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古事記の検索結果121 - 160 件 / 666件

  • 古事記の神様と神社・ご近所編(12) - のと爺の古事記散歩

    東京都港区愛宕にある愛宕神社です。赤い大鳥居の奥の石段が不気味だなぁ~、なんだこりゃーー! この神社は東京23区でもっとも標高が高い(海抜26m)愛宕山の山頂にあります。だから、あの石段が・・・。なんでこんな高い所に造ったの?いやな予感がするぞーー。 1.場所 2.ご由緒 3.ご祭神 4.故事、伝承 5.参拝 1.場所 ここです。 行ってみて分かったんですが、現在、境内整備工事中で一部参拝ができなかったりしているので、写真もそんな感じになっています。 2.ご由緒 慶長8年(1603年)、江戸に幕府を開こうとする徳川家康の命により防火の神様として祀られました。その後、火災、震災などで全焼したこともありましたが、明治10年に 再建されたそうです。さらに戦災で社殿が焼失しましたが、昭和33年9月、氏子中の寄付により、御本殿、幣殿、拝殿などが再建され、現在に至ります。 3.ご祭神 主祭神は火の神で

      古事記の神様と神社・ご近所編(12) - のと爺の古事記散歩
    • 【関西の議論】日本最古?の神話「ホツマツタヱ」とは…古事記、日本書紀より古い?学界は疑問視も愛好家の研究盛ん(1/2ページ)

      【関西の議論】日本最古?の神話「ホツマツタヱ」とは…古事記、日本書紀より古い?学界は疑問視も愛好家の研究盛ん 多くの謎に包まれた古代史の世界で、50年前に国内で発見された「ホツマツタヱ(秀真伝)」という歴史書が一部の愛好家たちを惹きつけている。漢字が伝わる以前の日本にあった「ホツマ文字」という文字でつづられ、古事記や日本書紀よりも古い書物…と愛好家は信じる。もちろんさまざまな矛盾点から学界では疑問視する声が強いが、研究熱は止まず、11月には発見50年を記念した全国フォーラムが同書の全巻が見つかった滋賀県高島市で開かれた。関係者は「ホツマ文字」で書かれた文献はまだどこかに眠っている、と大真面目だ。歴史ファンを熱くする「ホツマツタヱ」っていったい何? 古代の国造り描く!?「再発見50高島ホツマツタヱ縄文ロマンの集い」と題したフォーラムをのぞくと、全国から集った約400人の愛好家たちで熱気に満ち

        【関西の議論】日本最古?の神話「ホツマツタヱ」とは…古事記、日本書紀より古い?学界は疑問視も愛好家の研究盛ん(1/2ページ)
      • 勝手にブログ開設1周年記念(11) - のと爺の古事記散歩

        さぁ、狛犬特集3回目です。今回で終われるかな? 今回は玉取り・子取り系、マッチョ系ですが、玉取り・子取りと言われてもなんのこっちゃ?という方もいらっしゃると思います。 そこで、まず、玉取り、子取りの意味からいきましょう。 目次 1.玉取り狛犬、子取り狛犬とは? 2.玉取り・子取り系 3.マッチョ系 4.その他(狐、猿) 5.まとめ 1.玉取り狛犬、子取り狛犬とは? 冒頭の写真を見ていただけると一発でお分かりと思います。右側が阿形像で足元に玉があり、左側が吽形像で足元には子供がいますね。このような形で彫られた狛犬を玉取り、あるいは子取り狛犬と言います。 では、玉や子供は何を意味するのでしょうか。諸説あるようですが、一番分かりやすいのは、「玉は物事がうまく転じるようにという願いを表わし、子は子孫繁栄を願うものだ」という説です。 そしてさらに分かったことは、必ずしも阿形像が玉で吽形像が子供ではな

          勝手にブログ開設1周年記念(11) - のと爺の古事記散歩
        • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(7)~鳩ヶ谷氷川神社~家康が境内で休憩した! - のと爺の古事記散歩

          今回は、慶長5年(1600年)7月、徳川家康が奥州出陣の途中に同社境内で休息したという故事がある神社です。埼玉県川口市にある鳩ヶ谷氷川神社(はとがやひかわじんじゃ)に行って来ました。1600年といえば関ヶ原の戦いが9月ですから、家康が当社で休んだのが7月ということは、会津の上杉征伐の途中ということでしょうか。 1.場所 2.御由緒と御祭神 3.参拝 4.拝殿 5.本殿 6.境内社 7.ご神木 8.その他境内 9.ご朱印 10.まとめ 1.場所 ここです。 2.御由緒と御祭神 氷川神社は東京、埼玉近郊に280社あるといわれています。その総本社はさいたま市大宮区にある武蔵国一宮氷川神社です。そして当社は、旧鳩ヶ谷宿場町の中心地、日光御成街道(現在の県道105号線)の高台に鎮座し、創立は応永元年(1394年)と伝えられています。 氷川神社の御祭神は須佐之男命です。当社はスサノオと妻の稲田姫命をお

            古事記の神様と神社・ご近所編Part3(7)~鳩ヶ谷氷川神社~家康が境内で休憩した! - のと爺の古事記散歩
          • 国譲りは、終わっていますが。古事記の話として、神武天皇までの鳥取県の場所と神扱いでは無く、人間同士としての理解。 | 狛犬君の歴史発掘

