そうよな。今回のが許容されると、コミケも生活上の問題を訴えるデモも凶悪犯の厳罰化を求める集会も「ガソリン缶持ち込むぞ」の脅迫があれば当局判断で中止にできる前例になる(香港みたいに政府が脅迫者を雇う例も想定可)。某金髮氏やその仲間たちへの好悪とは別個に、今回の愛知の件はヤバいぞ
タグ検索の該当結果が少ないため、タイトル検索結果を表示しています。
という主旨の2年半前のThe Economic Journal論文にタイラー・コーエンがリンクしている(2017年時点のWP)。論文の原題は「I (Don’t) Like You! But Who Cares? Gender Differences in Same-Sex and Mixed-Sex Teams」で、著者はLeonie Gerhards(ハンブルク大)、Michael Kosfeld(ゲーテ大学フランクフルト)。 以下はその要旨。 We study the effect of likeability on women’s and men’s team behaviour in a lab experiment. Extending a two-player public goods game and a minimum effort game by an additiona
今の世は個人の内側=好悪と、個人をとりまく外部の環境に対する善悪、正誤の区別をしていない人があまりにもこれでもかというくらい多いです。己の好悪を社会の問題にすり替えているというとわかりやすいかもしれないですね。 己の好悪の思考、感情は他者には適用できません。これをしようとすると即衝突が起きます。物理的に何か起こるのではなく心の問題であるならば、それは己が自ら起こしているのです。 この世は現状、争いの世界になっていますが決まりに沿った競争というものはあって良いものです。魂の生まれ順による差は個の学びによって多少変化はしますけど、最初に生まれた神仏のレベルと最後に生まれた人の世代の魂ではどうしようもないほどのひらきなのです。 ごちゃまぜ世界のこの世では本来競争などは思いもよらない者同士が本来の差に関わらず力比べを楽しめるのです。実際、そうしたことを楽しみたいと来る者もいます。そうした者のこちら
前回のだと少々誤解を生むと思ったので補足に短めの記事を。 a-wi.hatenablog.com 自分がこう思ったと発言することは自由ですし、誰かが制限する権利もありません。ですが、好悪の区別が自分でわからない人は本当に多いです。自分がこうだったから他の人もそうに違いないを理由にしてはまずいと先日書きました。 理由は、自分がこう思った(だからいいことなんだ)は他の人にはそう思わない(よくない)ことだからです。ここではこの世の善悪正誤は問題にしません。発言がどこへ向かうにしても過程を重視しているからです。 自身の体験は他者とは異なりますから基本的にそれは合わないエネルギーの流れになるのです。合わないことを問題にするのではなくて、合うにはどうするかが大事。 合うのは何かというと、意見よりもそれを発する意識の波のことです。初めは違うエネルギーが攻撃(己の思う正当性=怒りをもって)ではなく相手に送
LIMO編集部は、経済や資産形成や資産運用といった投資をテーマに、金融機関勤務経験者である編集者が中心となって情報発信を行っています。また「くらしとお金」に関係する旅行、園芸、ショッピングや外食といった身近なテーマを各種専門家である編集者がわかりやすく解説します。LIMO編集部のメンバーは、大手金融機関で機関投資家としてファンドマネージャーや証券アナリスト、証券会社やメガバンク、信託銀行で富裕層・準富裕層への資産運用アドバイス担当、調査会社のアナリスト、ファッション誌の編集長、地方自治体職員、ネットメディアの経験者などで構成されています。編集スタッフの金融機関勤務経験年数は延べ47年、正確には565か月となります。日本証券アナリスト協会認定アナリスト(CMA)、第一種外務員(証券外務員一種)、FP2級、AFPなどの資格保有者が複数在籍。生保関連業務経験者は過去に保険募集人資格を保有。LIM
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く