やおいに関するpunch-lineのブックマーク (4)

  • しずる 緻密なマーケティングと確かな演技力で突っ走る「腐女子枠のプリンス」|日刊サイゾー

    お笑い人気のうちの何割かは、いわゆる「腐女子」的な目線によって支えられている。これは、お笑い業界人やお笑いライブに通っているような人間ならば誰でも知っていることだ。 「腐女子」とは、男性同士の恋愛を扱った小説やマンガを好む趣味を持った女性のこと。彼女たちは、単にボーイズラブを描いた作品を好むだけではなく、物語の登場人物や、実在するアイドルや芸人の男性同士の間にも勝手に恋愛関係を読み込んで、妄想を広げるのを楽しんでいる。 若手芸人が出演するお笑いライブでは、観客の大半は女子中高生を中心にした若い女性たちだ。もちろん、彼女たち全員が正真正銘の「腐女子」であるわけではない。だが、多かれ少なかれ「腐女子」的な関心を持って、男同士が仲良く戯れる様子を見たいと思って劇場に足を運んでいるというのは恐らく間違いないだろう。 男性芸人たちは、ネタを演じるときにもトークをするときにも、互いに遠慮なく厳しい言葉

    しずる 緻密なマーケティングと確かな演技力で突っ走る「腐女子枠のプリンス」|日刊サイゾー
    punch-line
    punch-line 2010/01/31
    ゆるいな分析だなあ。
  • ■ - きゅーぶろぐ

    少女漫画と同性愛―山岸涼子と萩尾望都― 少女メディア研究の講義レポート七回目。 テスト前日でこんなの書いてる場合じゃないよ! 山岸涼子の同性愛観 異性愛=相手が自分と異なるからこそ愛する⇔同性愛=相手が自分と同じである(近い)からこそ愛する 屈折した母への愛→近親相姦、兄弟愛 同性愛に限らず、人の質としての他者性(外見を裏切る内面性)をテーマ→近代小説の王道 『アラベスク』におけるセクシュアリティ バレエ漫画として当時の王道を踏襲してスタート。 誰にも発見されなかった才能をコーチだけが見出す→コーチと恋に落ちる(異性愛作品としてのプロット) しかし『ゲッシング・ゲーム』と同時進行で作品を描き、ゲッシング・ゲームのほうから同性愛的手法を見出す。 王道を外れた少女の純粋な愛(性要素の排除)へと路線変更。 ユーリの無能 少女マンガにおける典型的な男主人公であるにもかかわらず影が薄い←作者がこう

    ■ - きゅーぶろぐ
  • ■ - きゅーぶろぐ

    今週の少女メディア研究の講義レポート2回目。 一回目の講義はこちら 抽選のおかげもあってか受講者数は前回よりもかなり減って、座席の8〜9割くらい。 (それでも普通の講義から比べたらかなり多いが) 人数自体は減っていたが今回は晋遊舎のWindows100%という雑誌の記者が来てた。 ネットで話題だったから来たらしいが、日オワタ\(^o^)/を実感せざるを得ない。 今回の講義は前回の外人(女)の講師と、J大学の大学院に勤める外人(男)の講師の2名によって行われた。 講義のテーマは『欧米の「少女マンガ」』だったが、内容はほとんど日と欧米のBLややおいについてのものだった。 講義の前半は外人(女)講師による少女漫画歴史、講義の後半は外人(男)講師によるBL、やおいについて。 以下にその内容をまとめる。 前半のまとめ 「マンガ」としての少女マンガから「少女」を重視したマンガへの変質 「少女」と

    ■ - きゅーぶろぐ
  • 「男女の友情は可能か?」という問いに、「それはやおいだ」と答えてみる。:さかさまつげ

    「やおい」をごく大雑把に、「ホモソーシャリティのホモセクシャルへの読み替え」と定義してみる。 ホモソーシャリティはホモセクシャリティを排除することで成り立つから、やおいはホモソーシャルな集団にとって、排除した当のものを突きつけてくる存在、ということになる。やおいに必ずしもその意図があるとは言えないにしろ、やおいには、ホモソーシャル集団の排除したホモセクシャリティを顕在化させる(しかも、多くの場合は戯画化して…)一面も、確かに備わっている。やおいは、ホモソーシャル集団に属する男たちが触れずにいるものを、含み笑いと羨望のまなざしとともに指してみせる。 「メロディ」4月号のよしながふみ&羽海野チカ対談がおもしろい。見た目仲良くないんだけど、お互いの力を認め合ってて、それでその人が当に困った時には手を貸してやる関係みたいなものを、やおいだと私らは呼んでいて、 と、よしながふみが言っているのを読ん

    punch-line
    punch-line 2009/01/29
    恋愛が成立可能な関係性での切磋琢磨する友情がそんなに世間では稀だとは思わなんだ。
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