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山さ行がねがの検索結果321 - 360 件 / 874件

  • 隧道レポート

    県内にある国鉄、もしくはJR由来の廃隧道のうち最後まで未探索だった、JR田沢湖線「刺巻~田沢湖」間にある二隧道の探索を終えたので、公開しよう。 JR田沢湖線刺巻駅は、新幹線も停まる田沢湖駅の一駅隣の駅で、立派な標準軌のレールとは如何にも不釣合いな半面ホームの無人駅である。 近くには刺巻湿原というミズバショウの名勝地があるが、普段は僅かな通勤通学客にのみ利用される駅だ。 そこに、チャリを詰め込んだ輪行バッグを抱え降り立った私。 秋田駅からは奥羽本線と田沢湖線の始発を乗り継ぎ、この日の旅のスタート地点としてここを選んだのである。 無論この日の最初のターゲットは、近くにある筈の二本の廃隧道である。 チャリを駅前で組み立てている間も、駅の正面を通る国道46号線にはひっきりなしに往来があったが、駅に立ち寄る人は誰もいなかった。 国道を田沢湖方向へ約二kmほど進むと、田沢湖線の下を潜る。 跨道橋のすぐ

    • 【山さ行がねが】ミニレポート 第108回 国道7号旧道 山北町大鳥地区

      東北地方の日本海沿岸を縦貫し、青森と新潟を結ぶ国道7号。 通過する全ての市で、町で村で、その存在感を発揮している東北有数の幹線道路である。 特に、いまだ高速交通体系の恩恵に浴さない秋田~酒田~新潟間の環日本海地域において通行量は最も多く、昼夜を問わず常に車に充ちた印象がある。 実際、市街地を除いては殆ど片側1車線の道を、延々と列をなして道幅いっぱいに通行する夜間輸送のトラック便たちは、この道のお馴染みの景色である。 その車列が南下するとき、秋田から続く長い長いシーサイドラインと別れ内陸へ進路を採るのが、鼠ヶ関で越後の国に入って間もなく、岩船郡山北(さんぽく)町勝木(がつぎ)である。 勝木から村上市までの約40kmは、朝日山地が海岸線に落ち込む海の難所「笹川流れ」を避けるように山中を進む、同路線随一の山岳地帯となっており、最高所の葡萄峠には長いトンネルがある。 この峠へ続く沢沿いの上り坂の途

      • 【山さ行がねが】道路レポート 磯根崎海岸道路(仮)

        今回のレポートでは、今まで以上に皆様の調査力をお借りしたいと思っている。 というのも、 これから探索の成果は余すことなくお伝えするが、 それでも謎が沢山残ったのだ。 もちろん、自分なりに関連町村市などを漁ってみたが、成果はわずか。 これを書いている現段階では、正式な路線名さえ分からずじまいなのだ。 今はっきり言えることは… 富津市の東京湾沿いに、正体不明の廃車道が残されているという事実だ。 この探索の契機は、これ以上ないほどに単純だった。 何気なく「ウオッちず」を眺めていたところ、海岸沿いに「車道の特徴を持った歩道」を見つけたのである。 右図を見ていただきたい。 「A」の矢印の先には、紛れもないループ道路が描かれている。 また「B」付近には、これまた車道としか思えないようなゆったりとした線形のカーブ群が描かれている。 いずれも「破線」、つまりは「徒歩道」だが、車道が廃道になって辛うじて歩道

        • 【山さ行がねが】道路レポート 国道291号 清水峠 隧道捜索編 <最終決戦>

          私達はなぜあのとき、 すぐ手の届く所にあった “影”の正体 を、確かめなかったのか。 2008年10月にくじ氏と2人で行なった探索では、その前年10月の探索と合わせて、ついに当時前人未踏といわれていた清水国道の新潟県側を、ほぼ全部踏破することに成功した。 もはや清水峠、そして清水新道に思い残すこと無し。 探索成功の時点では、これが大団円だと疑わなかった。 だが、帰宅後にレポートを作成するため改めてその行程を整理してみると、清水国道には隧道があったのではないかという思いが、強くするようになった。 そして、検証回で皆様の意見を請うてみたりもした。 (ちなみにその結果は、2012/11/13時点で65.2%の読者さんが隧道を肯定している) この検証回で拾った机上の資料や、過去の航空写真、さらには探索中に撮影した現地写真からは、ついに隧道の存在を証明する事が出来なかったのだが、その現地写真の中の1

          • http://yamaiga.com/vote_2004_kekka.html

            2004年12月15日から31日までの期間に当サイトにて実施しました人気投票の結果を発表します。 この人気投票では、公開日が2003年11月1日から2004年12月14日までの全レポートを対象に、皆さんのお気に入り上位3本を選んでいただきました。(投票は、お一人様一回) 各々の投票1位には3ポイント、2位には2ポイント、3位には1ポイントを加算し、その合計ポイントで最終順位を判断いたしました。 今回は、期間中あわせて 148名の方にご投票頂きました。(昨年は91名) ご協力頂きました皆様、ありがとうございました。 それでは、さっそく第5位から発表してまいります! <作者コメント> 森吉林鉄シリーズは、2003年の秋に始まり、私だけでも5回も赴いてしまうと言う、2004年最大のネタとなりました。 獲得ポイントも、今回の投票対象に含まれていた「第2次」~「第5次」の4作で、合計148pと、シリ

