並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

201 - 240 件 / 658件

新着順 人気順

山さ行がねがの検索結果201 - 240 件 / 658件

  • 【山さ行がねが】橋梁レポート 菖蒲大橋

    全長150mの廃木橋が 秋田県内にあるらしい。 これは、秋田県在住の盟友ミリンダ細田氏が仕入れていて、秋田へ帰った私に教えてくれた情報だ。 当然、我々はそこへ行くことになった。 はたして、現存すれば自己最長ともなりうる「全長150mの廃木橋」は、いかなる姿を晒していたのか。 つか、150mってマジ?  ただ事でないぜ?? 2009/7/1 4:16 ここは、我々の自宅がある秋田市から65km南に位置する南由利原高原。 細田氏が運転する車は、まだ日の昇らぬ薄暗い現地に到着。 明るい時間だと、人に見られる危険がある。 そんな後ろめたい判断から、この時間を選んだのだった。 ちなみに、細田氏はこの探索の後に普通に勤めに出るという。 細田氏も現地へ来るのはこれが初めてらしい。 車の入れない道を歩き始めるが、最初のうち我々は迷ってしまった。 細田氏は、秋田魁新報(秋田の地方新聞)の紙面に細田氏がこの廃

    • 【山さ行がねが】ミニレポート 第99回 信夫山 羽黒神社旧参道

      どうやら、日本一急な車道というのは、勾配30%くらいあるらしい。(参考:「霧に走る」) 全国数箇所に、「30%」を示した勾配標識が立てられているようだが、現地点で東日本での発見例はないようだ。 このような常識を越えた急坂は、単に地形が急であるということだけでなく、その勾配を緩和する蛇行を道が描けないような、なんらかの土地的な制約もあると考えられ、未開発エリアの多い東北地方では、発見例がないのも無理はないのかもしれない。 もっとも、ここで言う車道とは、作業用ブルがはいるような造林道路などは除く。 ふつうに一般車が通っている道に限定しての話だ。 だが、東北在住急坂マニアのみなさんに朗報である。 なんと、福島市の市街地ど真ん中に聳える霊峰であり、市民憩いの公園である信夫山(標高268m)に、残念ながら標識こそ無いが、どう考えても、今まで遭遇したレベルを遙かに超越した一本の、坂に遭遇したのである。

      • 【山さ行がねが】道路レポート 山王峠の謎の道跡

        山王峠は、福島県南会津郡南会津町(旧田島町)と栃木県日光市(旧藤原町)とを結ぶ県境の峠で、その立地を一言で言い表すなら「関東と会津地方とを最短で結ぶ位置」である。(Mapionで位置を見る) 明治時代にはかの三島通庸がいち早く車道へと改築し、現在では国道121号を筆頭に352号と400号の合計三本の国道が重複していることからも、その立地の持つ意義深さが理解されよう。 中世より連綿と受け継がれてきた山王峠であるが、大きく分けると次の三世代の道が知られる。 一つは中世・近世までの道であり、下野街道や会津西街道、または南山通りなどの幾つもの呼び名が、その歴史深さを証明している。 現在、その峠路は地形図からも完全に消えている。 次に、三島通庸の切り開かせた会津三方道路がある。 福島県令在任中の明治16年に、会津若松からこの山王峠頂上までの馬車道が、多くの反対運動を押し切る形で竣工した。 この道は、

        • 【山さ行がねが】ミニレポート第206回 菊川市の牛渕隧道

          【周辺図(マピオン)】 静岡県の中西部、掛川市や菊川市などがある大井川と天竜川の両下流部に挟まれた丘陵地は、県内の隧道多産エリアとなっている。例えば関東の房総半島や三浦半島、或いは九州の国東半島など、全国区の名だたる“隧道王国”には及ばないものの、中部エリアでは最大の多産地と言えるだろう。当サイトでも、変わり種のこんな隧道を以前紹介しているが、もちろん氷山の一画であった。 なぜこの辺に隧道が沢山あるかという問いは重要だが、今回は肩肘張らないミニレポである。とりあえず物を見て頂きたい。 紹介するのは、菊川市にある牛渕隧道である。 市役所がある街の中心地から1~2kmの近場にあり、現在の地図には“如何にも旧トンネル”といった感じで慎ましげに描かれている。 ここはとても気軽に訪れる事が出来る、夕暮れ前の時間埋めにも最適な探索対象だった。 2015/3/9 16:26 《現在地》 さて、雨の日の

            【山さ行がねが】ミニレポート第206回 菊川市の牛渕隧道
          • 【山さ行がねが】道路レポート 六厩川橋攻略作戦

            このレポートは、「道路レポート 岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路)」の続編ですので、先に上記レポートをお読みになることをオススメします。 本編において単に「一昨日の探索」や「前回」という表現を使った場合も、上記レポートで紹介した探索を指します。 東経136度56分54秒 北緯36度7分52秒 今回も懲りずに この地点→ 「六厩川橋」 を目指す。 「前回」は、六厩川橋の約2km手前にあるこの「秋町隧道」で敗退した。 原因は身を以て体験した背丈を超える水没だったわけだが、それをレポートで伝えたところの皆様の感想は、私の健闘を讃えるものが少なくなかった。 だが、私は気付いてしまった。 多くの「がんばった!」の根底に流れているのは敗者への労りであり、慰めを装った“がっかり”感だった。 「おおゆうしゃよ! しんでしまうとはなさけない。」 ぞくぞくと寄せられる「がんばった!」を読みながら、そんな言葉がリ

