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ブックマーク / number.bunshun.jp (13)

  • ノンスタ石田が語る漫才と競技化(1)「M-1の影響でネタ作りが変わった」(中村計)

    その年のM-1が終わると「あの人はどう思ったのだろう」と感想が聞きたくなる人がいる。石田明さんはその代表的な1人だ。 漫才に点数がついて、優劣が決まる。 「漫才で点数を競う」この競技は、2001年に『M-1グランプリ』が始まる前は今ほどメジャーではなかった。 もちろん『M-1』以前から賞レース自体は存在したが、賞を獲ったから売れるというよりは、劇場でウケている芸人に送られる賞という意味合いが強かった。 『M-1』の登場は日の漫才シーンを、漫才のあり方を、芸人の考え方を大きく変えた。 競技化することで漫才はどう変わったか、そして変わらないものは何か。 2008年のM-1王者であり、そして芸能界屈指のお笑いオタクでもある『NON STYLE』石田明さんに話を聞いた。 ――漫才という芸能は来、笑わせさえすればいいものです。なのに、M-1という賞レースになると「キャラ漫才や物まねは評価されにく

    ノンスタ石田が語る漫才と競技化(1)「M-1の影響でネタ作りが変わった」(中村計)
  • 大島僚太に「自分の全てを教えた」憲剛流ゲームコントロールの極意。(いしかわごう)

    W杯を前に、期待度が大きく上がっている大島僚太。その成長は中村憲剛という最高のお手が間近にいたからこそだ。 「自分の全てを教えたよ。全部を叩き込んだつもり」 日本代表の壮行試合となったガーナ戦を終えたタイミングの頃だ。W杯ロシア大会に臨む日本代表・大島僚太について、中村憲剛がそんな風に話している。そして、大会へのエールをこう続けた。 「リョウタがやってくれることが国内組の評価にもつながる。もしやれなかったら、『Jリーグだから』と言われるかもしれない。でもガーナ戦を見た限りでは中心になってやれる。『自信を持ってやれ』と言いましたよ」 手塩にかけて育てた大島が世界の舞台で躍動する姿を、心待ちにしているようだった。 川崎に憲剛がいるとは知らなかった。 大島僚太が川崎フロンターレに入団したのは、2011年のことだ。 静岡学園高校3年生のとき、夏の大会でフロンターレのスカウトだった向島建の目に止

    大島僚太に「自分の全てを教えた」憲剛流ゲームコントロールの極意。(いしかわごう)
    ppummu
    ppummu 2018/06/14
  • オシムと羽生直剛の師弟関係は今も。「出会えた奇跡が嬉しいし、怖い」(飯尾篤史)

    2017シーズン限りでプロサッカー選手としての生活を終えた羽生直剛氏。Jリーグ各クラブで活躍した彼のキャリアを語るうえで外せないのは、イビチャ・オシムの存在だ。 ジェフユナイテッド市原・千葉で見いだされ、「考えて走るサッカー」を体現したプレースタイルは、ジェフ時代、そして日本代表と多くのサッカーファンに知れ渡ることになった。 引退に寄せてのインタビューを敢行した際、なくてはならない恩師の存在について彼は「幸せなことだったのか、分からなくなってきた」と語っていた。その心とは――。 「お前はそのプレーで満足させられたのか?」 ――え、どういうことですか? 「偉大すぎて、自分もああなりたいと望んでもなれない、自分がちっぽけだということを思い知らされるだけだし(苦笑)、トレーニングひとつとっても、内容がすごく濃かったから、その後、どうしても物足りなさを覚えてしまって。もしオシムさんと出会っていな

    オシムと羽生直剛の師弟関係は今も。「出会えた奇跡が嬉しいし、怖い」(飯尾篤史)
  • プロ野球、最多観客動員の裏で……。「野球離れ」を裏付ける恐怖の数字。(広尾晃)

