斉藤茂吉に「赤茄子の腐れていたる所より 幾程もなき歩みなりけり」という歌がある。折口信夫はこれを吉原に行った後の屈辱感を示した歌で弟子達が考えるような気楽な散歩の歌ではない、と解説していた。歌とはそうしたものだ。歌とは自分の姿を歌うもので結局どんな外在的なメロディーも歌詞も最後にはみんな自分に戻ってくる。すなわち生活に帰ってくる。 ここ一世紀ぐらいで芸術は糸の切れた凧のように空にあがっていった。そして見えなくなってしまった。の子はこれを自らの手に、生活に取り戻すが、その生活は生活の不在というようなものだった。これはひとりの子の問題だけではない。彼がニートだから生活が不在なのではない。僕らみんなに生活が欠けているのだ。 「ぺんてる」の主人公は暗い顔つきで道を歩いている。そして最終的には「ぺんてる」に行く。彼は汚辱感に浸っている。彼は疲れている。生活に。生活がないという生活に。彼の頭には様々な