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  • 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(10)|お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学

    4月3日(日)に放送された第13回は、前編のクライマックスとなる、第1次上田合戦でした。ここで注目しておきたいのは、上杉氏からの援軍の内容です。ドラマでは子供と老人の集団として出てきていましたが、これがなんと元になる史実があるのです。 上田合戦に徳川方として参加していた大久保忠教が、はるか後年に著した『三河物語』のなかで、上杉氏から真田氏に送られた援軍は、15歳以下、60歳以上のものであったと記しています。この頃、男子の成人年齢は一般的には15歳でした。そして社会から引退するのが60歳でした。 すなわち15歳から60歳というのが成人男子にあたります。それ以前は子供、それ以後は老人になり、社会人からは除外された存在になります。この時代、あらゆる集団が武装していましたので、この成人男子がそれぞれの集団での兵士にあたります。上杉氏が送ってきた援軍は、成人男子ではなかった、兵士ではなかったというこ

    大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(10)|お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学
    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2016/04/06
    "上田合戦に徳川方として参加していた大久保忠教が、はるか後年に著した『三河物語』のなかで、上杉氏から真田氏に送られた援軍は、15歳以下、60歳以上のものであったと記しています。"
  • 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(9)|お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学

    3月27日(日)に放送された第12回で取り上げるべきは、何と言っても「鉄火起請」でしょう。戦国時代の終わり頃から江戸時代の初期にかけて行われていた、代表的な「神裁」になります。これが大河ドラマに登場するのは、もちろん初めてになります。 第3回で出てきた村落間相論(村同士の争い)をうけて、村同士の相論を解決していた風習を、ここで取り上げたものになります。そしてこうした神裁は、大名の裁判が機能していくことによって役割を終えていくのですが、ドラマでも上杉景勝が裁判に取り組む、というかたちで、そうした時代の流れも表現されていました。今回の話は、結構奥深い内容が込められているのです。 私も「法史学」や「日史概論」の授業で、鉄火起請を取り上げていますが、これからはこの回の映像を使って授業しようかな、とも思えるほどの出来上がりになっていました。またこの撮影の時、たまたま見学に行ったのですが、鉄火起請の

    大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(9)|お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学
    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2016/03/28
    "そしてこうした神裁は、大名の裁判が機能していくことによって役割を終えていくのですが、ドラマでも上杉景勝が裁判に取り組む、というかたちで、そうした時代の流れも表現されていました。"
  • 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(8)|お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学

    3月13日(日)に放送された第10回では、天正11年(1583)の状況が扱われていました。ここでは、徳川に服属した真田が、徳川の財力・労力をもとに新たな拠上田城を構築してもらったこと。北条から沼田領引き渡し要求をうけた沼田城代矢沢頼綱が、北条からの使者を成敗したこと。真田が上杉方の前線虚空蔵山城を攻撃したこと。といったエピソードによって構成されていました。 しかし実際の史実はもっと複雑でした。虚空蔵山城攻めは3月、上田城築城開始は4月、矢沢の北条使者成敗は7月のことでした。とくに実際の矢沢の動向は、通常の理解を超えるものでした。矢沢は6月に昌幸から沼田城代に任じられるのですが、すぐに敵対している上杉氏に従属してしまうのです。当然、上杉景勝は不審がり、周囲の味方に確認します。そこで矢沢が北条からの使者を成敗したというので、信用するのです。 ところが主人の昌幸は、徳川に従って信濃では上杉と抗

    大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(8)|お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学
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    prisoneronthewater 2016/03/14
    "ここに小県郡と沼田領とで、政治的立場に大きな捻れが生まれているのです。長いこと戦国時代の動向を調べてきましたが、こんな訳分からない事態は、これ以外にみたことがありません。"
  • 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(7)|お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学

