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カツミの検索結果1 - 15 件 / 15件

  • 上白石萌歌の「スピッツ」呼び捨て発言が波紋…丁寧すぎる「さん付け」はむしろ失礼?(小泉 カツミ) @gendai_biz

    すると上白石は、 「スピッツは、私にとって神様的存在なので、神様からそんなお告げを頂いたんだと思うと、すごく震えるような気持ちです」と答えたのだ。 『スピッツさん』ではなく『スピッツ』。ちょっと「あれ?」と思った方も多かっただろう。その後も、上白石は「スピッツ」と口にするたびに「さん」づけすることはなかった。 オンエア後、ネット上では、 <スピッツって呼び捨てなの草> <上白石萌歌ちゃんがスピッツさんのことを呼び捨てでスピッツって言ってるのがすごく気になる> <Mステで上白石萌歌ちゃんが、スピッツのことをさん付けしなかったのが少し引っかかる> <スピッツ尊敬してるなら「さん」くらいつけよう> <スピッツさんじゃねえのかよ。スピッツだからとかじゃなくて、デビュー30周年迎えてる大先輩やで。失礼すぎん?> などという苦言が多数投稿された。 その一方で、上白石と同じ「スピッツ」ファンからは、 <

      上白石萌歌の「スピッツ」呼び捨て発言が波紋…丁寧すぎる「さん付け」はむしろ失礼?(小泉 カツミ) @gendai_biz
    • 元気ハツラツすぎる「88歳」大村崑が筋トレにハマりムキムキになっていた!(小泉 カツミ) @gendai_biz

      88歳になった「崑ちゃん」 大村崑さんをご存知だろうか。1931年兵庫県生まれの喜劇俳優である。昭和30年代、黎明時のテレビ軽演劇『やりくりアパート』『番頭はんと丁稚どん』『とんま天狗』で人気沸騰、全国的なスターになった。 長年出演した大塚製薬のオロナミンCドリンクのCM「元気ハツラツ!」は日本中の誰もが知るキャッチフレーズとなり、「うれしいと眼鏡が落ちるんですよ」のセリフも大流行した。昭和生まれなら、「崑ちゃん」という呼び名を、懐かしいホーローの看板とともに記憶されている人も多いはずだ。 現在88歳になった「崑ちゃん」が、トレーニングに夢中になっているという。いったい何があったのだろうか。本人に聞いた。 「運動中毒というんですかね。今では、夫婦の話題はトレーニングのことばかりになっちゃった。運動を始めて、その影響で効果が出て自分が変わってくると、それが不思議なのと同時に、『ああ、筋肉は生

        元気ハツラツすぎる「88歳」大村崑が筋トレにハマりムキムキになっていた!(小泉 カツミ) @gendai_biz
      • 元祖巨乳AV女優「Dカップ京子」が高齢者のマリアと呼ばれるまで(小泉 カツミ) @gendai_biz

        カウンターの向こうで 新宿ゴールデン街の片隅に『中村酒店』という店がある。 「酒店」と言っても酒屋ではない。8人ほどがカウンターに座れば満席になるような、ゴールデン街によくあるスタイルのバーである。 ふとカウンターの奥を見ると見覚えのある油絵が飾られている。昇天した表情のカエルの絵。「MJ」のサインが。漫画家・イラストレーターのみうらじゅん氏の作品だ。 「みうらさんもよく来てくれますよ」 カウンターの向こう側から笑顔でそう話すのは、この店のママ、京子さん(58)である。ハスキーな声で話すと、たわわな胸が揺れた。今なお巨乳は健在であった。 ママの名前は「中村京子」――聞き覚えのある人もいるかもしれない。 彼女こそ、アダルトビデオ黎明期から活動し、AV業界に初めて「巨乳」というジャンルを産み出した先駆者である。 1986年に公開された彼女主演の日活映画『巨大バスト99 Dカップの女』は、大ヒッ

          元祖巨乳AV女優「Dカップ京子」が高齢者のマリアと呼ばれるまで(小泉 カツミ) @gendai_biz
        • 見え隠れする韓国の「甘えの構造」女優・黒田福美さんに聞く日韓関係のリアル(小泉 カツミ) @gendai_biz

          女優・エッセイストとして活躍する傍ら、1980年代から35年以上にわたって韓国との友好親善に努めてきた黒田福美さん。韓国語も堪能、また『ソウルの達人』シリーズはじめ、韓国に関する著書も多い。 長年、韓国の様々な事象を日本に紹介してきた黒田さんは、「親韓派」と思われているのだが、最近では「知韓派」と呼ばれることも多い。それは、彼女は韓国の良いところだけでなく、暗部とされることをも「報道」してきたからである。 2018年に発表した『それでも、私はあきらめない』(WAC)は、黒田さんが20余年に渡って取り組んできた「日本人として戦死した朝鮮人兵士たち」の慰霊碑建立実現までの顛末を綴った渾身のノンフィクションである。 慰霊碑建立の前に立ちはだかった韓国「反日」の病——。そこには「知韓派」女優が辿った壮絶な悲しみのドラマが描かれている。 そんな黒田さんは、現在の韓国をどう見ているのだろうか。 「遺憾

