これはかなりの衝撃を欧米に与える(それを狙ったニュースともいえる)。キリスト教国では「教会は攻撃しない」っていうのが伝統的な戦争の不文律で、中世の昔から非戦闘員が一時退避する場所だった。 https://t.co/BnjKN9gc7Q
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トルコの都市カルスの東に、寂しげに立ち並ぶ中世の教会建築群がある。広大な草原に、八角形の塔、崩れかけた壁、倒れた円柱が散らばっている。そして、トルコとアルメニアとの国境となるアクフリアン川に注ぐ峡谷には、途中で折れた古い橋もある。 これらの遺跡はすべて、中世アルメニアの首都アニの名残だ。アニは国際都市として栄えた。紀元300年代初頭、世界でも最初期にキリスト教を国教として受け入れたのが古代アルメニアだ。5世紀の要塞が残るアニは、10世紀に中世アルメニアの首都として選ばれた。10万もの人が暮らすようになったこの都市は、数々のキリスト教建築に彩られ、「千と一の教会がある都」と呼ばれるようになった。 黒海とカスピ海の中間の交易路沿いという戦略的な立地に魅力を感じた諸勢力によって、アニは何世紀にもわたって侵略を受け続けた。ところが、ある時を境に打ち捨てられ、長い間忘れられたままだった。 16世紀に
我々の感覚的にはあまりピンときませんが、モンゴル帝国が台頭し周辺各国を怒涛のように飲み込んでいく様を聞き、西欧人の多くは 「異教徒からエルサレルムを解放しに東方のキリスト教大国がついに動いた」 と歓喜の声を上げました。 後にそれは間違いだったと分かるのですが、それでも「実はモンゴル皇帝はキリスト教信者である」という話を教皇や国王を含む多くの人が信じていました。 それは 「絶対にいるはず」の東方のキリスト教大国の存在を多くの人が切望した結果でもありました。 1. プレスター・ジョン伝説12世紀以降、ヨーロッパではペルシアのはるか東に「プレスター・ジョンというネストリウス派キリスト教徒が治める巨大なキリスト教国がある」と信じられていました。 十字軍の頃に「プレスター・ジョンの軍勢が十字軍を救援すべくペルシアを破ったが、チグリス川を渡れず引き返した」という情報が報告されたのがヨーロッパに謎の東方
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