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  • 「多様な価値観」は絵空事? 現代思想が犯している本質的な誤ち(竹田 青嗣)

    現代思想の行きづまりを打破し、根本的に刷新する——。哲学者・竹田青嗣氏が、哲学のまったく「新しい入門書」であるとともに、「新しい哲学」の扉を開くための書を目指して書いたのが、現代新書の新刊『新・哲学入門』です。同書から、相対主義を批判し、現代哲学の挫折の本質を看破する第1章の一部をお届けします。 相対主義の根本的な誤り *現代思想における相対主義は、哲学の「普遍洞察」の考えを、独断論あるいは形而上学として批判してきた。理由は一つで、相対主義自身が、認識を、「本体」の認識かその不可能のいずれかしかないと考えるためだ。しかしこれは誤りである。 人間だけが言語ゲームによって世界を描く。その意味は、言語は世界を写す「鏡」ではありえず、ただ世界の「絵」を描くことができるだけだ、ということである。独断論と相対主義は、そもそもこの事態への根本的な無理解から現われる。 *たとえば、現代の相対主義はこう主張

      「多様な価値観」は絵空事? 現代思想が犯している本質的な誤ち(竹田 青嗣)
    • 現代哲学は死に瀕している——相対主義を克服しなければならない理由(竹田 青嗣)

      現代思想の行きづまりを打破し、根本的に刷新する——。哲学者・竹田青嗣氏による、哲学のまったく「新しい入門書」であるとともに、「新しい哲学」の扉を開くための書、『新・哲学入門』より、同書の目的を宣言する「マニフェスト」をお届けします。 *二一世紀の現在、哲学はその本質を見失い、自壊し、死に瀕している。なぜか。哲学の本義は普遍認識を目がける普遍洞察の方法にある。だが、現代哲学では、稀な例外を除いて、哲学の根本方法を否定する相対主義哲学がその舞台を席巻してきた。普遍認識の否定、これが相対主義哲学の旗印である。それは現代の流行思想だったが、現代哲学の最大の病でもあった。だが、哲学の偉大な達成は、相対主義が克服された時代においてのみ現われる。いまわれわれは、哲学の概念と像を根本的に刷新しなければならず、そのため、根本的に新しい哲学を必要としている。本書は、まさしくこの意味で、哲学についてのまったく「

        現代哲学は死に瀕している——相対主義を克服しなければならない理由(竹田 青嗣)
      • なぜいま『法の哲学』か──多様な価値の共存可能性について(竹田 青嗣)

        資本主義の進展によって格差が拡大し、健全な民主主義と自由な市民社会が危機に陥っている現在の世界。「マルクス主義」「ポストモダン思想」といった20世紀の大きな思想が挫折していくなかで、新たな社会批判の思想を構築するにはどうすればよいのでしょうか? 『超解読! はじめてのヘーゲル『法の哲学』』の著者・竹田青嗣さんによる特別寄稿です。 日本の思想・哲学は「死に体」にある 昨年12月、私は西研との共著『超解読!はじめてのヘーゲル「法の哲学」』を出した。これはいわば筆後エッセイなので、その趣意を述べてみたい。 われわれはこの本で、いまこそ、ルソーの『社会契約論』、ヘーゲルの『法の哲学』を現代の政治・社会思想にとって枢要の古典として読み直すべき必要を強調した。なぜなら、現在われわれが立っている社会的状況の中で、日本の思想・哲学がほぼ「死に体」にあるからだ。 現在、われわれが歴史の中でどういう場所に立っ

          なぜいま『法の哲学』か──多様な価値の共存可能性について(竹田 青嗣)
        • 竹田青嗣の現象学は異端なのか?標準的な現象学と何が違うのか?|ラファ鉄

          ■ はじめに 竹田青嗣(以下「竹田」と記載)と言えば、難解な哲学書を一般人にも分かりやすく解説している入門書が多いことで知られています。 その中でもフッサールの現象学は彼の哲学に大きな影響を与え、数ある著者の入門書の中でもとりわけ現象学に関する内容が多い印象があります。 しかし、学者の評判は決して良いとは言えず、彼の書籍(あるいは論文)が参考文献(文献案内)に掲載されているのを私自身は一度も見たことがありません。 たまたまTwitterを見ていた時、 「学生時代、現象学を専門としている教授から「竹田の本は読むな」と言われた」 というツイートを発見したのですが、このことからもやはり学者の間では評判があまり良くないのかと思います。 以上のことから当然の疑問として出てくるのは、 ・なぜ竹田の現象学は不評なのか? ・竹田の現象学は伝統的な現象学の解釈(標準的な解釈)と具体的に何が違うのか? という

            竹田青嗣の現象学は異端なのか?標準的な現象学と何が違うのか?|ラファ鉄
          • 200年前の名著、ヘーゲル『法の哲学』を「今」読むべきワケ(竹田 青嗣,西研)