            • 葦原中国の平定<国譲り神話> - 編纂1300年を迎えた【古事記の神話】

              日本列島の支配を正当化? 国譲り神話は、天の国である高天原が、地上の国すなわち日本列島の支配権をオオクニヌシから受け継ぐという神話です。『古事記』『日本書記』などにみられますが、特に記・紀の中でこの神話が果たす役割はとても大きく、天皇家の日本列島支配の正当性を伝えています。この神話がないと、天孫降臨神話につながらず、神武東征に始まる天皇支配の正当性は説得力に欠けるものになります。 高天原の使者が次々にやって来た! 『古事記』をもとにして国譲り神話をみていくと、まず高天原からアメノホヒが使者として派遣されます。しかし、アメノホヒはオオクニヌシに取り込まれて3年経っても復命しませんでした。 そこでアメノワカヒコが弓と矢を授けられて地上へ降りますが、やはり8年経っても復命しませんでした。そこで、様子を見るため、鳴女(ナナキメ)と呼ばれる雉を遣わしましたが、アメノワカヒコに射殺され、その矢は雉を抜

              • 「古事記」は日本人向け、「日本書紀」は海外向けの書物だった…ヤマト朝廷が日本神話を編んだ本当の理由 だから古事記は日本語、日本書紀は漢文で書かれている

                日本建国神話における「2つの国譲り神話」 日本の神話は、『古事記』『日本書紀』をまとめた朝廷が皇室の祖先神とするアマテラス側の立場、つまり勝者の視点で書かれたものです。スサノオがひどい乱暴者として描かれるなど、恣意しい的な部分も感じます。一般的に歴史は勝者が書くもので、世界の神話でもそれは同じです。 むしろ日本神話はまだマシなほうでしょう。敗者の言い分もちゃんと書いていて、敗者のオオクニヌシの要望どおりに出雲大社を建造するところが日本神話のゆるいところです。これが大陸国家なら、攻め込んで、叩き潰して、おしまいです。 日本の神話には、実は二つの国譲り神話があります。 九州に降り立った天孫族(アマテラスの一族)が瀬戸内海を東進し、奈良盆地にあったヤマトの国に攻め込みます。天孫軍のリーダーがのちの神武天皇になるイワレビコです。これを迎え撃ったヤマトの王がニギハヤヒ(饒速日)です。ニギハヤヒは九州

                  「古事記」は日本人向け、「日本書紀」は海外向けの書物だった…ヤマト朝廷が日本神話を編んだ本当の理由 だから古事記は日本語、日本書紀は漢文で書かれている
                • 古事記の神様と神社・ご近所編Part2(23)~宇都宮二荒山神社 - のと爺の古事記散歩

                  所用のため5年ぶりに生まれ故郷の栃木県へ行って来ました。日帰りですが・・・。 予定より早く用事が済んだので、帰りに、これまた何年ぶりか分からないくらい、久しぶりに宇都宮二荒山神社(うつのみやふたあらやまじんじゃ)に参拝に行きました。 実は、下野国(現・栃木県)には一の宮が二つ、宇都宮と日光にあります。とっても紛らわしいので、頭に地名を付け、読み方も変えています。日光は、日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)です。御祭神も違うんですが、ややこしいのでここでは省略します。 ところで、最近、都道府県別魅力度ランキングなるものが発表され、栃木県がこれまでの茨城県に代わり最下位の47位になったとか。そもそも、このランキングってどんな意味があるのか?目的は何?47都道府県にはそれぞれに魅力があり、それをランク付けするって、何様のおつもりですか?爺さんには全く分かりません。アイキャンノットアンダス

                    古事記の神様と神社・ご近所編Part2(23)~宇都宮二荒山神社 - のと爺の古事記散歩
                  • 古事記の神様と神社・ご近所編(13) - のと爺の古事記散歩

                    今回からご近所編に戻りますが、はっきり言ってご近所ではありません。茨城県笠間市にある常陸国出雲大社に行って来ました。10年程前に本家である島根の出雲大社に行っていますが、もう体力、資金力がないので島根には行けないなと思い、その分をこちらでお参りしました。 1.場所 2.ご由緒&ご祭神 3.参拝 1.場所 ここです。 2.ご由緒&ご祭神 出雲大社とくれば主祭神は大国主神であることは皆さん、もうご存じですよね。 ここで大国主神について、ザックリ振り返って見ましょう。以下、オオクニと言いますね。 オオクニは須佐之男命の六代孫で、オオクニ以外に、大穴牟遅神(おおあなむじのかみ)、葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)という名前があります。 オオクニには八十神と言われる大勢の兄弟がいます。この八十神が稲羽の八上比売に求婚するための旅の従

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                    • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(9)~蛟蝄神社~再び、これ読めますか? - のと爺の古事記散歩

                      意識して探しているわけではないのですが、前回に続き今回も難読神社です。どうでしょう、お読みになれるでしょうか。地元の方以外でお読みになれたら、あなたは間違いなく天才です。 茨城県北相馬郡利根町にある蛟蝄神社です。ここは、一般的にはこうもうじんじゃと読みますが、後述の延喜式神名帳にはみつちじんじゃと書かれているとのことです。これが正式名のようです。うひょー!誰が読めるねん! 拙宅から1時間弱で行ける距離なので、晴天に誘われ不要不急の外出をしてしまいました。でも、コロナ収束を願ってきましたので、ごめんね、ごめんねー! 1.場所 2.御由緒と御祭神 3.参拝 4.拝殿 5.本殿 6.その他境内 7.門の宮 8.ご朱印 9.まとめ 1.場所 ここです。当社には奥の宮と、奥の宮から西へ車で5分ほどの所に門の宮(かどのみや)があります。下図をちょっと右にスライドすると左側に鳥居マークが見えますが、ここ

                        古事記の神様と神社・ご近所編Part3(9)~蛟蝄神社~再び、これ読めますか? - のと爺の古事記散歩
                      • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(22)~大神宮~茨城のお伊勢様 - のと爺の古事記散歩