            • 【山さ行がねが】隧道レポート 久喜トンネル

              【広域図(マピオン)】 ひとつの海岸線の呼称としては、おそらく日本最大のものであろう三陸海岸。 我々日本人はほぼ例外なく、この宮城、岩手、青森に連なる海岸を「リアス式」なる言葉とセットで覚えているが、実際はその全てがリアス式海岸なわけではない。 全体に共通して言える事があるとしたら、海岸線の近くまで急峻な山岳が迫っているという点であろうか。 さて、“リアス式ではない”北三陸海岸に属する岩手県北部の久慈市と野田村の境には、特定の半島名を有さない乳房状の大きな膨らみが太平洋を突いている。 その全ては北三陸海岸の特徴である平坦な台地が海に直没する隆起性の地形であり、台地と海岸線を隔てる高低は150mを超える。 今回取り上げる「久喜トンネル」は、こうした海崖の縁に漁港への唯一の交通路として穿たれたもので、地図上では特に変わった存在には思われなかったが、「生(ナマ)」はなかなかスゴかった。 それで

              • 【山さ行がねが】廃線レポート JR上越線 旧湯檜曽駅跡

                ↓ いかがだろう。 駅の移転という大筋については、上図のうち赤く着色した部分だけを追っていけば良い。 つまり、昭和6年に湯檜曽駅は旧位置に開業し、昭和42年の複線化開業に合わせて、新位置に移転したということである。 ただ、上の図が少し複雑になっているのは、旧新位置ともに、それぞれ湯檜曽駅として使われる前後史があるせいだ。 例えば、昭和24年12月から昭和38年3月までの期間、大穴仮乗降場と呼ばれる仮駅が現在の湯檜曽駅の位置に存在していたこと。 そしてもうひとつ、旧駅が廃止された昭和42年9月以降も、昭和59年11月までそこに北湯檜曽信号場が置かれていた事だ。 大穴仮乗降場については、それの現役当時に書かれた『町誌みなかみ』に、右の1枚の写真と共に僅かながら記録されていた。 p.359より引用しよう。(ちなみに当駅絡みの記述はこれで全てだ) 大穴仮停車場 昭和24年12月より、冬季スキー客乗

                • 【山さ行がねが】道路レポート 茨城県道248号八溝山公園線

                  2007/4/22 12:40 【周辺図(マピオン)】 洞穴で足を冷やした後は、先ほどから気になっていた木橋である。 木橋は此岸の県道と対岸の新しい植林地を結ぶ物で、八溝川のやや切り立った河谷を一跨ぎにしていた。 特に通行止めではないものの、現状は荒廃が進みつつあり、車を通すとなると冒険になりそうだ。 植林された杉の年齢から推測するに架設から10年経つかどうかくらいのまだ新しい橋ではあると思うが…。 橋の路面は水気を含んで湿気っており、 やや腐り始めている木がたいへん滑りやすくなっている。 道幅もトラックがぎりぎり通れる幅しかなく、欄干も無い。 さらに、中央部分が微妙に上流側へ傾き始めている。 今すぐに崩れ落ちそうには見えないが、こうして実際に渡ってみると、 突然底が抜けるのではないかという不安はぬぐえない。 対岸に近い辺りは最も腐朽が進んでおり、路面の板が崩れ始めている。 船乗りのことば

                  • 【山さ行がねが】廃線レポート 神津島の石材積出軌道

                    … お は よ ー ご ざ い ま す ……。 よく眠れなかった。 昨夕、日が暮れる前に海岸の真新しいウッドデッキの下を一夜宿に定めた私は、潮騒と柔らかな砂の背心地には満足したものの、午前2時頃から降り始めてしまった大粒の雨と、朝方から急激に騒ぎ出した風のため、眠れぬ夜明けを過ごしていた。 ウッドデッキを伝う雨は最初テントの外壁を濡らし、それから内壁、寝袋の外、内の順に次第と浸潤して、朝4時の私は既に身体の大半を湿らせていた。 乾ききれなかった昨日の汗も混じっていただろうが、快眠とはかけ離れた… まさに野宿であった。 時間がなかなか進まなかったが、空に薄明かりを感じると同時にテントを出て、携帯コンロで朝飯のカップ麺を食べてから、探索の荷造りをした。 テントなど、探索に使わないアイテム(デカリュック)はここへ置いて行く。 島を離れる前には回収するが、こいつらを持ち歩くと移動だけで疲れるし、身

                    • 【山さ行がねが】道路レポート 神津島黒根の未成道

                      ※ このレポートは、「廃線レポート 神津島の石材積出軌道」の続きの時系列となります。 先に向こうをお読みになる事をオススメします。 私はいま雨の中、帰りの船の出航の有り無しとその時刻を気にしながら、島北端部へのスピーディな遊撃作戦を展開している最中である。 そしてスタートから1時間30分が経過した現在、ふたつのターゲットのひとつめ「石材積出軌道」の探索を終え、つづいてもうひとつの… コードネーム: 都道終点 へのアプローチを開始するところだ。 だがその前に、皆さまにお伝えしておきたい。 私がなぜ、ここへ行きたかったのか。 見てくれよ!! → 変だぜー!! 黄色い都道の線が、結構長いトンネルを出た途端に突然 ブツッ! と切れている。 現場はまさに採石場が山頂にあった神戸山の北麓で、神津島の最北端である。 そして、この「終点?!」の600mくらい手前にももう1本トンネルが描かれていて、その入口

