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ブックマーク / azumy.hatenablog.com (7)

  • 「ほら、あのおじちゃんに怒られちゃうよ」 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    タイトルは、よく、子ども叱るときにこう言っちゃいけないだろ、と言われる典型例の1つ。おじちゃんでなくても、おばちゃん、お兄さん、お姉さん、だれでもよいのだが。 よその人が叱るって言うんじゃなくてちゃんと親が自分自身で叱れよ、とか、よその人に叱られるからじゃなくて、どうしてそういうことをしたらいけないのか、ちゃんと親が説明しろよ、とか、子どもの躾に関係ない他人を巻き込むなとか、そういう文脈で否定されるものだ。 長らく自分もそう思っていたんだけれど、いざ子どもを叱る立場になってみると、どうしてもこの言い方を使いたくなるときもやっぱりある、ということがしみじみ分かってきた。 小さな乳幼児のうちはともかく、少し大きくなってきて6歳前後になると、叱る内容が複若干複雑になってくる。「危険だからだめ」「汚いからだめ」といった直感的に分かりやすいことだけでなく、「周りに迷惑だからだめ」「他の人が困るからだ

    「ほら、あのおじちゃんに怒られちゃうよ」 - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • 数学脳と生活脳 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    夫と話していて、植木算あたりの話から、こんな会話になった。 私「だから、羊羹を4つに切る時は3回切る、とかそういうのに近い話だよね」 夫「え、4つに切るには、2回切ればいいでしょ?」*1 確かに。あの瞬間、私は数学脳、夫は生活脳だった。 *1:人も狙って言ってる台詞なんだけどねw

    数学脳と生活脳 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    pollyanna
    pollyanna 2008/12/07
    「|||」か「+」か、ですね。「数学脳と生活脳」なるほど。
  • 自分が中年女になって気がついた - 深く考えないで捨てるように書く、また

    子どものころ、若かったころ、自分の目に映る母の姿は、なんとも保守的に見えた。 私はを読むのが大好きだったし、父はよくを読んでいたけど、母はほとんど読まなかった。読むのは、婦人雑誌や料理レシピくらい。それも、自分が思春期になるころにはほとんど読まなかった。 私には読書を薦めるようなことを言うので、「お母さんは読まないの?」と訊くと、「ちょっと読むともう目がチカチカして、頭痛がしちゃう」といつも答えるのだった。 また、母は私に比べると、漢字やちょっと凝った言い回しをあまり知らなかった。テレビのクイズ番組などを見ながら、「あー全然わかんないー、azumyはよく分かるわねぇ」と言っていた。雑学知識も、私のほうがよく知っていた。 母は生まれてから今に至るまで給料をもらう仕事をしたことがなく、ずっと専業主婦だった。何かにつけ「私は分からないわ」「私はダメだわ」「あなたはすごいわねぇ」と言い、

    自分が中年女になって気がついた - 深く考えないで捨てるように書く、また
    pollyanna
    pollyanna 2008/11/18
    とても素敵。
  • 正しさってなんだろう - 深く考えないで捨てるように書く、また

    正しさって一つじゃない。 他人の言ってることを見ると、ああ、なるほどな、それは正しいな、と思う。 しかし、それと対立する意見を見ると、ああ、そういう考え方なら、それも正しいな、と思う。 唯一の正しさ、というのはよっぽどなくて*1、その立場、周囲の環境、その思考を育てるに至った経過などで、いくつもの正しさが生まれる。 しかし、ああ、それも正しいよね、ああ、そっちも正しいよね、と言ってるだけでは、ただの中身空っぽのコウモリだ。自分は自分で、自分自身の正しさをもっていなくてはならない。そうでなければ、正しさを判断することができない、極めて不安定な、常に揺れ動く存在となる。それは往々にして、自分自身だけでなく、周囲の人間まで巻き込んで不安定にする。好ましい状態とはいえない。 だが、かといって、これが私の正しさです、というものに固執し、てこでも動かない、となると、これはこれで大問題。なぜなら、自分の

    正しさってなんだろう - 深く考えないで捨てるように書く、また
    pollyanna
    pollyanna 2008/11/11
  • 「育自」という言葉 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    「『育児』は『育自』」という言葉が嫌いだ。 子どもを育てることによって、自分自身もまた変わって成長してゆくものである、という主旨は諸手を挙げて賛同する、というか、全くその通りだと思っている。 が、「育自」という字面が嫌いなのである。 「育○」という単語において、「育」は「(自然に)育つ」という自動詞ではなく、「(対象を)育てる」という他動詞として働くことが多い。例えば、「育児」以外にも、「育種」「育毛」「育英」など。 このため、「育自」という単語を見ると、とっさに「自分を育てる」と読んでしまうのだ。 ここで、私は引っかかってしまう。育てるのは、誰? 普通に考えると、育てるのは自分自身だろう。「子どもに育てられる」という言い方もあるが、これは現実には、子どもとの関わりや子育てという行為を通じて自ら成長する、ということであり、子どもが親の世話をしたり導きをしたり、ということではないので、あくま

    「育自」という言葉 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    pollyanna
    pollyanna 2008/06/20
    「「『育児』は『育自』」という言葉が嫌いだ」・・・私もその言葉、なんか嫌です。謙遜を装った傲慢さみたいなものが感じられるから。
  • 永遠の初心者 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    今、小学1年生の親、というやつをこの春から始めている。 生まれて初めてやっている。 自分もかつて小学1年生だったことがあるが、あまりよく覚えていない。その時のことは全く参考にならない。そもそも小学校自体、自分の子どものときとは随分と違う。……ような感じがする。初めて見ること、初めて聞くこと、初めて心配することばかり。 2年後には、また1年生の親をやる予定だ。そのときには多少なりとも慣れているだろうか。 しかし、その時には、今度は小学3年生の親を初めてやっている予定でもある。 2回目の、幼稚園年少児(新入園児)の親をやったときは、やはり2回目ということもあって、ちょっとは慣れがあった。しかし、その年は、幼稚園年長児の親を初めてやっていた。幼稚園PTA役員も初めてやった。同時に、2人の子が幼稚園に通っている親、というのも初めてやっていた。やっぱり初めてだらけだった。 やっと慣れてきたかな、と思

    永遠の初心者 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    pollyanna
    pollyanna 2008/06/06
    「今目の前にいる子が、その子が、好きだよ、私は大好きだよ、心底好きなんだよって、そんな気持ちくらいしか、寄り掛かれるものはない。」
  • 思考停止とは思考を停止すること - 深く考えないで捨てるように書く、また

    思考を停止する、と、思考を終了する、は同義語ではない。 一旦停止して、また動き出して、赤信号にあえば停止して、青になったらまた動き出して。 走り続けていればやっぱり息切れしたりエネルギー切れしたりするので、休憩して、また走り出して。 思考停止したっていい、またいつか動き出せる時がくる。完全に動けなくなる前に生物的な死が先にくるだろう。

    思考停止とは思考を停止すること - 深く考えないで捨てるように書く、また
    pollyanna
    pollyanna 2008/05/23
    目から鱗。
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