                        茨城にもお伊勢様があった! ほな、行かにゃなんめぇ~、と言うことで行って来ました。県境跨ぎです。すみません、なにしろ拙宅から車で10分も走ればお隣の茨城県なのです。これまでも多くの茨城県の神社を参拝させていただいてきました。これからもよろしくお願いします。m(__)m さて、なんだかんだで神社参拝は前回の7月16日以来で、8月は全く行っていませんでした。なんか、うれしいなぁ~。行って来たのは、東海村にある、茨城のお伊勢様と言われている大神宮(村松大神宮)です。神宮に大が付いちゃって、さぞかし・・・。 1.場所 2.御由緒と御祭神 3.参拝 4.拝殿 5.本殿 6.境内社 7.その他境内 8.ご朱印 9.まとめ 1.場所 ここです。 2.御由緒と御祭神 創建は和銅元年(708年)、伊勢神宮の分社というとんでもない歴史があります。伊勢神宮の正式名称が神宮ですが、さらに大を付しで大神宮だなんて凄

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                        • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(87)~吉原神社~悲しい歴史があります - のと爺の古事記散歩

                          皆さんは、「吉原」という地名から何をイメージされるでしょうか。ほとんどの方はいわゆる「吉原遊郭」を思い浮かべると思います。今回訪れたのは、吉原遊郭とともに歩んできたといわれる吉原神社(よしわらじんじゃ)です。このあたりは今でも大人の男性を相手にした特殊世界で、爺さんも若かりし頃、たまにお世話になったような、ならなかったような、今では全く記憶にございません。(笑) あっ、こんな話をするつもりじゃなかった、スミマセン。(-_-;) 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.境内社 5.その他境内 6.吉原弁財天本宮 7.吉原大門跡 8.ご朱印 9.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 吉原遊郭は、元和3年(1617年)、幕府の許可により江戸市中に散在していた遊女屋を現在の日本橋人形町周辺に集めたことに始まります。この地は葦(よし)が生い茂っていたことから葦原、これが転じて吉原と命

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                          • 超入門古事記(6)三貴子の誕生とその役割 - のと爺の古事記散歩

                            黄泉の国からやっとのことで帰ってきたイザナギは、自分の愚かさを思い知り、こう言ったのです。 「あぁ、私はなんといやな穢れた(けがれた)国へ行ってしまったのか、神よ許したまえ!」 (ちょっと、ちょっとー、あんたも神でしょうがー!) 「穢れを落とすため、禊ぎ(みそぎ)をして身を清めることにすっぺ!」 さぁ、これから何が起きるでしょうか・・・。 あっ、それからですね、前回書き漏らしてしまったのですが、島根県の東出雲町には揖屋(いうや)神社があり、黄泉比良坂の伝説地となっています。機会があったら、是非行ってみたいと思っています。 1.イザナギの禊ぎ 2.三貴子(みはしらのうずのみこ)の誕生 3.ちょっと振り返り 4.今回のポイント 5.まとめ 1.イザナギの禊ぎ イザナギは禊ぎのため、筑紫の日向(所在不詳です)の橘小門(たちばなのおど、おどとは、河口のこと)の阿波岐原(あわぎはら)に現れ、禊ぎ祓い

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                            • 古事記の神様と神社・番外編(5) - のと爺の古事記散歩

                              番外編ですが、今回で一旦休止の予定です。そのうちまたネタが出来たら続編をお伝えできるかも知れません。 さて、今回は東郷神社です。「東郷」と聞いて誰を思い浮かべますか?私のような古い人間は二人の東郷が浮かびます。一人は「東郷平八郎」、もう一人は世界を股にかける超A級スナイパー、ゴルゴ13こと「デューク東郷」ですかね。で、今回はゴルゴではなく、東郷平八郎を祀った東郷神社です。前回の明治神宮と原宿駅を挟んだ反対側にあります。 1.場所 2.由緒&ご祭神 3.参拝 1.場所 ここです。 2.由緒&ご祭神 由緒板はあるのですが、字が小さくて読めません。 今回はご由緒を話す前に、ご祭神である東郷平八郎のことを先に話した方が分かりやすいと思います。 明治37年(1904年)、朝鮮半島と満州の権益をめぐる争いが原因となって日露戦争が勃発します。そして翌明治38年、日本海海戦においてロシアのバルチック艦隊と

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                              • 恋愛、タブー、神々のドラマ!『古事記』日本神話の驚くべき物語 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

                                こんなにおもしろいなんて、知らなかった! 日本神話の恋物語を中心に「古事記(こじき)」のおもしろさを解説します。 世界的にも珍しい日本神話『古事記』で見られる人間の本質 『日本書紀』と同時期に綴られた『古事記』の魅力は、和銅5年(712)に、この物語が編纂されるずっと以前から、日本各地でさまざまに語られていた神話や説話がこの一冊にすべて集約されている点にあるでしょう。 世界が誕生する様子や、国の成り立ちまでもが幅広いエピソードを交えながら、ひとつの体系的な神話物語として語られる例は、ほかのアジアの国、ましてやギリシャ神話をはじめとする西洋の神話を見ても類例がなく、この点においても、『古事記』は特異な位置にあると言って過言ではないでしょう。 日本神話において語られる神様は、たとえばスサノヲノミコトのように、素晴しい行いもするけれどもその反対に悪さもするというような、 極めて人間的な姿で描かれ

