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山さ行がねがの検索結果121 - 160 件 / 874件

  • 平沼義之 - Wikipedia

    平沼 義之(ひらぬま よしゆき、1977年〈昭和52年〉10月13日 - )は、日本のフリーライター[2]。 廃道・廃線・隧道愛好家。通称はヨッキれん[2]。 略歴[編集] 千葉県松戸市生まれ[1]。後に神奈川県横浜市鶴見区に転居し、さらに小学校6年生の時に秋田県秋田市に転居した[1][2]。 中学から高校生時代にかけ、廃道や廃鉱山、森林鉄道跡など過去の産業遺産などが豊富な環境にあった秋田県で、探検趣味を昂じさせ、主として機動力の高い自転車や徒歩による廃道踏破を本格的な趣味とするようになる[1]。 成人後、秋田県でコンビニエンスストアローソン店員・店長として勤務するかたわら、2001年に自らのWebサイト『山さ行がねが 』(「山に行かないか」の意。略称『山行が』)において、東北地方の山岳地帯を中心とした廃道・旧道などの踏破探索レポートの発表を開始した。 先行していた鉄道廃線・廃墟建築などの

    • 【山さ行がねが】道路レポート 国道156号旧道 福島歩危

      福島村と尾神村の間なる、岩山の絶壁を斫(切)割て路を作れり。 郷中にも、国内にも、比類なき嶮難の歩危路にて、鬚摺・睾丸縮等の名に負う難所あり。 「白川村誌」引用の「斐太後風土記」より転載 これは江戸時代に編纂された飛騨国の風土記「斐太後風土記」の一文(書き下し)で、「国内に比類なき嶮難の歩危(ほき)路」について語っている。 この「歩危」というのは地域性のある表現だが、飛騨地方では専らこの字を当て、川に迫る岩場の難所を示す地名として頻出する。 東北で言えば「へつり」のようなものか。また「大歩危(おおぼけ)」という景勝地が四国にあるが、これも同義と思われる。 そしてなんと言っても最大のインパクトは、鬚摺(ひげすり)・睾丸縮(こうがんちぢむ)といった難場に付けられた名称だ。 これらも難所地名であり、鬚摺とは路が狭くて岩場に鬚を擦らなければ通り抜けられないような道と言うことだろうし、睾丸縮は男性に

      • 【山さ行がねが】道路レポート 中央自動車道 旧道

        2008/1/3 10:57 初めて訪れる廃高速道路の物珍しさにより、なかなか入口付近から奥へ立ち入ることをしなかったが、そろそろ実際にこの路盤の跡を走ってみよう。 新旧の高速、合計10車線分の路盤に挟まれた白頭神社を後に、愛車に跨って大月・名古屋方面への西進を開始する。 ときは正月の第三日、一般に祝日ではあるが、わざわざこんな日にコタツを抜け出して、冷たいアスファルトの上を訪れる同志も無いようだ。 凧揚げ・はねつき・ストリートファイトなんかをするにも絶好の広場と見える旧路盤だが、まさに車亡き後何も残らなかったという、高速の悲哀をそのまま体現している。 まあ、一応立入禁止なので当たり前と言えば当たり前なのだが。 4車線のうち、中央分離帯を乗り越えて2.5車線分までが柵に閉ざされ、二重の立入禁止となっている。 さすがにこの2度目の柵は突破する気になれなかった。 わざわざそれをしなくても、残さ

          【山さ行がねが】道路レポート 中央自動車道 旧道 
        • 【山さ行がねが】道路レポート 秩父湖一周ハイキングコース

          今回は、関東人にはお馴染みとなった行楽エリアの秩父(ちちぶ)にある、ハイキングコースを紹介しよう。 その名も、秩父湖一周ハイキングコース。 ハイキングコースとしては王道とも言える、湖畔系のハイキングコースである。 いまさら、ハイキングなんて興味はないぜ… というアナタ。 廃キング な ら ば、 どうかね? ここはガチのリスクあり。 くれぐれも、廃キングは侮るなかれ。 2012/10/12 9:05 【周辺図(マピオン)】 この探索に事前情報はなく、偶然の遭遇から始まった。 きっかけは、秩父湖畔を通る国道140号旧道で出会った1本の大きな吊り橋だった(→)。 橋は地形図にもちゃんと描かれており、湖に架かる目立つ吊橋は観光スポットであった。 もっとも、あまり流行っていない感じはしたが、決して廃吊橋ではない。 これだけのことならば、別の探索の途中でもあったし、素通りしていたかも知れない。 だが、

          • 橋場駅 - Wikipedia

            橋場駅(はしばえき)は、岩手県岩手郡雫石町橋場に遺構がある、かつての鉄道省橋場線の終着駅。現在の田沢湖線赤渕駅の北西約1 kmに所在する。 第二次世界大戦中に不要不急線に指定され、正式に廃止されずに現在まで放棄されている[1]。 所在地である雫石町の2021年6月広報でも休止前の年表が確認できるが、休止後の詳細は書かれていない[2]。 駅構造[編集] 2面2線のホームを持つ地上駅であり、ホームにたどり着くには階段をのぼることが必要だったことが遺構から確認が可能である。 駅周辺には当時の痕跡が多く遺っており、ホーム周辺には使用されていた時の転車台の遺構と思われる人工的なコンクリート製の円形構造物があり、毎年の豪雪による雪解け水により現在では大きな丸池と化している[3][4]。 鉄道省橋場線橋場駅の周辺図 歴史[編集] ホーム遺構に続く階段 元々橋場駅は、盛岡駅から生保内駅(現在の田沢湖駅)を