                        【山さ行がねが】道路レポート 神津島黒根の未成道
                      • 【山さ行がねが】橋梁レポート 一般国道342号 祭畤大橋 “廃橋三昧”

                        2011/10/24 7:50 《現在地》 全長94mの本橋には、全体を3等分する位置に2本の橋脚が立っていたが、このうち左岸側のP2橋脚は崩壊し、それが支えていた2枚の桁もろとも谷底へ墜落した。 残るP1橋脚は、山崩れに乗って11mも移動しながら倒壊は免れ、右岸側の1枚の桁を乗せたまま静止した。 これから目指すのは、このP1橋脚上の路面である。 目的地は目前にあるが、到達のために攻略しなければならないのは、この目測4mほどの段差である。 この段差は橋台から橋桁が墜落した為に生じたのであるが、P1橋脚が倒壊しなかったため、対岸がそうであるように橋桁が斜面に沿って谷底へ滑り落ちてしまうことにはならなかった。 そして、現在この橋桁が橋台代わりに乗っかっている場所は地面だが、ただの地面ではなく、この旧国道(初代祭畤大橋)が出来るまで国道であった旧道(旧旧国道)の路面である。 従ってこの段差をクリ

                        • 【山さ行がねが】ミニレポート第173回 秋田県道325号あきた北空港西線 小ヶ田未成区

                          【広域図(マピオン)】 秋田に定住していた頃から、ずっと気になっていた所である。 そこにどんな事情が秘められているのかも、うっすらとは知っていた。 しかし、実際に“探索”を試みたのはこれが初めてである。 まずは右の地図を見て欲しい。 中央を東西に横切る黄色いラインは、秋田県道325号「あきた北空港西線」である。 この道は、平成10年に開港した大館能代空港(愛称:あきた北空港)のメインルートとして整備された路線で、途中に何カ所か信号はあるものの、一部の道路とはランプで接続するなど、一般道路としては十分高規格な路線である。 それゆえ線形にも恵まれているのだが、平成24年の現在においても、一箇所だけ例外が残っている。 もう一度、黄色いラインを見て欲しい。 中央やや左寄りの鉄道線路と交差する辺りで、少々不格好な、いかにも高速走行には向かなさそうなカーブがある。 しかも、鉄道との交差は平面交差(踏

                          • 【山さ行がねが】ミニレポート第166回 細田手押軌道

                            人口30万を誇る東北日本海の主要都市、秋田市。 その閑静な住宅地の一角に、「軌道」が存在している。 そんな情報を得た私は、迷わず現地へ向かった。 そして遭遇した!! 明治から昭和中期まで長きにわたり、各地の街角から、遠い山の奥地まで、 色々な場所に敷かれ、慎ましやかにこの国の成長を支えていた、 鉄道全ての原点を感じさせずにおかない、素朴な音と、力強い手触り…。 そこにあったのは、生きている、手押し軌道の姿だった。 動画: シーン1 【遭遇】 2011/6/29 9:47 当サイトお馴染みのミリンダ細田氏の自宅に、軌道が敷設されてる?! しかも、軽快な音を立てながら、目の前で動いている! “朝のゴミ出し輸送”を行っている!! これは、紛れもない現役の軌道だ! 所有者である細田オーナーによれば、本軌道は貨物用とのことであるが、 今回特別に許可をいただいての試乗が実現した。 運転士(“車夫”?)

                            • 【山さ行がねが】ミニレポート 第132回 竜王隧道旧道

                              今夜の更新は、宮城県白石市の新幹線駅近くのホテルの一室からお送りする。 あるアルバイトをするために来ているので、しばらくは自宅に戻れない。 慣れないノートパソコンのキーボードは打ちづらいしモニタも狭いし明日は早いしで、三重苦であるが、ちょっとがんばってみたい。 いろいろと見苦しいかも知れないが、帰宅するまで大目に見てください(笑)。 このネタは、昨日ここへ来る途中ちょっと寄り道した、まさにもぎたての新鮮素材だ。 場所は栃木県日光市藤原。数年前までは藤原町であった川治温泉と鬼怒川温泉との境の辺りの、竜王峡と呼ばれている辺り。 ⇒【所在地】 ここで私は、国道121号の旧道とおぼしき、ごく短距離…200m程度…の旧道を発見。 チャリを使って踏査を試みた。 そこで、明治の古地図にも描かれていない“奴”と出会った。 この場所は前述の通り竜王峡と呼ばれていて、鬼怒川の蛇行する渓谷のだいぶ高い縁を国道は

                              • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                2003.5撮影 秋田県秋田市 県都秋田市の東側の太平地区には、太平山の南麓を東西に流れる太平川にそって以前から変らぬ農村地帯が広がっている。 この部分を縦貫する県道28号線は、秋田市中心街区と河辺町・協和町とを結ぶ幹線であり、昭和50年代から主要な部分のバイパスが完成している。 県道沿いに点々とある太平地区の各集落には、未だに古い県道が生活道路として残されており、今日でも旧道をその全線において走行することが可能な数少ない県道である。 その大部分は大型車の離合も困難な狭い一車線であり、当時の厳しい交通事情が想像できる。 途中には、現役で活躍している当時の橋が二本あり、今回はそれらを紹介したい。 太平の八田地区は秋田駅から10kmほどの場所であり、宅地化が進んでもおかしくなさそうだが、昔からの集落と田園の区切りは殆ど変っていない。 ここから、古くは信仰、近年では市民の憩いの山である太平山の登