            • 【山さ行がねが】隧道レポート 小阿仁林鉄 杉山田暗渠

              ついに“ネタ切れ”から、山行がは暗渠まで取り上げるようになったのか? いや。 この暗渠はそんな甘いものではないぞ。 おそらく、この2008年を最も熱くする物件になるだろう(ただし、暗渠部門で)。 フフ… 9点台はもらったな。 それじゃ早速、 ジ・ベスト・オブ暗渠を紹介しよう! ※なお、本レポートは既掲のミニレポ『第138回 小阿仁林鉄堂川隧道(前・後)』の続きである。 いきなりここから読み始めても状況が飲み込めないかも知れない。 2008/12/9 16:04 【所在地】 堂川地区で細田氏プロデュースによる2本の新発見隧道を得た我々は、勢いを得て、次なる発見を求めての北上を進めた。 堂川から北の軌道(林鉄)跡は右の写真のような感じで、全く歩いてみたいという気になれない、平々凡々としている。 冗長の先へ迂回した。 大阿瀬地区で軌道跡は並行する県道3号と交差し、この先杉山田地区を過ぎるまでは川

              • 【山さ行がねが】ミニレポート

                国道108号線を県境の鬼首峠から鳴子へ向けて下っていけば、途中大きな人造湖が右手に現れる。 これは、昭和32年に江合川を堰き止めて誕生した荒雄湖である。 細長い湖の頭に近づけば、近年では余り見られない形のダムが見えてくる。 日本人のみの手で設計建築された日本初のアーチ式ダムといわれている鳴子ダムだ。 ダムサイトを右下に見つつ、国道は堰を切ったように急な下りに転じる。 このまま下りは鳴子温泉郷まで続くのだが、このダムサイト傍に一本の使われていない隧道が口を開けている。 写真のS字カーブの途中に、その入り口は少し注意していれば容易に発見できる。 丁度カーブの突き当たりにあるので、もし開放されていればうっかり進入してしまいそうだが、残念ながら施錠され完全に封鎖されている。 隧道が潜る山の上には、鳴子ダムの管理事務所が建っており、この尾根線がそのままダムサイトに続いている。 大型車や観光バスなどが

                • 【山さ行がねが】ミニレポート 第90回 旧 青下橋

                  “仙台のグランドキャニオン” そう聞いただけでピンと来たあなたは、めちゃくめちゃ仙台通か、あるいは知ったかぶりさんである。 なんせ、そんな呼び方は私がさっき思いついて付けただけだからだ。 だが、これから始まるしごく短いレポートを読み終えたとき、あなたはおそらく、そのような呼び方に納得しているのではないだろうか。 東北唯一の政令指定都市、仙台市。 そのビルの建ち並ぶ市街地のそばに、俄には信じがたいような凄まじい情景が、広がっている。 場所は、仙台市と山形市を結ぶ動脈国道48号線から定義方面へ少し入ったところで、熊ヶ根地区と大原地区の間を隔てる青下川を跨ぐ一本の橋が、青下橋といって、その絶景の唯一のビューポイントとなる。 青下川は仙台市民にはお馴染みの広瀬川の枝川である。 熊ヶ根にはこの広瀬川を跨ぐ巨大橋が二つ並んでいる。 一つは右の写真の橋で、国道48号線が通る熊ヶ根橋。 そのすぐ西側にはJ

                  • 【山さ行がねが】道路レポート 国道229号 雷電トンネル旧道 (ビンノ岬西口攻略)

                    2018/5/25 16:21 《現在地》 ウエントマリの駐車場から旧国道へ自転車で進入して10分後、1km地点にて、封鎖された鵜の岩トンネル西口と遭遇。そこから徒歩に切り替えて、旧々道による隧道の迂回を開始。さらに40分後、ついに迂回を成功させ、平成14年の旧道化以降のオブローダーによる到達記録未確認である、樺杣内側の領域へ到達したのが、今だ。 ここ、鵜の岩トンネル東口から約1.5km先にあるビンノ岬トンネル西口が、今回探索の最終目標地である。 というわけで、ここからが今回の旧国道探索の本番だ。 まずはここで、この先の探索ルートを選ぶ。 鵜の岩トンネルと短いトンネルに挟まれた区間に上陸するための“第1ルート”と、短いトンネルのさらに先へ上陸するための“第2ルート”から。 私は、手近な前者から順に探索を進めることにした。 上陸を前に振り返る、迂回ルートの出口。 ここには現国道から見て旧々道

                    • 【山さ行がねが】ミニレポート第209回 和田の岩門(せきもん)

                      【周辺図(マピオン)】 2015/7/25 16:30 先日、和歌山県の東海岸に面する太地町をウロウロしていると、県道に面して口を空ける小さな隧道を見つけた。 太地町は、紀伊半島の南東部、熊野灘にピョコンと突き出した太地半島にある、和歌山県下最小の面積を持つ小さな自治体。古式捕鯨発祥の地と言われ、現在でも捕鯨文化や捕鯨の歴史を活用した街づくりが行われている。黒潮の青い海と温暖な気候が魅力的な漁業と観光の町である。 場所は右図の通りで、地理院地図を限界まで拡大しても、隧道は描かれていない。 だが、隧道がある道自体はちゃんと描かれていて、「現在地」の地点から南に入る道が等高線を跨ぐ所にそれはある。 地図を見る限り、敢えて隧道を掘らなくても少しだけ東西に迂回すれば良さそうな地形なのだが、ここでどんな隧道が見つかったのか、さっそく写真をご覧頂こう。 これはまた、かぁいい隧道である。 手前に止まっ