    昨年、NPBの公式戦の観客動員は、2513万9463人を記録した。これは実数発表を始めた2005年以降では最多。2005年は1992万4613人だから、12年で500万人以上増加した。今回は、「観客動員」の数字についていろいろ考えてみる。 昭和の昔、プロ野球の観客動員数は「いい加減な数字」の代表のようだった。私の通った高校では、適当なことをいう奴に「プロ野球の観客数みたいなこと言うな」と言ったものだ。 後楽園球場の巨人阪神戦は判で押したように「5万人」。でも、実数発表の日シリーズでは「4万2182人」。そもそも後楽園球場のキャパは「4万2337人」だったから、5万人も入るはずがないのだ。 同時期のパ・リーグの球場には閑古鳥が鳴いていた。シーズン終盤、順位が決まった後の大阪球場なんか、「1人、2人」と数えられるくらい少なく、うすら寒い景色が広がっていたが、発表は「1000人」。 翌日、朝刊

    プロ野球、最多観客動員の裏で……。「野球離れ」を裏付ける恐怖の数字。(広尾晃)
    ppummu
    ppummu 2018/01/26
    タイトルつけたのはライターの人かどうかわからんけどね。内容は特に偏り感じなかった。
  • 月給5万円で始まった甲府での17年。石原克哉は“チームの母”だった。 - Jリーグ - Number Web - ナンバー

    「ミスター」と呼ばれたJリーガーが、2017シーズン限りで17年間の現役生活に幕を下ろした。 キャリアの半分以上をJ2で過ごした。J2優勝を一度経験したものの、日本代表に選ばれたわけでもなく、得点王やベストイレブンといった賞にも縁はない。良いときも悪いときも、ただひたすらに。生まれ育った街のチームで石原克哉は、いつも全力でプレーしていた。 1978年、山梨県韮崎市生まれ。韮崎高3年のときには、のちにプロ入りする同級生の東條公平、後輩の鶴見智美、深井正樹たちと、地元山梨開催のインターハイでベスト4入りした。 順天堂大学卒業後、サッカーを離れることも考えたが、周囲の説得もあり、練習参加を願い出る形でヴァンフォーレ甲府に入団する。ただ、この前年に累積債務が4億5000万円以上に膨らんだクラブは、経営危機の渦中にあった。 最初の練習は学校の校庭、月給は5万円。 「僕が参加した最初の練習が、学校の校

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  • サッカー&将棋有望株、独占対談!中村航輔×中村太地の「勝負師論」。(いしかわごう)

    2017年7月23日、柏レイソルのファン感謝デーで行われた一風変わったイベント。それは日本代表にも名を連ねる中村航輔が、趣味将棋でファン、中村太地六段と対局するという企画。 そのイベントを前にサッカー界、将棋界の有望株による特別対談が行われました。勝負師同士の熱いトークをお届けします! ――中村航輔選手の将棋好きがきっかけで、中村太地六段との「中村対談」が実現しました。サッカー将棋、頭を使う競技者としての共通点を深く話していただければ。 太地:今日ほど中村で良かったと思うことはなかったです(笑)。中村さん……、あ、航輔選手とお呼びしますね。 航輔:お願いします(笑)。サッカー、好きなんですか? 太地:はい、幼稚園から小学校低学年までプレーしていました。今も日将棋連盟にはフットサル部があって、そこで渡辺明竜王や佐藤天彦名人とも定期的にやっています。 航輔:なんだか、すごく頭を使って戦略

    サッカー&将棋有望株、独占対談!中村航輔×中村太地の「勝負師論」。(いしかわごう)
    ppummu
    ppummu 2017/12/09
  • 人間の体の中身は左右対称ではない。菊池雄星が始めた「左特有の投げ方」。 - プロ野球 - Number Web - ナンバー