    3月6日(日)に放送された第9回では、真田昌幸が北条氏から離叛し、今度は徳川氏に従属したところ、その北条氏と徳川氏が和睦・同盟を結んで、六月から始まった「天正壬午の乱」が終息したところまでが扱われていました。 最後のところで、和睦は北条氏からの働きかけ、となっていましたが、これは確信犯的に史実を変えているところになります。実際は、織田信雄・信孝兄弟から徳川家康に早期の和睦が要請され、それをうけて家康から北条氏政に和睦が持ちかけられたのでした。しかしドラマでは、真田の離叛によって北条が危機に陥ったことを強調した都合から、そのような設定になっています。大河ドラマはあくまでも史実を基にしたドラマであって、決してドキュメンタリーではないんですね。こうしたところは、時代考証としても納得したうえのことなのです。 また今回では、堀田作兵衛(興重)がどういう立場であったのかがよく示されていました。ドラマで

    大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(7)|お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学
    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2016/03/07
    "これは確信犯的に史実を変えているところになります。実際は、織田信雄・信孝兄弟から徳川家康に早期の和睦が要請され、それをうけて家康から北条氏政に和睦が持ちかけられたのでした。"
  • 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(6) |お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学

    2月28日(日)に放送された第8話では、真田昌幸が上杉氏から離叛して北条氏に従属したところが扱われていました。時期でいうと天正10年(1582)6月下旬から7月下旬までのわずか1ヶ月のことになります。 実のところ昌幸については、6月下旬には上杉氏に従属していましたが、7月9日までに信濃への進軍を図っていた北条氏に従属したこと、その後、北条氏が信濃に進軍してきて上杉氏との対決のために海津城に向けて進軍した際に、上杉氏に属していた昌幸の弟加津野昌春(真田信尹)が牧島城に在城していて、それを北条方に引き取ろうとしていたこと、くらいがわかっているにすぎないんですね。 今回の話の中心になっていた、上杉方であった春日信達が北条氏に内通し、上杉氏から誅罰されたこと、その調略が昌幸によるものであったことは、江戸時代成立の史料にみえるにすぎず、いまだ当時の史料では確認されていませんが、およそは事実であろうと

    大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(6) |お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学
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    prisoneronthewater 2016/02/29
    "なお昌幸の弟は、ドラマでは「真田信尹」と出てきていますが、この時期は正しくは「加津野昌春」といっていました。「真田信尹」と名前を変えるのは、かなり後年のことになります。"
  • 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(5)|お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学

    2月21日(日)に放送された第7話では、上野・信濃二郡(佐久・小県)を管轄していた織田家宿老・滝川一益が、上野・信濃から没落し、真田昌幸が越後上杉景勝に服属するところまでが扱われていました。このなかで注目すべきは、信繁が滝川の人質になって、信濃木曾義昌に引き渡されていたことです。 史実では、信繁はまだ幼名の「弁」を称していたのですが、木曾に滞在していたことが判明しています。これは共に時代考証を担当している丸島和洋氏が、昨年発見した史実になります。信繁は、祖母(ドラマでは「とり」)とともに、滝川に人質に出され、滝川が木曾を通過する際に、木曾義昌に預けられた、と考えられます。これが信繁に関する、初めて確認できる史実なのです。 その後、信繁が実際の史料に登場するのは、三年後、今度は上杉氏に人質として出される時となりますが、翌年一月、木曾には祖母しか滞在していなかったらしいので、その間に帰還してい

    大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(5)|お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学
    prisoneronthewater
    prisoneronthewater 2016/02/22
    "一つ失敗。真田昌幸が上杉景勝に出仕した際、直江兼続が景勝に「殿」と呼びかけていました。本来は「御屋形様」と呼ぶべきところで、これは台本チェック段階の見落としでした。反省です。"
  • 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(4)|お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学

    2月14日(日)に放送された第6話から、いよいよ旧武田領国をめぐる諸大名の抗争が始まります。この抗争は、この年(天正10年〈1582〉)10月末まで、5ヶ月にわたって展開されていきます。現在、学術的にはこの争乱を「天正壬午(てんしょうじんご)の乱」と呼んでいます。これは共に時代考証を担当している平山優氏の命名によるものです。 「壬午」は天正10年の干支で、後世、この戦乱を「天正壬午」の時、などと言っていたことに基づいています。ただ一般にはなじみが薄く、音で聞いてすぐに漢字変換できないだろう、という判断から、呼称そのものを出すことは控えられました。けれども、スタッフやキャストの間では、すでに「天正壬午の乱」の言葉は連発されています。これを機に、この呼称が一般にも広がっていくかもしれません。 もう一つ取り上げておきたいのが、織田家と徳川家康との関係です。ドラマのなかで、家康と阿茶局との間で、家