              橋場駅 - Wikipedia
            • 【山さ行がねが】道路レポート 岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路)

              右の地形図を見て欲しい。 これは最新の2万5千分の1図であるが、幅の広い水域を渡る一本の橋が描かれている。 橋には「六厩橋」という注記がなされ、西側の岸辺には三角点がある。 「六厩」は地名で、これで「むまい」と読む。 橋を中心に3本の道が存在する。 一本は南西へ、一本は北へ、一本は東へ放射状に伸びているが、いずれの道も橋の周辺は「破線」で描かれている。 これらの道は、かつてトラックも通る林道だったが、現在は廃道になっているとのことである。 3本が、3本とも廃道になっているとのことである。 現在この橋がどうなっているかを知っている人は、かなり少ないらしい。 だが、そこには大変雄大な、訪れた誰もが息を呑まずにはいられないような巨大吊り橋が架かっているのだという。 この橋が存在する場所は、岐阜県高山市(旧荘川村)と白川村との境を流れる六厩川河口部である。 そこは、巨大な御母衣(みぼろ)ダム湖右岸

              • 【山さ行がねが】ミニレポート 第120回 福島県道391号広野小高線

                「日本の廃道」編集部も、東日本大震災の被災地復興を応援しています。 東日本大震災の被災地となってしまった地域のレポートを1冊にまとめた、「震災復興支援特別号」(\400)を販売中です。 本誌の売り上げは、全額被災地支援の募金にあてさせていただきます。(「日本の廃道」編集部) 一市六町にまたがって右往左往する福島県道391号広野小高線。 現在地は終点から走り始めて約22km地点。残りは5分の3となった。 ようやく、半分が見えてきたか…。 前回は沿道に原発が現れはしたものの、道としては平凡な景色ばかりが続き、読んでいる皆様も。何で「山行が」がこの道を取り上げているのか分からなくなってきたかも知れない。 そこで、一応確認しておく。 この県道のポイントは、ルートが複雑なため普通に走っていては正確に辿ることが難しい…それはほとんど不可能に近い。 そこを地図や現地の情報をフル活用して、出来るだけ正確に

                • 【山さ行がねが】道路レポート 早川渓谷の左岸道路(仮称)

                  今回は、相手が悪かった。 そう思ってくれ。 私なりに、よくやったんだ。 これ以上は私には無理だから未練を感じさせるような再訪はしないし、実際にもう2年訪れていない。 ああ、そこ(早川町)か。 そこならば、敗北も已む無しだよね。 この地図を見ただけで、そんな風に庇ってくれる人がどれくらい居るかは知らないが、私にとっては、はっきりいって、「敗北ばかりが重ねられてきた土地」。 それが、山梨県早川町である。 え? そんな話は聞いていないぞ? そりゃそうだろう。 核心に入る前に敗北したような話を自慢げに垂れるには、私はまだ若すぎる。 再訪して結論を得てから書いた方が、きっと皆様のお目見えはよいに違いない。 だが、そんな数ある“敗北譚”の中から、ようやく一つ、「俺もう無理」と零れ出て来た。 それが今回のレポートだ。 早川町だが、360平方㎞という広大な面積に住んでいるのは僅か1200人弱で、日本一人口

                  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道20号旧道 大垂水峠

                    大垂水峠。 これで「オオタルミ」もしくは濁って「オオダルミ」と読む。この読み方は難読であるが、その印象的な響きは一度覚えると忘れにくい。トウゲという言葉の起源にも何か関わりを持っているのではないかと思わせる、弛んだ名前。 関東地方に住まう人ならば大概が車窓や交通ラジオにこの名を見聞きし、知らず知らずに覚えている。 行楽と、渋滞と、少し前まではローリング族のメッカ。 大垂水峠。 それは、天下の五街道のひとつ甲州街道を受け継いだ幹線も幹線、国道20号が都心新宿を発って初めて挑む峠。 海抜389mに過ぎないが、日本最大の広さを持つ関東平野、そして大首都圏からの離脱を阻み、文字通り都県の境を成す、決して小さくない峠。 この峠は地形的に明瞭な鞍部を示しており、古くからこの地方に人が暮らしていたことを考えれば、その道としての興りが古いことは明白である。だが、意外なことに歴史の表舞台にこの名が現れるのは

                    • 【山さ行がねが】隧道レポート 松姫湖の廃隧道

                      日野市の自宅から約70km離れたところにある山梨県大月市の葛野川(かずのがわ)ダム【地図】には、これまで何度も足を運んでいる。 そこにはダム建設によって発生した旧国道や、松姫湖に水没した林鉄跡など、いくつもの見どころがあるからだ。 そして数多い見どころの中でも、この地を訪れるだけで誰でも簡単に発見できて、しかもインパクト抜群なのが、今回紹介する廃隧道である。 ただし、残念ながら正式な名前は分らない。 2010/3/15 9:35 ここは葛野川ダムの堤上路。 この右側にダム湖である松姫湖の湖面が広がっている。 そしてこの場所に来さえすれば、誰しもが廃隧道を見つけてしまう。 その割にこの物件がメジャーになっていないのは、堤上路が閉鎖されていることが少なくないことや、そもそも観光地でもないこのダムを訪れる人が、あまり多くないせいだろう。 なお、葛野川ダムは高さ105m、堤長263mの重力式コンク