                                • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道16号 横須賀隧道群

                                  三浦半島レポのデビュー戦を、いかにも山行がらしい廃隧道「佐島隧道」で飾った(飾れてないか)私だが、むしろ私がこの三浦半島という地で一番行ってみたかったのは、これから紹介する隧道群だった。 そしてそれは期待通りに、私の心を並の廃隧道以上に掴んだ。 現役でありながら。 横須賀市史は「交通・運輸の推移」という節を設け、その中で「横須賀は地形上、トンネルが多く…」と概観している。 続けて「(市内のトンネルは)(昭和)60年4月1日現在64ヶ所を数えるが、30年には既に42ヶ所のトンネルが開削されていた。」と、古い隧道が多く存在することに触れている。 これから紹介する国道16号の隧道群は、奇しくも路線番号に等しい16本の隧道で構成されている。 そのうち最も古いものは船越隧道で、大正12年に生を受けて以来ずっと現役である。 また、15番目に開通した新浦郷隧道でさえ昭和36年竣工と決して新しくない。ただ

                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 林道樫山小匠線  導入

                                    道路生活14年目にして“初体験”となる道路風景が、ここにはあった!! 当サイトは2000年(平成12年)に誕生して以来14年、私の手の届く範囲にある様々な道路風景―― 中でも廃道、未成道、酷道や険道のような “普通ではない”道 を、数多く採り上げてきた。 真新しい道路にも、それなりの使用感が醸し出されてくる頃合いといえる14年という月日、 東京での専業生活を始めてからだけで見ても7年が経過し、離島にも足を伸ばした。 さすがにもう、規模の大小こそあっても、全く見たことがない種類の道路風景など、あるのだろうかと思い始めた、 そんな「侮り」という名の安泰な「ぬるま湯」を破壊して、 現れやがった! 完全に初体験と思える道路風景!! 私の14年目の初体験となった道路風景が存在するのは―― 今までの探索場所の中でも自宅から一番遠いと言ってもいい(東京から約600kmだ)、紀伊半島の南端付近(=本州南端

                                    • 【山さ行がねが】道路レポート 旧三原山ドライブウェイ

                                      2016/2/6 14:35 《現在地》 分岐から1.5kmの地点で突如鋪装が綺麗になったと思ったら、直後に道は不思議かつ不自然な状況になっていた。 写真では分かりづらいと思うが、前方30mほどの地点で上下線が左右に分かれており、その先は方向転換のためのループカーブになっている。 このことで、分岐地点の青看に行き先として表示されていた「割れ目火口」に到着したのだと分かった。 旧ドライブウェイは噴火活動により寸断され、今なお自動車の通れる道としては復旧されないままになっているのだろう。 だが、実際にはこの折角のループカーブも通行する事出来ない。 なぜなら、向かって右側の道は、大量の瓦礫のようなもので封鎖されていた。 ところで、この“終点”の直前には、小さな建物が二つ、道に面して建っていた。 いずれの建物もコンクリート製である。 噴火以前の航空写真には見あたらないので、ここが“終点”となった際

                                      • 【山さ行がねが】道路レポート

                                        2008/2/25 13:30 約100分間の東海道本線旧線の廃線跡探索を終え、再び国道150号の旧道である県道416号に戻ってきた。 そこには、路肩に乗り捨てられた私のチャリが待っていた。道の対面にあるのは、廃線マニアを当て込んでいるのかは分からないが、時間極100円の駐車場。 それではここから再び道路レポの再開だ。 再出発から間を置くことなく、すぐにこの大崩海岸における道路マニアにとってのハイライトが現れる。「石部海上橋」とその旧道である。 これより挑まん! 希有なる海上橋が待つ、 旧道踏破の最終難関へ! まずは、前衛。 石部隧道。 気の利いた銘板の代わりに、落石の危険を知らせる黄色い回転灯だけがポツンと取り付けられた坑口から、薄暗い洞門の中に入る。 すぐ間近に海がある割に、洞内の空気は乾ききっている。 その冷たい空気からは、微かに、土埃と排気ガスの混ざったような臭いがした。 それは、

                                        • 【山さ行がねが】道路レポート 塩那道路工事用道路

                                          と言う感じで、いつにも増して仰々しくタイトルを飾ってはみたが、この道路については既に別の媒体で発表している。 2012年11月に刊行された「廃道をゆく4」がそれである。 しかし誌面の都合上、どうしても短くまとめねばならなかったから、私としても生涯で十指に入るであろう愛すべき廃道「塩那道路」で再び過ごした時間について語り尽くせなかった部分があることや、何より塩那道路のレポート本編を2005年に公開してから現在に至るまで、皆さまから再訪についての要望が多く寄せられている。 その中でも特に多いのが、第7回に少しだけ登場する「工事用道路」を解明してほしいというものであった。 「廃道をゆく4」で紹介した後でもそのようなコメントは多かったので、2011年に行った塩那道路工事用道路の探索の模様を今回改めてレポートにまとめることにした。 あなたはこの編で、時を経た工事用道路というものの現実を痛いほど思い知