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    prisoneronthewater 2016/02/22
    "この抗争は、この年(天正10年〈1582〉)10月末まで、5ヶ月にわたって展開されていきます。現在、学術的にはこの争乱を「天正壬午(てんしょうじんご)の乱」と呼んでいます。"
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  • 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(3)  |お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学

    2月7日(日)に放送された第5話では、織田信長の重臣滝川一益のセリフのなかで、信長によって「日のから戦がなくなる」「北は奥州から南は九州まで、あらゆる大名が」信長に従う意向を示している、ということが語られていました。 これが学術用語にいう「惣無事令」(そうぶじれい)のことです。もっとも「惣無事令」というと、信長のあとに「天下人」になった羽柴(豊臣)秀吉のものが著名であること、信長の「惣無事令」については、一般にはまだよく知られていないことから、ここでは「惣無事令」という用語は出していません。視聴者の混乱が予想されるからです。それで、内容をセリフで紹介するという工夫が取られています。「惣無事令」の用語がセリフのなかに登場してくるのは、秀吉の時代に入ってから、しばらく後の回のことになります。 秀吉の「惣無事令」が発見されたのは、もう30年も前のことになりますが、信長の「惣無事令」については、

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    prisoneronthewater 2016/02/09
    "秀吉の「惣無事令」が発見されたのは、もう30年も前のことになりますが、信長の「惣無事令」については、ここ10年ほどの研究で認識されるようになったものです。"
  • 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(2)|お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学

    1月24日(日)に放送された第3話には、注目していただきたいことが大きく二つあります。 一つは、「国衆(くにしゅう)」という単語の登場です。真田家のような、戦国大名に従う立場にありながらも、独自の領地(領国)を有し、それを独自に経営している存在を、国衆と呼んでいます。いわば小規模な戦国大名のことです。この用語は、20年前頃から、私がそのような存在を表現するために用いてきたものですが、ようやく用語が一般化したということで、大河ドラマにも登場することになりました。 真田家だけでなく、すでに登場してきた木曾義昌・穴山梅雪(武田信君)・小山田信茂も、すべて国衆でした。彼らは武田家を「裏切り」したのですが、彼らにとっては自らの領地・領民の維持が至上命題でした。ですから滅亡してしまいそうな大名家からは離叛して、自らの存続を図るわけです。この後、真田家は存続をかけて、次々と従う大名を変えていくのですが、

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    prisoneronthewater 2016/02/09
    "戦国時代の大名同士の抗争の背景には、そうした国衆をどちらが味方に付けるか、ということがありました。「真田丸」では、そうした国衆の目線から、戦国大名の立場を描いていくことになります。"
  • 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(1) |お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学

    1月10日(日)に第1話が放送され、ついに今年の大河ドラマ「真田丸」がスタートしました。 主人公は「真田信繁」です。これまで「幸村」と呼ばれてきた人にあたります。少し戦国史に馴染みのある方には、「幸村」のほうが通りがいいでしょうが、これは信繁が死んでから50年以上後の江戸時代前期に大坂で作られた物語で創作された名前です。ドラマでは、正しく「信繁」の名前でいくのですが、そこにできるだけ史実を尊重するという、制作側の姿勢が示されています。 第1話・第2話で注目していただきたいのは、武装した百姓たちの存在です。1話のラストに登場し、2話では真田一行を襲撃します。その腰には、太刀と脇差しの大小2の刀が指されています(全員とはいきませんでしたが)。普通、百姓は丸腰と思われていますが、それは間違いです。 明治の廃刀令まで、百姓は江戸時代でも脇差しは指していました。これが当時の1人前の成人男子の指標だ

    大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(1) |お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学
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    prisoneronthewater 2016/02/09
    "明治の廃刀令まで、百姓は江戸時代でも脇差しは指していました。これが当時の1人前の成人男子の指標だったからです。"
  • 時代考証担当者の眼からみたNHK大河ドラマ「真田丸」|お知らせ|法学部|学部・大学院|駿河台大学

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