                      • 【山さ行がねが】道路レポート 国道293号旧道 越床峠

                        これから、地図上で「越床峠」の歴史をさかのぼる、 時空旅行にお付き合い願いたい。 先に簡単に越床峠の位置を説明しておくと、 …まあ文章よりも地図を見た方が早いだろうが、 栃木県の西南端で足利市と佐野市の境にある、小さな峠である。 地勢的には、奥羽山脈から南に連なる足尾山地が、いい加減関東平野にぶつかって終わろうとする、最後のぽよぽよ。 この ぽよぽよ をサラッと乗り越える峠である。 越床の読みは、「こしどこ」。 意味はそのまま、越し処=峠 ということだろう。 まあ、平凡そうな峠である。 それでは早速、タイムスリッーーープ!! と、その前に、 まず今の地図を見ておかなければね… はい。 どう? こんな感じで、まあこれと言ってコメントのない峠風景である。 もちろん、当サイトの読者ならば、既に峠の旧道に目星を付けているだろう。 ついたよね? では、その答え合わせを、次の地図で…。 皆さん、予想通

                        • 【山さ行がねが】道路レポート 国道289号 甲子道路の廃止区間

                          再訪 してきました。 「山行が」レポートの中でもかなり問題作として物議を醸した、あの“隠密探索”の地に。 「甲子道路」といえば、古い読者さんならお分かりだろう。 工事関係者の目を盗んで突撃した、廃止されたてのトンネルたち。 あれから3年。 ⇒問題の「過去作」 【位置】 これは、最新の地形図から見た甲子道路の甲子工区である。 甲子道路は計画全長23.3kmに及ぶ国道289号のバイパスで、従来車の通れない登山道国道であった甲子峠区間を結ぶべく、昭和50年以来工事が続けられてきた。 そして今年(平成20年)、32年にも及んだ工事はいよいよ開通の予定である。 このうちの甲子工区は、最も早く平成7年に開通していた。 だが、一度は開通した甲子工区に事件が起きたのは、平成14年のことである。 詳しくは前回のレポをご覧頂きたいが、平成14年7月の台風通過に伴う大雨で、地中の地層がずれたことが「事件」の発端

                          • 【山さ行がねが】隧道レポート 君津市二入の廃隧道

                            今回の物件は、このあたりにある。 →【周辺地図(マピオン)】 まずは下の2枚の地図を見較べてみて欲しい。 同じ場所の新旧の地形図だ。 右は昭和6年の地形図であるが、そこには最新の地形図に描かれていない、一本の隧道が描かれている。 しかもこの隧道、さらに古い明治39年発行の地形図にも描かれている。 千葉県には沢山あるとはいえ、全国的な尺度から見れば珍しい明治の隧道なのである。 とりあえず、地図から分かることはそれくらいしかない。 しかし、探索に赴く理由として、これでも十分すぎる。 2010/2/6 6:45 《現在地》 ここは、今回目指す隧道の入口となる君津市二入(ふたいり)の集落。 この二入という大字はさほど広くないが、激しく蛇行する小糸川の南北両岸に同じくらいの広がりを持っている。 しかし道があり集落があり人が住んでいるのは北側だけという、少し変わった特徴がある。小糸川を渡る橋も存在しな

                            • 【山さ行がねが】橋梁レポート 国道254号旧旧道 旧落合橋

                              群馬の山ん中に、 マジで、すっげー橋が現存してたぞ!(2014年3月現在) この物件は、昨年(平成25年)10月上旬に、ツイッター上でみち(@1600ZC)氏に教えていただいた。 それまで関東移住以来6年以上もの間、何度も訪れている群馬県の山中に眠るこの橋を、全く把握していなかった。 とにかく、見てもらえば分かる、すごい橋である。 今回、雪解け直後の最も藪が浅い時期に満を持して現地を捜索したところ、情報提供通りの橋が現存している事を確認出来た。 以下、そのレポートである。 【周辺図(マピオン)】 本橋の所在地は、群馬県西部の甘楽郡下仁田町を走る国道254号内山峠の旧道沿いである。 長野県の佐久平と群馬県を結ぶ歴史深い峠道の途中に、とんでもない橋が、その威容を誇っていたのである。 橋の名前は不明だが、旧落合橋として話しを進める事にしよう。 その詳しい場所は、右図の通り。 内山峠へ続く旧国道

                                【山さ行がねが】橋梁レポート 国道254号旧旧道 旧落合橋 
                              • 【山さ行がねが】道路レポート 多々石林道

                                今回はレポートの本編を一回お休みして、多々石林道探索の最中に出会った、「地図に無い謎の舗装路」の正体についての机上調査をテーマとする。 まずは復習として、「謎の舗装路」の全体像は左図の通りである。 入谷開墾地跡の「林道田島・舘岩I線」と書かれた標柱が立っている地点から、戸板峠直下の行き止まりまで続いており、途中に唐突過ぎる行き止まりで私を驚かせた分岐がある。 なお、この分岐路も含めた一連の道の全長は2kmほどだった。 前回見たとおり、この途中には色々と“妥協”の痕跡があり、本来は全体を2車線で整備したかったというのが伝わってくるのであるが、実際に2車線で整備された部分は600mくらいしか無い。 また、途中どこにも通行止めなどの封鎖はなく、行き止まりながら全線がちゃんと解放されているという珍しい道である。 右図は、多々石林道に対する「謎の舗装路」の位置を示したものである。 人里から離れた山奥