            見え隠れする韓国の「甘えの構造」女優・黒田福美さんに聞く日韓関係のリアル(小泉 カツミ) @gendai_biz
          • 31歳で夭逝した美しき天才歌手・村上幸子をご存知か(小泉 カツミ) @gendai_biz

            平成の始まりとともに… 村上幸子という演歌歌手がいたことをご存知だろうか。 新潟県村上市(旧荒川町)出身で、1979年(昭和54年)に『雪の越後をあとにして』でクラウンレコードからデビュー。1984年発表の『酒場すずめ』が人気を集める。アクの強い演歌歌手が多い中で、彼女は清純な美貌と透き通るような歌声で次第に多くのファンを獲得。1988年、演歌界の大御所・星野哲郎作詞による『不如帰(ほととぎす)』を勝負の曲と定めて紅白歌合戦を目指した。 【秘蔵写真で振り返る、美しすぎる村上幸子】 ところが、その曲の歌詞の一部に「泣いて血を吐く ほととぎす」という表現があり、当時重体だった昭和天皇の病状に「適切な表現とは言えない」という理由から放送自粛となってしまう。まさに今で言う「忖度」そのものだった。結局、紅白出場は叶わなかった。 そして1989年、彼女は悪性リンパ腫と診断され、闘病生活を送るものの19

              31歳で夭逝した美しき天才歌手・村上幸子をご存知か(小泉 カツミ) @gendai_biz
            • 閲覧注意…70代男性は2000本のペットボトルに囲まれて息絶えた(小泉 カツミ)

              室内を埋め尽くす 「その現場は2DKのアパートの一室でした。部屋に入って驚いたのは、大量のペットボトル。自分の寝るスペース以外、全部ペットボトルなんですよ。ざっと2000本はありましたね。しかもすべてが空っぽ。大量の空きペットボトルに囲まれた布団で孤独死されていたようなのです。布団は体液でべっとりで、床下まで染み込んでいました。蝿(ハエ)が湧いていて、かなりきつい匂いが部屋の外にも漏れていました」 そう語るのは、遺品整理や特殊清掃を行う「ふうせんの風」の代表の伊藤憲正さん(42)である。 冒頭の現場に入ったのは今年の夏。亡くなったのは、70代の男性だった。男性は近所に身寄りがなく、不動産会社を通じて清掃作業を依頼してきたのは、何十年も連絡を取っていなかった息子だったと言う。 「あの大量のペットボトルは、未だになんの意味だったのか解決できていないんですよ。ただ、こんなことはよくあるんです。用

                閲覧注意…70代男性は2000本のペットボトルに囲まれて息絶えた(小泉 カツミ)
              • 88歳でも元気ハツラツ!大村崑夫妻に聞いた後期高齢者の「健康術」(小泉 カツミ) @gendai_biz

                「40歳までは生きられないだろう」と言われて 大塚製薬のオロナミンCドリンクのCM「元気ハツラツ!」のキャッチフレーズで有名な喜劇俳優の大村崑さん(88歳)は、神戸のキャバレーのボーイからショーの司会者、そしてコメディアンになった。そして大阪・北野劇場の喜劇役者となり、さらにテレビに進出。劇場とテレビ局を掛け持ちする人気者になっていったのだ。そんな大村さんは、実は20歳になる直前、肺結核に罹り、片肺を切除している。 「医者には、『お前は40歳までは生きられないだろう』と言われました。それもあって、ボクは人並み以上に怖がりなんです。まあ、そうやって怖がって生きてきたから、元気でいられたのかもしれませんねえ」と大村さんは話す。 そんな大村さんが、86歳のときから夫婦でライザップに通い始め、運動や筋トレを行うようになったことをインタビューの前編で述べた。では、大村さんはどんなセッション(トレーニ

                  88歳でも元気ハツラツ!大村崑夫妻に聞いた後期高齢者の「健康術」(小泉 カツミ) @gendai_biz
                • 韓国人コメンテーター・金慶珠が激白「私って嫌われ者でしょうか?」(小泉 カツミ) @gendai_biz

