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愛甲猛 高校時代の検索結果1 - 12 件 / 12件

  • 元祖“甲子園のアイドル”愛甲猛が「野球コント」を辛口批評「お笑いはアホみたいにたくさん観てます」 - QJWeb クイック・ジャパン ウェブ

    今をときめくお笑い芸人たちの「野球コント」は、元プロ野球選手の目にどう映るのか? そのアウトローなイメージから“球界の野良犬”と呼ばれた元プロ野球選手・愛甲猛氏がコントを語る前代未聞のインタビュー、ここに開幕! 【関連】なぜ多くの芸人が「野球」をコントにするのか──“野球ネタ”の未来を語る徹底討論(ゾフィー上田×ザ・マミィ林田×吉住) 1年生にして強豪・横浜高校野球部のエースとなり甲子園に出場し、3年時には同校にとって初となる夏の甲子園優勝へと導いた。その後は千葉ロッテマリーンズ(当時:ロッテオリオンズ)に入団。途中で野手へ転向し、ゴールデングラブ賞獲得、さらに535試合連続フルイニング出場という当時のパ・リーグ記録を樹立──野球ファンならすぐわかるだろう。“球界の野良犬”愛甲猛氏のことだ。 愛甲 猛 (あいこう・たけし)1962年生まれ、神奈川県出身。横浜高校のエースとして1980年夏の

      元祖“甲子園のアイドル”愛甲猛が「野球コント」を辛口批評「お笑いはアホみたいにたくさん観てます」 - QJWeb クイック・ジャパン ウェブ
    • 愛甲“与太伝説”甲子園Vパレードの翌日…風俗店でサイン会 横浜高時代の盟友が明かす | 東スポWEB

      【気になるアノ人を追跡調査!!野球探偵の備忘録】2015年にスタートした本紙連載「野球探偵の備忘録」が今回、第100回を迎えた。足かけ6年、球界で“気になるあの人”を追跡調査してきた本紙探偵記者が向かったのは、全国制覇5度を誇り、数多くのプロ野球選手を輩出した高校野球界屈指の名門、横浜高校。かつては不良生徒の巣窟だった「ヨタ高」を夏の甲子園初優勝に導きつつ、札付きのワルとしても名をはせた愛甲猛の悪童伝説を、当時の盟友・安西健二が明かした。 「最初に言っときますけど、愛甲の話で世に出てるのは全部実話。誇張も何もありません。むしろヤバ過ぎて出せない話の方が多いくらい。野球部の中にワルがいるんじゃなく、ワルがみんなして野球やってたようなもんですから」 2人の出会いは中学3年の秋。横浜高校入学前の練習参加で顔を合わせるも、お互いを同級生と認識する余裕もなかった。愛甲は入寮が周囲より遅かったこともあ

        愛甲“与太伝説”甲子園Vパレードの翌日…風俗店でサイン会 横浜高時代の盟友が明かす | 東スポWEB
      • 日本統一 - Wikipedia

        『日本統一』(にほんとういつ)は、ライツキューブよりリリースされている、本宮泰風&山口祥行ダブル主演のオリジナルビデオシリーズ(一部作品は劇場公開作品)。最新作は2024年5月25日発売の『日本統一62』[2]。「日本統一10周年記念作品」第1弾として映画『氷室蓮司』(主演:本宮泰風)を2024年4月12日劇場公開。 2019年からスピンオフとして『日本統一外伝』シリーズも製作、リリースされている。 2022年2月25日午前0時、『日本統一』初の公式サイトがオープンした[3]。 2022年9月23日より日本統一初の映画化となった『劇場版 山崎一門〜日本統一〜』が全国順次劇場公開された[4][5][6]。 2023年4月13日深夜より『日本統一 関東編』全10話[7](日本テレビ)を放送[8]。 概要[編集] 横浜出身の不良である氷室蓮司(本宮泰風)、田村悠人(山口祥行)が日本最大の任侠団体

