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奥崎謙三の検索結果1 - 9 件 / 9件

  • 問題を生む2大巨悪 - xevraの日記

    はてブはもう2年くらいやっていて、4300個くらいコメントを付け続けて来ると大体世の中の問題の構造が見えてきます。 世の中で問題だとされている事の原因はいろいろありますが、その多くは次の2点で説明ができる事に気が付きます。 1.メンヘル 2.利権 もちろん、多くの場合はいろんな原因があって、例えば ・人間の肉体的限界(寿命や傷病) ・人間の認知限界(100人の活動は把握できるけど1億人は把握できない) などがありますが、大きいウェイトがあるのはやはりメンヘルと利権です。 メンヘルが原因の問題で分かりやすいのは ・喫煙者 ・肥満 ・アル中 ・賭博依存者 ・消費者金融依存者 ・ネットでの炎上 ・ホームレス、派遣村 ・非モテ ・非コミュ ・痴漢、セクハラ ・右翼・左翼・ジェンダー論者 ・幼児虐待 などです。これらは自分の心と冷静に対峙出来ずに心が不定動作をした結果発生している不幸です。 利権は

      問題を生む2大巨悪 - xevraの日記
    • 奥崎謙三 政見放送

      1983年 衆院選兵庫1区に立候補、落選 同選挙期間中、広島県大竹市の軍隊時代の上官宅を訪ね、応対に出た長男に拳銃を発砲し、負傷させる (殺人未遂罪等で懲役12年)

        奥崎謙三 政見放送
      • 奥崎謙三 - Wikipedia

        奥崎 謙三(おくざき けんぞう、1920年2月1日 - 2005年6月16日)は、日本の元陸軍軍人(最終階級は上等兵)、バッテリー商、著述家、俳優、アナーキスト。昭和天皇パチンコ狙撃事件の犯人として知られる人物。他にも不動産業者刺殺事件や皇室ポルノビラ事件、元上官長男への殺人未遂事件を起こして度々服役した。またドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』に出演していた。自らを「神軍平等兵」と称していた。 奥崎謙三邸(神戸市兵庫区、現存せず) 1920年、兵庫県明石市大蔵町6丁目で生まれる。本籍地は兵庫県三木市口吉川町槙。小学校を卒業後は木綿問屋の丁稚奉公に出た。 1940年、徴兵検査に甲種合格。1941年3月に岡山連隊に入営(陸軍二等兵)し、後に九江の工兵隊へ転属。1943年1月、独立工兵第36連隊に配属され、4月に当時激戦地だった東部ニューギニア(ニューギニアの戦い)に派遣される。部隊は敗走

          奥崎謙三 - Wikipedia
        • サービス終了のお知らせ

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          • 奥崎謙三 神軍戦線異状なし

            「奥崎謙三物語」に関してですが、筆者自身は奥崎氏、支援者各氏との接触は皆無でありまして、既存の奥崎謙三の著書、出演映画を参考として作成しました。察知の方もいらっしゃるかもしれませんが、奥崎氏は既に他界し、関係者の方も絶縁状態にあり、取材等が困難なのであります。 出版社の関係者様に、厚かましいお願いではありますが、筆者としては著作権を侵害する意思は毛頭御座いません。反対に廃刊の多い奥崎謙三の著書が復刊できる一助となればと思い、ブログを開設致しました。奥崎氏の著書は難解な内容である物が多く、「奥崎謙三物語」を、各書の解説書の様な位置づけで考えていただければ幸いであります。御指摘を頂けましたら、直ちに該当箇所を削除致します。 以下、参考文献 ヤマザキ、天皇を撃て―皇居パチンコ事件陳述書 奥崎謙三 新泉社 ゆきゆきて神軍の思想 奥崎謙三 新泉社 非国民奥崎謙三は訴える―ゆきゆきて神軍の凱歌 奥崎謙

              奥崎謙三 神軍戦線異状なし
            • ゆきゆきて神軍 1/4‐ニコニコ動画(夏)

              異色ドキュメンタリー 画質最悪 最初の5分は特にひどいです… ②→sm1287371

              • 『ゆきゆきて、神軍』(追記あり) - Apeman’s diary

                奥崎謙三宅が取り壊されたから…というわけでもないだろうが、『ゆきゆきて神軍』(監督:原一男、1987年、日本)のDVDが再発売された。 この映画が最初に話題になった当時にももちろんニューギニア戦線の悲惨さについて一通りのことは知っていたし、例えば人肉食の発生などについてもはなしに聞いてはいたけれども、いま改めて観直すと奥崎がこだわっていたのが決して孤立した事件でないことがよく分かる。Wikipediaの「奥崎謙三」の項に次のようにあるのはまちがい。 映画の撮影の中で奥崎は、戦中に起こった銃殺事件の真相を追うが(…) 正しくは、敗戦後23日経ってから「敵前逃亡」の罪で軍法会議抜きに2人の兵士が射殺された事件の責任を問おうとしたのである。すなわち、当ブログでもとりあげた花園一郎、『軍法会議』が証言していたのと同じ問題である。敗戦後も日本軍将校が軍の秩序をかさに着て法的根拠の疑わしい軍法会議を開

                  『ゆきゆきて、神軍』(追記あり) - Apeman’s diary
                • 原一男監督、奥崎謙三さんの墓跡地に参る

                  原一男 @kazu19451 ①WOWOWの「ノンフィクションW」で私をとりあげるという企画で撮影が続いています。その一環で、奥崎謙三宅の跡を訪ねたいという取材チームの要請で神戸に行ってきました。今は奥崎宅は取り壊されて駐車場に変わっています。かつて、ここに奥崎さんが暮らしてたんだなあと思うと奇妙な感覚です。 原一男 @kazu19451 ②その帰り道「神戸市追谷墓園」へ行ってきました。「神軍」の撮影が始まった頃、30年以上も前、奥崎さんに連れられてここにきました。奥崎さんのお母さんのお墓がありました。映画に登場するのと同じ4寸角の木材にペンキを塗ってその上に奥崎さん直筆の文字で書いた手作りの墓標が立っていました。 原一男 @kazu19451 ③その手作りの墓標を探しましたが見つからず。「追谷墓園」は六甲山麓の山間を切り拓いて造成されたものでかなり急な坂道の両サイドにお墓が並んでいます。

                    原一男監督、奥崎謙三さんの墓跡地に参る
                  • 最終章 その後の神軍 - 奥崎謙三 神軍戦線異状なし

                    今は亡き遠藤弁護士も、出所後の奥崎は全く変わってしまったと言っている。出所前に散々に困らせられて、尚、遠藤の目には奇怪に映ったのだろう。出所前に遠藤に宛てた手紙には 「新泉社が獄中から出版した、印税を払ってくれないので、出所したら社長を殺します。殺す現場はテレビ局に撮影して貰います」 と書いてあったらしい。遠藤は困ったなと思っていたら、一九九七年九月に奥崎がひょっこり予約無しで現れたそうだ。遠藤の妻が応対したが、何やら新興宗教の教祖として活動をはじめたとかいう話を聞いたらしい。これは「神様の愛い奴」の収録が終わったくらいの時期になる。以後、遠藤は奥崎と関わり合いになることは無かった。 しかし、本当に奥崎は変わってしまったのか?その答えは沢木耕太郎氏のルポにあった。沢木氏は不敬列伝で奥崎のゴッドワールドを「理想社会」として描写している。沢木氏は奥崎の「理想社会」をよく呑み込めないとしていた。

                      最終章 その後の神軍 - 奥崎謙三 神軍戦線異状なし
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