「私らだって戦争と地続きでつながっているんだ」 「菜々子戦記」さそうあきら ビッグコミックオリジナル増刊掲載(2015) (終戦記念日8/15までupします) https://t.co/Mr6TEoxZHe
さそう あきら(1961年2月9日 - )は、日本の漫画家。兵庫県宝塚市出身。男性。代表作に『神童』、『トトの世界』など。「無垢な存在」と「世界」との出会いを主題とすることが多い。また幼少期よりピアノを習っていたこともあって現代音楽やクラシック音楽に興味があり、音楽をテーマにした作品も多い[1]。 商社マンであった父の仕事の関係で、小学校2年から5年の間インドのボンベイで生活。日本人学校で日本から来た級友が持っていた『巨人の星』と『タイガーマスク』が漫画との出会いで、本人曰く「僕の『原』漫画体験は梶原一騎」。それしか漫画がなかったこともあり、何度も何度も繰り返し読んだという[1]。 大阪教育大学教育学部附属高等学校池田校舎を経て、早稲田大学第一文学部卒業。小学生時代を除いて漫画はほとんど読んだことがなかったが、大学合格前から有名だった早稲田大学漫画研究会に入ると決めていて、入学してからそこ
本日3月12日発売の週刊コミックバンチ15号(新潮社)にて、さそうあきら「さよなら群青」の連載が終了。掲載誌を移動することが発表された。 「さよなら群青」は、4月下旬より携帯サイト「モバイルバンチ」と、糸井重里が手がけるWebサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」にて同時連載を開始する。去る3月5日に発売された週刊コミックバンチ14号はさそうと糸井の対談を掲載しており、対談にて糸井は、さそうへの熱いラブコールを捧げていた。「ほぼ日」に掲載された「さよなら群青」の予告によれば、バンチでの対談後すぐに「ほぼ日」への掲載が決定したとのこと。 さそうと糸井による対談の完全版は「ほぼ日」にて4月上旬に公開予定。「さよなら群青」3巻は4月9日発売で、帯コメントは糸井が行っている。
さそうあきら『神童』 友人から「いまとなりの席に座っている同僚とクラシック談義になった際、『のだめカンタービレ』をぜひ読むべしと強烈に薦められて、その気になりました」「もし持っていたら、貸していただけませんか?」というメールがきて、『のだめ』を貸すことになった。 ぼくが家で『のだめ』をそろえている最中、「しかし、音楽漫画といえば、やはり『のだめ』というより『神童』だろう」という思いがむくむくとわきおこってきた。 『のだめ』がクラシック人口をにわかにひろげ、関連CDがとぶように売れている、という話は聞いているんだけど、その友人はたとえば、さっとドビュッシーとかを弾いてしまうくらい音楽の心得のある人なので、そういう人には『のだめ』よりも『神童』だろうと思ったわけ。『神童』は、普段の性向は奔放だが、音楽にかんしては極限までの繊細さをもつ小学生5年生の天才ピアニスト・成瀬うたと、落ちこぼれ音大受験
これまでに『神童』や『マエストロ』で音楽をテーマにした漫画を描いてきた、さそうあきらの最新作『ミュジコフィリア』は現代音楽に取り組む音大生を描いた青春群像劇だ。「漫画で描けないことはなにもない」と言ったのは手塚治虫だが、まさか現代音楽をテーマにした漫画があるとは思いもしなかった。難解と言われる現代音楽だが、『ミュジコフィリア』では近現代の名曲や実在の作曲家などが作中に登場する。もちろん、物語自体はフィクションだが、登場人物の音楽に対する考え方や、音が鳴る現場の表現にリアリティと愛情があり、この作品における作者のメッセージでもある、とても夢のある思いを感じることができる。 現代音楽やクラシック音楽に抵抗があっても、間違いなく魅力を感じられる内容であり、また、音楽好きにはいろんな発見があるので、ぜひ読んでみてほしい。私たちが普段、音楽というものを意外と狭い範囲でしか捉えていないことに気づかせて
マンガ家をはじめとした人物がマンガ創作論を解説するシリーズ「マンガの方法論」が、朝日新聞出版から刊行開始。第1弾として、柳沢きみお「おれ流――柳沢的マンガの創り方」と、さそうあきら「超マンガ大学――まったく新しいマンガの教科書!」の2冊が本日12月17日に発売された。 柳沢きみお「おれ流――柳沢的マンガの創り方」には、柳沢が週刊少年ジャンプ(集英社)でデビューし、初の週刊連載「女だらけ」を勝ち取るまでの軌跡や、「大市民」「特命係長只野仁」などのヒット作を飛ばし続ける創作の秘密などを明かす。また作家にとってのアイデアとは何か、ストーリー作りとは何かを、柳沢本人の体験を通して詳細に記した。 一方、さそうあきら「超マンガ大学――まったく新しいマンガの教科書!」は、京都精華大学で教授も務めるさそうの授業を元にした“教科書”的部分と、マンガ作品の2本立て構成。教科書部分は全編手描きの描き下ろしで、「