                                  【山さ行がねが】道路レポート 多々石林道
                                • 【山さ行がねが】廃線レポート 飯田線旧線 旧第一久頭合隧道

                                  あの夕暮れまで続いた激戦のあと、佐久間駅に降り立った私は手負いのチャリを車に収め、空腹を満たすべく移動を開始した。 佐久間にはおそらくコンビニというモノはなく、閉店間際の小さなマーケットで買い込んだ魚肉ソーセージと塩焼き鳥の缶詰をおかずに、車に積んであるガスコンロで作ったカップラを主食にするという、侘びしい夕餉をとった。 それから午後8時頃までに車で水窪付近へ移動してから、翌朝の探索を考えて飯田線の向市場駅前を車泊場所に定めた。 上の写真は、その向市場駅だ。 今度は右の地図を見てもらいたい。 JR飯田線は、国鉄時代の昭和30年に大規模な路線付け替えを経験している。 電源開発株式会社による佐久間ダム建設によるもので、中部天竜~大嵐間の13.3kmを水窪川沿いに迂回する新線(17.3km)へ切り替えたのだ。 そうして生まれた現在の”水窪新線”だが、こちらにも部分的な旧線があることは、巨大な水没

                                  • 廃線・旧線・森林鉄道・未成線~山さ行がねが・廃線レポート~

                                    秋田県北部の藤里町は、白神山地の懐に抱かれた、緑多き街である。 古くから、近接する他の町村と共に、天然秋田杉の宝庫として伐採が進められ、奥地の沢まで森林鉄道網が整備されていた。 しかし、谷沿いの森林鉄道の多くが、昭和33年に一帯を襲った大洪水により流出崩壊し、その後復旧されることなく、トラック主体による運材に県内ではいち早く切り替えられたのである。 幻の森林鉄道網を探る旅。 その始まりは、小さな支線との、大きな出会いだった。

                                    • 【山さ行がねが】ミニレポート第201回 津軽二股駅と津軽今別駅

                                      【周辺地図(マピオン)】 先日地図を眺めていたら、面白い場所を見付けた。 青森県の津軽半島に、JRの駅同士がもの凄く近接している場所がある。 JR東日本が営業している津軽線の津軽二股駅と、JR北海道が営業している海峡線(津軽海峡線)の津軽今別駅である。 二つの駅は、地形図上で100m以内の距離に隣接して描かれている。 JR東日本とJR北海道は同じJRグループではあっても別会社なので、駅名が別々なのも、隣接するJRと私鉄の駅が別の名前を名乗っているようなものと勝手に納得するが、調べてみたわけではない。 というか、ここにこうして二つの駅が並んで存在する理由を真面目に解明していこうとしたら、それこそ津軽線や海峡線が誕生してきた経緯を解き明かす必要があろうし、私の手には余るだろう。 ここはミニレポである。 私は全く物見遊山的に、“変わった風景が見られるかも”という動機で立ち寄ってみただけであり、

                                        【山さ行がねが】ミニレポート第201回 津軽二股駅と津軽今別駅
                                      • 道路レポート

                                        あなたは、三島通庸という政治家をご存じだろうか? 鹿児島県出身の彼が、山形県の初代県令(知事)に任命されたのは、明治9年のことである。 彼は先ず、四方を山に囲まれ、中央との結びつきが絶対的に弱かった山形県の弱点を克服せんと、壮大な道路網の構想を持った。 そして、彼の凄いところは、それらを構想だけに止めず、豪快な決断力と統率力で、実際に次々と実現させていったところである。 その強引とも言える手腕は、「土木県令」「鬼県令」などと畏れられたほどだ。 彼が山形の地を去るまでの10年間に、幾多の道が生み出された。 一部を挙げれば、“万世大路”こと栗子峠に、雄勝峠、関山峠、宇津峠などである。 ここに挙げた峠はどれも、山形市と、隣接県の中心地とを結ぶ、最短の道であることに注目したい。 (栗子峠は福島と、雄勝峠は秋田と、関山峠は宮城と、宇津峠は新潟と山形とをそれぞれ結ぶ) 何よりも驚くのが、これだけの峠を

                                        • 【山さ行がねが】道路レポート 大塩沢林道

                                          今回紹介する大塩沢林道は、栃木県の西側南北軸の一部を構成する国道121号と、県央部から会津地方への近道であり観光幹線でもある国道400号を短絡する、やや長い峠越えの林道である。 この林道が存在する地域は、県内でも有数の観光資源(特に温泉)の宝庫であり、国際的観光地の日光から鬼怒川温泉、塩原温泉、那須山岳を連絡する線上にあると同時に、東北(会津)と関東を結ぶ最短線上にもあるため、奥羽山脈に連なる深い山地帯でありながら、昔から旺盛な“開道欲”に晒されてきたといえる。 多くの道が世代交代を繰りかえしてきた結果、本格的な廃道の多産地ともなっており、明治の三島街道(塩原街道)や尾頭明治道、昭和の塩那道路などは、いずれも塩原温泉を基点とした大廃道である。 そして大塩沢林道も、これら“死したる先駆者”の一列に加わるべき廃道だ。 鬼怒川水系(日光市:旧藤原町)と那珂川水系(那須塩原市:旧塩原町)を隔てる山