                      • 【山さ行がねが】道路レポート 島根県道23号斐川一畑大社線 塩津不通区

                        【周辺図(マピオン)】 このレポートは、現時点(2015年2月)における、当サイトで最も西の地にて行われた探索である。 私は去年、生まれて初めて島根県へ行き、そこで数日間探索をした。 これはその初日の探索の一部で、この日の私は日本海に面した島根半島の海岸沿いを、サイクリング&オブローディングのスタイルで巡っていた。 東西に細長い島根半島の西側を巡るのが、島根県道23号斐川一畑大社(ひかわいちばたたいしゃ)線で、これは全長48.3kmにも及ぶ主要地方道であるが、途中に1箇所の自動車交通不能区間がある。 区間の長さは1.9km。 地図上でも破線になっていたりして、確かに車道は繋がって居なさそうだ。 でも、道自体はあるようなので、ここはスマートに自転車での完抜を狙いたい。 2014/5/20 9:16 《現在地》 私の知らない道、海、川、川。 新しいエリアへ踏み込んだ初日ほどワクワクする日は、

                          【山さ行がねが】道路レポート 島根県道23号斐川一畑大社線 塩津不通区
                        • 【山さ行がねが】ミニレポート第246回 東由利 蔵の洞門 現地調査編

                          洞門トンネルの開通 (東由利町・明治時代) 道の両側に並ぶ人びとの服装は和服あり、洋服あり、笠をかぶったり帽子をかぶったりと和洋折衷。明治中期から末期ごろの撮影と思われる。 この手の写真集には必ず1枚は入っている、トンネル開通の良き日を撮影した写真だ。 「ああ、あのトンネルの生まれた時の姿なんだな」と合点するのが、だいたいのパターンである。 だが、私はこのトンネルに、全く見覚えがなかった。 こんなトンネル、東由利町のどこにあったんだ?! なお、土地鑑のない方に説明すると、由利郡東由利町は、秋田県の南部、出羽丘陵地帯の真っ只中に存在した山あいの町だ。 平成17(2005)年に広域合併し、由利本荘市の一部となったためにもう存在しないが、永く秋田に住んだ私にとっては既知の土地であり、この写真のトンネルを見知っていないことは、それだけで大きな衝撃を受ける出来事だった。 そもそも、秋田県はさほど“明

                          • 【山さ行がねが】道路レポート 山梨県道513号 梁川猿橋線

                            本線は極めてマイナーな道である。 山梨県道513号梁川猿橋線は全長4542mの一般県道であり、地図とその延長と照らし合わせてみる限り既に全線が供用されているようである。地図によっては途中をかなり細い線で描いているものの、国道20号と桂川を挟んで平行するそのルートは、バスも通る生活道路のようだ。 次の地図をご覧頂きたい。 だが、私はこの路線はまだ、本懐を遂げていないと考える。 本当は、梁川駅付近まで伸びたいのではないか? その根拠はずばり、路線名に対し今の県道は中途半端に感じられるという点に第一を置く。 また、地図に描かれた終点の状況も、私の目にはどこか不自然に感じられる。 さらに、古い地形図にのみ描かれた、「その先の道」の存在も重要な根拠である。 ただし、これはあくまでも私の妄想である。 現在の起点は下畑という場所にあるのだが、ここは大字で見るとギリギリ大月市梁川町に掛かっている。本当にギ

                            • 【山さ行がねが】ミニレポート

                              2004.1.1撮影 由利郡東由利町 出羽丘陵に無数に存在する小さき峠も、年々トンネル化が進みその都度旧道が生じている。 その中でも、昭和62年という比較的早い時期にトンネルが開通した白沢峠は、由利郡と平鹿郡を結ぶ重要な路線として、現在でもよく利用されている。 その白沢峠だが、稜線越えの旧道の標高は高々200m。 しかし、私はこの殆ど無名に近い旧道で、手痛い撤退を演じていた。 2002年9月、東由利側からアタックしたものの、ほんの10mほど進んだだけで、猛烈なススキの原に断念。 それ以上進むことが出来なかったのだ。 そして、2004年の元日。 私は再びこの峠にチャレンジする機会を得た。 しかも今回は、あの男も一緒だった。 主要地方道30号「神岡南外東由利線」は、その名が示す町と村を経て県南内陸部を縦断する全長36キロ余りの路線である。 その全線は出羽丘陵地帯にあり、途中いくつかの峠を越える

                              • 【山さ行がねが】ミニレポート第148回 銚子第二発電所 未成水路隧道跡

                                今回は皆様に“ある”廃隧道を見ていただこう。 ここは、私が初見で「踏査不可能」と即断した、曰く付きの場所である。 確かに隧道は存在し、物理的に入れる隙間もあるのだが……。 「我こそは!」と言う猛者の突撃を止めはしないが、くれぐれも無茶はするなよ…。 今回私たち4名(私、細田氏、HAMAMI氏、どら氏)が探索したのは、秋田県北部の十和田山中にある、未成発電水路用隧道である。 かなりマイナーな存在であり、秋田に長く暮らした私も、今回ある新聞記事に掲載されるまで全く知らなかった。 ネタ元は秋田の地方紙「秋田さきがけ」の平成21年8月11日号朝刊文化面に掲載された、「県内戦争の記憶を訪ねて<8>」という野添憲治氏の記事である。 その大まかな内容は、第二次大戦末期に大湯川から十和田湖への導水発電を計画した際に途中まで建設された水路用の隧道が、今も広森川近くの山中に残っているというものだった。 この地

