見たので、戦時中の英語教育について興味をもった。 当時首相だった東条英機大将に国民の方から「高等教育の現場における英語教育を取りやめるべき」と要求を受けて、東条大将は「国会で英語教育戦争において必要である」として拒否している だから上から禁止された事実はなく、国民が自発的に禁止していった同調圧力があったことは確認されている — け64 (@Farman12We18WdT) 2022年3月11日 け64 on Twitter: "当時首相だった東条英機大将に国民の方から「高等教育の現場における英語

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    peketamin 2022/03/14
  • 定義されない話には気をつけよう - 解決されない「問題解決能力」 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    「問題解決」は、家庭教師のような仕事をしていると避けて通れない概念だ。なぜなら、家庭教師の仕事は公教育の補完であると期待されているのだし、その公教育の基準を決めた学習指導要領には、「問題解決」の言葉が頻出する。そういう感覚でこの記事を読んで、そりゃちがうだろうと思った。 blog.tinect.jp 「問題解決能力」とは、具体的にどのような能力なのか。 | Books&Apps 素直にそうコメントしたら、思いの外に星が集まって、やっぱり自分の感じたことと同じようなことをみんな感じてるんだろうなと思った。 「問題解決能力」とは、具体的にどのような能力なのか。 裏方いっぱいやってそれはものすごく勉強になったからこの話はよくわかるけど、そういうことする力と問題解決能力は全然別の話だと思うな。 2021/11/01 10:03 b.hatena.ne.jp と、ここまでの話なら、それで済むのだけれ

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  • なぜ若者に説教してしまうのか - 老害は避けられない運命 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    17歳の若い子を友人の家に連れて行った。この春まで家庭教師として教えていた生徒である。推薦枠を利用しての大学進学という方向性がほぼ確定したので、これ以上の受験準備も必要なかろうということで指導を終了した生徒だ。私の中では片付いた生徒だった。そのお母さんからメールがあったのが半月ほど前。進路のことで悩み始めたという。大学に行く意味が見出だせない。いや、そりゃそうだよ、と、大学中退者である私は思った。ただ、だからといって放置するわけにもいかない。 思いとどまって進学するように説得してほしいというお母さんの気持ちはわかる。進路相談という名前で面談をして、いろいろ聞いてみた。大学に何があるかわからないのに、流されるようにそこに行くことがいいのかどうかわからない。知りたいことがあれば自分自身で勉強もできる。それよりは、いろんなことを実際に体験してみたい。具体的には海外に行ってみたい、というような内容

    なぜ若者に説教してしまうのか - 老害は避けられない運命 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
  • 中学受験は、やっぱりおかしい - 基礎教育が目指すものと評価基準の乖離 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    「成長」というとらえどころのないもの 教育が目指すものは、なにはさておき、人間の成長である。人間の成長を支える介入を教育とよぶ、と定義しても差し支えないほどだ。原理的に、これに異を唱える人は多くないだろう。多数の人が教育を人間の権利とし、それを提供することが社会の義務だと考えるのも、それが人間を成長させるからだ。人間は成長する権利をもつのだし、成長を支えるのは社会である。生物はその基特性として成長するのだし、社会的生物である人類はそれを構成する個人のそれぞれの成長によって成り立っている、ともいえるだろう。 ここに、教育を評価する根的な困難が存在する。というのは、人間の精神的な成長は、容易に測定できない。さらに、介入が効果を上げたかどうかの測定は、それ以上にむずかしい。というのは、およそ人間は、教育なんか受けなくったって、それなりには成長するからだ。だから、仮に精神的な成長が観測されたか

    中学受験は、やっぱりおかしい - 基礎教育が目指すものと評価基準の乖離 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
  • なぜ勉強するのかを教えてはならない - 家庭教師の経験を通じて見えてくる真理 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    家庭教師としての経験も5年になった。入れ替わりの激しいこの業界だから、ベテランと言ってもいいだろう。これは「プロ」としての経験という意味だ。大学生のアルバイトとか、そういうのは除外したい。 その私が、いくつかの例外的なケースを除いてほぼ最初からずっと厳格に適用してきているルーチンがある。それは、初回の指導時に、「なんで勉強するんですか?」と生徒に聞くことだ。どうしても都合で第1回めにできないときには2回めとか3回めになる場合もあるが、できるだけ早い時期にこれを確認しておく。 当は、「勉強」という言葉も使いたくない。これは誤用だし、危険な言葉だ。けれど、「学習」みたいなよそ行きの言葉では生徒と話が通じないから、しかたなしに使って尋ねる。「勉強は好きですか?」「好きじゃないです」「じゃあなぜ、好きじゃないことをするんですか? なぜ勉強するんですか?」すぐに答える生徒は多くない。たいていは、こ