                                          • 「日本は本当に広い」──“廃道”に人生を捧げるマンネリ知らずの管理人

                                            顔が見えるインターネット第3回のお相手は、“山さ行がねが”の管理人・“ヨッキれん”こと平沼氏。 “山さ行がねが”は、現役を終えた道路“廃道”のレポートを極めるというウェブサイトだ。今や獣道となった峠や崩落の激しいトンネルなど、まず人が踏み入れない場所に赴き、恐いモノ知らずのレポートを敢行する姿勢に心酔するファンは多い。 古くから熱心なファンがいる旧線路“廃線”や、2000年代前半のブームで複数の書籍が発行された“廃墟”と比べて、廃道はまだまだニッチなジャンルだが、着実に知名度を上げている。役目を終えて、往来の人がいなくなった道から、どのように魅力的なコンテンツが生まれるのか。「人生を廃道歩きにかけている」という平沼氏に語ってもらった。 山さ行がねが 平沼氏が愛用のマウンテンバイクのまたがり、東北や関東に点在する廃道や旧隧道(旧トンネル)を探索した大量のオリジナルレポートを収録している。1日

                                            • 【山さ行がねが】橋梁レポート 双竜湖(小牧ダム)に架かる巨大廃橋(跡)

                                              見えるのに、 どうやっていくのか分からない。 これから紹介する橋は、出会いの段階でまずその印象を非常に強く持った。 それは、オブローダーにとって最も甘美な刺激である。 なにせ、そんな場所にはもう、辿り着くだけでオブローダーは大満足なのだから。 その上に、歴史や技術の味付けが加わったとすれば、それはもう千人力。 最上級の“廃道物件”という感想も、遠くはない。 【周辺図(mapion)】 本橋は、公開済みの「道路レポート 牛岳車道 第2回」の終盤で存在が発見され、「第3回」の前半で、同日中の接近・攻略を断念している。 その流れを先にご覧頂いた方が当レポートは理解しやすいはずだ。 この「前説」はそれを踏まえて、国道471号から遠望可能な姿を再掲載するに留める。 その後に、具体的な接近・攻略の方策をプラニングしてみよう。 青い湖面の双竜湖は、日本最古の本格派ダムである「小牧堰堤(ダム)」が昭和5年

                                              • 【山さ行がねが】道路レポート 福島・宮城県道45号 丸森霊山線

                                                主要地方道丸森霊山線は、宮城県伊具郡丸森町と福島県伊達市を結ぶ約30kmの路線である。 阿武隈川沿いの国道349号を補完する越県境交通路に位置づけられているが、肝心の県境部分の約3kmが通行不能区間となっている。 福島県と宮城県間の通行不能路は、この路線と以前紹介した県道107号赤井畑国見線の2路線が存在しているが、後者はかつて一度は開通したものが様々な要因によって通行不能となっているのに対し、この路線は未だかつて車道が開通した歴史を持たない。 一見したところ、一帯はなだらかな山域に思われるが、果たしてどのような事情があるのだろう。 県境の峠の名前は、笹ノ峠。 『伊具郡史(伊具郡教育会 大正15年刊行)』には、「沿道笹が繁茂したので此の名出ず」とあり、まさに名が体を表す沿道風景だったようだが、私は2006年4月24日に不通区間の踏査へと私は出かけている。 今回のレポートの開始地点は伊達市霊

                                                • 【山さ行がねが】隧道レポート 利賀村の栃折隧道

                                                  2009/4/29 14:56 現在地は栃折隧道内部。 西口より 300m付近 と推定される。 隧道がどの方角に向かっているのか、正確なことは分からないが、一つ言えるのは、ここまでずっと直線だったということだ。 そして、もし隧道が、峠の最も薄い部分を突いているならば、あと50~100mも行けば貫通するはず。 相変わらず行く手に光は見えず、風もない。 表面的には、ただ単に深い穴の奥へ潜ってきただけのようである。 果たしてこの隧道は、どんな結末を私に見せるのだろう…。 決着は、遠くないはずだ。 振り返ると、今くぐり抜けてきた隙間が、ことさら小さく見えた。 速やかに通り抜けるべく、自転車だけでなく、ここでリュックも置き去りにしてしまった。 風もないくせに、背中がすーすーするのは気のせいか。 これで私は、完全に光を失ってしまった。 これからは後ろを振り返ろうとも、光はないのだ。 なお、右の画像にカ

                                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道75号清水富士宮線 吉原狭区

                                                    ※このレポートは、いつも以上にヨッキれんの個人的な趣味性に拠っています。 おそらく多くの「あなた」にとって、このレポートより有意義なレポートが、他にあるはずです(笑) 今回は静岡県道75号清水富士宮線(富士宮市~静岡市清水区)のうち、静岡市清水区内にある狭隘区間を紹介するが、 この探索を終えたときの私の肉体には、これまでの探索では感じたことのない、ある変調が起きていた。 それは、 首が痛くなった ということである。 …わけが分からない?(笑) 地図を見よう。 【周辺図(マピオン)】 改めて、静岡県道75号清水富士宮線の概説を述べれば、この道は全長約62kmの南北方向の道路である。 全体は国道52号との長い重複区間で二分されているが、南半分を占める山間部にこの狭隘区間はある。 なお、この道は平成6年から主要地方道に指定されている。 地図上でこの県道が細く描かれている(狭隘区間)のは、静岡市清