                                            【山さ行がねが】道路レポート 塩那道路工事用道路
                                          • 【山さ行がねが】道路レポート 都道204号日原鍾乳洞線 旧道

                                            後にも先にも、山行が史上最悪の路面崩壊といえば、松の木峠の旧道を置いて他にない。 そう信じてきた私だが、レポート公開以来、読者から「もっと凄い場所がある!」 そんな挑戦状のようなメールが、年に数回以上も届けられるようになった。 中でも、複数の人から繰り返し紹介された場所がある。 東京都奥多摩町の日原川流域に、おそらく松の木峠を越える絶望的な崩落地点が、存在するのだという。 促されるようにして、WEB上で見ることが出来た幾つかの現地レポートを見たが… 皆 撤退していた。 だが。 私は、この崩壊地をモニタ越しに何度か見るうち、 「突破できるのではないか」 「言うほど難しいのだろうか?」 そんな疑問を感じるようになっていた。 確かにその崩壊地の幅は、松の木の比ではないように見えた。 だが… 松の木の時のように、チャリ同伴を強制される訳ではないのだ。 極端な話し、山頂まで高巻することだって、谷底ま

                                            • 【山さ行がねが】ミニレポート第140回 五十里湖の伝説と4本の橋

                                              ※このレポートは、ミニレポ第139回の続きですので、先にご一読下さい。 2008/5/4 7:17 【現在地(マピオン)】 関東地方と東北・会津地方を結ぶ幹線である国道121号は、日光市北部の五十里(いかり)湖で、その両岸に分かれた後に再びひとつに戻るという経路を持っている。 案内標識にあるとおり片方は旧道なのであるが、平成16年に新道が全線開通してからも国道の指定を外されていない。 そしてもちろん、問題無く通り抜ける事も出来る。 そして南から来たとき旧道の入口になるのが、この優美なアーチのシルエットを誇る橋である。名を海尻橋という。 橋長117mの婉美な単スパンで、真っ青な水を深く湛える五十里湖を跨ぐ海尻橋。 四季折々の山河に見事に溶け込んだその姿は、通行する者だけでなく、現国道を素通りする者の目を楽しませることさえ惜しまない。 まさに、国道121号の旅を魅力的にする名脇役として、私の

                                              • 【山さ行がねが】道路レポート 主要地方道久慈岩泉線 滝地区旧道 前編

                                                『道路トンネル大鑑(土木界通信社発行)』巻末の昭和42年の道路トンネルリストによれば、当時岩手県主要地方道久慈岩泉線には、3本の隧道があったようだ。 そして、平成18年現在でも道路線は名前も変わらずに存在しているのだが、地図で見る限り隧道はかなり増えているようだ。 机上での調査を行った結果、リストにある3本の隧道はいずれも旧道上に取り残されているであろう事が判明。 現地調査と相成った。 レポート範囲は右の地図の通りである。 私はここを北側からチャリで通過しつつ探索した。 鯉のぼりがかわいいこのダムは滝ダム。 ここが今回のスタート地点だ。 滝ダムは、変わった景観で知られる。 このダムの堤体から下流を見下ろすと、手に取るほど近くに市街地が見える。 それだけでも珍しいが、その向こうには、大きな入り江に小島が浮かぶ久慈湾が鮮明に見える。 ここは、全国でも珍しい「海が見えるダム」なのである。 ダムサ

                                                • 【山さ行がねが】道路レポート 金沢区朝比奈の“脅迫的な”市道

                                                  2009/9/28 11:04 ←鼻欠地蔵の鮮明ならざる御尊姿を拝しつつ、 「入ったら最期」を思わせる看板がある道へと、進入する。 → ところで、この道の行き先はどこなのだろう? 「車両の」通り抜けが出来ないと案内されているが、行き止まりだとは書いていない。 試しに地形図を見てみよう。 問題の道は、横浜市金沢区と鎌倉市を隔てる山脈(三浦半島の脊梁)の一角へ分け入ろうとしているようだ。 もっとも、横浜市側の“山”はもうあらかた切り崩されて整然たる住宅地へと変貌を遂げており、 この道がどれほど羊腸険阻な展開を希望しようとも、限界がすぐに訪れる事は明白であった。 上手く北西方向へ峰伝いに進みでもしない限り、数百メートルで終るに違いない。 とまれ、何処へ通じているかについては、まったく見当がつかなかった。 もちろん、何のための道であるかについてもだ。 それでは、いざ進入!! 道はかなりの急登坂で、

                                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号 清水峠(新潟側) <リベンジ編>

                                                    16:35 JRの送電線鉄塔に遭遇。 地図を見ると現在地の標高は1080m付近だ。 峠まではまだ400m近くも登らねばならない。 依然雨も降り止まず、しかも辺り一帯は深い霧に覆われている。 まもなく日没の時刻だから、今日はこのまま夜になるらしい。 なんだか、明日への希望を全く感じさせない昼の終わりだ。 本当に天気予報は当たるのか。 明日は晴れてくれるのか。 このまま大雨にでもなったら、遭難しやしないだろうか。 最初に渡った沢がもう渡れなくなりやしないだろうか。 くじ氏の背中を追う私の心は、空と歩調を合わせるように暗くなっていった。 しかし、すぐにもの凄い急坂が再開して、私のツマラナイ考え事も打ち切られた。 道はべったりと尾根にへばり付いているのだが、その尾根が急なので楽ではない。 ときおり雷光型に身を震わせて、尾根から振り落とされまいと頑張っている。 頑張っていると言えば鉄塔もそうで、最初