                                • 古事記の神様と神社・東京編(13) - のと爺の古事記散歩

                                  小網神社から徒歩10分弱で水天宮に着きます。水天宮と言えば安産の神様として有名ですよね。安産には無縁な爺さんがなにしに行ったん? いやいや、そんなこと言わずに、小網神社と同じく日本橋七福神巡りの一社として行って来ました。上の写真は水天宮前交差点です。写っていませんが、水天宮の反対側角には人形焼で有名な「重盛」があります。帰りのおみやげに買っちゃいましたー!!(糖分取り過ぎに注意!) 目次 1.場所 2.御由緒と御祭神 3.参拝 4.境内 5.ご朱印 6.まとめ 1.場所 ここです。 2.御由緒と御祭神 御由緒、御祭神(天之御中主神、第81代安徳天皇、平時子、平徳子)を理解するためには、ちょっとばかり面倒な話をしなければなりません。ご存じの方は飛ばしちゃって下さい。 ①水天とは何か もともとはインドの古い神ヴァルナが、仏教では十二天(護法善神)のうちの一人で 西方を守護する水の神「水天」と解

                                    古事記の神様と神社・東京編(13) - のと爺の古事記散歩
                                  • 古事記の暗号3 キビとイズモの王様はスサノオの子孫? - なーまんのEye-Level

                                    天つ神 あとから来れば 渡来人? そうとは限りませんが・・・ 秦野市曽屋の「からこさん」達が祀る神はエビス様! 出雲大社相模分祠の主祭神は・・・ 大国主大神(おおくにぬしのおおかみ) 事代主大神(ことしろぬしのおおかみ) 隣接する御嶽神社は平沢村の鎮守神で御祭神は・・・ 日本武命 ( やまとたけるのみこと ) 大己貴命 ( おおなむちのみこと ) 少彦名命 ( すくなひこなのみこと ) 櫛真智命 ( くしまちのみこと ) ヤマタケが祀られているのは大人の事情か? 御嶽神社の隣には須佐之男命 ( すさのおのみこと ) ・大国主命 ( おおくにぬしのみこと )をお祀りする八坂神社^^ その奥には、出雲地方に古来より伝わる龍蛇神様を祀る千年の杜が! 若貴兄弟以後、日本生まれの横綱は稀勢の里ただひとり! 実力の世界、渡来人横綱が悪いとは申しませんが・・・ ちょっぴり寂しくありませんか? 大国主大神

                                      古事記の暗号3 キビとイズモの王様はスサノオの子孫? - なーまんのEye-Level
                                    • Amazon.co.jp: 口訳 古事記: 町田康: 本

                                        Amazon.co.jp: 口訳 古事記: 町田康: 本
                                      • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(75)~品川神社~双龍鳥居など見所多数 - のと爺の古事記散歩

                                        荏原神社の参拝後、新馬場駅北口から第一京浜を挟んだ向かい側にある品川神社を参拝しました。こちらは東京十社に数えられる神社で、2019年以来二度目の参拝になります。平日でも参拝の方が多くいらっしゃいました。東京のパワースポットとして知られ、見どころが多い神社です。 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.拝殿 5.本殿 6.境内社 7.その他境内 8.ご朱印 9.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 平安時代末期の文治三年(1187年)に源頼朝公が安房国の洲崎明神の天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)を当地にお祀りして海上交通安全と祈願成就を祈られたのを創始とします。その後、鎌倉時代末期の元応元年(1319年)に宇賀之売命を、さらに室町時代中期の文明十年(1478年)に素戔嗚命をお祀りしました。 慶長五年(1600年)には徳川家康公が関ヶ原の戦いの戦勝祈願をし、その後は徳川

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                                        • 古事記の神様と神社・番外編(4) - のと爺の古事記散歩

                                          あれっ? 番外編は終わったんじゃなかったの? と思われた方、スミマセン、もう少し続けることになりました。今回は明治神宮です。ここも増上寺同様に、私にとって初めての場所です。明治神宮?ん~、明治天皇が祀られていて、初詣の参拝者が300万人超の神社ですね。と、まぁ、この程度の知識しかない私でした。 1.場所 2.歴史 3.ご祭神 4.参拝 1.場所 ここです。 2.歴史 明治45年(1912年)7月30日に明治天皇、大正3年(1914年)4月11日には昭憲皇太后が崩御になりましたが、国民から御神霊をお祀りして、御聖徳を永遠に敬い、お慕いしたいとの熱い願いが沸き上がり、大正9年11月1日(1920年)に両御祭神と特にゆかりの深い、代々木の地に御鎮座となりました。(HPより) 代々木の地は天皇家のご庭園としても縁が深かったため、この地に決定されました。 ご料地となる以前は、徳川家の家臣であり大名で

                                            古事記の神様と神社・番外編(4) - のと爺の古事記散歩
                                          • ラテン語さん on Twitter: "ちなみに、古事記も一部はラテン語に訳されています。さて、どの場面でしょう、、、 https://t.co/CqekpzUQqN https://t.co/N78T1yZh2G"

                                            ちなみに、古事記も一部はラテン語に訳されています。さて、どの場面でしょう、、、 https://t.co/CqekpzUQqN https://t.co/N78T1yZh2G

                                              ラテン語さん on Twitter: "ちなみに、古事記も一部はラテン語に訳されています。さて、どの場面でしょう、、、 https://t.co/CqekpzUQqN https://t.co/N78T1yZh2G"
                                            • 古事記の神様と神社・ご近所編Part2(34)~小御門神社 - のと爺の古事記散歩

