昭和の子どもの世界は非常に危険だった。直接的な危害だけでも、私の記憶の中には「あれは本当に危なかった」というのがいくつかある。たとえば、当時、宅地化が進みつつあった私の家の近所には、(子どもの目からみて)広大なジャンクヤードがあった。廃物の家財道具や電化製品、廃車に至るまでのありとあらゆるガラクタ類がうず高く積み上げて放置してあったのである。もちろんまったく放置されていたわけではなく、そこに廃品を持ち込む業者や、そこから廃品を運び出していく業者が出入りしていた。けれど、常駐の管理人などはおらず、周囲との境界も曖昧で、子どもたちが勝手に出入りする遊び場となっていた。そしてひどく危険な場所であった。たとえば、当時の冷蔵庫は外側からノブを引かなければ開かない構造になっていたのだが、その冷蔵庫の中に子どもが隠れるぐらいのスペースはあった。結果として、冷蔵庫内への子どもの閉じ込めによる死亡事故が多発