はじめに 近代公娼制度は 1 8 7 2 (明治5)年太政官達 2 9 5 号(所謂「娼妓解放令」 )を画 期として前近代のそれとは隔絶する形で再構成された売春統制政策であり、娼 妓が届出を行う事によって稼業許可を与え、一定の制限区域(貸座敷指定地) でのみ営業を認めるものであった。年を経るにしたがい規則の変化や改正、或 いは第二次大戦の敗戦後には「特殊飲食店街(赤線) 」と変化するものの 1 9 5 6 年 の「売春防止法」成立により完全廃止になるまでの長きにわたり存在した制度 である。 現在に至るまで、この近代公娼制度に関する研究は様々な面から行われてお り、その過程で「近代」公娼制度が前近代と異なるものであるとする見解が提 示されてはいるが、個々の研究者により幾らかの相違が見られ、未だに統一的 見解を見出すには至っていない1 ) 。その一方で公娼制度廃止の立場をとり活動 してきた廃娼