大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) 当社境内は元と若宮八幡宮神幸所なりしに大永元年吉川山王(当郡日吉村大字下に御鎮座)を勧請し社殿を創立せり。慶安五年(此年承応と改元)九月時の農長吉田九右衛門願主となり社殿を再建す。 延宝四年三月十一日公命に依り金生村と分離し福丸村と称す此時より本社を氏神とせり(福丸村は元金生村の枝村なり、此村に往古恵比須神社あり其西を上市東を下市と称し各地の商人集り来り売買をなせり如此便利の地なるより次第に人家増加し文亀年間に至りては一の市街をなすに至れりと言ふ) 福岡県神社誌の一部です。 大永元年(1521年)に宮若市下の日吉神社を勧請したとあります。金生村(かのうむら)から分離したのであれば白山神社を勧請すればよい気もするのですが、そうはいかない理由があったのでしょう。もしくはこの時代、この地域では日吉神社のほうが権