                                • 隧道レポート

                                  明治27年12月1日、後の奥羽本線の一部として建設された奥羽北線の最初の開業区間は、青森駅から弘前駅までの区間であった。 その大部分は広大な津軽平野にあり平坦な線路が続くが、途中一度だけ峠を越えている。 それが、青森市と浪岡町の境を成す大釈迦峠である。 これは、標高100m強に過ぎない丘陵状の峠であるが、その浪岡側には最大25‰の急勾配が控え、秋田青森県境の矢立峠と並び、奥羽北線を代表する難所であった。 この大釈迦峠が、勾配を緩和した新線に切り替えられたのは昭和38年のことであり、昭和40年前後に各所で路線の改廃が進んだ奥羽本線内でも、比較的早く交換された部分である。(災害を原因としない路線付け替えとしては最古) そして、峠を貫く隧道が、取り残された。 奥羽本線で最も早く開業し、いち早く消えていった隧道とは、一体どんな姿なのか。 レポートしよう。 2004年2月18日。 この日の青森は変わ

                                  • 隧道レポート

                                    今回紹介する隧道は、田代隧道という。 これは、県内の森林軌道網を調査する活動の中で発見した林鉄用隧道の一つである。 その由来は、秋田県で最古の森林鉄道である仁鮒森林鉄道の、田代支線という支線上に建設された隧道であり、支線全体の竣工は昭和22年である。 同線は、濁川林鉄の本線が辿る内川の最大支流である田代川に沿って上流を目指す路線で、「日本一の杉」の聳え立つ水沢保護林などが沿線にある。 しかし、本隧道の施工された区間は地形的難所であり、なかなか軌道を建設できない部分でもあった。 それで、軌道開通以前の田代川流域の集材には、当時東洋一と謳われた峯越インクライン設備などを利用し、この急峻地を迂回してきた歴史がある。 2003年11月5日。 朝の空気は静粛としており、吐く息も白い。 私は、ここ二ツ井町南部の仙ノ台にあった。 ここは、内川流域では奥から二番目の集落であり、最も奥の集落は、本流である内

                                    • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                      2003.5撮影 秋田県田代町 白神山地の豊富な森林資源を背景に木材集積地として栄えた早口は、現在でも北秋田郡田代町の中心地的存在である。 かつては奥羽本線から、早口川沿いに延々と山野の奥深くまで林用軌道が伸びていたが、昭和40年代には全て姿を消し、林道によるトラック輸送に切り替えられた。 早口から北へ約10km、早口川沿い最奥の集落である大野の少し手前、高落地区に掛かる橋は、その変遷と共に移り変わってきた歴史を持つ橋である。 今回は、この高落橋をご覧頂こう。 現在、早口から早口側沿いの諸集落を経て大野へと続く道は町道となり、2車線の立派な舗装路となっている。 スカイスポーツのメッカである十瀬山を右に見ながら純農村地帯を北上すること約10km、李岱集落を超えると景色は一転、山々が谷の両脇に迫りいよいよ山深くなってくる。 そして、味噌内林道との分岐を右に見て間も無く、大きな橋に差し掛かる。

                                      • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                        この七座森林鉄道を説明するには、まず地図を見て頂くのが手っ取り早い。 七座林鉄は、県内、いや日本有数の林鉄大ターミナルを構成していた路線である。 その存在がもたらした、長大林鉄相互の運用性が与えた経済効果は計り知れないものがある。 総路線長は8.4km。 昭和22年から昭和42年頃に廃止されるまで、盛んに利用されていた。 本路線は、藤琴森林軌道(藤里営林署 大正元年~昭和38年)、仁鮒林鉄(能代営林署 明治42年~昭和46年)、小阿仁林鉄(合川営林署 大正13年~昭和42年)の三つの路線それぞれ終点である三つの貯木場を繋ぐ三叉線であった。 このうち、米代川と、その支流である阿仁川に面し舟運(筏流しと言った)を担当したのが仁鮒・天神の二貯木場であり、二ツ井貯木場は三カ所の貯木場の中では最大の容積を有し、国鉄二ツ井駅に対する陸送を担っていた。 と同時に、林鉄車輌を整備する機関庫などが完備された

                                        • 【山さ行がねが】廃線レポート 神岡軌道 第二次探索 杉山編

                                          かつて飛騨地方の北辺、高原川沿いの険しい山間部において、軌間610mmという鉱山軌道でありながら旅客営業をも行っていた神岡軌道。 その希有な存在は“参考文献”などによって世に知らしめられ、廃線を愛する人々には広く知られてきたものであるが、その廃線跡の詳細な現状については、全長50km近い総延長や長期間の放置による路盤荒廃のため、ほとんど明らかではなかった。 長大な廃線跡の全貌をこの目で確かめるべく、私と永冨氏が合同して平成20年7月に2日間をかけた最初の探索を行った。 このときの探索目標は、全線中でも特に長く利用され旅客営業も行われていた、猪谷~神岡町間(23.9km)。(右図参照) 探索は一定以上の成果をあげたものの、いかんせん真夏の藪の最も深い時期であったことや、徒歩と自転車という移動手段の貧弱さに苦しめられ、当初予定していた全線踏破には至らず、途中に何か所か「保留」とさせて貰った区間