        • 暴走族ヘッドの説教、女性警官が取り調べで涙…“札付きのワル”愛甲猛はなぜ甲子園のスターになれたのか?「野球がなければ間違いなくソッチの道に」(Number Web) - Yahoo!ニュース

          1978年夏、甲子園のマウンドに立つ横浜高校1年時の愛甲猛(当時15歳)。将来を嘱望されていたが、直後に野球部から失踪してしまう photograph by AFLO ケンカ、ギャンブル、野球部からの失踪、警察官による取り調べ……。高校時代、並外れた才能を持ちながら“札付きのワル”でもあった愛甲猛が、道を踏み外さずに野球に打ち込むようになった理由とは。23人の「異端な野球人」に直撃した『プロ野球アウトロー列伝 異端の男たち』(大洋図書)より、一部を抜粋して紹介します。(全2回の1回目/後編へ) 【衝撃写真】ケンカの代償は土下座謝罪…“札付きのワル”なのに超モテモテだった愛甲猛の学生時代。「めちゃくちゃイヤそう」ドラフト会議でロッテに指名された直後の“正直すぎる表情”も見る 札付きのワルだった学生時代 あまたある「野球本」の中で、愛甲猛の処女作『球界の野良犬』(宝島SUGOI文庫)ほどインパ

            暴走族ヘッドの説教、女性警官が取り調べで涙…“札付きのワル”愛甲猛はなぜ甲子園のスターになれたのか?「野球がなければ間違いなくソッチの道に」(Number Web) - Yahoo!ニュース
          • 早実:荒木大輔投手は1安打ピッチングを甲子園大会で2回やっていた! もしノーヒットノーランだったらね〜、、、 : K-UNIT 情報局

            2020年、日本一の福岡ダイエーホークス、工藤公康監督は名古屋電気高校時代、夏の全国高校野球大会でノーヒットノーランをやっています。 日本シリーズで負けた読売ジャイアンツのピッチングコーチ、杉内俊哉氏も鹿児島実業時代に夏の大会でノーヒットノーランをやっております。 そして杉内俊哉氏は、次の試合で優勝した横浜と対戦し敗れ、その横浜のピッチャーだった松坂大輔氏も同じ夏の大会、それも決勝戦でノーヒットノーランをやっのけました。 夏の大会はこの松坂大輔氏の1998年が最後で、春はダルビッシュ有氏の2004年を最後に、甲子園全国大会でノーヒットノーランを達成したピッチャーは、出ておりません(2020年現在)。 それほどノーヒットノーランは希少な大記録であり、学生野球でも社会人野球でもプロ野球でも、達成したピッチャーは名前が残り続けます。 そんな凄い記録を持つ松坂大輔氏の母親が、大ファンだったので自分

              早実:荒木大輔投手は1安打ピッチングを甲子園大会で2回やっていた! もしノーヒットノーランだったらね〜、、、 : K-UNIT 情報局
            • 【高校野球】横浜高が決勝逆転負け 審判の微妙判定にOB上地雄輔&愛甲猛氏が即反応(東スポWEB) - Yahoo!ニュース

              9回の攻防が運命を分けた。第105回全国高校野球選手権・神奈川大会は26日、横浜スタジアムで決勝が行われ、今春の選抜大会に出場した慶応が6―5で横浜を破り、5年ぶり19回目の夏の甲子園出場を決めた。 【写真】土砂降りの雨の中野球をする上地雄輔と松坂大輔 慶応は2点を追う9回に先頭の代打・安達が左前打で出塁。続く丸田の打球は二塁正面に転がり4―6―3と転送されたが、遊撃手の緒方が二塁ベースを踏んでいないとジャッジ(記録は遊撃手の失策)されてオールセーフ。犠打で一死二、三塁と好機を広げ、3番の渡辺千が逆転3ランを左翼席に放り込んで勝負を決めた。 中継映像では緒方がベースを踏んでいなかったかどうか明確に確認できなかっただけに、二塁塁審の判定には横浜高野球部OBから異論が噴出。高校時代、松坂大輔とバッテリーを組んだタレントの上地雄輔は自身のツイッターで「9回の1つの審判のジャッジから流れが変わって

                【高校野球】横浜高が決勝逆転負け 審判の微妙判定にOB上地雄輔&愛甲猛氏が即反応(東スポWEB) - Yahoo!ニュース
              • 松坂大輔、筒香嘉智ら...横浜高校歴代ベストナインを名参謀・小倉清一郎が選出。「化け物だと思った唯一の人物」は?

