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ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (13)

  • 字がきれいで、声がいい - 傘をひらいて、空を

    私が小さかったころ、土曜になると近所の保育園に書の先生がやってきて、行くと教えてくれた。私は大人になるまで習い事というものをしたことがなくて、この書道教室だけが例外である。要するによぶんなカネを費やさず家事をするという身分で育ったわけだが、書の先生が来る日に保育園の入り口にかかる札には、麗々しく「生徒募集中 月謝千円」と書いてあったから、まあ千円なら、ということだったのだろう。 保育園でいちばん大きい部屋に入ると長机がいくつかあって、子どもたちはそこに座って書く。床で書く子もいる。実にいろんな年齢の子どもが出入りしている。先生は午後いっぱいいて、子どもたちは好きなときに来て好きなときに帰る。授業のようなものはとくになくて、小学校で使うお習字セットを持って行き、保育園の棚の上のほうに仕舞ってある「千字文」というお手を見て書く。練習は新聞紙でやる。半紙を使うのはよく練習してからである。半紙

    字がきれいで、声がいい - 傘をひらいて、空を
  • マンガ読んで寝てろ - 傘をひらいて、空を

    お金の知識がないのは現代社会の大人として恥ずかしい。他人にそう言われて、ほほう、と思って、少しを読んだ。そういう話をしたら、ふーん、と友人は言った。この女はどこの株を買ってどこの株を売ったら儲かるかというようなことを始終考えていて、余所の人にこれを買えあれを買えと勧める仕事をしているのである。他人を出し抜くと儲かるのでとても楽しいと言う。放っておくとずっとお金の話をしている。そんな人間を相手にお金に関する不勉強を開示するのは恥ずかしいような気もするけれど、私は彼女を数字の亡者だと思っているし(お金の亡者ではない)、彼女のほうは暇さえあればごろごろして小説やマンガを読んでいる私を生産性のないろくでなしと呼んでいる。価値観の相違は既に明らかであり、私たちの関係に悪影響を及ぼすことはない。私は率直なところを告げる。お金の勉強、超つまらなかった。もうやらなくていいよね。 やらなくてよろしい。彼女

    マンガ読んで寝てろ - 傘をひらいて、空を
  • 一人称の消失、またはありふれた怪談 - 傘をひらいて、空を

    主人を起こす一時間前にそっと起床する。振動のみの目覚ましをセットしてはいるけれども、ほとんどの場合、決まった時間に目が覚める。主人を起こさないようにそっと行動する。洗顔を済ませ、洗面台をタオルで拭きあげ、新しいタオルを出す。洗面所のなかで、昨夜のうちに出しておいた衣服に着替える。 主人の弁当をつくる。リビングのエアコンをつける。主人の朝をつくる。仕上げる手前まで作業をし、リビングのカーテンをひらく。朝の光で見える埃をクイックルワイパーと雑巾で拭う。冬はできたての窓の曇りも拭く。主人が使うときに水が出ないよう、あらかじめ蛇口をひねり、少しお湯を出しておく。 主人を起こす。主人が洗顔を済ませる。主人の着席に合わせて焼いたパンに決まった量のバターを塗り、冷たいサラダとあたたかい卵料理、ミルクまたはジュース、あるいはスープを出す。主人がべ終える少し前にコーヒーをドリップして出す。主人の着る服を

    一人称の消失、またはありふれた怪談 - 傘をひらいて、空を
  • 被差別売ります - 傘をひらいて、空を

    もてるよねえと女たちは言う。可愛いものねえと私も言う。そんなことないですよおと彼女はこたえる。その回答はありふれているのにとても愛らしく、ちょうどいいタイミングで、ちょうどいい視線とともに発せられる。私は感心して、それから、言う。ねえ、もう会社辞めるんだし、いま利害関係のある人は残っていないでしょう。もてる秘訣でも教えて頂戴よ。なにしろ今日は女子送別会。あなたが女性ばかりで行きたいと言ったときにはちょっとびっくりしたけど、まあ、わかるよ、あなたはもてるから、退職ともなると男どもがいつにもましてうるさくて、そしてあなたがうるさくしてほしい人はうちの会社にはもういないってことだよね。 彼女はうふふと笑う。ワイン、もう一、ボトルで取っちゃおうか、と私はけしかける。いいですよ、私は先輩だから、リストのこのあたりまでならご馳走できますよ。彼女は絶妙なタイミングで顔の前に手をあげてそれを動かし、否定

