1960年、東京生まれ。編集家・フリーライター。多摩美術大学非常勤講師。高校時代に作ったミニコミ(同人誌)がきっかけで、1980年からフリーランスに。1989年に小学館ビッグコミックスピリッツで相原コージと連載した『サルまん サルでも描けるまんが教室』が代表作になる。以後、マンガ原作・ライター業を経て、2008年に京都精華大学マンガ学部の専任教授となり、これが生涯唯一の「就職」になるが、2015年に退職。同年、電脳マヴォ合同会社を立ち上げ、代表社員になる。著書に『サルまん』(小学館)、『ファミ通のアレ(仮題)』(アスキー)、『私とハルマゲドン』(ちくま文庫)、『篦棒な人々』(河出文庫)、『竹熊の野望』(立東舎)、『サルまん2.0』(小学館クリエイティブ)等。 フリーランス、40歳の壁 「仕事相手が全員年下」「自己模倣のマンネリ地獄」「フリーの結婚&子育て問題」……本物しか生き残れない「40
いやあ、東京スカイツリー、とうとう完成したねえ! 背の高さでも人気の面でも後輩に追い抜かれちまって、先輩の東京タワーは真っ赤ンなって怒ってるらしいって、もっぱらの評判だよ。 なんで東京タワーがあるのに新しくこんな塔をおっ建てたのかっていうと、ようするに東京タワーのある周辺はもう超高層ビルだらけで、せっかくタワー先輩が電波をビンビンに飛ばしても、届きにくくなっちゃったらしいんだな。だから、高層ビルの少ない地域に新しくタワーを建てたい、ってのが理由のひとつ。 他にも、最近はワンセグだのマルチメディア放送だのといったケータイ機器向けの放送がいろいろ出てきてるんで、それを見やすくするって理由もあるらしい。まあ、細かいことはおれにはワカンネ。 それはともかく、完成したならとりあえずは見物してみるか、と思うのは当たり前。でも、いきなり行っても登らしちゃくれないんだよね。だってまだ開業してないんだもん。
どんなジャンルであれ、収集家というものに憧れる。ひきつけられる。 私には収集癖がなく、本やゲームや映画ソフトにしろ、パンの白いところだけをつまんで食べるようなライト感覚がある。フィギュアやおもちゃも持っていない。本や音楽ソフトは大量に買ってはいるけれど、引っ越しのたびに捨てるなり、売り払うなりしてしまうし、そもそも部屋のスペースにはいつだって限界がある。 集めて保存していてもなんの得があるのか、というつまらないドライさがある。本やCDとなればひょっとして何年かに一度、資料としてひっぱり出すこともあるかもしれない。しかし何年かに一度のためなら、もう捨ててしまって、必要なときに改めて買いなおしたほうがコスト的には正しいのではないか。プレミアがつくならともかく……。 という凡庸な考えが根づいてしまったため、「集める」「取っておく」という行為ができない。できないからこそコレクターを一目置かずにはい
横井軍平さんが突然の事故で命を落とされた日、ぼくは所用で京都にいた。そのときは何も知らぬままに帰京したが、それから数日後、ふたたび京都へ向かうことになった。世界でいちばん尊敬している人物の葬儀に駆けつけるためだ。 ぼくはゲームデザイナーとしてのキャリアのうち、かなりの時間を任天堂のゲーム制作に費やしている。当時所属していた会社が、おもに任天堂のソフト開発を外注で請け負っていたからだ。作ったゲームはたくさんあるが、そのうちの二作品が任天堂開発第一部の作品だった。そして、当時、開発第一部を率いていたのが他ならぬ横井軍平さんだった。 『ヨッシーのたまご』は、画面の上から落ちてくるブロックをマリオが受け止めていくゲームだが、途中まで作りかけたところでぼくらは行き詰まっていた。ゲームとしてそれらしいものに仕上がりつつはあったが、もうひとつおもしろさの核が見えてこなかったのだ。 それでも、とりあえず試
