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支那事変の検索結果1 - 9 件 / 9件

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支那事変に関するエントリは9件あります。 歴史日本中国 などが関連タグです。 人気エントリには 『新聞社・通信社が戦前・戦中に発行した写真集~~『関東震災画報』『時局及排日ポスター写真帖』『支那事変写真帖』』などがあります。
  • 新聞社・通信社が戦前・戦中に発行した写真集~~『関東震災画報』『時局及排日ポスター写真帖』『支那事変写真帖』

    戦前・戦中に新聞社が多くの写真集を出版している。新聞社のカメラマンが国内外で撮影したものがほとんどだと思うのだが、言葉で書くよりも現場で撮影された一枚の写真の方がはるかに説得力があるので、時々覗いていい写真があればブログの記事に利用させて頂いたりしている。 戦前・戦中に新聞社が編集した書籍についてはいずれも著作権保護期間が終了しているのだが、国立国会図書館デジタルコレクションのルールでは、保護期間を終了した出版物のデジタルデータはネット公開されることになっているものの、未だに公開されていないものが少なくない。今回は、貴重な写真だと思うものをいくつか紹介させて頂く。 大阪毎日新聞社刊『関東震災画報』 関東大震災に関してはいくつかの新聞社が写真集を刊行しているが、大阪毎日新聞社の『 関東震災画報 』全三巻のうち二巻がネット公開されている。ほとんど画像ばかりの本なのだが、迫力のある写真が少なくな

      新聞社・通信社が戦前・戦中に発行した写真集~~『関東震災画報』『時局及排日ポスター写真帖』『支那事変写真帖』
    • 戦前・戦中に出版された読売新聞社の『支那事変実記』、『海戦 : 大東亜海戦記』を読む

      2020年の新聞の発行部数ランキングでは読売新聞は776万部で第1位であるが、Wikipediaによると1938年の朝刊発行部数は100万部、1944年は191万部であったという。読売新聞はどちらかというと戦後大幅に発行部数を伸ばした新聞社であり、当時の発行部数は朝日新聞、毎日新聞の方が上であった。 世界情勢や時事問題に関する出版物については、朝日新聞社や毎日新聞社の二社が他社を圧倒していたが、読売新聞社は戦争に関する分野に関しては多くの本を出版していた。しかしながら、その多くがGHQによって焚書処分されている。 以前このブログで、支那事変(日中戦争)に関する書籍の多くがGHQによって焚書され、その多くが今もネット公開されていないことを書いたことがある。読売新聞社が出版した『支那事変実記』は、支那事変について従軍して取材した記者たちの記録を編纂したものだが、全十五冊 のうち十二冊がGHQに

        戦前・戦中に出版された読売新聞社の『支那事変実記』、『海戦 : 大東亜海戦記』を読む
      • GHQ焚書に描かれた、支那事変(日中戦争)における支那軍の戦い方

        当時の支那軍の兵力は世界最大規模であった 小学生であった頃に実家の寺の世話方さんから少しだけ戦争の話を聞いたことがある。5分程度の短い話だったと思うが、実際に支那事変に行かれた方で「南京大虐殺なんかなかった。新聞は嘘を書いている」「支那兵は弱くて、すぐに逃げた」と言う話が今も記憶に残っている。 支那軍は陸軍兵士の数では世界最大規模であった。GHQ焚書の『北支事変』に他国と比較した数字が出ている。 陸軍常備兵力は、ソヴェット・ロシアが百六十万(歩兵八十五個師団、騎兵二十個師団)、それからずっと下って、フランスの六十万(植民地守備軍十九満を含む)であるのにくらべて、支那陸軍の二百二十五万、ほかに共産軍二十万余、合計約二百五十万とは何たる驚異的数字でありましょう。…中略…各地おしなべて六百種程度の税目にわたって、人民の財布から搾り上げていることは、いつわりのない事実であります。それでなくてはどう

          GHQ焚書に描かれた、支那事変(日中戦争)における支那軍の戦い方
        • GHQに封印された支那事変の真実~~武藤貞一著『日支事変と次に来るもの』

          盧溝橋事件直後に出版されたベストセラー 前回に引き続いて武藤貞一のGHQ焚書を紹介したい。以前にも書いたが、武藤貞一は 戦前の昭和十一年から「大阪朝日新聞」の論説委員となり、「天声人語」欄を執筆。昭和十四年に「報知新聞」の主筆となり、戦中の昭和十七年に読売新聞社編集局顧問となっているジャーナリストで、今回紹介させて頂く書籍は『日支事変と次に来るもの』(GHQ焚書)である。タイトルの「日支事変」は、戦後の教科書などでは「日中戦争」と書かれているが、当時は「支那事変」あるいは「北支事変」とも呼ばれていた。 この本が刊行されたのは昭和十二年(1937年)九月七日で、支那事変のきっかけとなった盧溝橋事件からちょうど二か月後にあたる。私の手元にある本は同年九月十五日の日付で第四刷となっているが、当時の新潮社の書籍は印刷部数が明記されていて、初刷五万部、二刷二万部、三刷三万部、四刷三万部とあり、わずか

            GHQに封印された支那事変の真実~~武藤貞一著『日支事変と次に来るもの』
          • 支那事変でユダヤ人は何をしたのか~~「国際秘密力研究叢書」を読む2

