コロンビアの麻薬王として知られるパブロ・エスコバル・ガビリアが亡くなってから、今年で15年。彼が生まれた同国北西部の街メデジンでは、彼の足跡を訪ねる「麻薬王ツアー」が盛況だ。参加者は主に、欧米などからやってきた外国人観光客。エスコバルが生まれた場所(残念ながら生家は取り壊され、現在は別の家が建っている)や、ライバルマフィアとの抗争が行われた建物、彼の遺骨が埋葬された墓地などを訪れる。 エスコバルといえば、政府やライバル組織との抗争を繰り返した麻薬カルテル、通称「メデジン・カルテル」を率いた人物として悪名高い。米麻薬取締局の指名手配リストのトップに名前が挙げられ、敵対者の暗殺やテロなど、数々の重大事件にかかわった。一方で、米国向けのコカインの密輸などで莫大な利益を上げ、米「フォーブス」誌の長者番付で世界7位の富豪として取り上げられたこともある。 国際社会では、残忍で恐ろしい人物として記憶
日本を代表するシリアル・アントレプレナーが、イー・アクセス会長の千本倖生氏。本日発売された、「挑戦する経営 - 千本倖生の起業哲学」は、起業したいと思っている人だけでなく、企業勤めをしながらも刺激あふれる生き方を模索している方々にもお薦めの一冊。 NTTのエリート社員だった千本氏は、40代前半のときにDDIを京セラの稲盛氏と共に創業。数千億円企業に育て上げたのちに、ADSLのイー・アクセスと、携帯のイー・モバイルを創業し、60代になっても壮大な挑戦を続けられている。 最新の挑戦であるイー・モバイルの起業に際しては、ビジネスプランだけで3000億円を超える資金のコミットメントを得た!ということだから、スケールの大きさが違う。 本書の中で印象に残ったのは、二つ。ひとつは、稲盛氏に言われた言葉のなかで強烈に印象に残っているという、「始めたらやめるな」の一言。 『稲盛氏はこう言った。 「千本よ、苦
(化学発光について手短に知りたい方は「(1)発光について」を飛ばして下の 「(2)化学発光について」を読んでください。) (1)発光について 物質がエネルギーを吸収して光を出す現象を発光といい、そのエネルギー源として光、X線、熱、化学反応等があります。ここでは光をエネルギー源とする光発光を例にとり、その原理を説明します。 芳香族化合物などが光を吸収すると、光のエネルギー分だけエネルギーの高い状態になります。これを励起状態といいます。 光を吸収する前のエネルギーの低い安定な状態を基底状態といいます。 したがって、励起状態は余分なエネルギーをもっているために不安定な状態です。 物体を持ち上げると位置のエネルギー(ポテンシャルエネルギー)をもつために物体の支えをなくすと 物体はポテンシャルエネルギーの低い状態に戻ろうとして下に落ちます。 同じことは、光を吸収して励起状態になった化合物
今日のジャパン・ソサエティのパネル・ディスカッションは、とても楽しかった。モデレーターはコンサルタント(Gallasus)の橋本ちかさん、パネルは武田薬品サンフランシスコ社長のメアリー・ハーク・フレンショウさんと、グーグル社内弁護士しょうじ・あきさん(ごめーん、みんな漢字を知らないのだ・・・)と私の3人で、「Women in Workforce - lessons from Silicon Vally」というタイトルでしゃべった。(Japan Society Northern CaliforniaとJETROの共催。お招きいただき、ありがとうございました。) それぞれに、日本とアメリカの間で働く場において、女性やワーキングマザーであることの苦労と、逆によいところや面白さ、どうやって問題を切り抜けているのか、など、共感できるところが多かったし、また質問も、これから就職しようという女性、奥さん
藤久だってTOKYUだ 東急の使用差し止め請求を棄却2008年10月1日9時25分印刷ソーシャルブックマーク 「TOKYU」といえば「東急」。他社の営業使用は混同するから認められない――。東京急行電鉄(東京都渋谷区)がこう主張して、宮城県石巻市の建設会社「藤久(とうきゅう)建設」に英語表記の使用の差し止めを求めた訴訟の判決で、東京地裁は30日、東急側の請求を棄却した。 大鷹一郎裁判長は、広辞苑をひもといて、「とうきゅう」と同じ読みに「冬宮(ロシアの宮殿)」「等級」「投球」などがあると列挙。さらに、大分市には「東九興産」があり、盛岡市には「とうきゅう商事」がある――などと指摘して、「『とうきゅう』という呼び方で思い起こされるのは『東急』だけ」という東急側の主張を退けた。 資本金約1200億円の大企業から突然、訴えを起こされた「藤久」の社員は「うちは石巻周辺でしかやってない、10人ぐらいしかい
アジア通貨危機で大きな影響を受けた国 アジア通貨危機(アジアつうかきき、英語: Asian Financial Crisis)とは、1997年7月タイのバーツ暴落に始まった、アジアの中でもドルペッグ制を採用していたフィリピン・韓国・シンガポール・マレーシア・インドネシア各国にも普及し、これらの国では外貨準備不足な中での為替下落による「自国通貨で見た対外債務の急激な増加」によるデフォルト(債務不履行)危機・外資の大量かつ急激な国外への資本逃避(キャピタルフライト)が起きた出来事。その他の東アジア、東南アジアの各国経済に大きな悪影響を及ぼした[1][2][3][4]。タイの輸出が伸び悩みだしても、バーツ高が進行したことに対して、「経済情勢と通貨価値が大きく乖離している、通貨価値が高くなり過ぎている」と見なされ、1997年5月中旬からヘッジファンド等の機関投資家によるタイ・バーツの大量の空売りを
松下電器産業が2008年10月1日、いよいよ「パナソニック」に社名変更する。「経営の神様」と呼ばれた故・松下幸之助氏が創業して以来、約90年にわたって社名に使用されてきた「松下」。その看板がいよいよ外され、新生パナソニックの真価が問われようとしている。 ソニーと比べて海外ブランド力の弱さが目立つ 同社は08年1月、パナソニックに社名を変更するとともに、冷蔵庫などの白物家電に使ってきた国内ブランド「ナショナル」を廃止すると発表した。パナソニックはこれまで、テレビなどデジタル家電のブランド名として用いられてきたが、10月からは社名から製品まですべてがパナソニックに統一される。 大坪文雄社長はこれまでの会見などで、「郷愁に浸るより、より大きく成長する可能性のあるパナソニックに全社員の思いを結集させる」と強調してきた。幸之助氏の死後、松下社内には前例主義がまん延し、新たな挑戦への機運が薄れてきたと
研究室の雰囲気になじめていて指導教員ともそれなりにうまくやれているにもかかわらず精神を病んだ大学院生が書いてみる。現在修士二年。たぶん卒業は出来ると思うが、授業の単位をあと四単位残している。修論はこのまま行けば一応通るだろう。学会経験あり、査読も通った。同期に比べれば少ないし、海外学会に行ったことはないけれど。 卒研と修士の研究室をかえる人が多い環境の中で、一応同じ研究室でずっときている。なんだかんだと授業も含めて三年生のときからお世話になっているので、研究室メンバーの中でも長くいる方だ。卒論のときはテーマと自分自身の歯車がちょうどよくかみ合って進捗具合は結構よかった。上についていた博士課程の人ともうまくやれていた。そのときの指導教員は助教授で、修士に上がってからは教授にかわった。 一年生のときはよかった。何を聞いても興味深かったし、学部のころの授業でやったことが少しずつ自分の中でネットワ
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