1960年、東京生まれ。編集家・フリーライター。多摩美術大学非常勤講師。高校時代に作ったミニコミ(同人誌)がきっかけで、1980年からフリーランスに。1989年に小学館ビッグコミックスピリッツで相原コージと連載した『サルまん サルでも描けるまんが教室』が代表作になる。以後、マンガ原作・ライター業を経て、2008年に京都精華大学マンガ学部の専任教授となり、これが生涯唯一の「就職」になるが、2015年に退職。同年、電脳マヴォ合同会社を立ち上げ、代表社員になる。著書に『サルまん』(小学館)、『ファミ通のアレ(仮題)』(アスキー)、『私とハルマゲドン』(ちくま文庫)、『篦棒な人々』(河出文庫)、『竹熊の野望』(立東舎)、『サルまん2.0』(小学館クリエイティブ)等。 フリーランス、40歳の壁 「仕事相手が全員年下」「自己模倣のマンネリ地獄」「フリーの結婚&子育て問題」……本物しか生き残れない「40
ザ・インタビューズに限って答えます。 1, 主語を取る(主語は自分にほぼ決まってるので) 2, 質問を読んでから、短くとも三時間は間をあける(冷静になる) 3, 「〜なんだけど」っていう文章があったら、なるべくその前の部分は削る 4, 質問者はともかくとして、読む人はそんなに自分には興味がないものだと自覚する 5, 相手を信じる おれは駆け出しのライター時代に少年ジャンプの仕事をさせてもらったおかげで、ジャンプ流のものの書き方をずいぶんと叩き込まれた。それはどれもこれも有意義で、いまも役に立っているけど、ひとつだけ違和感があったのは「読者はバカだと思え」ということだ。 読者はバカなんかじゃないよ! 読者を信じられなくて、なんで本なんか作っていられるんだよ! たしかに、駆け出しの頃は、読者をバカだと想定して、どんなバカにでもわかるような文章を書くことはものすごい文章修行になっ
“女子高生”という部分に過剰反応しそうになるけど、ひっかからないぞー。 あのね、およそ女子高生(というか高校生)らしからぬことは、全部やっておいた方がいいね。高校生らしく、なんて言葉はクソだ。学生時代に、どれだけ学生の本分から逸脱したことをしてきたかが、その後のきみの人生の厚みを決める。薄っぺらい人間になりたくなければ、高校生らしくないことは全部やっておきなさい。ただし、援交とかはダメだよ。 たとえば居酒屋で瓶のビールを頼んでさ、生ぬる〜いのが出てきてごらんよ。そんな店にゃ二度と行かねえでしょ? ビールはやっぱりキンキンに冷えていた方がいいじゃん。あるいは、いっそのことお燗してあってグラグラに煮立ったビールが出てきたら、飲むかどうかはともかく、げらげら笑って許すよね。ようするにそういうこと。別に味が嫌いなわけじゃないんだけど、半熟卵って、答えとしていちばんつまんないんだよね。 いちば
挫折や迷いが人生を面白くする。とみさわ昭仁のゲーム青春記『勇者と戦車とモンスター』インタビュー 2022/04/04 2023/08/15 とみさわ昭仁さんの新刊『勇者と戦車とモンスター 1978〜2018☆ぼくのゲーム40年史』は、1961年生まれの著者が高校時代、当時大流行したビデオゲームのはしり『スペースインベーダー』に出会うところから始まります。 漫画家、イラストレーターに挫折し、歌謡ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』への投稿をきっかけにフリーライターになり、ファミコン好きが高じて攻略記事を書いたりしているうちに、田尻智さんと出会って株式会社ゲームフリークの立ち上げに参加。『ポケットモンスター 赤・緑』をはじめとするゲームの制作に関わるも、そこで落ち着くことなく、フリーに戻ったり、古書店『マニタ書房』を開いたりと、まさに波瀾万丈の半生を、この40年のテレビゲームとその業界の変化に重ねて描
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