× 159 この記事に関するナタリー公式アカウントの投稿が、SNS上でシェア / いいねされた数の合計です。 47 12 50 シェア オーケストラをまとめる若きコンサートマスター・香坂役は松坂桃李が、突如楽団の前に現れた指揮者・天道役は西田敏行がそれぞれ担当。「毎日かあさん」で知られる小林聖太郎が監督を務め、3月より撮影を開始する予定だ。 「マエストロ」はスポンサーの倒産によって解散を余儀なくされたオーケストラの元団員が、謎の指揮者・天道のもとに再集結し演奏会での上演を目指していく音楽マンガ。2008年には文化庁メディア芸術祭マンガ部門の優秀賞を受賞している。 さそうあきらコメント あの西田敏行さんの指揮棒により運命の扉がノックされ、コンサートマスター松坂桃李さんのもと、オーケストラが一つになる・・・僕の小さなペン先によってまかれた種がこのような大きな実を結ぶことになり、どきどきして完成
(c)さそうあきら 2009/「さよなら群青」(新潮社) きらめくような黄金の時間はいつかは終わるのだ。いずれ別れがやってくる。そんなこと、知っている。大人なら、とうに経験していることだ。 さよなら群青。この美しい言葉の連なりに胸が痛むのは、やがて訪れる別れを連想させてしまうからだろう。ページをめくり、物語に没頭していても、ふとしたきっかけで、この言葉が頭を過ぎる。いずれこの楽しいひと時は、終わってしまうのだと思うと、同時に切なさがこみ上げてくる。 さて、このタイトル「さよなら群青」とは、何を指すのだろうか。誰かとの別れ? 子ども時代の終わり? それともその全て? 明確な答えはまだ、明かされてはおらず想像は広がるばかり。 そんな終わりの季節を予感させる、さそうあきらの「さよなら群青」とは一体、どんな作品なのだろうか? (c)さそうあきら 2009/「さよなら群青」(新潮社)1巻より ■あら
新装版 マエストロ(1) (アクションコミックス版) マエストロ : 1 (Kindle版) マンガの書評を書くのは本当に久しぶりだ。でも、この「マエストロ」全3巻は、夏休みに読み直して、やはり傑作だとあらためて感じたので、取り上げることにした。 不況で、日本屈指の名門交響楽団が解散する。行くあてを失った音楽家達が、謎の老人指揮者・天童のもとで少しずつ集まり、オーケストラを再結成する。演奏曲目は、「運命」と「未完成」だ。最初は不信と疑惑と、お互いへの反目に満ちていた音楽家集団が、しだいに天童の不思議な音楽づくりに引き込まれ、だんだんと一つにまとまっていく。だが、ある日、スポンサー企業から彼に関する驚くべき噂がもたらされ・・ これは、音楽と、音楽を演奏する人びとを描いたマンガである。そして、音楽を愛するすべての読者にとって、とても興味深く面白い物語となっている。念のためにいうけれども、別に
さそうあきらはジャングルで生まれた!? 作品タイトル、大学で教えるということ、気になる今後の展開まで。 4月20日にさそうあきら先生とTwi対談(※1)を行った。はじめ、この経緯について、書いてみたのだけど、ただただ冗長になるだけであまり面白くない。 では、簡単に一言で説明しよう。それは、縁だ。もう少し付け加えると、その作家、そしてその作品に対する想いの強さが起こした奇跡だ。 長らく一人の作家を追い続け、「その作品の良さ人に伝えたい!」という内なる想いは、言葉へと変わっていく。言葉にしたい、言葉にして誰かにこの想いを伝えたい。自分だけがそう想っているだけかもしれない、でも、自分じゃない誰かも同じような気持ちを抱いているのかもしれない。それを知るためには、まず、自分から言葉を発することは必要なのだ。誰にも理解されないのかもしれない。そんな孤独を抱えているなら、まず、言葉という魔法を信じてみて
マンガ家製造工場 に潜入する!@京都精華大学マンガ学部 マンガ先生(3)ストーリーマンガコース 鬼才さそうあきら准教授 先生篇(3)は、「神童」「マエストロ」など芸術的香り漂う作品で高い評価を得ている、マンガ学科ストーリーマンガコースのさそうあきら准教授が「さそうノート」に基づいた方法論を語る。学内の研究室でマンガを描きながら、学生たちに独自の理論を教えている。 漫画を描くということは、人間にとってすごく人生勉強になる。だからこそ教育として意味がある。 さそうあきら 1961年兵庫県生まれ。84年、早稲田大学在学中に「シロイシロイナツヤネン」でちばてつや賞大賞を受賞し、デビュー。代表作「神童」と「マエストロ」は、ともに文化庁メディア芸術賞を受賞している。「神童」「コドモのコドモ」「トトの世界」など映画化・ドラマ化作品多数。京都精華大学には06 年から。 ダウンフォースと推進力 「僕はマンガ
さそうあきら『ミュジコフィリア』は、現代音楽をやっている若者たちの話で、僕はといえば現代音楽には全然興味がない。けれども、この作品は面白い。現代音楽を作ったり聴いたりする場面を読むと、登場人物たちの体験している「音」や「音楽」を疑似体験できる。音楽は体の中に育っていて、流れている、という実感が、マンガの読みを助けてくれる。さそうあきらは、人が何かを表現してしまって、それを共有したり反発してしまうことを描いている。それを人間関係や社会の中でいきかう「音」の体験として物語化している。現代音楽という、あまりなじみのない世界を描きながら、それに興味を持たない人間にも感動というものをさせてくれる。さそうあきらのマンガは、稀有だと思う。
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