青木孝文 Aoki Takafumi のブログ『おもしろき こともなき世を おもしろく』 Instagramer/aumo公式アンバサダー/Marche Dor公式アンバサダー/TikTok厳選クリエイター/Yelp Elite 11 years/その他にTwitter、食べログも楽しんでいます。 グルメの他に経済、株式投資、建築、歴史、哲学などにも関心があります。
ラウル・ペックが監督した映画『マルクス・エンゲルス』。映画館で見るつもりだったが、いつものように見逃した。amazon で配信されたので視聴。 とてもよくできた群像劇であり、新しい何かが生まれる雰囲気や社会の変化を映画化することに成功していると思う。それほど高い評価を得ていないようだが、僕はとても感銘した。 特にマルクス、エンゲルスと女性たちとの関係がさりげない目線の交わしの中に、その後の人生を暗示させたりしていて、そこも面白い。しかしマルクスのベットシーンをみることになるとは 笑。 ラウル・ペックの他の作品もみていきたい。 マルクス・エンゲルス(字幕版) 発売日: 2018/10/10 メディア: Prime Video この商品を含むブログを見る
イギリスにおける労働者階級の状態 下 / 原書名:Die Lage der arbeitenden Klasse in England (科学的社会主義の古典選書) エンゲルス 浜林正夫
映画、旅、その他について語らせていただきます。 タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。 もう何か月か前ですが、次のような記事を書きました。 映画字幕翻訳家、翻訳家、ミュージシャンの寺尾次郎氏が亡くなる その記事の中で映画『マルクス・エンゲルス』の字幕を、彼が作成したことを報道した記事を引用しました。その後、この映画を観ることができました。 上の記事を書いた時は特にそんなことを考えたりもしませんでしたが、考えてみれば、この映画が2016年にフランスで制作されて、2018年に日本で公開されたというのもそれなりには意味があるのでしょう。つまり世界中で、このような映画が製作されたり鑑賞される社会情勢になってきたということです。 おそらくマルクス(エンゲルス)と社会主義の評判は、1989年の東欧民主化時に文字通り地に落ちたと思います。あるいはマルクス経済学も。もっともそういうこ
この本の内容 『ドイツ・イデオロギー』の成立過程を明らかにするとともに、それまでの唯物史観を根底から転換させ、日本マルクス学の世界的水準を示し、廣松渉の名を刻印した記念碑的名著。 著者 カール・マルクス (マルクス,K) フリードリヒ・エンゲルス (エンゲルス,フリードリヒ) 廣松 渉 (ヒロマツ ワタル) 1933-1994。戦後日本を代表するマルクス主義哲学者。それまでの疎外論を主流とする唯物史観に対し、物象化論によってマルクス主義を根底からくつがえすとともに、「ドイツ・イデオロギー」の復刻など、その後への影響ははかりしれない。1948年、岐阜県生まれ。1974年、名古屋大学大学院文学研究科修士課程修了。1996年、ベルリン自由大学Promotion。2000年、ライプツッヒ大学Habilitation。ライプツィヒ大学東アジア研究所教授。著書に『西田幾多郎の憂鬱』『西田幾多郎 他性の
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エンゲルス『フォイエルバッハ論』 ――ルートヴィッヒ=フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結―― 松村一人訳/岩波文庫(昭和35年5月5日) 原著 Ludwich Feuerbach und der Ausgang der klassischen deutschen Philosophie 著者 Friedrich Engels 強調部分は訳書では傍点。 -p.9- 『経済学批判』〔一八五九年、ベルリン〕の序文のなかでカール・マルクスは、われわれ二人が一八四五年にブリュッセルで「ドイツの哲学のイデオロギー的見解に対立するわれわれの見解(すなわち、主としてマルクスによってつくりあげられた唯物史観)を共同でまとめあげるという仕事、実はわれわれの以前の哲学的良心を清算する仕事」にとりかかったことについて語っている。マルクスはつづいてこう言っている。「この計画はヘーゲル以後の哲学の批判という形でお