                                          • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                            2004.5.19撮影 岩手県大船渡市~陸前高田市 岩手県で表題の県道を走行中、奇妙な体験をした。 ご覧頂こう。 広田半島は、鯨歯の様に複雑な海岸線を見せる三陸地方にあり、陸前高田市と大船渡市の境界線になっている。 三陸特有の鋭角な海岸地形と、その隙間を埋めるわずかな白浜。 この組み合わせに合わせ、沢山の集落が小さな半島に乗っかっている。 そこを、点々を繋ぎ、最終的には大船渡と陸前高田を繋いで、国道45号線の補佐的な役割を担っているのが、主要地方道38号「大船渡広田陸前高田線」(県道名ながッ!)である。 そして、半島の中心的な存在なのが、ひょうたん型をした半島の“くびれ”の部分に位置する広田集落である。 ここには小学校や中学校、コンビニなんかもあった。 写真は、広田集落の中心部の交差点から、半島西部への道を撮影。 これは、北側を撮影した写真。 こっちへ進めば、いずれ陸前高田市で国道45号線

                                            • 【山さ行がねが】ミニレポート 第104回 国道49号 揚川隧道

                                              先日は難所「本尊岩隧道」を紹介したが、そのすぐ近くに、やはり現役でありながら老朽化著しい隧道があるので紹介しよう。 その名は揚川隧道。 阿賀野川の屈曲に対し素直に従ってなどいられないとばかり、山襞を貫きショートカットするための、国道49号に付帯する構造物であるが、並行する磐越西線の白崎隧道が大正初期にこれほど内巻きをしているのに比すれば、昭和36年完成の本隧道は、何だか遠慮深い存在に思える(笑)。 単純に車は小回りが利くからこのくらいの隧道でいいでしょ? もしそんな論理が介在したとしたら、その後40年を経てなお現役であり続ける業を少し考えて欲しかった。 なんて言うか、こいつはちょっと困った隧道なのである。 本尊岩方向から車を走らせると、そこには福島・新潟両県の主要な部分を結ぶ重要な国道らしく、十分に立派な道が付けられている。 左はなみなみと水を湛える阿賀野川(揚川ダム)、右は一段上がって単

                                              • 【山さ行がねが】ミニレポート 第107回 新潟県(主)58号 小千谷大和線

                                                新潟県魚沼丘陵一帯にバラバラになった紐のように存在する不通県道たち。 私はこれらを総称して“魚沼丘陵不通ファミリー”と呼んだが、今回はそのうちの一本を紹介しよう。 道路レポ「一般県道178号山ノ相川下条(停)線」の時にも、この路線には触れている。 そこでは、不通区間の南の端である川口町山ノ相川の様子をお伝えした。 よって今回は、不通区間の北端となる小千谷市池ノ平を紹介する。 なお、この主要地方道58号小千谷大和線はその名の通り、小千谷市の岩沢が起点となっており国道117号線に接している。 起点を発した路線は、魚沼丘陵北部を徐々に高度を上げつつ小千谷市南端の池ノ平へ、そこから約1.3km(直線で)の不通区間を挟みつつ川口町山ノ相川に出る。そこからは前出のレポートで紹介している峠越え区間となり、越えて魚沼市下稲倉で国道252号に接続。かつては堀之内町だった。路線はここで終わらず、すぐに国道から

                                                • 村道 安ヶ沢線 (奥産道) 前編

                                                  昨年1月末に発表した道路レポート「奥産道 太田沢内線」を覚えている読者はどれくらいおられるだろうか? もちろん、今からこちらをクリックしてご覧頂いても構わない。 今回のレポートは、その続編と言えるものである。 もっと言えば、前回のレポートと今回のレポートで紹介する道は、いずれ一本の道となる予定であったものだ。 前回紹介したのは、未開通の峠を挟んで太田町側(秋田県側)の区間であったが、今回は反対の沢内村(岩手県側)を紹介したい。 前回レポートの時点ではまだ僅かに工事続行の希望はあったが、その後正式に工事は中止が決定されており、未来永劫これらの道が一つになる希望はない。 工事の中止が決まったこともあり、一年前には分からなかった様々なことが判明してきたので、典型的な未成道路のまとめとして、このレポートを書こうと思う。 この道は、今日、奥羽山脈の中でももっとも秘境度が高く、良く自然が保たれていると

                                                  • 【山さ行がねが】ミニレポート第152回 山形県道279号荒谷原崎線 旧道

                                                    山形県内陸部には山形盆地という日本有数の大きな内陸性盆地が広がっており、これを書いている7月から8月頃にかけては日本有数の酷暑の地となる。 そして東北の例に漏れず、冬は豪雪に閉ざされる。 これだけを見れば決して住み良さそうではないのだが、住めば都ということか、山形盆地こそが数十万人が住まう山形県の中心的な生活圏である。 そんな山形盆地のほぼ中央部にあって交通の枢要を押さえているのが、サクランボや将棋の駒の産地として名高い天童市である。 ここは盆地を南北に貫く羽州街道から、東へ関山峠越えの関山街道が別れており、近世から近代そして現代と、常に人の流れが絶えない。 羽州街道とは現代の国道13号であり、関山街道とは国道48号のことである。 だが、そんな交通の要所であっても、当然のようにそれとは機能を異にし、もっと言えばごくごく地元の人ばかりが使うような道もある。 それは当たり前のことであるが、時に

