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李登輝の訃報を知らせるニュースを受け取ったのは、新刊『なぜ台湾は新型コロナウイルスを防げたのか』に関して、ウエブセミナーを開催している最中だった。その時、私は一瞬何を語ったらよいのかわからなくなり、沈黙してしまった。 なぜ、そうなったのか。それは、李登輝の死ということはすでに避けられない事態だとわかっていたからではなく、李登輝という人物の一生の終焉を、どのように論じていいのか、わからなかったからだ。これが仮に亡くなったのが陳水扁前総統や馬英九元総統であれば、在任中の総統としての功罪をテキパキと述べられたかもしれない。だが、李登輝については、そうは簡単にいかないのである。 訃報を伝える日本のメディアには「台湾の民主の父」や「親日政治家」という形容もあった。李登輝には、いずれも、確かにそうした一面はあった。しかし、それらが李登輝のすべてではない。李登輝の人格や人生はあまりにも複雑かつ複合的であ
日本人が好きな中華と言えば、トップ3に入るだろう料理がチャーハン(炒飯)。中華料理圏の台湾でもチャーハンはメジャーな食べ物の一つ。台湾中に「名店」と呼ばれる美味しいチャーハンのお店がある。 高雄にも隠れた名店なるものがある。本日は、それをレ...
2017年、台湾旅行の入り口の台北で予約した宿はここでした。 Oxygen Hostel(中国語名:奥斯金旅店)というところ。 旅行慣れしている人ならピンとくると思いますが、HotelではなくHostelです。 HotelとHostelは、元々「旅の客」という “hospes” というラテン語を親に持つ単語です。 親単語の形から、”Hostel”の方が原形に近く、単語として兄貴分です。”Hotel”がフランスからイギリスに入ってきたのは17世紀のこと、13世紀の文献に残っている”Hostel”の方が数百年分先輩格なのです。それが時代の変遷で使い方が分かれ、Hostelは宿は宿でも安めの宿という意味として定着しました。 おそらく、若者向けの宿ユースホステルがそれに一役買ったのではないかと思います。 ちなみに、似たような綴りの「病院」ことhospitalも、Hotel & Hostelの兄弟で
1973年東京都生まれ。1996年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、新潟大学大学院現代社会文化研究科在籍。社会調査を専門とし、東京大学政策ビジョン研究センター(現・未来ビジョン研究センター)客員研究員を経て、一般財団法人情報法制研究所上席研究員、一般社団法人次世代基盤政策研究所理事。著書に『読書で賢く生きる。』(ベスト新書、共著)、『ニッポンの個人情報』(翔泳社、共著)など。ブロガーとしても著名。 東アジアの歴史の立役者台湾を語る際に、日本人としてどうしても視野に入ってくるのは鄭成功が彩ったわずか22年の鄭氏政権であります。いまの長崎県平戸市の貿易商の娘さん・田川マツさんと海賊・海将の鄭芝龍との間に生まれた鄭成功(1624–1662年)が歩んだ歴史が、実はこんにちの台湾の国家としての原形を作ったんだよという話は歴史が紡ぐロマンを感じさせるんですよね。 明朝末期、騒乱のさなかで最終的には明は滅
中国の湖北省武漢で発生した、新型コロナウィルスの伝播は止まらない。この記事を書いている1月26日時点で、中国を含め13カ国と地域に拡がり、武漢どころか湖北省ごと物理的に「封鎖」されるという事態に陥った。 日本でも中国から訪れた中国人が発症、政府の白痴そのものの対応に国民の怒りも広まっている有様である。 中国での状況と日本政府の対応のボンクラっぷりは、Twitterで散々書いたのでそちらを見て欲しい。今回はこの新型ウィルスと台湾が本題である。 台湾の対応と反応 台湾では、政府が先頭に立って現実に即した対策を取っている。 政府推出防疫三措施 第一,到中國的旅遊團,即刻停止出團。 第二,拒絕湖北團登記入境,在臺湖北團盡快離境。 第三,呼籲中國旅遊團盡快離臺,進行健康監測。 提醒國人同胞,自己或親友有疑似症狀,一定要及時就醫。年初一無數第一線人員正嚴守崗位,照顧大家的健康和安全,「 有政府 , 請
台湾料理数多けれど、現地で一度は食べるであろう王道と言えば、「魯肉飯」。甘辛醤油で長い間煮込んだ豚肉のかけご飯といったところか。 本来は「滷肉飯」と書くのだが、いちいち入力するのが面倒くさいので、「魯肉飯」とする。 これは台湾の中でもいちばん庶民的、台湾のTHE KING OF ソウルフードと言えばこれを挙げる人が多いかと思う。それほどどこにもでもある台湾フードなのである。 台湾に行ったことがない、または行ったことはあるが食べたことがない日本人に説明すると、豚の角煮に近いかと思う。 魯肉飯の由来は定かではない。が、台湾では古くから食べられていたのであろう。なお、この魯肉飯は台湾でも北部と南部で肉の形から味まで違っており、お互い「オラが滷肉飯最高!」を譲らない。南部で北部の、北部で南部の滷肉飯をあまり褒めない方がいいとも。ある台湾人フォロワーさんは、これを「宗教戦争」と表現した。 上述のとお
台湾と畳台湾に畳が残っていると聞くと、台湾にそれほど詳しくない人は大きく驚くであろう。日本にしかない文化的素材が外国にもある、というだけで目を開かされる人もいるに違いない。 畳は、日本統治時代に内地からやってきた人(内地人)が台湾に持ち込んだ「モノ」としての文化である。当時は民家だけでなく、神社仏閣、武道場から料亭など、至る所で使われていた。 論文『Formation and historical development of Tatami in Taiwan』によると、台湾の畳産業は大きく分けて4つの時期に分けられるという。 1.導入期(1895-1925):日本人の畳職人が来台、台湾人の弟子を持ち畳製作の指導を行った。 2.職人発展期(1926-1945):台湾人畳職人第一世代のスキルが上がり、独り立ちしていった。 3.市場隆盛期(1945-1980):日本統治時代の終わりと共に内地人
飛行機の座席がアップグレードするという話は、聞いたことがあるでしょうか。ダブルブッキングが出た時やどうしても並びの席が必要な人がいるなど、航空会社の都合で席を譲ってあげる時に、席のアップグレードをしてくれることがあると。 これは実際にあるそうです。 エコノミーが満席という前提条件とのことですが、 ・その会社のマイレージ会員だった ・スーツや礼装など、服装がアップグレードにふさわしい(欧州系に多いらしい) ・チケットが正規航空券だった ・本人がたまたま受付のおねーさんのタイプのイケメンだった(笑 などの条件により、エコノミーがビジネスになったりすることがあります。私も実際にアップグレードの経験があるのですが、今回はそんな自慢話ではありません。 20年以上前に中国に留学していた頃のこと。留学先は南の広東省広州だったのですが、帰国は香港から。これが鉄板でした。これには理由があります。 当時の留学
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