                                              突然ですが問題です。「建武の中興」について説明せよ。」はぁ~!?なんだって? なんか日本史で習ったような微かな記憶が・・、と言う方がほとんどだと思います。そんなことない!知っとるでー、という方がいらっしゃったら🙏 なぜ、いきなりこんな話かというと、今回訪れたのは後醍醐天皇の忠臣とされる公家が祀られている小御門神社(こみかどじんじゃ)なのです。従って、古事記の神様は出て来ませんのでご了承下さい。でも、独特の雰囲気を持った神社ですよ!爺さんは嫌いじゃないです、テヘッ! 1.場所 2.御由緒と御祭神 3.参拝 4.拝殿 5.本殿 6.御祭神霊廟 7.その他、境内には 8.ご朱印 9.まとめ 1.場所 ここです。 2.御由緒と御祭神 第96代後醍醐天皇は天皇復権を賭けて二度の倒幕を計りました。一度目は正中元年(1324年)の正中の変、二度目は元弘元年(1331年)の元弘の変です。 元弘の変では側

                                                古事記の神様と神社・ご近所編Part2(34)~小御門神社 - のと爺の古事記散歩
                                              • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(77)~虎ノ門金刀比羅宮~とっても珍しい銅鳥居 - のと爺の古事記散歩

                                                東京都心にある神社の写真を撮ると、背後などに高層ビルが写りこんでしまうことはよくあることですが、中には高層ビルと融合してたたずむ神社もありますね。その経緯はそれぞれなんでしょうが、高層ビルも含めていかにも都心の神社の風景だねと楽しむようにしています。今回訪れたのは、港区虎ノ門にある虎ノ門金刀比羅宮(とらのもんことひらぐう)です。 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.社殿 5.境内社 6.その他境内 7.ご朱印 8.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 万治3年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高知が、その藩領内である象頭山に鎮座する金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝7年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門に遷座しました。 ご祭神は、古事記では大国主神の和魂(にぎみたま)とされる大物主神と、保元の乱で敗れ讃岐國に流され、金

                                                  古事記の神様と神社・ご近所編Part3(77)~虎ノ門金刀比羅宮~とっても珍しい銅鳥居 - のと爺の古事記散歩
                                                • 古事記の神様と神社・ご近所編Part2(35)~柏神社 - のと爺の古事記散歩

                                                  皆様、明けましておめでとうございます。爺さんもなんとか年を越すことができました。昨年は多くの方々に拙いブログを読んでいただき、感涙にむせんでおります。オヨヨ!(涙) そして、多分、いや間違いなくクオリティーは上がりませんが、本年もヨタヨタと書いていきますのでよろしくお願いします。 さてさて、新年第一弾として訪れたのは、地元の柏神社です。爺さんのブログでは4回目の登場ですので、できるだけこれまでと同じような内容にはならないようにしていきます。新年の雰囲気を感じていただければ幸いです。 1.場所 2.御由緒と御祭神 3.参拝 4.拝殿 5.本殿 6.ご朱印 7.まとめ 1.場所 ここです。駅近の商業地域のど真ん中にあります。 柏駅東口を出て、コンコースのエスカレーターを降りるとスクランブル交差点があります。渋谷とは比較にならないほどコンパクトですが、でも、スクランブルなんです。凄かねぇー!ハハ

                                                    古事記の神様と神社・ご近所編Part2(35)~柏神社 - のと爺の古事記散歩
                                                  • 「日本」はいつ生まれたのか? 古事記にないのはなぜか? 国号の謎を追う 講談社 今日のおすすめ

                                                    初出は「倭」。それが「日本」となっていくターニングポイントは? 「日本」という名の意味はとてもあいまいといえます。実は明治以来の国定教科書に、「日本国」という国号を教えたものは見られません。昭和戦前期に天皇を中心とした国体が強調されたときも、国号の意味が正面に押し立てられたことはなかったのです。 では、「日本」という名が初めて歴史に登場するのはいつのことだったのでしょうか。 中国の正史のなかでは、後漢(25~220年)の歴史を記した『後漢書(ごかんじょ)』に初めて「倭」についての記述があってから、隋(581~618年)の歴史を述べる『隋書(ずいしょ)』に至るまで、ずっと「倭」だったのです。 ヒミコについて掲載されていることで有名な『魏志』倭人伝がありますが、これは、三国時代(220~265年)の歴史を扱った『三国志』のなかで、魏の東夷伝として「倭」のことが記述されたものです。 ヒミコは中国

                                                      「日本」はいつ生まれたのか? 古事記にないのはなぜか? 国号の謎を追う 講談社 今日のおすすめ
                                                    • 【古事記と言霊】P.37 言霊父韻「キ」と言霊父韻「ミ」 - kototamanomanabi’s diary

                                                      【古事記と言霊】P.37 角杙(つのぐい)の神、妹活杙(いもいくぐい)の神 言霊キ・ミ:言霊キ・ミを指差すこの二神の名前は比較的に理解出来ます。人間が生まれた時から授かっている天与の判断力・知恵のことを各宗教書では剣(つるぎ)とか杖(つえ)とか、または杙(くい)・柱(はしら)などと呼んでいます。人がこの世の中に一人生きて行くための頼りになる拠(よ)り代(しろ)と行った意味を持っています。この判断力で人が生きるために必要な知識・信条・習慣等々を、角を出すように掻(か)き繰(く)って自分の方に引き寄せて来る働きの力が父韻キであります。その働きとは反対に、自らの判断力によって(杙)、生活を更に発展させようと世の中の種種の物に結び付けようとする力動、これが活杙の神である言霊ミです。手蔓(てづる)・物蔓・金蔓・人蔓手当たり次第に結び付こうとする当今の政治家気質を思えば理解は早いでしょう。けれどこの力

                                                        【古事記と言霊】P.37 言霊父韻「キ」と言霊父韻「ミ」 - kototamanomanabi’s diary
                                                      • 現存最古の古事記、里帰り 名古屋・大須観音で限定公開