                                                    • 【山さ行がねが】ミニレポート 第122回 新潟県道387号吉水大和線 岩山不通区

                                                      新潟県は県土が広く、かつ古くから米処として人口涵養力が高かったので、明治期には一府県として東京府を押さえ最大の人口を擁した。 自然と多くの自治体(マチやムラ)が立地したし、それらを結ぶ交通網が発達していた。 今日、新潟県内の道路地図を見ると、驚くほどに県道が多く存在することが分かる。 そして、それらの多くは明治以前からムラとムラを結ぶ道であったり、ムラの米を運び出すための重要な道であった。 特に中越地方はその傾向が顕著であり、某大物政治家の出身地であることから多くの“はした道”が、強引に県道指定されているのだと捉えられがちである。 しかし、この地域の一部は米のトップブランドである「魚沼産コシヒカリ」の生産地であり、そこに古くから多くの人口と自治体が存在したことをふまえれば、必ずしも原因は政治的なものではなさそうである。県道の指定は、自治体の数が多いほどに、多くの路線が指定されやすい傾向にあ

                                                      • 【山さ行がねが】ミニレポート第181回 国道473号 中川橋

                                                        2013/2/1 16:20 【所在地(マピオン)】 ここは国道473号の下川合交差点。 すぐ近くに飯田線の下川合駅があり、正面は下川合の集落である。 そして国道を真っ直ぐ進めば4kmほどで旧佐久間町の中心部である中部地区に辿りつくという、ここは川沿いの静かな集落だ。 今回のミニレポが紹介するのは、この下川合交差点の傍らに架かっている“1本の橋”である。 写真を見ても「橋なんてあるか?」と思うかも知れないが、よく見て!! ← 橋 あ る よ ! 川は少しも見えぬども、対を成す2列の欄干が確かにある。 しかし、その左右の欄干のデザインは余りにも対照的ではないか。 方やコンクリートのごつい堅物、方や橋であることをまるで主張しないガードレール。 まるで2本の別々の橋のようであるが、その路面は連結されているので、1本の橋だよね! 1本の橋の両側の欄干が別年代の物となるケースは珍しいが、例えば1車

                                                        • 廃道探索のドキュメンタリーが映画化 「オブローダー 廃道冒険家」11月公開 : 映画ニュース - 映画.com

                                                          廃道探索の人気DVDシリーズが映画化(C)2014 O project all rights reserved. [映画.com ニュース] 使われなくなり放棄された道「廃道(はいどう)」をテーマにしたドキュメンタリー映画「The Obroaders オブローダー 廃道冒険家」が、11月22日から東京・テアトル新宿にて公開されることが決まった。 オブローダー(廃道冒険家)と呼ばれる、廃道の探索に人生をかけて挑戦する平沼義之と石井あつこが各地の廃道を探索する人気DVDドキュメンタリー「廃墟賛歌 廃道」シリーズを映画化。平沼はオブローディング(廃道探検)の第一人者として、これまで1億PVを超える自身のサイト「山さ行がねが」で廃道を紹介しているほか、「廃道本」(実業之日本社)や「廃道をゆく」シリーズ(イカロス出版)といった著作も出版。廃道カルチャーのカリスマとして、たびたびメディアにも登場してい

                                                            廃道探索のドキュメンタリーが映画化 「オブローダー 廃道冒険家」11月公開 : 映画ニュース - 映画.com
                                                          • 【山さ行がねが】廃線レポート 元清澄山の森林鉄道跡

                                                            仮称“トロッコ谷”での探索を終了させた私の次なる目標は、第三の証言者の地図に示された肉筆の軌道跡上にある、4本の隧道のうちの未知の3本目だ。 同地図によれば、隧道は片倉ダムのすぐ下流の笹川右岸に描かれている。 そして注記には、はっきり「現存」と書かれていた。 そこは地図を見る限り、これまでのトロッコ谷とは違い、幹線道路から簡単に訪れる事が出来そうな沿道の土地である。近くには集落もある。 にもかかわらず、第一の古老もこの隧道のことは語らなかったし、それ以外のあらゆるルートからも、これまで「千葉県に林鉄の隧道がある」という情報が私に触れる事はなかった。 故に、この地図を含む第三の証言を得るまで私は、この千葉県唯一と考えられる林鉄は“トロッコ谷”のような極めて人通りの乏しい秘境内で完結する路線であったために、これまでほとんど知られざる存在であり続けたのだと解釈していた。 それだけにこのような幹線

                                                              【山さ行がねが】廃線レポート 元清澄山の森林鉄道跡
                                                            • 【山さ行がねが】廃線レポート 栗駒山地獄釜の硫黄鉱山軌道

                                                              2018/6/24 7:41 お目当てだった木製軌道現存を確認できたので、今回の探索のもう一つの目的を、これから果たそうと思う。 それは、私が“地獄釜の硫黄鉱山軌道”と仮称しているこの軌道の全貌を確認することである。 いま見たレールは軌道上の起点でも終点でもない途中のどこかだと思われるから、改めて起点と終点の場所を探し出すか、せめて推理の材料を集めたいと思う。 発見したレールの延長線上には、この小さな火口湖がある。 地形図には描かれていないが、13年前も同じくらいの水位があったので、年中水を湛えているのかもしれない。ちなみに手を浸けても温かいような感じは全くしない。 多くの火山が連なる奥羽山脈には多数の火口湖が存在しており、これより大規模かつ著名な物がいくつもあるからここは目立たないが、すばらしい景観ではある。 湖の縁を回り込んで、レールがある溝の出口を対岸に撮影した。 この湖には流入河川