                                                    • 【山さ行がねが】ミニレポート第141回 国道17号 八木沢トンネル

                                                      2008/10/13 14:08 【現在地(別ウィンドウ)】 六左の件はどうした? 道路レポの続きはどうした? …そう叱られそうだが、どうしても「速報」したい景色に出会ったので、こちらを優先させていただく。 現場は新潟県湯沢町。 関東と新潟を結ぶただひとつの一般国道である国道17号にある、八木沢トンネルだ。 旧道ではなく、現道にあるこのトンネルを、 語りたくなった! ところで、探索日08年10月13日って、 それお前… 清水峠に行くからって、そう言い残して家を空けていた日じゃないか? その空白の三日間の最終日だろ。 …まさか。 前に同じ国道17号の二居峠旧道をレポートしたときにも、清水峠の帰路だったよな。 たしか、清水峠の新潟側を途 中 敗 退したその鬱憤を晴らすべく突入していた。 お前、清水峠へのリベンジは…? 八木沢トンネルの南詰めに三俣という集落がある。(話をすり替えた) ここは、

                                                      • 道路レポート

                                                        ご覧の大カーブの先は、いよいよ県境の長大双子トンネルの片割れ「西栗子トンネル」である。 周りの風景は山岳そのもの、しかし道路上だけは都会のような喧騒に包まれている。 竣工した昭和41年ごろは、まだ環境保護の叫びは小さかったのだろうが、生態系を分断する巨大な帯である。 遂に目前に迫ったトンネル。 坑門に覆いかぶさる巨大な送風施設は、正にこの時代の長大トンネルのシンボルである。 はっきり言って、私などは胸がときめく。 幼少の頃、家族旅行で通った仙岩トンネルの威容が、私のトンネル好きの原点かもしれないのだ。 今日では技術の進歩により、地上にこのような巨大な施設を要さないので、こういった光景は今後再生産されないものだ。 道行く私たちを見下ろす坑門。 その姿は、なんとも誇らしげではないか。 実用上存在する物なのだが、何かそれ以上のコダワリを感じてしまう。 「俺がこの山をぶち抜いているんだ!!」 とい

                                                        • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                          2003.7.17撮影 岩手県宮古市 浄土ヶ浜 三陸沿岸有数の観光地である浄土ヶ浜へ到着したのは、午後5時半過ぎであった。 朝、盛岡市を出発した私は、国道106号線の旧道を巡りながら北上山地を横断して、やっとここまで来た。 しかし、ここは今日の目的地ではない。 今晩の宿は、まだ遙か先。岩泉町のJR岩泉線の終点である岩泉駅なのである。 むろん、無料で眠れるスペースを求めた末の、無人駅拝借の予定である。 気分的に余裕はない中、私は浄土ヶ浜の正面玄関であるところの、広大な駐車場に立った。 メジャーな観光地には興味のない私が、時間のない中わざわざ立ち寄る、その理由は…。 地図に描かれた隧道達だ。 今回紹介する道は、浄土ヶ浜観光の遊歩道であるから、自転車での通行には細心の注意を払った。幸い通行は禁じられていないが、皆様も注意して走行していただきたいと思う。 駐車場にある大きな絵地図を頼りに、海岸線に

                                                          • トンネル工法うんちく

                                                            トンネル工法うんちく 普段車でなにげに通過しているトンネル 歴史的価値のあるトンネル 廃止され、崩落に怯えながら探索するトンネル 様々な場面で活躍するトンネルであるが このページではそんなトンネル達がどの様にして作られているのか 簡単ではあるが独断と偏見だけで説明するページである。 ・ 矢板工法(在来工法) ・ 主に山岳トンネルの工事に利用される施工法で 古くから使われている工法である。 長所としては、発破用の穿孔機以外の特殊な機械を必要とせず 汎用土木機械で施工出来る。 その気になれば人力と木材とセメントだけで施工出来る。 短所としては、機械化出来ない行程が多く 人力に頼る場面もある為に施工期間が長くなる また、土圧に対してトンネル覆工の巻立のみで地下空間を支える為 必要以上に覆工巻厚が厚くなる。 まず、ボーリングなどの地質調査を経て 岩盤の掘削に入る

                                                            • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                              ここは、地図上で以前から気になっていた場所だった。 北上山地に数多く存在する峠の中でも、その意味ありげな名や、現道の見せる心地よいクロソイド曲線など、是非とも行ってみたい峠として、長く私の心に留まり続けていた。 それが、姥石峠である。 ここは、かつて「盛街道」と呼ばれ、岩手県内陸の水沢市と太平洋岸の大船渡市とを結ぶ重要な路であった。 沿線にいくつもの鉱山を有するヤマの路として、また、水沢より西へ奥羽山脈を縦断する平和街道や仙北街道などと連携して、表裏日本を繋ぐ路としても、永く利用されてきた。 路は現在、モータリゼーションがもたらした新道の影に、現役を退いている。 上の地図を見て頂けると分かると思うのだが、以前の姥石峠は主要地方道8号線の峠であった。 今回辿るのも、この県道時代の姥石峠だ。 しかし、この県道の現在の道はと言えば、山を登ることなく、梺の古歌葉集落で国道397号線にぶつかり終点を

