そういえば、日記を書くというのは「何を書かないのか」ってことを決定する作業なのかもしれない、ともおもう。前に書いたハリエットの話を読んだ後10年以上たっても覚えていたのは、たぶん昔日記に書いていたからで、自分の記憶に残すものを、日記を書く、って作業の中で選別しているところがあるのかもしれない。つまり、いまみたいに、いかにも適当にキーボードを打っているつもりでいるこの瞬間にも、俺は「何を書かないのか」ひたすらに決定付けているわけだ。 何を書くか、っていうのは明らかに「これについて書きたい、言いたい」という主張であるけれど、何を書かないか、っていうのもそれと同じくらい大きな主張なはずだ。まあ、あたりまえのことだけれども、なんだかそれってちょっとふしぎな感じがする。 なんてことをかんがえたのは、今日、中上健次の『夢の力』というエッセイ集を読んでいたからで、そこに収録された「心の滴」に、日記を書く