マルクス・エンゲルスが断罪する野蛮と黙認する野蛮――『Karl Marx 一八世紀秘密外交史 ロシア専制の起源』を読んで―― <岩田昌征(いわたまさゆき):千葉大学名誉教授> 『Karl Marx 一八世紀の秘密外交史 ロシア専制の起源』(石井知章+福本勝清編訳、周雨霏訳、白水社、2023年)は、編訳者の一人石井知章の「あとがき」によれば、「プーチン大統領統治下のロシアで起きたウクライナ戦争をどう理解すべきなのか」(p.253)なる今日ただいま的思想問題に直面して、「本書の歴史的性格と社会的背景に鑑み、急遽、緊急出版」(p.257)された。 訳者達の問題意識の焦点は、プーチン・ロシア専制の歴史的起源解明にあると思われるが、一読者の私=岩田にとっては、中西欧人たるマルクスやエンゲルスの諸スラヴ族蔑視とロシア族憎悪が「モンゴルのくびき」を介してアジア的野蛮論に帰結する事が本書読了によって納得で
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『マルクス・エンゲルス』(Le jeune Karl Marx)は、2017年に公開されたドイツ・フランス・ベルギー合作の歴史映画・伝記映画。ドイツの思想家カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの若年期を描いている。監督はラウル・ペックが務め、脚本は彼と共にパスカル・ボニゼールが執筆し、アウグスト・ディールが主演を務めている[3]。2017年2月9日から19日にかけて開催された第67回ベルリン国際映画祭で上映された[4]。 あらすじ[編集] 1840年代のヨーロッパでは、産業革命により資本家の元、労働者たちは過酷な生活を強いられていた。1843年4月のケルンで、20代半ばだったカール・マルクスはドイツの小さな新聞社で記者として、鋭い政治批判を繰り返していたが、やがてプロイセン政府に追放される。一方、イギリスのマンチェスターでは、父親が紡績工場を所有する裕福な20代の男フリードリヒ・エン
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「初期マルクス・エンゲルス」以来、二人の友情に変わりは無かったし、社会主義運動の同志であり盟友でもあり続けた。しかし、二人が共同作業をしたのは、まさに初期マルクス・エンゲルスによる唯物史観の形成、そして政治的文書『共産党宣言』までであった。マルクスがロンドンにとどまり、『経済学批判』を書き、純粋資本主義を抽象して『資本論』第1巻を刊行した。それに反してエンゲルスは、父親の工場経営のためマンチェスターに移り、地元財界人として活躍した。マンチェスターからロンドンのマルクスへ財政的援助の仕送りを続け、助言も続けた。1870年、20年ぶりにエンゲルスはロンドンに戻り、マルクスの近所に居を定めた。『資本論』2巻、3巻の原稿整理、出版など二人の共同作業が再開された。まさにマルクス・エンゲルスの関係がとり戻されたのである。 しかし、エンゲルスがマンチェスターにいた「中期マルクス」、そして『資本論』第1巻
唯物論的な見かたと観念論的な見かたとの対立 -p.19- ドイツのイデオローク(3)たちの報道によると、ドイツはこの数年間に比類のない変革をとげたという。シュトラウスにはじまったヘーゲル体系の腐朽過程は一つの世界動乱にまで発展して、このなかへすべて『過去の権力』(Mächte der Vergangenheit)がひきずりこまれている。この全般的な混沌のなかで強大な諸王国ができあがったとおもえば、やがてまたほろびさり、英雄たちがほんのしばらく姿をあらわしたかとおもえば、より大胆なより有力な競争者たちによってふたたび暗黒のなかへなげもどされた。それは一つの革命だった。これにくらべればフランス革命も児戯にひとしい。それは一つの世界闘争だった。これのまえにはディアドコスたち(4)の闘争もつまらないものにみえる。これまでにないあわただしさで諸原理がおしのけあい、思想の英雄たちがひしめきあった。そし
神は死んだ。共産主義者の神マルクスも死んだ。だが、エンゲルスだと?私はお前を知らないし、同じフリードリヒを名乗るとはけしからん! 〜 フリードリヒ・エンゲルス について、フリードリヒ・ニーチェ フリードリヒ・エンゲルスとは、共産主義の父カール・マルクスの母であり、妻であり、良きパートナーであり、愛人であり、弟であり、妹であり、相談相手であり、介護相手であり、検閲により削除相手であり、漫才の相方であり、心の友でもある共産主義者である。 生涯[編集] 幼年期と青年期 [編集] 1820年ドイツに紡績工場主の子として生まれる。お笑いが嫌いで冗談の効かない父に内心反抗しつつも、従順に幼年期を過ごす。笑いの無い幼年期における唯一の彼の楽しみは、時折営業で地元を訪れるお笑いショーにこっそり出掛けることだった。成長してギムナジウムに入学、そこで彼は文化祭の余興としてクラスメートと行った漫才(彼はツッコミ
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