                                                    • 【山さ行がねが】隧道レポート 奥羽本線旧線 唐牛隧道

                                                      もはや廃線趣味の世界でも語り尽くされた感のある、東北地方もう一つの幹線鉄道、奥羽本線。 明治期に開業している路線の各所には、老朽化した煉瓦造りの旧隧道が放棄されたままに残り、それぞれの地域で独特の存在感を示している。 そして、そのうちの一本が、終点にそう遠くない青森県弘前平野の片隅に、残っている。 『鉄道廃線跡を歩く〈8〉』巻末資料の「全国線路変更区間一覧」(←この資料はシリーズ中でもおそらく最も役に立つので、全巻揃えるのはちょっと…という方でも、この巻だけは買った方がよいと思う) によれば、この旧線区間があるのは碇ヶ関駅と長峰駅の間で、廃止された旧線の延長は700mとある。複線化と線形改良、そして隧道の老朽化を理由にして、昭和46年に現在線へと切り換えられているようだ。 短い旧線区間に、隧道の数は一本。 現存するならば、おそらくは簡単に補足できそうな物件である。 だが、その短さ故か、或い

                                                      • 【山さ行がねが】隧道レポート 玉川森林鉄道 旧線 鎧畑ダム水没隧道群

                                                        以前公開した廃線レポート「玉川森林鉄道」では、玉川森林鉄道のうち、起点から玉川ダムまでの区間を探索・紹介したが、途中の鎧畑ダム周辺にある新旧線については、新線のみを紹介している。 ダム湖(秋扇湖)に水没した旧線については、素通りせざるを得なかったのである。 だが、2005年7月末、ユウタ氏が当サイトの掲示板に投稿された写真を見て、私は驚いた。 そこに写っていたのは、これまでいくらダム湖の水位が下がっても決して地上には現れることがなかった、旧軌道跡の隧道のように思われたからだ。 再調査の必要を感じた私は、細田ミリンダ氏を誘って現地へ向かった。 → 問題の投稿写真。(ユウタさん ありがとうございます!) 角度がよく分からないものの、従来対岸から見えていた水没隧道よりもさらに深い位置にあるものに見えた。 本文に入る前に、玉川林鉄について簡単におさらいしておこう。 玉川森林鉄道は、大正10年に生保

                                                        • 【山さ行がねが】ミニレポート 第97回 国道115号旧道 旧欅橋

                                                          福島県福島市から、ほぼ真東へ阿武隈高地を横断して、太平洋岸の相馬を目指す一本の道がある。 この道は江戸時代には相馬の古名から「中村街道」などと呼ばれ、それは内陸と沿岸とを結ぶ塩の道であり、五十集の道であった。 【広域地図(外部リンク)】 この道が近代交通の恩恵に浴したのは比較的早く、関連する市町村の記録にあたってみると、明治10年代から馬車道への改良が始まっていたようだ。そして、明治26年までには一通りの改良が終わったらしく、福島から中村までの全線が揃って県道「中村街道」に昇格している。そして時代が下ると、やがてこれは国道115号となる。 現在の相馬市域の西端に近い玉野地区の街道が、旧来の卒塔婆(そとば)峠から、玉野川の河谷に面した元ルートに切り替わったのも、おそらくその当時であったろう。 左に紹介した明治41年当時の地形図では、既に現道に近いルートが「県道」の太さで描かれているのが分かる

                                                          • 【山さ行がねが】ミニレポート 第108回 国道7号旧道 山北町大鳥地区

                                                            東北地方の日本海沿岸を縦貫し、青森と新潟を結ぶ国道7号。 通過する全ての市で、町で村で、その存在感を発揮している東北有数の幹線道路である。 特に、いまだ高速交通体系の恩恵に浴さない秋田~酒田~新潟間の環日本海地域において通行量は最も多く、昼夜を問わず常に車に充ちた印象がある。 実際、市街地を除いては殆ど片側1車線の道を、延々と列をなして道幅いっぱいに通行する夜間輸送のトラック便たちは、この道のお馴染みの景色である。 その車列が南下するとき、秋田から続く長い長いシーサイドラインと別れ内陸へ進路を採るのが、鼠ヶ関で越後の国に入って間もなく、岩船郡山北(さんぽく)町勝木(がつぎ)である。 勝木から村上市までの約40kmは、朝日山地が海岸線に落ち込む海の難所「笹川流れ」を避けるように山中を進む、同路線随一の山岳地帯となっており、最高所の葡萄峠には長いトンネルがある。 この峠へ続く沢沿いの上り坂の途

                                                            • 【山さ行がねが】道路レポート 磯根崎海岸道路(仮)

                                                              今回のレポートでは、今まで以上に皆様の調査力をお借りしたいと思っている。 というのも、 これから探索の成果は余すことなくお伝えするが、 それでも謎が沢山残ったのだ。 もちろん、自分なりに関連町村市などを漁ってみたが、成果はわずか。 これを書いている現段階では、正式な路線名さえ分からずじまいなのだ。 今はっきり言えることは… 富津市の東京湾沿いに、正体不明の廃車道が残されているという事実だ。 この探索の契機は、これ以上ないほどに単純だった。 何気なく「ウオッちず」を眺めていたところ、海岸沿いに「車道の特徴を持った歩道」を見つけたのである。 右図を見ていただきたい。 「A」の矢印の先には、紛れもないループ道路が描かれている。 また「B」付近には、これまた車道としか思えないようなゆったりとした線形のカーブ群が描かれている。 いずれも「破線」、つまりは「徒歩道」だが、車道が廃道になって辛うじて歩道

