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牧野省三の検索結果1 - 5 件 / 5件

  • 「ドラクエII」タイアップ曲でデビューし,新星の輝きに圧倒され表舞台を去った牧野アンナさんが目指すもの ビデオゲームの語り部たち:第34部

    「ドラクエII」タイアップ曲でデビューし,新星の輝きに圧倒され表舞台を去った牧野アンナさんが目指すもの ビデオゲームの語り部たち:第34部 ライター:大陸新秩序 ライター:黒川文雄 カメラマン:畑沢亮太 今回の「ビデオゲームの語り部たち」では,振付師の牧野アンナさんに話をうかがった。牧野さんは,父のマキノ正幸氏が立ち上げた沖縄アクターズスクールでレッスンを重ね,ファミリーコンピュータ用ソフト「ドラゴンクエストII 悪霊の神々」のタイアップ楽曲「Love Song 探して」でデビュー。その後,安室奈美恵さんも在籍したアイドルグループのSUPER MONKEY'Sのメンバーを経て指導する側に回り,現在は自身が立ち上げたエンターテイメントスクール「ラブジャンクス」を運営している。 そんな牧野さんと筆者(黒川)には,30年以上も前に接点があった。牧野さんが歌った「Love Song 探して」はアポ

      「ドラクエII」タイアップ曲でデビューし,新星の輝きに圧倒され表舞台を去った牧野アンナさんが目指すもの ビデオゲームの語り部たち:第34部
    • 津川雅彦さんが死去 俳優、映画監督 | 共同通信

      映画「マルサの女」「ひとひらの雪」など、二枚目から悪役まで幅広い役で存在感を示した俳優の津川雅彦(本名・加藤雅彦)さんが4日、心不全のため死去した。78歳。京都市出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は俳優で長女の真由子さん。 祖父が「日本映画の父」と呼ばれた牧野省三監督、叔父はマキノ雅弘監督という芸能一家に生まれ、幼いころから舞台や映画に出演。1956年の映画「狂った果実」への出演を機に役者の道へ本格的に進み、二枚目俳優として人気を博した。 妻は4月に亡くなった俳優の朝丘雪路さんで、11年に死去した俳優長門裕之さんは兄。

        津川雅彦さんが死去 俳優、映画監督 | 共同通信
      • 津川雅彦が解説。邦画とアニメ、なぜ世界でここまで差がついたのか-PR-

        衝撃的な言葉から始まりましたが、これは、これまで数々の日本映画に出演してきた津川雅彦氏が話してくれた言葉。 津川氏といえば、日本映画の父と言われる牧野省三氏を祖父に持ち、1956年に映画『狂った果実』でデビュー。それ以来数々の日本映画で存在感のあるキャラクター演じてきた名優。さらに映画『旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ』などでは、監督・マキノ雅彦としてメガホンを取っています。 そんな津川氏が、現状の日本映画を壊滅状態にあると話し、以下のような思いを持っていると話してくれました。 津川氏「日本の映画が欧米だけに限らず、韓国、インド、イランにも負けている。それが壊滅状態のひとつの証。何で負けているかと言うと、市場で負けている。日本映画は世界の市場に出て行っていないということ。 どうすれば世界の市場に出ていけるのかと言ったら、簡単に言うとセリフのいらない映画。セリフがなくてもストーリーがわかる

          津川雅彦が解説。邦画とアニメ、なぜ世界でここまで差がついたのか-PR-
        • 「左翼がダメにした」!? ~津川雅彦が語る痛快!日本映画発祥の地・京都(1/3ページ) - MSN産経west

          「左翼が日本映画をダメにした」「老人より若者の入場料を割り引け!」。保守寄りの論客として知られる映画監督で俳優、津川雅彦氏(73)が、出身地である「日本映画発祥地・京都」に関連してこんな興味深い発言を行った。“日本映画の父”で映画プロデューサーの牧野省三氏を祖父に持つサラブレッド。かつての輝きを失った日本映画界に改めて物申した格好だ。「警察、市民、ヤクザ…みんな誇りのため結束した」 発言は、先月下旬に行われた「京都国際映画祭」(来年秋開催)の準備委員会発足会見でのこと。前身の京都映画祭時代などを含め約40年続く、映画制作スタッフを顕彰する「牧野省三賞」のプレゼンターとして現在も京都映画界に深く関わっている。 まず、日本映画発祥の地である京都の全盛期(昭和20~30年代?)の光景について、「四条大橋あたりでロケーションをしていますと、警察の人が出てきて『本番!』といって市電を止めてくれるんで

            「左翼がダメにした」!? ~津川雅彦が語る痛快!日本映画発祥の地・京都(1/3ページ) - MSN産経west
          • 狂つた一頁 - Wikipedia

            『狂つた一頁』(くるったいちぺいじ[4]、小書き表記:『狂った一頁』)は、1926年(大正15年)9月に公開された日本のサイレント映画である。監督は衣笠貞之助、主演は井上正夫。衣笠が横光利一や川端康成などの新感覚派の文学者と結成した新感覚派映画聯盟の第1回作品で、日本初の本格的な前衛映画(アヴァンギャルド映画)である[5]。精神病院を舞台に、過去の心的外傷で精神を患い入院した妻を見守るために、その病院で小使として働く老人を主人公とする家庭悲劇の物語が、過去と現在、幻想と現実、狂気と正気を交錯させながら展開される[6]。 物語は松沢病院を見学した衣笠の発案によるもので、川端、衣笠、犬塚稔、沢田晩紅の4人の共同で脚本が作成され、撮影終了後に川端名義でシナリオが雑誌上に発表された。衣笠がプロデューサーを兼任した自主製作映画として作られ、撮影は1926年(大正15年)5月に松竹下加茂撮影所を借りて

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