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教養学部の検索結果1 - 6 件 / 6件

  • 東京新聞の報道に対する抗議文について : 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部

    2022(令和 4)年 8 月 5 日 総合文化研究科・教養学部 学生のみなさま 学生保護者のみなさま 教職員のみなさま 総合文化研究科長・教養学部長 森山 工 今般、 ある一人の前期課程学生から、 新型コロナウイルス罹患によって授業を欠席したに もかかわらず、 コロナ欠席としての救済措置を受けることができず、 当該授業科目の単位を 修得し損なったという主張がありました。当該学生は、この主張を新聞(東京新聞)や記者 会見において一方的に提起しています。 教養学部としては、当該学生のこの自己認識と主張が誤ったものであることを先方に説 明してきましたが、 にもかかわらず当該学生は、 上記のような一方的な措置に及びました。 教養学部では、一方的な主張のみを採用して本件を記事とした東京新聞に別紙のような 強い抗議をおこない、訂正と謝罪を公式に求めたところでした。ついては、この抗議文をこ こに開示い

    • おっさんエンジニアの放送大学教養学部に入学記録6(3年目後期終了) - 勘と経験と読経

      2020年4月から放送大学の教養学部「人間と文化コース」に入学して、これまで勉強してこなかった人文系の勉強を始めている。3年目後期が終わったので感想をまとめておく。最近IT業界界隈でも放送大学に関する記事が増えてて興味深い 目次 最近、技術者界隈でも放送大学の記事をちらほらと見るようになった 3年目後期に受講した科目 現代の危機と哲学(’18) アメリカの芸術と文化(’19) 中高年の心理臨床(’20) 来期(4年目前期)の予定 これまでの記録 受講の感想 これまで受講した科目 最近、技術者界隈でも放送大学の記事をちらほらと見るようになった 技術者ということで「情報」コースを履修している人がほとんどだけれども、いろいろ情報が出てきて参考になる。取りたい科目が増えてしょうがない kernhack.hatenablog.com note.com 放送大学いいですよ。 さて、それでは自分はどうだ

        おっさんエンジニアの放送大学教養学部に入学記録6(3年目後期終了) - 勘と経験と読経
      • 72歳放送大生、20年かけ教養学部全6学位取得 | 中国新聞デジタル

        放送大広島学習センター(広島市中区)…

          72歳放送大生、20年かけ教養学部全6学位取得 | 中国新聞デジタル
        • 早稲田大学国際教養学部の入試問題に詩人・最果タヒさんのエッセイが出題される→そのことを知らされた最果タヒさん本人が入試問題にチャレンジ

          リンク Wikipedia 最果タヒ 最果 タヒ(さいはて たひ、1986年 - )は、日本の詩人、小説家。女性。兵庫県神戸市生まれ。 中学生のときからブログで文章を書き始める。書いていた文章に対して読者から「これは詩として発表できるのでは」と言われ、詩の雑誌への投稿を勧められるようになる。 2005年、『現代詩手帖』2月号の新人作品欄に初投稿、入選した。その後も投稿を続け、2006年に優秀な投稿者に贈られる第44回現代詩手帖賞を受賞。2007年、第一詩集『グッドモーニング』(思潮社)上梓。2008年、京都大学在学中に『グッドモーニング』によ 9 users 4

            早稲田大学国際教養学部の入試問題に詩人・最果タヒさんのエッセイが出題される→そのことを知らされた最果タヒさん本人が入試問題にチャレンジ
          • 東大教養学部の集中講義『歴史学の思考法』

            高校日本史の教科書で、鉄砲伝来の記述として正しいのはどちらか? 1543(天文12)年、ポルトガル人の乗った船が、九州南部の種子島に漂着した。 1543(天文12)年、ポルトガル人を乗せた中国人倭寇の船が、九州南部の種子島に漂着した。 答えは、どちらも正しい。Aは、1980年代の記述で、Bは近年のものになる。 だが、イメージが違ってくる。Aだと、ポルトガル人を乗せた西洋の船が漂着した、と想起されるが、Bの場合だと、橋渡し役として倭寇が登場する(※)。 なぜ、記述が変わったのか? 新たな史料が発見されたのか? 新しい史料が発見されたわけではない。南浦文之『鉄砲記』とガルヴァン『新旧発見記』とで、漂着した年に差はあるが、根拠となる史料は変わっていない。 同じ史料に基づいているにもかかわらず、昔の教科書では「中国人倭寇の船に乗って」いなかったのはなぜか? 史料を読み取る側の変化 東大教授陣の『歴

              東大教養学部の集中講義『歴史学の思考法』
            • 「美術館女子」は何が問題だったのか - 教養学部報 - 教養学部報

              加治屋健司 アメリカの作家ジョン・アップダイクの小説に「美術館と女たち」(一九六七年)という短編がある。主人公の男が、自分の母や妻、女友達と美術館を訪れたときのことを語る話である。少し前に「美術館女子」という言葉がSNS上で「炎上」したとき、この短編のことを考えずにはいられなかった。本稿では、「美術館女子」とは何だったのか、そして何が問題だったのかを考え、最後にアップダイクの小説の問題に戻りたい。 「美術館女子」というのは、読売新聞と全国の公立美術館約一五〇館が加盟する美術館連絡協議会が企画した特集である。AKB48チーム8(AKB48内のグループで各都道府県から一人ずつ選出されるチーム)のメンバーが「各地の美術館を訪れ、写真を通じて、アートの力を発信していく」というもので、美術館が好きな女性を意味する「美術館女子」を導き手として、写真とともに、美術や各地の美術館の魅力を伝えようとする企画

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