関連記事 ■第62回ロカルノ国際映画祭富野由悠季マスタークラス内容前編 ようやく出来ました。編集や説明を含めて、かなり時間を費やしてすみません。今回の話はまた長くなりましたので、もう1回分けて掲載させてもらいます。 例によって、公式サイトと今回の動画。 ○Locarno International Film Festival ○Locarno International Film Festival│Multimedia │Video (8/11の「Forum Masterclass with Y. Tomino」のところで授賞式の動画が見れます) 47:00-47:38 質問(青年) (サンライズやBGMについて聞いたらしい) 47:43 通訳 あの、ガンダムシリーズだけでなくてですね、別のシリーズ、あの、サンライズスタジオと関係あるような作品のなかで、音楽に関してのことですが、えっと、音
関連記事 ■富野由悠季監督、ロカルノ国際映画祭名誉豹賞受賞 昨日で予告したとおり、8/9のマンガインパクト日本ゲストたちの共同会見の文字起こしを掲載します。 ○Locarno International Film Festival ○Locarno International Film Festival│Multimedia │Video (8/9の「Forum Manga Impact round table」のところで会見の動画が見れます) 注:会見の内容を読む前に、いくつかのことを注意していただければ幸いです。 1.以下の時間すべて公式サイト8/9のところに掲載された「Forum Manga Impact round table」の時間に則ってます。 2.以下で書いた各人の時間は、すべて紹介と質問と返答を含めての時間です。 3.また、管理人はイタリア語もフランス語もさっぱりわかりませ
番組では語り足りなかった分のインタビューで、板野一郎氏がバルキリーのデザインについて意外な発言をしていたのでメモ*1。 ええ(笑)、だからバトロイドの顔にしても、最初はもっとズバット的な顔だったんですけど、それをもうちょっと目を吊り上げて格好よくしたり。あとはポーズや骨格や筋肉を意識して、勝手にバルキリーの首筋も細くして、体型も逆三角形にしたりとか。 バルギリーの足も設定段階では飛行機の時には閉じるだけだったのが、作画の段階でこういうふうにベクターをつけたのは作画サイドですからねぇ。そうやってちょこちょこ原画段階で改造していました。 バルキリーのデザインに水平尾翼が存在しないのはベクタードノズル*2を用いているからという理由が常識だったが、まさか河森正治初期デザインでは存在せず、作画段階の改造とは。もちろんメインスタッフとはいえ記憶違いの可能性があるし、逆に軍用機の知識を持っている板野氏な
ようやっとアニメギガ 板野回を見たのだけれど,ブラスレイター見るなら,この番組見た方がいいね.今回のアニメギガは板野さんがいろいろしゃべったり実演したりしてくれて,よかった(どうも板野さんはアニメーターやクリエイターの教育みたいなものに興味があるようで,資料とか解りやすい比較の実例を作ってくれたようだ). 今回の板野さんの話を聞いていて,長いスパンで見た,板野さんの「やってきたこと」,これから「やろう」と思っていることが見えてきたので,まとめてみる. 若さと遊びの身体性(初期板野) 板野さんは23歳という若さで『超時空要塞マクロス』のメカニック作画監督として個性を発揮する.マクロスは あそこまで複雑なデザインを立体的に動かすというのは,テレビでは「無理だから,やらない」っていう,そういう世界だったんですよ.あのいいデザインが,たぶん普通の会社で普通の作画の人がやったら台無しになる.(中略)
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「伝説巨神イデオン」14話「撃破!ドク戦法」 作画監修 湖川友謙 作画監督 神宮 慧 作画 八幡正 戸川俊信 前島和子 秋野洋一 この回はやはりこのミサイル大乱射に尽きるっ! 南京玉簾じゃないですよ、これ全部ミサイルですよ奥さん! 初めてイデオンを通しで見ていたとき、話はともかく作画がションボリな 出来だったため13話まででちょっと飽きが来ていたのですが、 この14話でぶったまげて目が覚めた覚えがあります。 「イデオン」内で初めてミサイルがサーカスした瞬間 ところで、盛大な板野サーカスのわりに、作画スタッフに肝心の板野氏の名前がありません。 このミサイルのスピード、ミサイル大乱射の奇想天外な発想といい、 氏がかかわってないはずないんですけど。 アニメスタイルのインタビューでは29話「閃光の剣」から板野サーカスが始まったことになってます。 14話の時点では世間の注目度は高くなかったということ
