(注1:モヒカン族の中にも様々なタイプがあるため、モヒカン族はこれらの要素が全て当てはまる、ということはない) (注2:一部誤解が含まれているかもしれないが、モヒカン族の思想に倣い、躊躇なく修正して欲しい) 会話中の言い間違いや相手の誤解は指摘するほうが良いと考える 「間違いの修正こそ正義」と勘違いしている 「正義は我にあり」と言わんばかりに、他人の間違いにこだわる 一般人から「理系的人間」と呼ばれやすい 間違いさえ修正できれば、人がどう思おうと関係ないという態度が出ている 特に、Webに関する考え方では、以下のような思想を持つモヒカン族がいる。 W3Cの勧告に正しく従うことが合理的であると考える 補注:これを強く主張する人たちは特に「W3C原理主義者」と呼ばれる。 いわゆる「意味と見栄えの分離」を尊重する。 補注:これを強く主張する人たちは特に「CSS原理主義者」と呼ばれることがある。
するのは、そう言う態度からではなく、あの人は本当に少年なのでいいのだ。 トップランナーで言ってた。「少年の純粋さや不安定さに思わず主人公にしてしまう」とかなんとか(うろ覚え) だからそう言う人がアニメばっかり見てる大人はダメだ!と言っても従う義理はない。 ただの戯作者なのだから俺を面白がらせるだけでいいのだ。面白がってるだけですよ。俺は。 そのアニメ屋のクセに面白い作品というだけで満足できずにガンダムで世直しをしようとするトミノは純粋すぎる。トミノ自身が子供の感覚なんだよ。 子供のたわごとを聞いていられるか。 と、同時にトミノは広範な知識をもったジジイでもある。というか、子供のまま勉強しつづけてるからな。英語を話せないといつも言ってるがどうもそれは単にペラペラじゃないという意味のようだ。負けん気が強すぎる。 監督、おめでとうございます!! 裏トミノブログ/ウェブリブログ そんな富野が大好き
実際、いろいろ在って狂いたいと思ってもなかなかパーには成れないし成らない。そう言う実感は実際、狂う寸前まで行って狂えなかったトミノだからこそ得られたものだと思うんで。 狂ってないときは狂気に芸術性を抱いて憧れたり美しいと思ったりもする。なんちゃってゴスロリ少女とか。 でも、実際狂う寸前になると、狂うのもヤッパリ普通の日常の延長なんで、狂っても日常感は感じられるんで、そういう日常感を感じているうちに、そう簡単に狂って何もかも忘れられるという状態に成る事が出来ない凡俗としての自分を実感してしまう。 狂ってもおなかはすくしウンコするし眠れなくても眠い。萬画みたいに綺麗に狂えない。 カミーユが狂いそうに成っても踏みとどまったのはすげえカッコいいし、当たり前でも在る。(だから旧訳カミーユも狂ったとは思ってないって言ってるでしょう)そういうちゃんと普通になれるカミーユは、憧れだけに惑わされてメフィスト
多忙の極みで和月伸宏論を描けないままにズルズルと来てしまった。そうなっているウチにデスノートが最終回を迎えつつある。 ニア 「二人ならLに並べる」 「二人ならLを越せる」 あーこのセリフは恰好イイ。すでにストレートでは成立しなくなっている少年モノのビルドゥングスロマンの継承の形を新しく作りだしている。 DEATH NOTE試論のメモ:デスノートに見られる二つの継承の形 - さて次の企画は 上述でも書いたが、「白黒の少年コンビによる継承が勝利する」という感じで推移することになりそうだ。一応、注意しておくと「少年マンガだから正義が勝つはずでニアが勝つ」というのは、ちょっと俺の考えた根拠は違ったりしてます。多分、セカイ系以後のビルドゥングスロマンの有り様として、こうなるだろうなぁと思った路線を取っているってコトで。 キラが敗北する最終的なミスも、キラ−高田−魅上のコミュニケーション齟齬から出てく