    なぜ勉強するのかを教えてはならない - 家庭教師の経験を通じて見えてくる真理 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
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    peketamin 2021/04/01
  • 教師が「叱る」ことは原理的に可能なのだろうか? - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    家庭教師をやっていて、生徒を叱ったことがない。これはなにも私の性格がどうとかいうことじゃなく、原理的に家庭教師は生徒を叱る立場にないからだ。もっとも、生徒の方で勝手に「叱られた」と受け取る場合があるので、これはなんとかしなければいけないといつも反省する。たとえば、中学生の数学で、カッコを外すときにいつも正負の符号をまちがえる生徒がいるとする。そういうまちがいを「うっかりミス」みたいな雑な括りで処理していては絶対にそのようなミスはなくならない。失敗には必ず原因があり、原因を潰さないことには同じ失敗は必ず再発する。そして原因分析には、失敗をした当事者の感覚の分析は欠かせない。だから、「なぜここでまちがえたと思いますか?」と、生徒に理由を聞く。この聞き方をちょっとでもまちがえると、生徒は「叱られてる」と思って「スミマセン」としか答えなくなる。そういう返答がかえってきたら聞き方が悪いので、大いに反

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    peketamin 2021/03/26
  • 地頭の良さと受験勉強と - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    学習塾的な教育が「質的に」役に立ってるのかという増田Anonymous diary)記事があった。 anond.hatelabo.jp SAPIXみたいなのって質的に役に立ってんの? 老子によればおよそこの世の中無用のものはないのであって、そりゃ、この世に存在するものであれば役に立ってないわけはない。ただ、記事には「質的に」とある。じゃあ、「質」って何かって考えたら、そこはわからなくなる。まあ、難しく考えるからわからなくなるのであって、ひらたく考えたら、「子どもに教育を受けさせる意味」みたいなことかもしれない。だったら、これは「質的には役に立たない」と断じてかまわないだろう。少なくとも現代社会に合意されている意味では、役に立たない。 なぜなら、日国憲法にあるように教育を受けるのはすべての人に認められた権利であり、基礎教育は国が無償で提供する。無償で提供する教育内容は、「質的

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  • なぜ「忘れ物を叱る」のが無意味なのか - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    忘れ物をしても叱らない教育をしている学校があるとかいうTogetter記事を見て、「そりゃそうだ」と思ったのだが、そこについてるブコメ群のかなりの部分を占める意見が否定的なのに驚いた。いや、ほんとに驚いた。 b.hatena.ne.jp もちろん、「叱ってもいいことない」という論調に賛同するコメントもないことはないのだけれど、「いや、それは当人のためにならないだろう」という意見が多い。ああ、地獄への道は善意で舗装されてる、と思った。 もともと教育現場で「叱る」という行為が横行していることに関しては別途思うところがあるのだが、そこまで話を広げると収拾がつかなくなるので、そこはおくとしよう。教師が叱ることが場合によっては認められるとした上で、なお、少なくとも忘れ物に関しては効果はほとんどない。それは私自身がほとんど常にクラスいちばんの忘れ物王者であり、そしてそれはいくら叱られたってなおらなかっ

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  • 「手伝い」の概念は変化してきたのか? -  生業と家事のあいだ - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    「家のことを子どもが手伝うみたいな言い方をするようになったのって、いつ頃ですかね」。古い友だちにコーヒーをご馳走になりながら話していたときのことだ。田舎で百姓をやりながら大工としてそこそこに名前も売れてきたその友人とは、知り合ってもう四半世紀にもなる。いつの間にか遠くはなれてしまったが、人が大地に近いところで暮らしていくことの重要性については、それほど遠くない意識を共有できていると私は勝手に思っている。彼が淹れてくれるコーヒーはうまい。コロナだからと遠慮して、青空の下で飲む。稲刈りも済んで、すっかり秋の風景だ。 「えっと。そりゃ、子どもは家のことを昔から手伝ってきたんやろ。むしろ家の手伝いもしないで勉強みたいなのが最近のことで」 「そうじゃないんです」 私が理解できないのを見て取って、彼はゆっくりと説明をはじめた。もともと田舎仕事というのは、暮らしの延長線上にある。暮らしとは生きていくこ