                甲子園春夏合わせて5度の全国制覇を成し遂げた名門・横浜高校野球部の監督・部長を歴任し、数多くのプロ野球選手を輩出してきた小倉清一郎氏。横浜高校野球部の生き字引とも言える小倉氏に、教え子のなかから「歴代ベストナイン」を選んでもらった。 横浜高校時代、3年間で69本塁打を放った筒香嘉智この記事に関連する写真を見るピッチャー:松坂大輔(元西武ほか) 横浜の歴代エースからひとりを選ぶなんてできないが、甲子園春夏連覇の実績で松坂にした。松坂はボールこそ速かったが、コントロールもよくなかったし、入学当初はそこまですごい投手ではなかった。ただ、松坂は体力があった。教え子のなかでも相当鍛えたひとりであることは間違いない。もちろん、愛甲猛(元ロッテほか)や成瀬善久(元ロッテほか)、涌井秀章(楽天)など、思い出深い投手はたくさんいるが、今回は甲子園の活躍ということも含めて松坂にした。 キャッチャー:吉田博之(

                  松坂大輔、筒香嘉智ら...横浜高校歴代ベストナインを名参謀・小倉清一郎が選出。「化け物だと思った唯一の人物」は?
                • 遊びがうまいのも一流の条件? プロアスリートの“性欲処理” - Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

                  遊びがうまいのも一流の条件? プロアスリートの“性欲処理” スポーツ 投稿日:2013.08.22 07:00FLASH編集部 「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」――このことわざの起源は「健全なる精神が健全なる肉体に宿ればいいのに」とまったく逆の意味だった。アスリートは、あり余る体力と強靭な体をどうセックスに生かしているのだろうか? 日本を代表するスポーツアスリートといえば、プロ野球選手。横浜高校でエースとして甲子園優勝、プロではロッテと中日で活躍した愛甲猛氏(51)は次のように語る。 「秋田でのデーゲーム後にタニマチがソープを貸し切りにしてくれたことがあった。ロッテと日ハムの選手が大量に鉢合わせした(笑)。一発終わってから、またクラブやスナックで女をつかまえてホテルに連れて帰る。口説き文句は『明日のチケットあげようか?』。翌日、家族席が飲み屋のお姉ちゃんばかりになっていた」 野球選手の

                  • 松坂大輔のプロ初登板「165キロ出てた」 対戦の片岡篤史氏が振り返った「怪物ぶり」

                    プロ野球の西武は2021年7月7日、今季限りで松坂大輔投手(40)が現役を引退することを発表した。松坂引退の報を受け、球界や芸能界から労いの声が相次いだ。 松坂は横浜高校時代に甲子園で春夏連覇を果たし、98年のドラフト1位で西武に入団。06年オフにはポスティングシステムでメジャーリーグ・レッドソックスに移籍した。15年に日本球界に復帰し、ソフトバンク、中日と渡り歩き19年オフに古巣西武に復帰。20年以降、西武では1軍での出場はなかった。 先輩・愛甲氏「横高魂やね」 西武はこの日、球団公式サイトで松坂の引退を発表し、渡辺久信ゼネラルマネジャー(GM)がコメント寄せた。 渡辺GMは「このような決断に至り、本人も大変悔しい思いをしています」と松坂の胸中を思いやり、松坂が昨年7月に頸椎(けいつい)の手術を受けてからメットライフドームで勝利することを目標に厳しいリハビリに耐えてきたことを明かした。

                      松坂大輔のプロ初登板「165キロ出てた」 対戦の片岡篤史氏が振り返った「怪物ぶり」
                    • 原辰徳氏と愛甲猛氏は、1980年のドラフト同期入団 - 楽隠居は電気羊の夢を見るか?