                                                              • 【山さ行がねが】隧道レポート 太郎丸隧道(仮称)

                                                                現地探索の結果、現在の地形図に描かれている太郎丸隧道(仮称)(以下、「新隧道」と呼称)の近くには、これに並行する旧隧道と、さらに古いと思われる旧旧道(掘割)の存在が確認された。 また、太郎丸集落での2人の古老からの聞き取り調査によって、新旧の隧道については以下の情報がもたらされた。 <新隧道に関するAさんの情報> 戦前からあった。 山の裏側の田んぼへ行くための通路だった。 掘ったのは太郎丸集落の住民たち。 丑松洞門は法末の人々が掘ったもので、太郎丸隧道とは無関係。 以上は全てレポート本編で公開済みの情報であるが、情報はこれで全てである。 探索を終えても謎が沢山残った。 新隧道についても、旧隧道についても、旧旧道についても、分からない事が沢山ある。 そこで私は『小国町史(小国町史編集委員会1976)』と『旧版地形図』にこの謎解きの答えを託した。 前者は大著でありながら、太郎丸や法末の隧道につ

                                                                • 【山さ行がねが】橋梁レポート 上小阿仁村南沢の廃水路橋

                                                                  2011/11/10 8:10 《現在地》 予定外の廃“水路”橋にありついた我々は、ドキドキしながらその右岸側の橋頭へよじ登り、そのまま橋上へと近付いた。 橋桁の構造は、下から見て想像した通り、蓋のない開渠(開水路)であり、水路橋としては珍しくない構造である。 もっとも、近年ではこうした構造物はほぼ例外なく“管路橋”となるので、“開水路橋”自体が珍しいものになりつつあるのは確かだ。 比較的なだらかな此岸に較べて、灰内沢対岸はとりつく島のない絶壁であり、橋はそこへ突き刺さるように架かっていた。 当然そこには隧道が想定されるが、ここからも開口部の一部が既に見えており、我々は橋だけでなく、隧道にまでありついたようである。 …もっとも、水路隧道については廃と現役を問わずあまり興味のある対象ではないというのが正直な所であるから、この発見自体には驚きはしなかったが。 水路隧道にはさほど興味はないけれど

                                                                  • 【山さ行がねが】ミニレポート第154回 大貫海浜橋(仮)

                                                                    「大貫海浜橋」という名前は私が仮に付けたものだが、 まもなく実物を目にした皆さんは、 この命名に作為的なものを感じてしまうと思う。 というか、この橋が架かっている場所の名前を書いてしまうと、その時点でメッキははげてしまうのだ。 《現在地》 なんの脈絡もないが、とにかくここを左折する。 看板があって、「大貫海浜児童遊園地」とかいてある。 大貫海浜児童遊園地にあるから、「大貫海浜橋(仮)」である。 …ブラウザは閉じないでね。 もちろん、“タブ”もね。 これが、大貫海浜児童遊園地だっ! ひゅー…… …いざ、入園! 事件現場みたい…。 死 屍 塁 塁 死屍累々。 この公園遊園地には、生きた遊具はないのだろうか。 異様な気配が辺りに漂っている。 すぐ背後は海なのに、渚の音も聞こえない。 周りには人がいるのに、この公園だけが無視されている? 生きた遊具を探して、せまい園内を彷徨う。 それは、 あらわれ

                                                                    • 【山さ行がねが】道路レポート 国道410号 真倉の切割

                                                                      今回紹介したいのは、房総半島の南端を走る国道410号が、洲崎(すのさき)へと連なるその中央分水嶺を越える地点に穿った、「真倉(さなぐら)の切割」と呼ばれている道路である。 東京都心から南南東へ約90km、関東地方では最も温暖な地域にあるこの地域は、今日でこそ交通の便も十分に開け、年中多くの観光客が訪れているが、内房と外房の結節点である館山より南は、交通の面でも長らく「半島の中の半島」と呼べる不利な条件に置かれていたのであって、この「真倉の切割」は、明治期に車馬の交通を辺境へともたらした、画期的な交通施設であった。 今日では切割がある分水嶺の北も南も館山市の一部であるが、昭和29年より前は歴とした市村境だったのであり、南側が安房郡神戸(かんべ)村、北側が(旧)館山市であった。 現在は大字上真倉と大字藤原の境目となっている。 これから現地の風景を紹介するが、天与の地形に人がその英知と胆力をもっ

                                                                      • 【山さ行がねが】ミニレポート第179回 いすみ工業団地の未成道

                                                                        2013/2/1 17:04 【所在地(マピオン)】 先日、房総での探索の帰り道で薄暗くなった いすみ市内を走っていると、こんな分岐に出くわした。 色々とつっこみたい部分があるのだが、まずは左へ分かれていく道が幾らも行かずにガードレールで塞がれていること。 そして塞がれるまでのわずかな余地(交差点の一部である)が、現役のバス停として使われているということ。 さらにこのいすみ市シャトルバスのバス停名が、「工業団地入口」であることをチェックした。 この場所はいすみ市役所から国道465号と広域農道を走り継いで14kmほどの山間部で、鉄道の駅も遠く、はっきり言って広域農道以外に幹線道路はない。 いや、そもそも工業団地を名乗るものが「農道」と名付けられた道だけからしかアクセス出来ないというのは、いかにも不釣り合いというか、歪な開発を感じさせた。 そしてその歪さの答えが… ← この眺めと言うことらし

