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【山さ行がねが】ミニレポート 第97回 国道115号旧道 旧欅橋
福島県福島市から、ほぼ真東へ阿武隈高地を横断して、太平洋岸の相馬を目指す一本の道がある。 この道は... 福島県福島市から、ほぼ真東へ阿武隈高地を横断して、太平洋岸の相馬を目指す一本の道がある。 この道は江戸時代には相馬の古名から「中村街道」などと呼ばれ、それは内陸と沿岸とを結ぶ塩の道であり、五十集の道であった。 【広域地図(外部リンク)】 この道が近代交通の恩恵に浴したのは比較的早く、関連する市町村の記録にあたってみると、明治10年代から馬車道への改良が始まっていたようだ。そして、明治26年までには一通りの改良が終わったらしく、福島から中村までの全線が揃って県道「中村街道」に昇格している。そして時代が下ると、やがてこれは国道115号となる。 現在の相馬市域の西端に近い玉野地区の街道が、旧来の卒塔婆(そとば)峠から、玉野川の河谷に面した元ルートに切り替わったのも、おそらくその当時であったろう。 左に紹介した明治41年当時の地形図では、既に現道に近いルートが「県道」の太さで描かれているのが分かる
2010/06/07 リンク