                                                              • 【山さ行がねが】隧道レポート 大仏公園 謎の穴

                                                                津軽地方の雄都・弘前。 都市機能が集中する弘前城周辺を除いては、豊かな緑が満ちている。 その西側は岩木山のなだらかな裾野で名物の林檎畑が連なり、東側は平川の沖積地帯で旨い米がとれる。 この平川は秋田県と接する十和田外輪山の清流を集め流れているが、平川が大鰐の温泉街を通り抜け弘前平野へと流れ出すその場所に、弘前市で二番目に大きな面積をもつ大仏公園はある。 この大仏公園には1つの都市伝説じみた話が伝わっている。 公園は城跡に造られており、その地底には城主が抜け穴として掘った地下道があるのだという。一説には弘前城にまで繋がっていると。 私のもとにもこれまで、この抜け穴に関する情報が複数の方から寄せられていた。 しかし何れも、都市伝説の域を出ない情報と言わざるを得なかった。 が、つい先日、弘前在住の「一児のパパ」さんから送られてきた情報は、一歩以上進んだものだった。 なんと、彼はいまから25年ほど

                                                                • 廃線レポート

                                                                  これまで、ただの一話として命の危険を冒さないレポの無かった廃線レポであるが、たまには毛色を変えてみようと思う。 あなたのお口に合うかは分からないが、とりあえず、ご賞味召され。 なお、旅の案内人は、ヨッキれんと、伝説のツナギスト・ミリンダ細田でお伝えする。 JR花輪線 十和田南駅 十和田南駅は、JR花輪線の主要な駅の1つで、秋田県鹿角市にある。 花輪線についても簡単に紹介すると、同線は秋田県第二の都市にして県北の中心都市大館と、岩手県岩手郡玉山村に位置しいわて銀河鉄道(旧東北本線)との接続駅である好摩とを結ぶ107kmの地方鉄道である。 好摩は岩手県都盛岡に近く、実際に花輪線好摩止まりはなく、全ての列車が盛岡まで乗り入れるダイヤになっている。 現在も全線が非電化で、近年までタブレット閉塞や腕木式信号機などを見ることができたし、奥羽山脈越えである竜が森のSL三重連は往年の鉄道ファンに広く知られ

                                                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道46号旧旧道 仙岩峠(雫石側) 第一回

                                                                    仙岩峠については、これまで山行がでも何度も語ってきた。 この峠は、秋田県と岩手県の県庁所在地を最短で結ぶ奥羽山脈越えの峠であり、今でこそ秋田自動車道とその役目を二分しているといえ、開通以来北東北の物流・観光・生活を支える、文字通りの幹線道路である。 この道は一般国道46号に指定されており、国の直轄路線であるころからも、その重要性が窺い知れるであろう。 この仙岩峠について我々旧廃道傾倒者、いわゆるオブローダーが語るとき、必ず話題に出る、いやむしろ仙岩峠と言ってもまず現道を指さないと言うほどに有名なのが、昭和38年10月に開通し、この峠に初めて自動車交通の時代を切り開いた旧国道である。海抜800mの仙岩峠を越える、九十九折りと断崖絶壁を繋いだ全線2車線の完全舗装道路だったが、一年のうち半分は雪に閉ざされ、沿道の景色の美しさから観光道路としても愛称を与えられるほどであったものの、結局は幹線国道と

                                                                    • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号 清水峠 隧道捜索編 <最終決戦>

                                                                      私達はなぜあのとき、 すぐ手の届く所にあった “影”の正体 を、確かめなかったのか。 2008年10月にくじ氏と2人で行なった探索では、その前年10月の探索と合わせて、ついに当時前人未踏といわれていた清水国道の新潟県側を、ほぼ全部踏破することに成功した。 もはや清水峠、そして清水新道に思い残すこと無し。 探索成功の時点では、これが大団円だと疑わなかった。 だが、帰宅後にレポートを作成するため改めてその行程を整理してみると、清水国道には隧道があったのではないかという思いが、強くするようになった。 そして、検証回で皆様の意見を請うてみたりもした。 (ちなみにその結果は、2012/11/13時点で65.2%の読者さんが隧道を肯定している) この検証回で拾った机上の資料や、過去の航空写真、さらには探索中に撮影した現地写真からは、ついに隧道の存在を証明する事が出来なかったのだが、その現地写真の中の1

                                                                      • トンネル工法うんちく

                                                                        トンネル工法うんちく 普段車でなにげに通過しているトンネル 歴史的価値のあるトンネル 廃止され、崩落に怯えながら探索するトンネル 様々な場面で活躍するトンネルであるが このページではそんなトンネル達がどの様にして作られているのか 簡単ではあるが独断と偏見だけで説明するページである。 ・ 矢板工法(在来工法) ・ 主に山岳トンネルの工事に利用される施工法で 古くから使われている工法である。 長所としては、発破用の穿孔機以外の特殊な機械を必要とせず 汎用土木機械で施工出来る。 その気になれば人力と木材とセメントだけで施工出来る。 短所としては、機械化出来ない行程が多く 人力に頼る場面もある為に施工期間が長くなる また、土圧に対してトンネル覆工の巻立のみで地下空間を支える為 必要以上に覆工巻厚が厚くなる。 まず、ボーリングなどの地質調査を経て 岩盤の掘削に入る。 掘削方法は、削岩機による人力での

                                                                          トンネル工法うんちく
                                                                        • 【山さ行がねが】隧道レポート 沼津市口野の “隧道の辻”