            現代資本主義は、富の格差の一方的な拡大を抑止できないことによって大きな矛盾を露呈し、現代の民主主義の理念に深刻な疑義がもたらされています。そんな今だからこそ、近代政治の本質理論としての民主主義理念の内実を本質的に吟味しなおす必要があると、著者の一人である竹田青嗣さんは言います。現代に生きるわれわれは『法の哲学』から何を学びうるのでしょうか? 近代哲学の重要な原理を平易に読み解く大好評シリーズ第4弾!本日発売の『超解読! はじめてのヘーゲル『法の哲学』』より「まえがき」を一部抜粋してお届けします。 いまなぜ『法の哲学』か われわれ(竹田・西)は、すでにヘーゲルの『精神現象学』の超解読版を出しているが、もう一つの代表作『法の哲学』の超解読版をなんとしても出したいという思いを長くもっていた。 その理由は、ルソーの『社会契約論』とヘーゲル『法の哲学』は、現代の市民国家あるいは民主主義国家の「正当性

              200年前の名著、ヘーゲル『法の哲学』を「今」読むべきワケ(竹田 青嗣,西研)
            • Amazon.co.jp: 哲学とは何か (NHKブックス 1262): 竹田青嗣: 本

                Amazon.co.jp: 哲学とは何か (NHKブックス 1262): 竹田青嗣: 本
              • Amazon.co.jp: 超解読! はじめてのヘーゲル『法の哲学』 (講談社現代新書 2600): 竹田青嗣, 西研: 本

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                • Amazon.co.jp: 哲学は資本主義を変えられるか ヘーゲル哲学再考 (角川ソフィア文庫): 竹田青嗣: 本

                    Amazon.co.jp: 哲学は資本主義を変えられるか ヘーゲル哲学再考 (角川ソフィア文庫): 竹田青嗣: 本
                  • ヨーロッパ哲学最大の難問を解明したフッサールの「不運」…いまだに「180度違う解釈」ばかりされている原因は「あの愛弟子の学問的裏切り」だった(竹田 青嗣,荒井 訓)

                    ヨーロッパ哲学の最大の難問=認識論の謎を解明した20世紀哲学の最高峰といわれるフッサール現象学は、その根本から無理解と大きな誤解にさらされたまま現在に至っている。 なぜフッサール現象学がこれほど長く誤解されてきたのか、これについて読者は自然な疑問をもつと思う。ここで、最小限必要なことを説明しよう。 (本記事は、竹田青嗣+荒井訓『超解読!はじめてのフッサール『イデーン』』(12月26日)から抜粋・編集したものです。) フッサールの不運 何より不運だったのは、フッサールが「君と私こそが現象学だ」というまでに嘱望した直弟子のハイデガーが、じつのところフッサール現象学の根本動機を受けとらず、それを自分の「存在論哲学」へと変形したことである。また、にもかかわらずハイデガーはフッサールの第一の後継者とされ、ハイデガー存在論がフッサール現象学の哲学的深化と見なされたことである。 ハイデガーの現象学理解に

                      ヨーロッパ哲学最大の難問を解明したフッサールの「不運」…いまだに「180度違う解釈」ばかりされている原因は「あの愛弟子の学問的裏切り」だった(竹田 青嗣,荒井 訓)
                    • 今週の本棚:橋爪大三郎・評 『新・哲学入門』=竹田青嗣・著 | 毎日新聞

                      (講談社現代新書・1210円) 相対主義の退嬰 「欲望論」武器に打ち破る 竹田青嗣氏の新著は、古代から現代思想に至る西欧哲学の流れを、一本の軸ですっきりと読み解く。それはゴルギアス・テーゼ。存在は証明できない/認識もできない/認識しても言葉にできない、とするギリシャのソフィスト、ゴルギアスの主張だ。この相対主義の不可知論が、現代思想を蝕(むしば)んでいるという。 竹田氏によると哲学は≪「普遍洞察」という独自の方法によって世界を説明する≫もの。「物語」で世界を説明する宗教とは違う。万人にとっての共通了解を追究するのだ。

                        今週の本棚:橋爪大三郎・評 『新・哲学入門』=竹田青嗣・著 | 毎日新聞
                      • なぜいま『法の哲学』か──多様な価値の共存可能性について(竹田 青嗣)

                        20世紀思想の破綻 20世紀初頭以来、マルクス主義そしてポストモダン思想が、現実を批判する代表的な世界思想として現われた。両者は、弱者の立場に立ちこれを代弁するという点で重要な役割を果たしたが、哲学的には、一方は、独断的な社会構想の理論に基づき、他方は、現状に対する相対主義的な批判主義をその武器とした。 だが、新しい社会構想としてのマルクス主義はその実験の過程で破綻した。ポストモダン思想のほうは、哲学的相対主義の根本的限界によって、個別的な批判には力を発揮したが、50年以上にわたって新しい社会構想を提示することができず、いまや人々に訴える力を完全に喪失している。 われわれはかろうじて、アメリカの政治思想に(70年代以後のロールズ以下の「正義論」論争)、可能な社会構想についての哲学的議論を見たが、ほぼ10年ほどの論議のあと立ち消えになり、新しい展開が現われる気配はどこにもない。 本質的な社会