「漫画ブリッコ」をネット検索すると、一番多くひっかかるのが、やはり「おたく」という単語の起源として取り上げられているものになります。 正直、「漫画ブリッコの世界」で、この部分を取り上げるのは気が引けていました。というのも、この単語は、その後あまりにも「成長しすぎてしまった」からです。 うかつに取り上げるのが正直、怖くもありました。 しかしながら、「漫画ブリッコ」のサイトをやっている以上、やはりこのことについて触れないのは、片手落ちのような気がします。 そこで、ここでは批判も予測しつつ、「『おたく』の研究」全文を載せることにしました。 「『おたく』の研究」は、ミニコミ誌「東京おとなクラブ」の「漫画ブリッコ」内での出張版「東京おとなクラブJr.」の1コーナーとして、中森明夫氏が連載をスタートさせました。 その内容は、当時人気だったアニメ「ヤマト」や「ガンダム」、「カリオストロの城」などに夢中に
正しくは、おたく。 白夜書房刊の小判サイズのれロリコン志向なエロ劇画誌「漫画ブリッコ」で、1983年6月号巻末のコラムから生まれた(当時若手ライターだった)中森明夫の造語(http://www.burikko.net/people/otaku.html)であるが、実際はそれ以前よりあったとされる。1980年代初頭のコミックマーケットや漫画専門店にたむろする常連達が二人称に好んで使った「お宅は?」からヒントを得て、蔑称(差別用語)として定義されたもの。当時あった流行語「ネクラ(根暗)」の発展系と考えていい。掲載当時からその差別的な内容で読者からの評判は芳しくなく、僅か3回で当時編集長であった大塚英志から連載を打ち切られる。そのような経緯であったため、当時の読者以外からは殆ど相手にされなかった言葉ではあったが、1980年代後期あたりから一部アニメ・SFマニアの間で使用され始める。当時は、仲間内
3 月ももうすぐ終わりだなあ。 現在携わっている仕事絡みで、教授同士がメールのやりとりの中の言葉尻で「傷ついた」「やる気を失った」「もういい、やめる」とかそういう応酬があって、ああ、情報系の中の温度差だなあと思うことしきり。情報系、特に fj 出身者やネットワーク系の人間には「歯に布を着せる、人間関係を潤滑に進めるための言葉遣い」というのを「好んで行わない」人が少なからず居る。好んで行わないというのは、「行わない事を好む」「意図した上でそうしない方法を選ぶ」という意味である。お互いに剥き出しの言葉で傷つけ合うコミュニケーションを行う傾向がある種族が確実に存在し、情報系には特に多い気がする。この種族と、そうでない畑の住人がコミュニケーションを取ると、そうでない畑の住人は一方的に傷つき、そうでない畑の住人はこの種族のことを「意思疎通に思い遣りを含めない未成熟な人物」と見做す。今回の教授同士のい
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
知り合いがたくさん執筆していたので買ってみました。しかし私はオタク方面(マンガ、アニメ、ゲーム)の知識が全くないし、サブカル(の定義も良くわかってないけど)もそれっぽいものが好きだっていうぐらいで、大して極めてるわけでもないし…。って読んでみたら、みんな「オタクVSサブカルなんて構図はないと思う」って言ってるじゃん。結局オタク側が一方的に、サブカルを「あいつらモテようと思ってチャラチャラしやがって!」って妬んでるって事?サブカルは渋谷系ブームの頃までは、多少オタク趣味をバカにしてたかもしれないけど、今は逆に「隙なくオシャレ」なのはダサいって風潮でしょ。 でね、ネット以外でオタクにほとんど接点がない私としては、自分の事を考えると、どちらかというと「一般人VSサブカル・オタク」って図式の方が、まだしっくり来るんですよ。一般人て表現も何だけど、更科修一郎さんが言うところの「典型的なF1層」ってや
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