    プロ野球における大型左腕の伸び悩みが顕著だ。 180cmを優に超え、アマチュア時代には150km近い球速を出していた選手が、プロ入り後なぜか球速が落ちていくケースが多い。 球速ランキングを見ても上位は右投手ばかりで、左投手だと今季158kmをマークした菊池雄星(西武)くらいしか見当たらない。 そんな育成が難しい大型左腕の中で、なぜ菊池は着実に成長しているのか。そのヒントを、彼の取り組みから探りたい。 実は菊池の球速は、今も伸びている。2年前に157kmを計測したが、26歳になった今季、自己最速を更新した。彼が今もなお進化中であることを示す数字だ。 以前から「左と右」の感覚の違いを認識していた。 持続的な成長の陰にはピッチングコーチ・土肥義弘の存在がある。逐一菊池の投球をチェックし、ともにフォームを作り上げる。2人の共同作業がもたらした影響は計り知れない。 2人の信頼関係はもちろん素晴らしい

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  • カープの教え子は「日本一で恩返し」。去りゆく石井琢朗コーチの思い出。(前原淳)

    別れは突然やってくる。 互いに恋い焦がれても、別の道を歩む決断を下すときもある。別れとはそういうものだ。ただ、広島と石井琢朗がともに過ごした時間は、互いにとって幸福であり、充実したものだったに違いない。 '08年シーズン終了後、石井は横浜(DeNA)から広島に移籍した。輝かしい実績を引っさげて来た新天地で、ベテランとして陰でチームを支える役割を見事にこなした。 「カープを強くしたい」 その一心だった。 広島の選手として叶わなかったクライマックスシリーズ(以下CS)出場は、コーチに就任して達成した。 石井が来て、広島打線は生まれ変わった。 「カープを強くしたい」という思いはいつしか、「カープは強くなる」という確信に変わっていた。 守備走塁コーチとして、走塁改革にも着手し、菊池涼介を日一の二塁手に育て同学年の田中広輔との二遊間コンビの下地をつくった。 そして'15年シーズン終了後に就任した打

    カープの教え子は「日本一で恩返し」。去りゆく石井琢朗コーチの思い出。(前原淳)
    ppummu
    ppummu 2017/11/22
  • 日本の特産品“トップ下”が消える?本田・香川が外れた戦術的な意味。(田邊雅之)

    「もちろん私はどちらのチームもリスペクトするが、何かをトライしに行きたい」 ダークスーツに身を包んだハリルホジッチ監督が、ブラジル戦とベルギー戦に向けたメンバーを発表し始める。ここまではいつもと同じ光景だ。 だが程なくして、JFAハウスの記者会見場はどよめきに包まれる。招集リストには香川真司の名前も、田圭佑の名前も含まれていなかったからだ。 だがこれはある意味で、自然な流れなのかもしれない。 ハリルホジッチ監督は先月のニュージーランド戦の際、こちらの質問に対して次のように断言している。 「今のところは、より多くの選手を見て、最終的に誰が残るかを見てみたい。その過程で、選手たちもレベルを上げていく。(今の状況は)このチームが見せられる、最高のレベルからはまだ遠い」 ちなみにハリルホジッチ監督はブラジル戦とベルギー戦に、岡崎慎司も加えた3人の招集を見送った理由として、パフォーマンスが上がって

    日本の特産品“トップ下”が消える?本田・香川が外れた戦術的な意味。(田邊雅之)
  • ジェフ千葉から消えた脂身と白米。監督が持ち込んだ食事革命が凄い。 - Jリーグ - Number Web - ナンバー

    9年ぶりのJ1復帰を目指すジェフユナイテッド千葉は、今季、いままでにない大改革を進めている。 エスナイデル新監督が率いるチームは、極端なまでのハイラインで守り、猛烈なハイプレスをかけ続ける。前にも後ろにも、とにかく走るのだ。夏場でも、その運動量が落ちることはない。なぜ、そこまで走れるのか――。 監督は「そこにミステリーはない」と言葉に力を込める。厳しいフィジカルトレーニングを課しているのは想像に難くないが、それだけではない。強度の高い練習をこなす体作りから見直し、徹底して事改善に取り組んでいるのだ。 現役時代、イタリアのユベントス、スペインのレアル・マドリーなど、欧州の名門クラブでプレーしてきた元アルゼンチン代表にとっては、当たり前のことを当たり前にしているだけだという。 脂身、濃い味、白米が並ぶ事に監督があ然。 きっかけは、シーズン開幕前の沖縄キャンプだった。 「なぜこんなに味付けが