―― なんか話がまとまってしまいましたね(笑)。 結城 あ、そうだね。ははは。どこまで言ったっけ? ああ、『ザンボット』『ダイターン』。このあたりは金田さん、と言うか富野作品というくくりだね。『ザンボット』はかなり作画がへたれてたんで、ストーリー以外で観るべきところは、スタジオZの回と、最終回しかない。最終回は佐々門(信芳)さんなんだけど、かなり安彦さんの画に合わせてあってね。佐々門さんは安定して巧い人なんだよね。だから、作画的にかなり救われている。で、「ブッチャー最後の日」の方は、金田さんと富沢(和雄)さんの、作画の暴走が、今観ても凄いかな、と。 ―― そう言えば、最近『家なき子』のビタリスが死ぬ回を観たんですけど、「ブッチャー最後の日」への影響を強く感じましたよ。 結城 富沢さんってやっぱ杉野さんの影響が凄く強かったから。金田さんだけだと、あの味は出なかっただろうね。だからこの2人が相
題名不詳: スターウォーズが日本の特撮やアニメーション映像にどのような影響を与えたか、それを探るのが本稿の目的である。 ◇遅れた本邦公開◇ 米国でスターウォーズ(以下SWと略)がブレイクしてSFXブームが起きた1977年は、日本でも「宇宙戦艦ヤマト」によるアニメブーム元年だった。 「ヤマト」は「鉄腕アトム」などテレビアニメで育った世代がハイティーンになるタイミングでブームになった。アニメになじみ、マンガじみた表現以上のものを潜在的に求めていた観客層を新たに開拓したわけだ。SWも、第二次世界大戦のイメージを踏襲しつつ宇宙空間を舞台にした戦争もので、高度な映像技術を駆使したエフェクト映像で娯楽に徹底して仕上げた作品という点で共通性がある。不思議なシンクロであった。 しかしSWの日本公開は、1年遅れ78年まで延期されてしまった。当時雑誌媒体では著名人が渡米して見てきたコメントを載せ、事前情報を山
アニメ『超時空要塞マクロス』において確立された、独特なアクションシーンにたいする呼称。 それらがアニメーター板野一郎氏によるものであったため、この名が付いた。 動きまくるミサイル群と、ミサイル群からの回避行動をとる目標物、それらのゆくえを追うために激しく動くカメラワークが特徴。 “板野サーカスフォロワー(及びパロディ)”は数多いが、その多くはミサイルの模倣に終始しており、カメラワークに関しては固定カメラのままというケースも多い。 板野曰く、板野サーカスを完全に会得しているアニメーターは庵野秀明、後藤雅巳、村木靖の3人だけらしい。 3人の板野サーカスに関しては、『マクロス』や『マクロスプラス』のほか、庵野は『DAICON IV オープニングアニメ』、後藤はゲーム『クォヴァディス2』、村木は『THE END OF EVANGELION』や『交響詩篇エウレカセブン』などで観ることができる。 この
今回は板野サーカスについて書く。 僕がビデオデッキを手に入れたのは高校1年の時、1980年の末だったと思う。余談だが、最初に録画した番組は、夕方の『タイガーマスク』の再放送だった。確かウルトラタイガーブリーカーを決める話だ。我ながらよく覚えているなあ。その直後に録った番組のひとつが『伝説巨神イデオン』だった。シリーズ終盤の数話を録って、気に入ったメカアクションをコマ送りしたり、2倍速で観たりした。『イデオン』のメカアクションはシャープでスピーディだった。イデオンミサイルやアディゴに痺れた。先日、そのあたりの話数を観返してみたら、高校時代に繰り返して観たのは、やはり、板野さんが作画を担当したパートだった。勿論、当時はそれを描いたのが板野一郎というアニメーターだとは知らなかったのだが。 板野さんの名前を意識したのは、やはり彼がメカニカル作画監督を務めたTV『超時空要塞マクロス』である。彼の出世
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