                                                              • 【山さ行がねが】隧道レポート 小阿仁林鉄 杉山田暗渠

                                                                ついに“ネタ切れ”から、山行がは暗渠まで取り上げるようになったのか? いや。 この暗渠はそんな甘いものではないぞ。 おそらく、この2008年を最も熱くする物件になるだろう(ただし、暗渠部門で)。 フフ… 9点台はもらったな。 それじゃ早速、 ジ・ベスト・オブ暗渠を紹介しよう! ※なお、本レポートは既掲のミニレポ『第138回 小阿仁林鉄堂川隧道(前・後)』の続きである。 いきなりここから読み始めても状況が飲み込めないかも知れない。 2008/12/9 16:04 【所在地】 堂川地区で細田氏プロデュースによる2本の新発見隧道を得た我々は、勢いを得て、次なる発見を求めての北上を進めた。 堂川から北の軌道(林鉄)跡は右の写真のような感じで、全く歩いてみたいという気になれない、平々凡々としている。 冗長の先へ迂回した。 大阿瀬地区で軌道跡は並行する県道3号と交差し、この先杉山田地区を過ぎるまでは川

                                                                • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                                  国道108号線を県境の鬼首峠から鳴子へ向けて下っていけば、途中大きな人造湖が右手に現れる。 これは、昭和32年に江合川を堰き止めて誕生した荒雄湖である。 細長い湖の頭に近づけば、近年では余り見られない形のダムが見えてくる。 日本人のみの手で設計建築された日本初のアーチ式ダムといわれている鳴子ダムだ。 ダムサイトを右下に見つつ、国道は堰を切ったように急な下りに転じる。 このまま下りは鳴子温泉郷まで続くのだが、このダムサイト傍に一本の使われていない隧道が口を開けている。 写真のS字カーブの途中に、その入り口は少し注意していれば容易に発見できる。 丁度カーブの突き当たりにあるので、もし開放されていればうっかり進入してしまいそうだが、残念ながら施錠され完全に封鎖されている。 隧道が潜る山の上には、鳴子ダムの管理事務所が建っており、この尾根線がそのままダムサイトに続いている。 大型車や観光バスなどが

                                                                  • 【山さ行がねが】ミニレポート 第90回 旧 青下橋

                                                                    “仙台のグランドキャニオン” そう聞いただけでピンと来たあなたは、めちゃくめちゃ仙台通か、あるいは知ったかぶりさんである。 なんせ、そんな呼び方は私がさっき思いついて付けただけだからだ。 だが、これから始まるしごく短いレポートを読み終えたとき、あなたはおそらく、そのような呼び方に納得しているのではないだろうか。 東北唯一の政令指定都市、仙台市。 そのビルの建ち並ぶ市街地のそばに、俄には信じがたいような凄まじい情景が、広がっている。 場所は、仙台市と山形市を結ぶ動脈国道48号線から定義方面へ少し入ったところで、熊ヶ根地区と大原地区の間を隔てる青下川を跨ぐ一本の橋が、青下橋といって、その絶景の唯一のビューポイントとなる。 青下川は仙台市民にはお馴染みの広瀬川の枝川である。 熊ヶ根にはこの広瀬川を跨ぐ巨大橋が二つ並んでいる。 一つは右の写真の橋で、国道48号線が通る熊ヶ根橋。 そのすぐ西側にはJ

                                                                    • 【山さ行がねが】道路レポート 国道229号 雷電トンネル旧道 (ビンノ岬西口攻略)

                                                                      2018/5/25 16:21 《現在地》 ウエントマリの駐車場から旧国道へ自転車で進入して10分後、1km地点にて、封鎖された鵜の岩トンネル西口と遭遇。そこから徒歩に切り替えて、旧々道による隧道の迂回を開始。さらに40分後、ついに迂回を成功させ、平成14年の旧道化以降のオブローダーによる到達記録未確認である、樺杣内側の領域へ到達したのが、今だ。 ここ、鵜の岩トンネル東口から約1.5km先にあるビンノ岬トンネル西口が、今回探索の最終目標地である。 というわけで、ここからが今回の旧国道探索の本番だ。 まずはここで、この先の探索ルートを選ぶ。 鵜の岩トンネルと短いトンネルに挟まれた区間に上陸するための“第1ルート”と、短いトンネルのさらに先へ上陸するための“第2ルート”から。 私は、手近な前者から順に探索を進めることにした。 上陸を前に振り返る、迂回ルートの出口。 ここには現国道から見て旧々道

                                                                      • 【山さ行がねが】ミニレポート第209回 和田の岩門(せきもん)