                                                        日本最古の歴史書「古事記」の現存最古の国宝写本が5日、所有する大須観音(名古屋市)で初めて一般公開された。普段は名古屋市博物館が保管している。写本ができてから650年を記念し、この日限定で里帰り公開が実現した。 写本は南北朝時代の1371年から翌年にかけ、大須観音2代目住職信瑜の指示で僧侶の賢瑜が書き写した。上中下3巻全てがそろい、既に失われた原本の面影を最も残しているとされる。大須観音の寺号「真福寺宝生院」から「真福寺本」とも呼ばれる。大きさは縦23・3センチ、横14・7センチ。 名古屋市の大須観音で一般公開された「古事記」の写本を見る人たち=5日午前岡部快円住職(72)は「貴重な史料が、歴代の多くの人の力で今ここにあることを知ってもらいたい」と話した。

                                                          現存最古の古事記、里帰り 名古屋・大須観音で限定公開
                                                        • 古事記の暗号5 古墳は嘘つかない?正史と稗史とは? - なーまんのEye-Level

                                                          埼玉県行田市埼玉にやって来ました^ ^ 埼玉県にあるから、さきたま古墳公園? sakitama-muse.spec.ed.jp 違います! 元々は前玉と書いて「さきたま」(^.^) ここが県名発祥の地 d(^_^o) 上のお菓子はこちらのお店で購入しました↓ www.cci-web.com ここの目玉は稲荷山古墳から出土した「金錯銘鉄剣」 辛亥年(西暦471年)の年号と、倭王武ことワカタケル大王(雄略天皇)の名前が刻まれています! 雄略天皇は考古学的に実在がほぼ確定している最初の大王! 丸墓山古墳は6世紀初頭に造られた日本最大級の円墳! 「のぼうの城」で石田三成が忍城を水攻めする時、陣地を張ったのがこの場所! この辺りは見渡す限り平地なもので (^^;; 日本書紀 安閑天皇の段に以下の様な記事があります。 武藏国造笠原直使主與同族小杵、相爭国造(使主・小杵、皆名也)、經年難決也。小杵、性阻

                                                            古事記の暗号5 古墳は嘘つかない?正史と稗史とは? - なーまんのEye-Level
                                                          • 日本の歴史上の神々・古事記に出てくる造化三神

                                                            日本の最古の歴史書と言われる古事記の事って何だろう? 以下、各引用です。 こじき【古事記】 現存する日本最古の歴史書。3巻。稗田阿礼(ひえだのあれ)が天武天皇の勅により誦習した帝紀および仙台の旧辞を、太安万侶(おおのやすまろ)が元明天皇の勅により撰録して712年(和銅5)献上。上巻は天地開闢から鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)まで、中間は、神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事をまと収め、神話・伝説と多数の歌謡とを含みながら、天皇を中心とする日本の統一の由来を物語る。ふることぶみ。 広辞苑より 古事記[コジキ] 日本現存最古の歴史書、文学書。3巻。序(上表文)によれば、天武天皇の命によって⇨稗田阿礼(ひえだのあれ)が「誦(しょう)習」していた『⇨帝紀』『⇨旧辞』を元明天皇の命によって⇨太安万侶(おおのやすまろ)が「撰録」し和銅5(712)年献上したものであ

                                                              日本の歴史上の神々・古事記に出てくる造化三神
                                                            • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(12)~松戸神社~ヤマトタケルが部下を待った地 - のと爺の古事記散歩

                                                              ヤマトタケルの東征のお話しはご存じでしょうか。今回訪れたのは、東征の途中、この付近でタケルが部下と待ち合わせをしたという言い伝えがある松戸神社(まつどじんじゃ)です。2019年9月以来の2度目の参拝になります。 待ち合わせをした土地だから「まつど」⇒「待つ土」⇒「松戸」になったとか!? 洒落か? 1.場所 2.御由緒と御祭神 3.参拝 4.拝殿 5.本殿 6.境内社 7.その他境内 8.ご朱印 9.まとめ 1.場所 ここです。 2.御由緒と御祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと、古事記では倭建命)が東征の際に、この付近で部下と待ち合わせたという言い伝えがあり、その時に陣営した場所に後世、ヤマトタケルを祀る祠が建てられ、松戸神社の起源になりました。創建は江戸初頭の寛永3年(1626年)で創建時は御嶽大権現と呼ばれ、明治15年(1882年)に松戸神社と改称されました。 HPはこちらです。 ヤマ

                                                                古事記の神様と神社・ご近所編Part3(12)~松戸神社~ヤマトタケルが部下を待った地 - のと爺の古事記散歩
                                                              • のと爺の奈良旅レポ(1) - のと爺の古事記散歩

                                                                今回からしばらく奈良旅レポをお送りします。何回になるかは自分でも分かっていません。後先を考えずに数百枚の写真を撮ってきたため、その整理をしながら記事を書いていきますので、どんなレポになることやら。ただ、なるべく単なる旅行案内的な内容にはしたくないなと思っています。かといって、クォリティの高いのは所詮無理です。 そもそも今回の旅は、奈良国立博物館で開催中の正倉院展を見ることが主眼です。でもせっかく行くの奈良(なら)ということで、周辺を少しだけ廻ってみようかと思った次第です。10月30日から11月1日までの2泊3日です。 写真も整理できていない中での第1回目は、なるべく写真無しでもいける話を中心にしていきます。冒頭の写真は新幹線車窓から撮った富士山です。1年ぶりに間近に見て気分が高まりました。日本人だなぁ~。 目次 1.どこへ行ったの? 2.三日間の歩数は? 3.電車を利用して感じたことは?