    被差別売ります - 傘をひらいて、空を
  • 子どものあの質問に対する良き回答の例 - 傘をひらいて、空を

    ママはどうしてちんちんがないの? 来た、と彼女は思った。それから「ママには」が正しい、と思った。でも言わない。まだそこまでの言語能力を要求される年齢ではない。彼女の子は実によく質問をする。親を歩く辞書みたいに錯覚しているきらいがある。ある程度「ママ、パパはなんでも知っている」という錯覚を持つのは悪いことではない。発達に応じて少しずつ「親もただの人」にスライドしていけばよい。そうは思うが、口を利きはじめたら、そんなん誰にもわかんねーよ、みたいなことも、回答は可能だけどきみにわかる表現にするのがたいへんだよ、みたいなことも、遠慮なくばんばん尋ねるだろう。知識と言語能力が問われる。サイエンス系は一緒に調べればいいけれども、倫理的な質問(なぜ人を殺してはいけないのか、とか)および性について(今日みたいなやつ)はその場である程度の対応できるようになりたい。なぜならその場で与える印象の影響が大きい問題

    子どものあの質問に対する良き回答の例 - 傘をひらいて、空を
  • 瓶詰めにできないシステム - 傘をひらいて、空を

    コンサート、よかったら一緒に予約しておくよ、と彼女が言うので、ありがたくお願いした。彼女は自分と夫と私、それにもう一人の友だちのチケットを押さえた。 終演後の会場から駅に向かって歩きながら、私は彼女にこっそり訊いてみる。ねえ、どうして私とかも誘ってくれたの。前は旦那さんと二人で行ってたじゃない。彼女は前方に目を遣る。べつの友だちが手振りをまじえて彼女の夫に話しかけながら歩いている。 彼女と彼女の夫は共に社交的とはいえないたちで、いつもふたりでいることを好んでいた。彼らは特別にあつらえた空気に包まれているように見えた。彼らふたりが慎重に配合した、私たちが不用意に吸ってはいけない空気だ。 コリドーって知ってる、と彼女は言った。こり、なに、と私が訊きかえすと、彼女は、水辺なんかで生態系のありかたを観察したことはある、と質問を重ねる。私はおぼつかなくこたえる。えっと、なんか、小さい池とかで、ぐるっ

    瓶詰めにできないシステム - 傘をひらいて、空を
  • 大人に必要な想像 - 傘をひらいて、空を

    姉ちゃん俺あれかも、がんとかかも。とかってなによと彼女が尋ねると弟はあっけらかんと、なんか疑いがあるから詳しく検査するんだってさあ、と言う。会社のさ健康診断あるじゃん、毎年受けないと怒られるやつ、あれなんか意味あんのかなって思ってたんだけどあったね、わりと。 弟はちゃんと毎年健康診断を受けているのだ、と彼女は思った。少し感慨深かった。そもそも会社員をやっているのが感慨深いし、社員同士がみんな知りあいみたいな中小企業の人間関係もそれなりにこなしているようだから、もう完全に大人、まっとうな大人だ。弟がそんなふうになるなんて彼女は思っていなかった。悪いことはしないけれども自由すぎる弟で、何年か前にバックパッカーをするというからあらそうと見送ったら二年も帰ってこなかった。どうやって生きていたのか知らない。 あんた医療保険入ってるのと彼女は訊く。さすが姉ちゃん、真っ先にそれ聞いてくれる、と弟はこたえ

    大人に必要な想像 - 傘をひらいて、空を
  • 僕は忙しくない - 傘をひらいて、空を

    久しぶりに彼が参加するというので楽しみにしていた。その会合は仕事がらみで成立した集まりではあるけれど、参加者の年齢が近くて直接的な利害関係が薄いので、行って話すとなんとなく元気になる。 彼はずいぶんと多忙な職場にいて、子どもが生まれて一年くらいで、それだから、まだ来られないかと思っていた。彼は頭の回転が速く私の毛嫌いするたぐいの偏見を持たず言葉遣いが快く、時おり抑制された毒気を含み、話していてたのしい。 今日はカナツさんが来るって聞いたから来ましたと言うと彼は衒いなくほほえみ、どうもありがとうとこたえた。もてるねえと誰かが言い彼は苦笑してマキノさんは僕と話すのが好きなだけですよと説明する。色恋沙汰じゃなくってももてるって言う用法が広がればいいのになと私は思う。 ひとしきり互いの近況を話して、カナツさん忙しいですねえと私は言った。彼は視線を落としてから、持ち時間はあまり多くないですね、とこた

    僕は忙しくない - 傘をひらいて、空を
    pita-gora
    pita-gora 2011/07/27
    "忙しいというのはつまり、おまえはそれに優先しないという宣言ですよ...優先することができない、ごめんね、と思うなら、丁寧に説明すべき...忙しいのひとことで相手をねじふせるのは、侮蔑をぶつけることとイコール"
  • 涙袋 - 傘をひらいて、空を