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  • ハリルを支えるスタッフ6人に聞く。皆さんの担当業務って、何ですか?(二宮寿朗)

    ハリルホジッチ監督は言う。「準備がすべて」であると。 その準備はいかになされているのか? 完璧主義者たる監督を支える、6人のコーチ陣の仕事ぶりに迫った。 Number928号(2017年6月1日発売)から全文掲載します! 完璧な準備――。 ヴァイッド・ハリルホジッチがよく口にするワードである。 「私はすべてをプログラムして、すべてをオーガナイズしてやっていく。選手が我々のところに来たときには、準備してきたものをやってもらって向上させるだけだ」 東京・郷にあるJFAハウスには、ハリルホジッチ専用の監督室が用意されている。ホワイトボードには選手名や、出場予定の試合スケジュールが書き込まれ、大型テレビには試合が流れている。 その監督室の隣に、コーチングスタッフ専用の部屋がある。ここが「完璧な準備」の最前線基地となっている。 メンバーは6人。コーチにジャッキー・ボヌベー、リオ五輪代表監督を務めた

    ハリルを支えるスタッフ6人に聞く。皆さんの担当業務って、何ですか?(二宮寿朗)
  • 日本ハムの新スタジアム構想が凄い!「入場料無し」「弁当無し」の衝撃。(鈴木忠平)

    「彼らに聞いたら『だって甲子園に行くつもりで高校に入ったから』と……。僕とはそこが決定的に違いました。つまり自分が想像できないことは達成されない。そういうことです」 北海道旅行の目標になる、壮大なスタジアム構想を! その青年は今、北海道ハムファイターズ事業統轄部長として、新球場構想のプロジェクトを担っている。今年6月29日、新スタジアムのイメージ図を発表した席で「オンリー・ワンか、ナンバー・ワンか。北海道の皆様の誇りになるような球場にしたい」と語ったのが前沢だった。 「北海道を象徴するような文化であり、街づくりの中心となるようなものができれば、自然とオンリー・ワンになるし、世界ナンバー・ワンになると思っています」 例えば、北海道旅行に行く人に「何のために?」と尋ねると、こう答える。 「そりゃあ、美味しい海産物と◯◯スタジアムだよ」 これが前沢の言う文化としての球場であり、街づくりの

    日本ハムの新スタジアム構想が凄い!「入場料無し」「弁当無し」の衝撃。(鈴木忠平)
  • 県立高校に140km投手が5人も!?三重でも感じた「複数投手制」の波。(小関順二)

    大阪桐蔭も、複数の投手を擁して甲子園を目指している。徳山壮磨というエースがいても、2人目以降を育てる努力は怠らない。 高校野球の三重県大会2回戦、菰野高対高田高を見ていたときのこと、菰野高の先発投手が「151キロ右腕」と評判の岡林飛翔ではなかったので、隣り合わせた知り合いのスカウト氏に「今日は投げないんですかねえ」と聞くと、「140キロ台が5人いるらしいから投げないかもしれませんね」と言う。 5人の140キロ台を私は確認していないが、1回戦では岡林飛翔(3年)、田中法彦(2年)、岡林勇希(1年)、河内頼(2年)、村上健真(3年)が継投策でマウンドに上り、英心高を5回コールドの29-0で退けている。被安打はゼロで奪三振は15。つまり、アウトはすべて三振という完璧な内容だった。 このパーフェクトリレーに惹かれて滞在していた大阪から三重までやって来たのだが、高田高戦で岡林飛翔はレフトの守備に就い

    県立高校に140km投手が5人も!?三重でも感じた「複数投手制」の波。(小関順二)
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