                      原点 原辰徳 野球 posted with カエレバ TB-store Yahooショッピングで調べる Amazonで調べる 楽天市場で調べる 1980年のドラフト会議の目玉は、東海大相模→東海大の7年間、江川卓氏に継いで日本中の野球ファンから注目され続けた原辰徳氏。 原辰徳氏は高校時代、春夏甲子園での日本一はありませんでしたし(2年春の選抜準優勝が最高)、東海大でも首都大学野球リーグでは春秋通算7回の優勝でしたが、日本一はありませんでした。 1年時の1977年、全日本大学野球選手権大会では、石毛宏典氏のいた駒大に延長10回の末に敗れ準優勝。同年の明治神宮野球大会も決勝で江川卓氏擁する法大に敗退し、こちらも準優勝に終わっています。 2年時の全日本大学野球選手権大会では、準々決勝で優勝した明大に敗退。3年時も準決勝で準優勝の早大に敗退。4年時も準々決勝で優勝した明大に敗れ、東京六大学リーグ優

                        原辰徳氏と愛甲猛氏は、1980年のドラフト同期入団 - 楽隠居は電気羊の夢を見るか?
                      • 新・なんJ用語集 Wiki*

                        概要 投手が攻撃で塁に出ると、休む時間が減る、投球練習も出来ない、走塁中のアクシデントで怪我をする可能性がある、などのリスクが発生する。 そのためプロ野球の投手は打撃が軽視される傾向があり、最低限求められるスキルもランナーを送ったりスクイズを仕掛けるためのバントくらいであり自動アウトと化しても致し方ないという風潮がある。 しかし当然ながら味方が点を取ってくれないと勝てないので、「ムエンゴならば自分で点を取って勝つのが当然」などの煽りが生まれ、転じて投手が自ら打点を上げること全般を「ムエンゴ」にかけて「ジエンゴ」と呼ぶようになった。 なお下記の例のようにエースと呼ばれる選手は元々打撃に優れている選手が多かったこともあり*1、里崎智也(元ロッテ)などは「ジエンゴは投手の必須スキル」と主張している。 投手として伸び悩んだり、故障などをきっかけに打者転向する例は多く、主な例としては OB 川上哲治

                          新・なんJ用語集 Wiki*
                        • 1980年春の選抜は帝京、夏は早実の東京勢が準優勝だった! - 楽隠居は電気羊の夢を見るか?

                          荒木大輔のいた1980年の甲子園 [ 元永 知宏 ] posted with カエレバ 楽天市場で検索 Amazonで検索 Yahooショッピングで検索 帝京の伊東昭光投手が1年だった1979年夏、城西が後の広島カープの高橋慶彦投手を擁し初出場以来の、5年ぶり二度目の優勝を果たし甲子園に出場。 城西は準々決勝まで勝ち上がるも、優勝した箕島に敗れベスト8で敗退。それでも当時、城西は東京の私学の野球新興校の中では、帝京や二松学舎、関東第一より早く全国で名を馳せました。 一方、帝京はまだ夏の甲子園出場はなく(選抜は1度出場。1回戦負け)、この夏の東東京大会も4回戦敗退(とんねるず、石橋貴明氏が補欠選手だった)。 新チームになった秋季東京大会で、帝京の1年生エースの伊東昭光投手は好調で、日大二、桜美林、そして昨年の夏の決勝で逆転で敗れた早実を撃破し決勝進出。二度目の春の選抜出場に近づきました。 熱

                            1980年春の選抜は帝京、夏は早実の東京勢が準優勝だった! - 楽隠居は電気羊の夢を見るか?
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