    カフェでを読んでいて、隣のテーブルの女性が落ちつかない様子をしていることに気づいた。 彼女はおずおずとあたりを見回し、ウェイトレスを目で追い、でも声はかけずに、窓の外を見たりうつむいたりしていた。見たところ四十代半ば、少し面やつれしているけれども、ごく清潔な印象の、端正な人だった。私と同じように、彼女もひとりだった。 またしばらくを読んでいると、隣のテーブルから、あの、と声が聞こえた。隣の女性が立ちあがってウェイトレスを呼びとめたのだ。ウェイトレスははたちくらいの女の子で、とても愛想よく、はい、と彼女を見あげた。ずいぶんと小柄な人だった。 コーヒーはまだでしょうか、と彼女は言った。ひどく遠慮がちな、ほとんどおびえているような口調だった。ウェイトレスは、は、というような音声を発し、目をくるりと動かし、一度息を吸ってから頭をさげた。 私はさきほどべつの店員と交代したのです。私たちはお客さま

    涙袋 - 傘をひらいて、空を
  • 間がもたないデートと精神的な内臓 - 傘をひらいて、空を

    私が電話に出るなり、あのさ、彼氏とどんな会話する、と彼は訊いた。彼氏によると私はこたえた。相手によって話題は変わる、友だちと何しゃべってんのって訊くのと同じで、具体的な内容を答えられる質問じゃないね。 めんどくせえ女だなあ、今までの誰かひとり適当に見繕って答えてくれってことだよ、空気読め、と彼は言った。なんで私があなたの吐いた空気を読む義務があるのと私は訊いた。彼は楽しそうに笑った。彼は会話の中で軽くやりこめられるのが好きだ。 私は携帯電話を耳に当てたままベッドに寝そべって話す。まずは好きって言うよね。そんなん一秒で終わるだろと彼は言う。二文字じゃん。わかってないなと私は言う。好きにもいろいろバリエーションがあるの。褒めるとか。人によってはなに着ててもまずは褒めてくれる。なにも着てなくても褒める。どうかすると電話に出ただけで「相変わらずかわいいねえ、声がとても」とか言う。 狂ってると彼は言

    間がもたないデートと精神的な内臓 - 傘をひらいて、空を
  • 傘をひらいて、空を

    僕の生家では、盆正月に親戚の集まりがある。僕はそのどちらかには行くことにしている。東京に出て三十年、いくつかの試行を経てできた習慣である。行きたくて行くのではない。後ろめたいから行くのである。 両親は僕を適切に養育したと思う。弟とも悪くない仲だと思う。親戚の人々も(少なくとも露骨に加害的なふるまいをしないという意味において)、良い人たちだと思う。そして、それらとは関係なく、僕は他人といるのが好きではない。 僕の言う「他人」は僕以外のすべての人間をさす。 会議室の隣の椅子に人が座っている状態がわずかに苦痛である。電車に乗らずに済むことを優先して住居を決めている。個室に単独でいる状態がもっとも息がしやすい。 十年単位で馴れた相手であれば、さらにそれが頻繁でないならば、半日程度一緒にいることに支障はない。両親や弟、亡くなった祖父母、それから少数の友人たちがこのカテゴリに入る。それ以外の人間との同

    傘をひらいて、空を
  • 新しいから傷つける - 傘をひらいて、空を

    友だちの家のPCの動作がおかしいというので見にいった。だいぶ古くて起動に十分もかかる状態だったので、さしあたり彼女が必要としているDVDの再生ができるようにクリーンインストールすることにした。 彼女の仕事用の携帯電話が鳴り、彼女は私にことわって出た。はい、いつもお世話になっております。いえいえ、はい、なるほど、担当がそのようなことを申しましたか。 彼女は五分ほど電話で話しつづけた。ほとんどは相槌だった。いろいろな種類の、さまざまな重さの、一定以上の温度を保った相槌だ。彼女はそのあと、仕事にしてはいささか親しげに短く笑って、いいえ、いいんですよ、と言ってから電話を切った。 私はBIOSを確認し、それを覗いた彼女はなんだか怖そうな画面、とつぶやく。怖くないよ、これはWindowsの下に入っているソフトなんだよと私は説明する。 ディスクがかりかりと音をたてて書きこみをはじめる。私は彼女の出してく

    新しいから傷つける - 傘をひらいて、空を
  • 作文が終わらない - 傘をひらいて、空を

    七つの女の子と話をしていたら、作文が終わらなくて困っているという。彼女は小さい子にしては要領よくしゃべるんだけれども、なにしろ七歳は七歳なので、話がくどい。しかもしょっちゅう脱線する。最後まで聞いて推測するに、どうやら何を書いて何を省くかがわからないので作文が長くなっている、ということらしかった。 学校の授業の作文で七五三の話を書くことにして、けれども原稿用紙六枚書いてもまだ、当日の朝ごはんが終わらない。メニューとその匂い、湯気のようす、パンの焼き加減の好みに関する主張で六枚目が終わってしまった。今までのぶんを捨てて書き直すべきか、という意味のことを、彼女は言う。読ませて頂戴と言うと、ずいぶんとはずかしがってから、結局読ませてくれた。 八枚切りのパンを焦げるぎりぎりのところまで熱してからバターを塗り、しみこませてべる、ジャムはパンに塗るべきではない、ヨーグルトにいっぱい入れたほうがいい、

    作文が終わらない - 傘をひらいて、空を
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