                                                                  のと爺の奈良旅レポ(1) - のと爺の古事記散歩
                                                                • 無文字を盲信している方へ、鯨⇒入れ墨と誤訳する学者、研究者様へ。 - 魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読

                                                                  ランキング参加中歴史 樂有五弦、琴、笛。男女多黥臂點面文身,沒水捕魚。無文字,唯刻木結繩。敬佛法,於百濟求得佛經,始有文字。 <解読> 樂有五弦琴笛男女多黥臂點。⇒仮借⇒【樂=雅楽】【五弦琴】【笛=笙】【笛男⇒華甲⇒田力】⇒てきでん=てき‐でん【▽嫡伝/的伝】正統を受けつぐこと。直伝(じきでん)。 男女多黥臂點。⇒仮借⇒1 でんじょ⇒殿女。2 男女。⇒どちらかは不明。 1 多黥臂點。⇒仮借⇒多黥⇒多くの人が肘に入れ墨、【點=点】ここで解読は終了。文脈が繋がらない。 2 多黥臂點。⇒仮借⇒多黥=たげい=多芸、【臂 點⇒華甲⇒黑占=ひせん。】ひせん=ひ‐せん【卑×賤/×鄙×賤】[名・形動]地位・身分が低いこと。人としての品位が低いこと。また、そのさま。 【點=点⇒終止符 。】この文節はここで終了。 <魏志倭人伝> 【男子無大小 皆黥面文身 自古以來 其使詣中國】 男子無大小皆黥面文身自古以來其

                                                                    無文字を盲信している方へ、鯨⇒入れ墨と誤訳する学者、研究者様へ。 - 魏志倭人伝 卑弥呼 古事記 日本書記 万葉集 甲骨文字 以音 五経基軸文法による解読
                                                                  • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(69)~須賀神社~一陽来福お守り - のと爺の古事記散歩

                                                                    つい最近まで「一陽来復お守り」をいただけるのは穴八幡宮、放生寺だけかと思っていましたが、都内ではほかにも2社(波除神社、須賀神社)あることを知りました。昨年までの数年は穴八幡宮に行ってましたので、今年は気分を変えて新宿区須賀町にある須賀神社(すがじんじゃ)を参拝し、いただいて来ました。 穴八幡宮は「一陽来復」、放生寺は「一陽来福」でしたが、須賀神社は放生寺と同じく「一陽来福」でした。 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.社殿 5.境内社 6.三十六歌仙絵 7.一陽来福お守り 8.珍しいおみくじ 9.女坂 10.ご朱印 11.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 今の須賀神社はもと稲荷神社でした。その稲荷神社は、往古より、今の赤坂、一ツ木村の鎮守で、清水谷に有ったのを、後寛永十一年に江戸城外堀普請のため、当地(現在地)を替地として拝領し、移し奉ったものと伝えられています。

                                                                      古事記の神様と神社・ご近所編Part3(69)~須賀神社~一陽来福お守り - のと爺の古事記散歩
                                                                    • 【古事記と言霊】P.9〜P.11 天の御中主の神  - kototamanomanabi’s diary

                                                                      【古事記と言霊】P.9〜P.11 天の御中主の神 言霊ウ:心の内に具体的な事柄として言葉で表される以前の、意識されない頭脳内の先天構造の中のお話であることを心に留めてお聞き下さい。何もない広い心の宇宙の中に何かが動き出します。何かは分からないけれど広い宇宙の一点に動き出したもの、そしてやがては「私」という意識に発展して行く最も原始的は意識の姿です。 宇宙の中の初めて意識が動き出す一点、それはよくよく考えてみますと、その動き出す瞬間が今であり、此処である。ということです。心の息吹が芽を吹き萌え出ようとする瞬間こそ現実の今であり、此処であると言うことが出来るでしょう。これ以上に今という時と此処という処はありません(注1)。私達の心の活動はいつでもこの今・此処から出発しています。人間万事全ての活動が始まる出発点です。古事記の編纂者太安万侶はこの人間の原始的な意識に天の御中主の神という神名を当てて

                                                                        【古事記と言霊】P.9〜P.11 天の御中主の神  - kototamanomanabi’s diary
                                                                      • 古事記の内容って?子供向け紙芝居アプリが無料でわかりやすい

                                                                        と言った疑問が頭に浮かんだら使って欲しいアプリ『読み聞かせ古事記』を紹介します。 『古事記』ってなんだろうって思ってもなかなか本を買う気にはなれないし・・・ ネットの情報もなんか難しいですよね。 そこで今回紹介する『読み聞かせ古事記』は可愛いイラストと音声付きの紙芝居で古事記の内容が理解させてくれます。 無料なので気軽に利用出来ますよ。 それでは『読み聞かせ古事記』の特徴を見ていきます。 古事記の内容がわかる子供向け紙芝居アプリ『読み聞かせ古事記』の特徴 出典:AppStore

                                                                        • 古事記の神様と神社・ご近所編Part2(24)~筑波山神社 - のと爺の古事記散歩

                                                                          筑波山(つくばさん)という山をご存じでしょうか。関東圏の方はお分かりと思いますが、関西圏の方にはあまりお馴染みではないかも知れません。古くから「西に富士、東に筑波」と称される茨城県のシンボル的な存在で、男体山(標高871m)と女体山(標高877m)の二つの峯があります。そして、山腹にあるのが筑波山神社(つくばさんじんじゃ)で、男体山(なんたいさん)、女体山(にょたいさん)のそれぞれの山頂に筑波山神社本殿があります。 拙宅からは比較的短時間で行けるので、秋晴れの下、二つの本殿を目指して張り切って出かけた爺さんでしたが、果たしてその結果は!? 1.場所 2.御由緒と御祭神 3.参拝 4.拝殿 5.境内社 6.境内には大樹が 7.ケーブルカーで展望台へ 8.男体山本殿へ 9.ご朱印 10.まとめ 1.場所 ここです。 2.御由緒と御祭神 創建は不詳ながら、「筑波山は、関東地方に人が住むようになっ