                  日韓問題に揺れる中で 韓国人コメンテーターとしてテレビのワイドショーや討論番組に出演している金慶珠さん。彼女は一方で東海大学教養学部国際学科教授の学者でもある。テレビでは、韓国の事情について詳しく解説する金さんだが、どうもヒール(悪役)的な存在に思われることが多いように思える。 いったい素顔はどんな人物なのか。直撃インタビューを試みた。 「自分がヒール役だとはまったく気づいてなかったですね(笑)。普段の私は可愛げがあり、突っ込みがいのある女性と言われますよ。むしろ周りもそういう印象なのかと思っていましたが、バトル系の番組でヒールな感じで扱われるのはなんともショックなんです。私はお茶目で『乙女』なんですよ」 開口一番、金さんの口をついて出てきたのはそんな言葉だった。 「おそらく『TVタックル』に出演するようになったあたりでしょうね。私にそんなイメージがついたのは」 政治を題材にした討論バラエ

                    韓国人コメンテーター・金慶珠が激白「私って嫌われ者でしょうか?」(小泉 カツミ) @gendai_biz
                  • 18歳から母親を介護し続けた町亞聖が語る、日本で「介護殺人」が無くならない理由(小泉 カツミ) @gendai_biz

                    記事前編【18歳で始まった親の介護…ヤングケアラーだったフリーアナウンサー町亞聖が伝えたいこと】はこちら 10代のヤングケアラーたち テレビ局を退社した町亞聖さんは、様々な活動に積極的に取り組んでいく。 まずは、ヤングケアラーについて聞いてみた。 「私が両親の介護をしてきた15年間に起きた事は、今起きているすべてのことを内包しているんですね、未だに。しかも、最近ヤングケアラーという言葉が出てきましたが、私はずっとヤングケアラーの話をしてきたので、逆に言うと、言葉が出てきたことで定義づけられていくというか、まあ、中身に関してはこれからだと思うんですね、ヤングケアラーの問題にしても。 私が知っている限りでは、若年性認知症の親御さんをお子さんが介護しているという現状がある中でその言葉が出てきたように思います。 30代、40代で若年性認知症を患う事はあるので、そのお子さんたち、まだ10代で中学生だ

                      18歳から母親を介護し続けた町亞聖が語る、日本で「介護殺人」が無くならない理由(小泉 カツミ) @gendai_biz
                    • 猫屋敷の主が直面した「3万5000頭殺処分」のヤバすぎる現実(小泉 カツミ) @gendai_biz

                      行き場を失った猫たちが… 東京・大塚から歩いて数分の路地裏にあるビル。ここに100頭を超える猫が保護されている? そう言われてもなかなかピンとこない。 ビルの最上階には、保護猫カフェでもある開放型シェルターがある。猫用のケージが並び、ソファや床では、たくさんの猫たちが自由に遊び回っていた。白黒、ブチ、三毛に黒…。歩き進むこちらの足にじゃれてくる。 NPO法人東京キャットガーディアンは、日本初の保護猫カフェの運営を通じて、行政(保健所・動物愛護センター)などから猫を引き取り、飼育希望の人に譲渡する活動を行なっている。 つまり、「行き場を失った猫」と「猫と一緒に暮らしたいヒト」を結ぶ仲介の場を提供しているのだ。 ある休日の午後、保護カフェで里親希望者の個別面談が行われていた。里親希望者は、事前にキャットガーディアンのHPで里親の条件などを読んで、同意の上で申し込んだ人たちだ。原則的には、家族全

                        猫屋敷の主が直面した「3万5000頭殺処分」のヤバすぎる現実(小泉 カツミ) @gendai_biz
                      • 31歳で夭逝した美しき天才歌手・村上幸子をご存知ですか(小泉 カツミ) @gendai_biz

                        村上幸子という演歌歌手がいたことをご存知だろうか――。 この問いかけを発信して2年が経つ。以来、静かなブームが起き、志半ばで世を去った天才歌手の歌声は、SNSを通じて、彼女の生前を知る者を問わず多くの方の心を揺さぶり続けている。没後30年を迎えた昨年にはファン待望のベストアルバムも発売。惜しまれながらこの世を去った村上幸子の息吹が、令和の今、まるでここにあるかのように感じられる――。ブームの発端となった記事を振り返りたい。 平成の始まりとともに… 村上幸子は、新潟県村上市(旧荒川町)出身で、1979年(昭和54年)に『雪の越後をあとにして』でクラウンレコードからデビュー。1984年発表の『酒場すずめ』が人気を集める。アクの強い演歌歌手が多い中で、彼女は清純な美貌と透き通るような歌声で次第に多くのファンを獲得。1988年、演歌界の大御所・星野哲郎作詞による『不如帰(ほととぎす)』を勝負の曲と

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                        • 53歳独身女性が「事故物件」の1LDKマンションを即買いした驚きの理由(小泉 カツミ) @gendai_biz