            今回は「国際秘密力研究叢書」シリーズの二回目で、赤池濃著『支那事変と猶太(ユダヤ)人』(国際秘密力研究叢書4:昭和14年刊)を紹介したい。著者の赤池濃(あかいけ あつし)は内務官僚で、朝鮮総督府の内務局長、警務局長などを歴任後、大正十二年(1923)から貴族院議員を務めた人物である。 支那排日とユダヤ人 赤池濃(Wikipediaより) 以前このブログで、GHQ焚書リストの中から外国に関する本を分類すると、圧倒的に中国に関する本が多いことを書いた。テーマ別では支那事変に関する本の数が群を抜いており、今回は『支那事変と猶太人』の第三章で、支那の「援支排日」について述べている部分を紹介したい。 支那事変は大事(おおごと)となった。この戦で支那が負けて、蒋政権が没落すれば、ユダヤ人は多年扶植した利権を失い、せっかくの建設も台無しとなる。真にサッスーン一派の死活問題たると同時に、英国にとって盛衰の

              支那事変でユダヤ人は何をしたのか~~「国際秘密力研究叢書」を読む2
            • 支那事変でわが国が「敵国」と認識していたのはイギリスだった~~「戦争文化叢書」を読む1

              今回は『戦争文化叢書』の中から、小倉虎治著『対英戦と被圧迫民族の解放』という本を紹介したい。タイトルからして明らかにイギリスを敵国と認識している本である。 この本の序文に「現代日本の最大課題は実に如何にイギリスを打倒すべきやにある。但しこれは決してソヴィエトを看過するわけではなく、それをも同時に打たねばならぬところにわが国の逢着せる現下の困難がある」とあるように、著者はわが国の敵国をイギリスとソ連の二国であると捉えていた。ではなぜ、この二国を敵国と考えたのであろうか。著者はこう述べている。 イギリスはソヴィエトと並んで支那事変を惹起せるのみならず、これを長期戦に導いた元凶である。従って事変の長期化に悩める日本として、イギリスを打倒しなければならぬということは自明の理のごとく考えられる。当面の問題としては、ただ、如何にしてこれを倒すべきやの具体策に帰着するのみである。 しかるに日本の現状に於

                支那事変でわが国が「敵国」と認識していたのはイギリスだった~~「戦争文化叢書」を読む1
              • 東洋史研究者が書き残した支那事変体験記『上等兵と支那人』(GHQ焚書)~~その1

                中谷英雄 著『上等兵と支那人』,清水書房,昭和18 GHQが焚書処分した支那事変の体験記録はいくつかあるが、今回は『上等兵と支那人』という本を紹介したい。著者の中谷英雄は京都帝大の東洋史科を卒業後長野県の飯山中学校に奉職したが、昭和十三年に召集令状が届き、遺書も書かずに唐詩選を携えて北支那に出陣したという人物だという。支那人についての観察が結構興味深いのでいくつか紹介させていただく。 形式主義 支那人は我々にとっておかしい程形式を尚ぶので、その豹変振りは白々しく感ぜられる。だから余りに真っ正直に受けとっては間違いを生じることが多いので、欺かれたと腹を立てても、先方じゃ一向欺いた心算ではないんだから誤算の生じないようにしなければならない。 お茶を飲んでいると一杯如何というし、御飯を食べていると一碗如何というし、他家を訪問して並べてある家宝を褒めるとどれでも持って帰って呉れというので、これを正

                  東洋史研究者が書き残した支那事変体験記『上等兵と支那人』(GHQ焚書)~~その1
                • GHQが焚書処分した日中戦争に関する本~~本多熊太郎『欧洲情勢と支那事変』

                  「支那事変」は、昭和十二年(1937年)七月七日の盧溝橋事件から始まった日中紛争を意味するが、当初は「北支事変」と呼ばれ、戦域が拡大してから「支那事変」あるいは「日支事変」と呼ばれるようになり、戦後は「支那」という言葉は避けて「日華事変」と呼ばれるようになったが、1970年代からは「日中戦争」と呼ばれるようになっている。これほど読み方の変わった紛争は珍しいと思う。 『支那事変聖戦写真史』忠勇社 昭和13年刊 より(コマ番号102/111) このブログで、GHQが焚書処分した書物のうち、外国に関するものでは中国に関する本が圧倒的に多いことを書いた。その中でも日中戦争に関する書物は、本のタイトルに「支那事変」「日支事変」「北支事変」を含むものだけで133点もある。 この紛争に関して、GHQがこんなに多くの書物を焚書処分したということは、戦後の一般的な歴史叙述には、これらの書物に書かれていた真実

                    GHQが焚書処分した日中戦争に関する本~~本多熊太郎『欧洲情勢と支那事変』
                  • 中国からの留学生が書き記した支那事変体験記『敗走千里』(GHQ焚書)

                    復刊された『敗走千里』 GHQが焚書処分した本の中に、日本に留学していた中国人が帰省時に徴兵されて、支那事変を戦った手記が残されている。『敗走千里』という名の本だが、五年ほど前にハート出版から復刊されているので、すでに読まれた方も多いかもしれない。 著者の陳登元は十四、五才の時に来日し、日本の大学に進学して昭和十三年には卒業する予定であったのだが、支那事変が拡大したのを心配して一度郷里に戻ったところ、強制的に兵隊にとられて戦線に送られてしまう。二カ月ほど兵隊生活を送り、かなりの重傷を負って病院に収容され、傷も良くなってからこの本の原稿を書き、日本でお世話になった大学教授に送ったのだが、昭和十三年(1938年)三月にこの原稿が翻訳されて刊行されるや、百万部を超える大ベストセラーとなったという。 中国兵の徴兵 初めに紹介するのは、彼が兵隊にとられる場面である。 わが国なら戸籍に基づいて召集令状

                      中国からの留学生が書き記した支那事変体験記『敗走千里』(GHQ焚書)
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