                                                                            古事記の神様と神社・ご近所編Part2(24)~筑波山神社 - のと爺の古事記散歩
                                                                          • 古事記の神様と神社・ご近所編Part3(60)~阿佐ヶ谷神明宮~三貴子を祀る神社 - のと爺の古事記散歩

                                                                            いつかは行きたいと思っていながらいまだに実現していないお伊勢参り。もうこの歳になったら無理かもなぁ~、なんて考えながらネットを見ていたら、都心で三貴子を祀る神社を発見。三貴子揃って祀られる神社は珍しいでぇ~、こりゃ、行ってみっか! 訪れたのは杉並区阿佐谷北にある阿佐ヶ谷神明宮(あさがやしんめいぐう)です。 1.場所 2.ご由緒とご祭神 3.参拝 4.拝殿 5.本殿(御垣内三殿) 6.境内社 7.その他境内 8.ご朱印 9.まとめ 1.場所 ここです。 2.ご由緒とご祭神 寛政12年(1800年)に著された『江戸名所図会』によると、日本武尊が東征の帰途阿佐谷の地で休息し、後に尊の武功を慕った村人が旧社地(お伊勢の森と称される現在の阿佐谷北5丁目一帯)に一社を設けたのが当宮の始まりといわれております。 建久年間(1190~1198年)には土豪横井兵部(一説には横川兵部)が伊勢神宮に参拝したおり

                                                                              古事記の神様と神社・ご近所編Part3(60)~阿佐ヶ谷神明宮~三貴子を祀る神社 - のと爺の古事記散歩
                                                                            • 【古事記と言霊】P.33 言霊父韻「チ」と言霊父韻「イ」 - kototamanomanabi’s diary

                                                                              私と貴方を結ぶものとして 気の通いがある。 「これを天乃浮橋(あめのうきはし)」という 合気道の武術は、気の通いを研究したもの 言霊の学問は、合気道を含めて人間の一才の行いの鏡になる 全部この事によって出来ている。 「チ」「イ」「キ」「ミ」「シ」「リ」「ヒ」「ニ」 人間の心の奥の方に、パチパチパチパチっとし、 ピカピカピカっと、その動く原因に成ってくる 先天構造の動きを説明するのですから、ものすごく難しい。 この8つの父韻のことを中国の易経では、八卦(はっけ)という。 当たるも八卦、当たらぬも八卦、というのは 本当に意味が隠れてしまっているから、 当たっても、当たらなくても八卦というのですが、当たらないはずなんです。 人間の根本姿勢なんですから、当たらないはずです。 しかし、それを知っていれば、絶対に当たるのです。 「ウ」を取り除く。 易のある50その容姿49と記載がある。 易尺には必ず1

                                                                                【古事記と言霊】P.33 言霊父韻「チ」と言霊父韻「イ」 - kototamanomanabi’s diary
                                                                              • 勝手にブログ開設1周年記念(1) - のと爺の古事記散歩

                                                                                大洗磯前神社(茨城県)神磯の鳥居 世間は新型コロナウイルスで大変な状況ですね。不要不急な外出は控えるようにというお達しが出ていますね。んーーっ、確かに神社巡りは不要不急だよねぇ、行きたいところがまだまだ沢山あるんだけどなー!なんてことを考えながら、チコちゃんに叱られるほどボーッと生きていたら思いつきました。2月は爺さんのブログ開設1周年なのであります!(勝手に1周年とか言ってます) だから何?という世間の声が聞こえてくる中、独断と偏見でこの1年を振り返ることにしました。ですから、ハッキリ言って記事は面白くありません。どうか皆さん、時間の無駄になりますから、読まないで下さい。今までもそうだった? 「おいちゃん、それを言っちゃおしめぇよ!」 古事記を読むようになったきっかけ これ、古事記の原文です。もちろん写本ですけど。 そもそも、爺さんが古事記を読むようになったきっかけからお話しします。 2

                                                                                  勝手にブログ開設1周年記念(1) - のと爺の古事記散歩
                                                                                • ラランド・ニシダが挫折し続けた「古事記」を町田康の「口訳」で読み通せた理由(ニシダ)

                                                                                  「日本に生まれたからには読むべき一冊」。そんな思いで「古事記」に何度も挑戦しては挫折してきたというラランド・ニシダさん。『口訳 古事記』(町田康著・講談社)を最後まで読み通せた理由は、関西弁のコントさながらの、面白すぎる「語り口」のおかげだった…。町田康の軽やかでスピード感あふれる「口訳」で令和に蘇った「古事記」の魅力とは? 読めなかった理由は「面白くないから」 日本に生まれたからには読むべき一冊。そんな単純な思い込みから、わたしは「古事記」に何度も挑戦し挫折を繰り返してきた。高校生の頃から三十路になる今年までに五、六度は挫折してきたと思う。 なぜ読み通せなかったのか。端的に言えば、理解出来なかったからである。理解出来なくては面白くない。読書の挫折の理由は大概面白くないからなのだ。 『口訳  古事記』 わたしは、このたび初めて「古事記」を読み通せた。 はたして‟「古事記」を読破した”と言っ

                                                                                    ラランド・ニシダが挫折し続けた「古事記」を町田康の「口訳」で読み通せた理由(ニシダ)