                          キレイな物件を探していた 東京・西新宿。オフィスビルや専門学校などが立ち並ぶ繁華なエリアに建つ築20年の中古マンションの一室。もともと1LDKの物件だったが、ワンルームにフルリノベーションし販売したところすぐさま買い手がついた。しかしこの物件、実は訳ありの「事故物件」だったのだ。 「私は、去年の12月から新宿エリアで中古マンションを探していました。いろんな物件をもう15件くらい内見して来てたんですね」 そう語るのは、物件を購入したIT関連企業に勤める新井聡子さん(仮名・53)である。独身の新井さんは、これまで新宿に近い中野のマンションに住んでいた。そのマンションのローン返済が終わったために、そこを賃貸として貸し出し、自分はもっと勤務先に近いマンションに住もうと考えたのだ。 「私の条件は、西新宿の職場に自転車で通えるくらいのエリア。予算は3000万円ほどで間取りはワンルームか1LDK。でも、

                            53歳独身女性が「事故物件」の1LDKマンションを即買いした驚きの理由(小泉 カツミ) @gendai_biz
                          • 孤独死が起きた事故物件、その「おはらい」で行われていることをご存知ですか?(小泉 カツミ) @gendai_biz

                            都内1DKマンションにて 東京・新宿の大通りに面した築20年ほどの13階建てのマンション。周辺には、ビジネスビルや専門学校などが立ち並ぶ繁華なエリアである。そのマンションの一室で、これからお祓い(おはらい)が行われようとしていた。 なぜ、こんな場所でお祓いなのか。それは、この1DKの部屋の住人が孤独死をしたために瑕疵物件、いわゆる事故物件となってしまったためだった。 8月28日に公開された映画『事故物件 怖い間取り』は、現在も大ヒット中である。 この映画は、「事故物件住みます芸人」として、実際に9軒の事故物件に住んだ芸人・松原タニシの実体験を記したノンフィクションをもとに映画化されたものである。 監督は、『貞子』『スマホを落としただけなのに』の中田秀夫だけあって、ホラー色たっぷりの作品となっている。 「事故物件=心霊現象」という図式を信じる人がそれだけ多いのだろう。そのために「事故物件」は

                              孤独死が起きた事故物件、その「おはらい」で行われていることをご存知ですか?(小泉 カツミ) @gendai_biz
                            • なぜ韓国人はマウントを取りたがるのか…背景には根強い「虚勢の構造」があった(小泉 カツミ) @gendai_biz

                              ボトムアップの日本とトップダウンの韓国 前編に引き続き、芸能界きっての韓国通でありながら、時に韓国の「暗部」を指摘することも厭わない辛口の論客でもある黒田福美さんに、日韓の文化や背景の違いについて聞いていきたい。 以前から不思議に思っていたことの一つに、「どうして韓国の大統領のほとんどが悲惨な末路を辿るのか」ということがある。 懲役22年の判決となった朴槿恵、収賄・裏金作りで逮捕・起訴された李明博、自殺した盧武鉉など、まともに政治生命を全うした大統領はほとんどいないのだ。 黒田さんは、それは「権力の一極集中に全ての原因がある」と言う。 ——それはどういう事ですか? 黒田:例えば行政になにか提案するとします。そんな時はまず役所の窓口に相談し、それが徐々に上に上げられて論議される。ボトムアップの日本のシステムですよね。 このいい部分は合議制なので、みんなが最終的に納得して民主的に決まっていく、

                                なぜ韓国人はマウントを取りたがるのか…背景には根強い「虚勢の構造」があった(小泉 カツミ) @gendai_biz
                              • 志村けんさん、無言の帰宅で判明「コロナで亡くなったらどうなるか」(小泉 カツミ) @gendai_biz

                                最後の対面は叶わなかった 新型コロナウイルスによる肺炎のため、3月29日に70歳で亡くなったタレントの志村けんさんは3月31日、小さな紫色の箱に入って、東京・東村山市の実家に無言の帰宅を果たした。 兄・知之さん(73)ら親族がこの日、都内の病院を訪れたが、感染防止のため最後の対面は叶わず、その後、斎場で荼毘に付され、そこにも親族は立ち会えなかった。 その日の午後7時過ぎ、葬儀関係者の車が実家に到着し、志村けんさんの遺骨の入った骨壺が遺族に手渡されたのだった――。 3月25日に、志村さんの所属事務所「イザワオフィス」が発表した事務所ファックスをもう一度見てみよう。そこには、発症、新型コロナウイルスの発覚までの経緯が時系列で報告されている。 3月17日 倦怠感の症状があったため、自宅静養(発症日)。 3月19日 発熱・呼吸困難の症状が出現。 3月20日 訪問診察をした医師の判断により、都内病院

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