    「手伝い」の概念は変化してきたのか? -  生業と家事のあいだ - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    peketamin
    peketamin 2020/12/04
    この違和感は子どものころあった。「生徒は勉強が仕事だ」と言われてから、家事や生業は自分の本文とは切り離された感覚になった覚えがある。そして父からは「少しは家のことを手伝え!」と怒鳴られ混乱した。
  • 中学受験は、そろそろ根本的に変わったほうがいい - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    役に立ってない中学受験勉強 中学受験はおよそ害悪だ。私がそう思う理由は単純だ。それが子どもたちの役に立っていないからだ。中学受験制度そのものは、それは何らかの役に立っているのかもしれない。少なくともそれを実施する私立中学校にとっては、メリットがあるはずだ。そうでなければやらないだろう(そのメリットも、後述するように怪しいものではあるけれど)。けれど、当事者のもう一方である子どもたちにとって、得られるものは「合格」以外のものはなにもない。そういうものだと言ってしまえばそれまでなのだが、じゃあ、合格競争のためだけに貴重な時間を無駄にすることはどうなのか、ということになる。私はそれを害悪だと思う。 なぜ、「子どもたちの役に立たない」というのか。それは、家庭教師としての経験からだ。私は中高一貫の私立中学・高校の生徒の指導にあたった経験が過去に何件もある。いずれも中学受験を無事に突破した生徒たちだ。

    中学受験は、そろそろ根本的に変わったほうがいい - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
  • 子どもの世界は安全になったのか - 子どもの目に映る世界 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    昭和の子どもの世界は非常に危険だった。直接的な危害だけでも、私の記憶の中には「あれは当に危なかった」というのがいくつかある。たとえば、当時、宅地化が進みつつあった私の家の近所には、(子どもの目からみて)広大なジャンクヤードがあった。廃物の家財道具や電化製品、廃車に至るまでのありとあらゆるガラクタ類がうず高く積み上げて放置してあったのである。もちろんまったく放置されていたわけではなく、そこに廃品を持ち込む業者や、そこから廃品を運び出していく業者が出入りしていた。けれど、常駐の管理人などはおらず、周囲との境界も曖昧で、子どもたちが勝手に出入りする遊び場となっていた。そしてひどく危険な場所であった。たとえば、当時の冷蔵庫は外側からノブを引かなければ開かない構造になっていたのだが、その冷蔵庫の中に子どもが隠れるぐらいのスペースはあった。結果として、冷蔵庫内への子どもの閉じ込めによる死亡事故が多発

    子どもの世界は安全になったのか - 子どもの目に映る世界 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    peketamin
    peketamin 2020/08/25
    "だから根性がないみたいな話には、困難に打ちひしがれたひとには新たな困難に耐える力が残されていないことが多いという観察でもって反論しよう。"
  • 「生活作文」の気楽な書き方 - 昨夜のアドバイスをもとに - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    コロナのおかげでどうなるのかと興味深く(失礼!)見ていたのだが、どうやら私の観測範囲では、学校の夏休みの宿題はいずれも例年に比べて少なくなっているようだ。そりゃそうだろうと思う。夏休みは短いし、その短い夏休みに補習を実施するところも少なくない。実質的に休めないのに、例年通りの課題を出すなんてむちゃは、さすがに人間としてできないのだろう。いいことだ。 特に私が評価したいのは、ドリル系の課題が大幅に減っていることだ。あんなもの、子どもたちの成長にとってロクに役に立たない。問題を解くことが役に立たないと言っているのではない。どうしたってやっつけ仕事にならざるを得ない「夏休みの宿題」としてやらせることが役に立たないと言いたいわけだ。ああいった練習問題は、じっくりと時間をかけて、あれこれ悩んで答えにたどり着いてこそ、思考力の訓練になる。それが心浮き立つ夏休みなんかにできるわけがなかろうと、そのぐらい

    「生活作文」の気楽な書き方 - 昨夜のアドバイスをもとに - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
  • BlackLivesMatterは「黒人の命は大事」なのか? - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    合衆国を吹き荒れる#BlackLivesMatterの嵐は、けっして他人事ではない。現代社会がコロンブス以降のグローバル化の果に成立していることを思えば、そのなかで植民地支配の歴史と人種差別の歴史はすべての人々の生活に分かちがたく絡まり合っているといえる。だから、合衆国に依然として残る人種差別の問題は、世界にすむすべての人々の問題でもある。 ということはなにも私が言うまでもないことなのだが、この記事のタイトルを見て「?」となった。いや、誤訳じゃない。これはこれで正しいのだけれど、それでいいのか?と。 www.bbc.com 「黒人の命は大事」、ホワイトハウス前に巨大ペイント 米ワシントン - BBCニュース 議論があるにしても、「black」がかつてアフリカ大陸から暴力で連行された人々にルーツを持ち、一部その他の人々も含みながら現在も合衆国で差別されている人々を表す言葉であることは間違いな

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    peketamin 2020/06/07
  • 「授業」はもう時代遅れなのか - 言葉はていねいに使わなければいけないなあ - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    授業 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説 教師が諸分野の知識,技能を生徒に習得させるために行う活動。講義や一斉教授など教師中心の授業が伝統的であったが,今日では新教育の影響で,生徒の自主性や経験が重んじられ,多様な授業方式がある。また授業の改善,科学化を求めて,授業分析などの授業研究が盛んになってきている。 デジタル大辞泉の解説 [名](スル)学校などで、学問や技芸を教え授けること。「国語の授業を受ける」「教科書なしで授業する」「授業時間」 授業(じゅぎょう)とは - コトバンク 家庭教師は気楽な商売だ。というのは、生徒と一対一で学習を進めるからだ。たまには「きょうだい一緒に面倒見てください」みたいな注文もあって、複数の生徒を同時に指導することもある。三人きょうだいを同時に指導した経験もあって、やってやれないことではないことは知っている。けれど、それはあまりにも負担が大きく、指導の