                                                                        【周辺図(マピオン)】 2015/7/25 16:30 先日、和歌山県の東海岸に面する太地町をウロウロしていると、県道に面して口を空ける小さな隧道を見つけた。 太地町は、紀伊半島の南東部、熊野灘にピョコンと突き出した太地半島にある、和歌山県下最小の面積を持つ小さな自治体。古式捕鯨発祥の地と言われ、現在でも捕鯨文化や捕鯨の歴史を活用した街づくりが行われている。黒潮の青い海と温暖な気候が魅力的な漁業と観光の町である。 場所は右図の通りで、地理院地図を限界まで拡大しても、隧道は描かれていない。 だが、隧道がある道自体はちゃんと描かれていて、「現在地」の地点から南に入る道が等高線を跨ぐ所にそれはある。 地図を見る限り、敢えて隧道を掘らなくても少しだけ東西に迂回すれば良さそうな地形なのだが、ここでどんな隧道が見つかったのか、さっそく写真をご覧頂こう。 これはまた、かぁいい隧道である。 手前に止まっ

                                                                        • 【山さ行がねが】道路レポート 島根県道23号斐川一畑大社線 塩津不通区

                                                                          【周辺図(マピオン)】 このレポートは、現時点(2015年2月)における、当サイトで最も西の地にて行われた探索である。 私は去年、生まれて初めて島根県へ行き、そこで数日間探索をした。 これはその初日の探索の一部で、この日の私は日本海に面した島根半島の海岸沿いを、サイクリング&オブローディングのスタイルで巡っていた。 東西に細長い島根半島の西側を巡るのが、島根県道23号斐川一畑大社(ひかわいちばたたいしゃ)線で、これは全長48.3kmにも及ぶ主要地方道であるが、途中に1箇所の自動車交通不能区間がある。 区間の長さは1.9km。 地図上でも破線になっていたりして、確かに車道は繋がって居なさそうだ。 でも、道自体はあるようなので、ここはスマートに自転車での完抜を狙いたい。 2014/5/20 9:16 《現在地》 私の知らない道、海、川、川。 新しいエリアへ踏み込んだ初日ほどワクワクする日は、

                                                                            【山さ行がねが】道路レポート 島根県道23号斐川一畑大社線 塩津不通区
                                                                          • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号 清水峠 隧道捜索編 <最終決戦>

                                                                            私達はなぜあのとき、 すぐ手の届く所にあった “影”の正体 を、確かめなかったのか。 2008年10月にくじ氏と2人で行なった探索では、その前年10月の探索と合わせて、ついに当時前人未踏といわれていた清水国道の新潟県側を、ほぼ全部踏破することに成功した。 もはや清水峠、そして清水新道に思い残すこと無し。 探索成功の時点では、これが大団円だと疑わなかった。 だが、帰宅後にレポートを作成するため改めてその行程を整理してみると、清水国道には隧道があったのではないかという思いが、強くするようになった。 そして、検証回で皆様の意見を請うてみたりもした。 (ちなみにその結果は、2012/11/13時点で65.2%の読者さんが隧道を肯定している) この検証回で拾った机上の資料や、過去の航空写真、さらには探索中に撮影した現地写真からは、ついに隧道の存在を証明する事が出来なかったのだが、その現地写真の中の1

                                                                            • 廃橋・旧橋・古橋・奇橋・渡らずの橋 ~山さ行がねが・橋梁レポート~

                                                                              令和3(2021)年10月、私は驚くべき情報を目にした。なんと明治初期に架けられた石アーチ橋が、現役の国道のすぐ脇で発見されたというのだ。それも、私が大好きな三島通庸由来の橋だという。翌週、私はさっそく現地へ向かった。

                                                                              • 【山さ行がねが】ミニレポート第246回 東由利 蔵の洞門 現地調査編

                                                                                洞門トンネルの開通 (東由利町・明治時代) 道の両側に並ぶ人びとの服装は和服あり、洋服あり、笠をかぶったり帽子をかぶったりと和洋折衷。明治中期から末期ごろの撮影と思われる。 この手の写真集には必ず1枚は入っている、トンネル開通の良き日を撮影した写真だ。 「ああ、あのトンネルの生まれた時の姿なんだな」と合点するのが、だいたいのパターンである。 だが、私はこのトンネルに、全く見覚えがなかった。 こんなトンネル、東由利町のどこにあったんだ?! なお、土地鑑のない方に説明すると、由利郡東由利町は、秋田県の南部、出羽丘陵地帯の真っ只中に存在した山あいの町だ。 平成17(2005)年に広域合併し、由利本荘市の一部となったためにもう存在しないが、永く秋田に住んだ私にとっては既知の土地であり、この写真のトンネルを見知っていないことは、それだけで大きな衝撃を受ける出来事だった。 そもそも、秋田県はさほど“明

                                                                                • 【山さ行がねが】道路レポート 山梨県道513号 梁川猿橋線

                                                                                  本線は極めてマイナーな道である。 山梨県道513号梁川猿橋線は全長4542mの一般県道であり、地図とその延長と照らし合わせてみる限り既に全線が供用されているようである。地図によっては途中をかなり細い線で描いているものの、国道20号と桂川を挟んで平行するそのルートは、バスも通る生活道路のようだ。 次の地図をご覧頂きたい。 だが、私はこの路線はまだ、本懐を遂げていないと考える。 本当は、梁川駅付近まで伸びたいのではないか? その根拠はずばり、路線名に対し今の県道は中途半端に感じられるという点に第一を置く。 また、地図に描かれた終点の状況も、私の目にはどこか不自然に感じられる。 さらに、古い地形図にのみ描かれた、「その先の道」の存在も重要な根拠である。 ただし、これはあくまでも私の妄想である。 現在の起点は下畑という場所にあるのだが、ここは大字で見るとギリギリ大月市梁川町に掛かっている。本当にギ