戦国武将の明智光秀が本能寺の変を起こしたのは室町幕府の再興が目的だったとする研究成果を、新たに確認された光秀直筆の書状を基に三重大学の研究者がまとめ、光秀が主君の織田信長を討った動機をめぐる研究の進展が期待されます。 これまで写しだけが残されていましたが、三重大学教育学部の藤田達生教授が調べたところ、筆跡などから光秀直筆の原本と確認できたということです。 書状は「六月十二日」の日付があり、位の高い人という意味の「上意」という言葉を使って、その人物が「御入洛」、つまり京都に来ることになると伝えています。 藤田教授によりますと、日付は本能寺の変の10日後にあたり、信長によって追放されていた室町幕府の将軍、足利義昭が京都に戻って来ることを意味しているということです。 藤田教授は書かれた日付や内容から、光秀が室町幕府を再興させるために本能寺の変を起こし、主君の信長を討ったのではないかと指摘していま