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  • 「安心」は安心じゃない - 定訳の厄介さ - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    専門的な文書、論文であるとか専門書であるとかを翻訳する場合には、まずはその分野の基礎知識がなければならない。とはいえ、依頼が来てからきっちり勉強していたのでは間に合わないから、だいたいは参考文献リストとかから見当をつけて、周辺の文献を大急ぎで斜め読みすることになる。それをやっておかないと、文脈を読み違えてクライアント(たいていはその道の専門家)からお叱りを受けることになる。それでは次の仕事につながらないので、ここは手を抜けないところだ。 周辺の文献を調査するのは、既に存在する訳語を押さえておくためでもある。特に英文和訳の仕事では、たいていの分野で既に先行する何らかの翻訳が存在する。特定の単語についてそういった先行訳を無視すると学問の世界ではまずいことになる。とはいえ、先行訳が必ずしも適切とは限らない。そういう場合にはきちんと先行訳の存在とそれがなぜ依頼の文献に適切ではないのかのコメントを添

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    peketamin 2020/04/26
  • なぜ学校はワープロを受け入れない? - 「現実」に過適応していると未来が失われる - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    私の観測範囲だけのことではあるのだけれど、現代の小学校、中学校、一部の高校においては、パソコンを使用した提出物を受け入れない。もちろん細かいことをいえば例外はあって、たとえば小学校の夏休みの自由課題なんかでパソコンを使った研究みたいなのはあり得る。けれど、パソコンで制作されたもの、たとえば読書感想文であるとか自由作文とか、ワープロ打ちしたものは、受け付けない。もちろん、「ノートまとめ」とか、「自主勉帳」みたいなのをワープロ打ちすることも許されない。 「なんで?」と思うのだけれど、これにはちゃんと理由がある。まずひとつには、「パソコン使ったら漢字を覚えないでしょう」というものだ。それから、「人が書いたのか筆跡でわからない」というのもある。人の代わりに親が書いたのかもしれないし、ネットから拾ってきてコピペしたものかもしれない。そういう不正を防ぐために、ワープロ打ちは認められない、というもの

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    peketamin 2020/01/09
  • なんで「記録タイマー」をアップグレードする? - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    「記録タイマー」と聞いて、「ああ、あれだな」とピンとくる人は、おそらく理科教員だろう。塾講師、家庭教師、学参編集者、私のような教育寄生業界の人間かもしれない。ほとんどの人は「記録タイマー」と聞いても、「えっと、ストップウォッチのこと?」ぐらいにしか思わないのではないだろうか。ただし、この半世紀の間に義務教育を終了した人(つまりほとんどの人)は、必ず1回はこの装置に触れたか、あるいは少なくとも教科書上でそれが扱われているのを目にしたはず。紙テープを並べたグラフ問題を解いて高校に合格した人だって少なくないはずだ。だが、たいていは忘れている。 ●記録タイマーはこういうもの → ケニス株式会社 - 理科なび - 教材の紹介 忘れたっていいようなことだ。もちろん、物理学を学ぶ上で、速度と加速度について実地に調べる体験は重要だ。それをじっくり考察し、ガリレオ・ガリレイやニュートンが何に悩んだのかを追体

    なんで「記録タイマー」をアップグレードする? - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
  • 人に死ぬ時期を決める自由はない、という話 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    半年ほど前から、老齢の父親の調子がよくない。それでもどうにか生きながらえて年を越すことができた。感謝すべきなのだろう。 だが、素直に喜べないのは、病床にあって父親が日々苦しんでいるのを知っているからだ。循環器系にガタがきていて、身体全体に酸素が足りない。高山で生活しているようなもんだから、とにかくしんどい。そのしんどさを耐え忍んでも、その先にそれが改善する見込みはほとんどない。よくて現状維持、わるければ、いつでも最期がくる。そういう状態でいる人を前に、それでも「生きていてよかったね」とは、素直に言えない。 父親は、決して命に未練があるタイプではない。むしろ、無意味な延命治療はしてくれるなと、これは元気なうちからずっと言い続けてきた。過去に何度か大病を生き延びてきているので、医療に対する信頼は厚い。治る病気なら、現代医学の力で必ず治るものだと信じている。そして、治らないのなら、ムダな抵抗はせ

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    peketamin
    peketamin 2019/01/01
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