ビジョンひめゆり平和祈念財団は、ひめゆり平和祈念資料館を運営している財団です。ひめゆり学徒隊の沖縄戦体験を通して、戦争の悲惨さ、命の尊さを伝え、平和への思いを未来につないでいく活動をしています。
旧海軍司令部壕に続いてもうひとつ、沖縄陸軍病院南風原壕群20号に行きました。「壕群」の名の通り、このあたりには約30ほどの横穴壕が作られ、陸軍病院の代替施設として使われたということです。そのほとんどは埋没するか破壊されるかしていて、現在ほぼ当時のままの姿で見ることができるのはこの20号だけのようです。 https://www.pref.okinawa.jp/site/kodomo/heiwadanjo/heiwa/documents/siryou2-2.pdf 黄金森公園の一角にあるこの壕、予約もせずに訪れてしまいましたが、受付の方とガイドの方がいて、壕内を見せてくださいました。旧海軍司令部壕は見学コースが整備されていて気軽に(というと語弊がありますが)入ることができますが、この沖縄陸軍病院南風原壕群20号ではヘルメットと懐中電灯を手渡され、さらに「今日は台風の後で壕内に水が出ていますから
台風一過となってもずっと重い雲が立ち込めていて、ときおり雨も降る天気でしたが、強風はなくなったので沖縄本島の南端まで出かけることにしました。まずは糸満市の平和祈念公園にある沖縄県平和祈念資料館と平和の礎です。……が、到着してみると台風のため公園全体が閉園になっていました。残念です。 気を取り直して、すぐ近くにあるひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館。こちらは開いていました。入り口で花を買ってひめゆりの塔に献花したあと資料館を見学しました。1945年の沖縄戦末期で多数が亡くなった「ひめゆり学徒隊」をはじめとする方々の慰霊碑と、その歴史を伝える資料館です。学徒隊員の母校は沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校で、私はこれまで漠然とかなり小規模な学校(と学徒隊)を想像していたのですが、実際にはとても規模の大きな学校であったことを資料館で初めて知りました。 戦争、とりわけ沖縄戦の悲惨さと恐ろし
津波古ヒサさん(ひめゆり平和祈念資料館提供) 元ひめゆり学徒で、ひめゆり平和祈念資料館の証言員を約30年間務めた津波古ヒサ(つはこ・ひさ)さんが8日午前11時11分、老衰のため、南城市の老人施設で死去した。93歳。那覇市出身。自宅は南風原町宮平。告別式は10日正午から午後0時半、那覇市泉崎2の103の30、サンレー那覇紫雲閣で。喪主は長男嫁悦子(えつこ)さん。 沖縄師範学校女子部本科1年の時、ひめゆり学徒隊として戦場に動員された。米軍に捕らわれた後、沖縄市住吉にあったコザ孤児院に併設された学校の教壇に立ち、戦後は教員として障がい児教育に力を注いだ。教員だった兄を含む11人の親族が対馬丸に乗船し、犠牲になった。 ひめゆり平和祈念資料館の建設に携わり、1989年の開館当初から2019年まで、同館証言員を務めた。 08~10年にかけ現・公益財団法人沖縄県女師・一高女ひめゆり平和祈念財団の評議員も
資料館の入り口には、多くのひめゆり学徒らが犠牲になった「伊原第三外科壕」が保存されているこの記事の写真をすべて見る 1945年3月23日の動員から6月18日に解散命令が発せられるまでに、ひめゆり学徒隊の犠牲者は19人に上った。解散命令後のわずか数日間で、約100人が逃げまどい、追い詰められ命を落とした(荒崎海岸で)(撮影/ジャン松元) 県民約12万人が死亡したといわれる沖縄地上戦。ひめゆり学徒隊は、この悲劇の象徴的な存在といえる。今でも、生き残った元学徒たちの苦しみは消えない。一昨年、戦後世代として初めてひめゆり平和祈念資料館の館長に就任した普天間朝佳さんは、元学徒たちの悲嘆に寄り添い、話を聞いてきた。終戦から75年。静かな闘志で思いを伝え続ける。 * * * 沖縄県糸満市にある、ひめゆり平和祈念資料館の第四展示室。1945年の沖縄戦で命を落とした沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女
沖縄県立平和祈念資料館(おきなわけんりつへいわきねんしりょうかん)は2000年4月に糸満市の沖縄戦跡国定公園の平和祈念公園内に開設された博物館。 1963年、沖縄戦資料館設置期成会が結成され、1971年2月、沖縄戦資料館設置期成会「沖縄戦資料館の設置趣意書」を発表し、1971年6月、沖縄戦資料館設置期成会が「沖縄戦資料展」を開催。1974年3月、沖縄県立平和祈念資料館を竣工し[1]、1974年6月13日に沖縄県立平和祈念資料館設置条例が制定され、1975年6月11日、沖縄国際海洋博覧会開催に合わせて、前身である沖縄県立資料館が開館した。資料館設立の直接の動機は、当時:佐藤内閣の復帰問題対策担当大臣山中貞則総務長官(後の初代沖縄開発庁長官)の意向であったという[2]。その後、沖縄県は「県立平和祈念資料館運営協議会設置要綱」を制定し、1976年6月には学識経験者と県の関係機関職員からなる運営協
沖縄の戦争資料館に行ってきた先日沖縄に日帰りで行ってきまして「沖縄県平和祈念資料館」を訪問してきました。 有名な「平和の礎」がある公園内にある資料館でして、ひめゆり平和祈念資料館(以降「ひめゆり」)も至近にあり、戦争、特に沖縄戦の様子を知りたい方にはおススメの観光エリアです。 お盆休みにひめゆりに行ってきたんですが、沖縄県平和祈念資料館は緊急事態宣言中のため閉館中。非常にもどかしい思いをしましたので、今回、開館していることを確認した上での再訪問となったわけです。 スポンサードリンク 戦時中の空気に興味あり沖縄県平和祈念資料館を訪れて感じたことは2つありました。 (資料館全景) それは、 プロパガンダの恐ろしさ 自虐的な歴史観の気持ち悪さ です。 僕は元々、戦争に興味がありまして、いや、戦争自体に興味があるというよりも、戦時中の空気、つまり政府の考え方や人々の心理に非常に興味があります。コロ
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