                                                                        • 【山さ行がねが】道路レポート 群馬県道255号下久屋渋川線

                                                                          2007/9/26 8:32 めくるめく明治隧道との逢瀬を終えた私は、身も心も充足して県道255号現道へと戻った。 そして、再び北へと走り始める。 間もなく林が途絶えて明るい平野が眼前に広がった。 隧道達の生みの親の末裔が住まう、棚下の集落だ。 しかし、今回は棚下集落については深く触れないことにする。 この地は掘り下げると深いのだが、それは次のレポで…。 というわけで、今回は 「変なもの発見!in TANASHITA」 をお伝えしてお茶を濁そうと思う。 まずは村の入口のトウモロコシ畑にて…。 近くで見たくない人、あるいはこの時点でちょっと嫌な感じがするなっていう人は、画像にカーソルを合わせずに次へ進んで欲しい。 待って! 男性ひとのことも、忘れないでね! やべー。 いったいいつの時代のノリだよ…。 この車の「あ~、やっちゃったよ」程度の、悪びれてない表情が怖いくらい素敵。 あと、なんといっ

                                                                          • 【山さ行がねが】道路レポート 磯根崎海岸道路(仮)

                                                                            今回のレポートでは、今まで以上に皆様の調査力をお借りしたいと思っている。 というのも、 これから探索の成果は余すことなくお伝えするが、 それでも謎が沢山残ったのだ。 もちろん、自分なりに関連町村市などを漁ってみたが、成果はわずか。 これを書いている現段階では、正式な路線名さえ分からずじまいなのだ。 今はっきり言えることは… 富津市の東京湾沿いに、正体不明の廃車道が残されているという事実だ。 この探索の契機は、これ以上ないほどに単純だった。 何気なく「ウオッちず」を眺めていたところ、海岸沿いに「車道の特徴を持った歩道」を見つけたのである。 右図を見ていただきたい。 「A」の矢印の先には、紛れもないループ道路が描かれている。 また「B」付近には、これまた車道としか思えないようなゆったりとした線形のカーブ群が描かれている。 いずれも「破線」、つまりは「徒歩道」だが、車道が廃道になって辛うじて歩道

                                                                            • 【山さ行がねが】ミニレポート第281回 吉野川市道の希望橋 後編

                                                                              当サイトは長年にわたってグーグルアドセンスの広告収入をメインの活動費源としておりますが、近年の広告単価の大幅な減少により、レポート内に過剰に多くの広告が掲載される状況が慢性化しておりました。この点を反省し、2023年9月15日頃から広告の表示数を40%程度減らしました。 また、2023年12月中旬から、新たに公開するレポートについて、スマートフォンでも読みやすいデザインへと刷新しました。 当サイトは今後、アマゾンアソシエイトなど物販系アフィリエイトを収益の軸とする考えです。多くの読者様が日常的にAmazonなどのオンラインショッピングを利用されていると思いますが、その際に当サイトの 【リンク】 を経由して頂くことで、リンク先での購入代金の数%がサイトの収益となります。当サイトをご利用の読者様にはぜひ御協力いただきたく思います。さらに2024年には、私が探索で使用している各種のギアを紹介する

                                                                              • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                                                2004.5.12撮影 山形県西置賜郡小国町 国道113号線は、福島県相馬市に端を発し、山形県南部を通り、新潟県新潟市にいたる一般国道である。 私も、その全線を走ったわけではないが、その旧道密度、つまり旧道が現在の道とは別に存在する割合としては、他のどの国道よりも高いと言う実感を持った。 特に、山形県飯豊町から宇津峠を経て小国町、荒川にそって県境を越え、新潟県関川村に至るまでの約50kmについては、その殆ど全線に何らかの旧道が付随していると言っても過言でないほど、とにかく旧道が多い。 それら旧道の由来については、今回のミニレポでは紙幅が足りないので割愛するが、とにかく明治期から使われてきた道が、その時代時代に応じて、徐々に姿を変えてきたと言うことだ。 今回紹介する橋は、そんな道の一つである。 特異な光景を見せてくれているが、あとどれだけ存続できるかは、誰にも分からない。 国道の長いトンネル

                                                                                • 【山さ行がねが】ミニレポート第165回 国道49号旧道 旧旧藤橋

                                                                                  【所在地(マピオン)】 国道49号を会津若松から西へ向かうと、会津平野を離れる直前に、只見(ただみ)川の太い流れを一度横断する。 その先は、新潟平野に出るまで続く広大な山岳地帯であり、旅人は渡河の前にある七折(ななおり)峠と渡河後に現れる藤(ふじ)峠とを自然に見較べ、山国へ踏み込んだ実感を得るのである。 この渡河地点の東を坂本(会津坂下町)、西を藤(柳津町)といい、明治初期の三島通庸県令時代、「会津三方道路」建設の一環として初めて架橋され、藤橋と呼ばれるようになった。 以来ずっと、会津と新潟を結ぶ第一路線である越後街道(会津街道)は、この地を通い続けている。 「柳津町史」によると、本橋は水量豊富な只見川を渡る都合上、かつて頻繁に流出・架け替えを繰りかえしており、現在架かっている藤大橋(昭和58年完成)は、少なくとも9代目の橋であるという。(初代橋は現在の橋の旧旧旧旧旧旧旧旧橋ということに