                                                                          【mapion 現在地】 「道路トンネル大鑑」の巻末リスト(※ORJにてこれを加筆修正し『隧道データベース』として公開している)によれば、主要地方道沼津土肥線には6本の隧道がある。 この資料は昭和40年頃のものであるが、現在この6本の隧道は全て旧道化している(一本は開削済)上に、3本の隧道に対応する現道は国道への昇格を果たしている。 右の図中の赤いラインが、一連の旧道である。 今回のレポートでは、このうち4本の隧道の現状をお伝えすると共に、その途中にある“道路特異点”を紹介しよう。 それは、私が勝手に“隧道の辻”と名付けたが、一般に辻というのは交差点のことである。 このレポートには、 おそらく日本で最も多くの隧道が面する交差点が、登場する。 レポートの開始地点は、沼津市口野の金桜神社参道下だ。 2008/2/4 9:04 金桜神社のある高台から見下ろす江浦湾。 江浦湾は沼津湾の小湾で、沼津

                                                                          • 【山さ行がねが】道路レポート 旧東京府道242号 日原氷川線 (日原5期道)

                                                                            これまで4編の都道204号日原鍾乳洞線の旧道に関するレポートを公開してきた。 そして、“とぼう岩”付近には現在の都道に至るまで、実に7世代もの道が存在していたことを突き止めた。 このうち、私が主な探索の対象としたのは、「3期:江戸道」「4期:大正道」「5期:昭和道」である。 緑:3期「江戸道」 江戸中期に日原の原島家が中心になって、とぼう岩に初めて横断する道が付けられた。 なお、探索の結果最も困難な岩盤に一本の隧道を発見しているが、これが江戸道であるかは未だ不明である(レポ) 橙:4期「大正道」 大正4年に改修された道で、氷川から樽沢まで荷車の通行が可能になった。府道242号日原氷川線と呼ばれた。(レポ) 赤:5期「昭和道」 昭和6年に、従来の「大正道」を惣岳吊橋から日原まで延伸し、遂に全線荷車の通行が可能となった。引き続き府道242号と呼ばれた。今回攻略目標! 青:6期「旧都道」 昭和1

                                                                            • 【山さ行がねが】道路レポート 林道樫山小匠線  導入

                                                                              道路生活14年目にして“初体験”となる道路風景が、ここにはあった!! 当サイトは2000年(平成12年)に誕生して以来14年、私の手の届く範囲にある様々な道路風景―― 中でも廃道、未成道、酷道や険道のような “普通ではない”道 を、数多く採り上げてきた。 真新しい道路にも、それなりの使用感が醸し出されてくる頃合いといえる14年という月日、 東京での専業生活を始めてからだけで見ても7年が経過し、離島にも足を伸ばした。 さすがにもう、規模の大小こそあっても、全く見たことがない種類の道路風景など、あるのだろうかと思い始めた、 そんな「侮り」という名の安泰な「ぬるま湯」を破壊して、 現れやがった! 完全に初体験と思える道路風景!! 私の14年目の初体験となった道路風景が存在するのは―― 今までの探索場所の中でも自宅から一番遠いと言ってもいい(東京から約600kmだ)、紀伊半島の南端付近(=本州南端

                                                                                【山さ行がねが】道路レポート 林道樫山小匠線  導入
                                                                              • 【山さ行がねが】道路レポート 国道256号 飯田市上村の地形図に描かれていない区間

                                                                                国道256号は、岐阜県岐阜市を起点に、長野県飯田市に至る、実延長約221kmの一般国道であるが、最新の「道路統計年報2017」によると、この路線には長野県内に全長12.3kmの【自動車交通不能区間】供用中の道路のうち、幅員、曲線半径、こう配その他道路の状況により最大積載量4トンの普通貨物自動車が通行できない区間をいう。があることになっている。 酷道ファンにはよく知られた事実だが、飯田市内にある小川路峠は現在も自動車が通れない。これが上記した自動車交通不能区間の正体である。 ついでに小川路峠の説明を、『角川日本地名辞典 長野県』に行ってもらおう。 小川路峠 (おがわじとうげ) 飯田市と下伊那郡上村との境にある峠。標高1,494m。飯田の町と静岡県の秋葉神社とを結ぶ秋葉街道が,小川路峠・青崩峠を越えて通じ,江戸期から秋葉参りや善光寺参りの人々でにぎわった。伊那谷から遠山郷への最短ルートで,明治

                                                                                • 【山さ行がねが】道路レポート 万世大路 <残された謎> 烏川橋編

                                                                                  いまや、日本中の廃道好きにその名の知らぬ者の無くなった感さえある「万世大路(ばんせいたいろ)」。 国道13号福島~米沢の間に立ちふさがる、奥羽山脈栗子山塊を貫く、その旧道の名前である。 同じ場所に何度も行くことは珍しい私も、気がつけばこの道を過去何度も訪れていた。 初訪は03年の5月の単独チャリによるもので、以降04年11月に大規模な合調隊を編成しての工事用軌道踏査、06年6月は“世にも危険な廃道ガイド”としてこの山を訪れた。そして、今年も縁があったようで既に2度、福島側と米沢側を別々にカウントするならば3度も訪問している。 この道に起きている変化を、いま一言で述べるとすれば、「再生」という言葉に尽きる。 初訪の頃には殆ど刈り払いもなく、自転車一台を通すことさえ罷り成らぬ悪路であったものが、年を経るごとに踏み跡は鮮明化し、近年では遂に自動車(2輪だが)による訪問さえ赦している。 そして、こ