                          なぜいま『法の哲学』か──多様な価値の共存可能性について(竹田 青嗣)
                        • オンライン対談 竹田青嗣×神名龍子 | ポット出版

                          神名龍子『トランスジェンダーの原理』発刊記念として 帯に推薦文をよせてくれた哲学者の竹田青嗣さんと著者の神名龍子さんの対談を オンラインで公開いたします。 アーカイブ公開については後日、ポットのサイト、ツイッター(@potpub)にてお知らせします。 (2月10日19時、追記) —————————————————————————- 2月10日(木) 神名龍子『トランスジェンダーの原理』発刊記念 オンライン対談 竹田青嗣(哲学者)×神名龍子(著者) 自らの「こう在りたい」という欲望が何であるのか トランスジェンダーの神名龍子が直面したときに手がかりとした哲学。 神名龍子の哲学の師である竹田青嗣さんと 『トランスジェンダーの原理 社会と共に「自分」を生きるために」 をめぐって語る対談になります。 奮って視聴ください。 ●日時 2022年2月10日(木) 18時〜19時 ●無料 ●URL htt

                            オンライン対談 竹田青嗣×神名龍子 | ポット出版
                          • なぜいま『法の哲学』か──多様な価値の共存可能性について(竹田 青嗣)

                            一つの根本的な原理が必要だ さて、話を戻そう。 現在、哲学・思想が、その“現実対抗”の本質力を発揮するための条件はどこにあるだろうか。われわれが真に必要としているのは、「価値の多様性」によって相互対立の罠に陥るさまざまな批判思想の大群ではなく、一つの根本的な原理とその可能性についての大きな合意にほかならない。 近代市民革命はいかにして可能となったか。アンシャン・レジームに対する広範な反感、この体制がもはや未来の可能性をまったくもたないということについての、きわめて多様な諸思想はすでに存在していた。しかし、それが、「人民主権による新しい社会統治」という可能性の原理として像を結んだとき、人々の変革の欲望は一つのものとなり、大きな力を生み出したのだ。 同じことは、マルクス主義の場合でもいえる。ほとんど無数に存在していた反資本主義、反国民国家の思想が、「共産主義」の原理として明確に提示されたとき、

                              なぜいま『法の哲学』か──多様な価値の共存可能性について(竹田 青嗣)
                            • 竹田青嗣『〈在日〉という根拠 増補新版』の「解説(加藤典洋)」を全文公開|創元社note部

                              創元社は、2024年11月13日に、竹田青嗣著『〈在日〉という根拠 増補新版』を刊行いたします。 在日朝鮮人作家・李恢成、金石範、金鶴泳の文学をとおして「生の感触」を書き表わす、在日韓国人二世であり哲学者・文芸評論家である竹田青嗣の初著作を、約30年ぶりに〈増補復刊〉します。14,000字におよぶ「自伝的あとがき」も収載。今まさに読まれるべき、在日論の普遍的傑作となっています。 今回のnoteでは、本書の中から文庫版時に掲載された、故・加藤典洋氏による本書解説をお届けします。 * 『〈在日〉という根拠 増補新版』書影(装幀=五十嵐哲夫、装画=waca)* ●解説「頁をめくる風」文・加藤典洋 ここには竹田青嗣の「在日」をめぐる考えの結晶がほぼすべて、おさめられている。中でも中心はその最初の評論集でこの文庫本の表題ともなっている『〈在日〉という根拠』だが、わたしはここでは、竹田のこの本から伝え

                                竹田青嗣『〈在日〉という根拠 増補新版』の「解説(加藤典洋)」を全文公開|創元社note部
                              • 200年前の名著、ヘーゲル『法の哲学』を「今」読むべきワケ(竹田 青嗣,西研)

                                ヘーゲル哲学体系 ヘーゲル『法の哲学』の最大の功績は、ルソーによっておかれた「万人の自由」を実現する社会という構想を、人間の「自由」の本質論として哲学的に基礎づけなおし、これを「近代国家」の根本理論、つまりその「正しさ・権利・法」の公準(・・)の理論としてはじめて哲学的に定義した点にある。 しかし、『法の哲学』を「自由な近代国家」の本質的範例として読もうとするとき、二つの大きな困難があり、この困難を適切にクリアしつつ進まないと、『法の哲学』の重要な核心を捉えることはむずかしい。 第一に、ヘーゲルの"有神論的"世界体系である(これはヘーゲルにいたるまで、どの哲学者もその引力圏を脱することのできなかった、強固なヨーロッパの世界像だった)。すなわち、ヘーゲルでは、世界はそれ自体「絶対精神」(=世界精神)とよばれる実体であり、「絶対精神」は、たえずより普遍的なものへと向かう「自由な精神の運動」をそ

                                  200年前の名著、ヘーゲル『法の哲学』を「今」読むべきワケ(竹田 青嗣,西研)
                                • フッサールの本は言葉をこう置き換えればクリアに理解できる…現象学の「超解読法」!(竹田 青嗣,荒井 訓)

                                  ヨーロッパ哲学の最大の難問=認識論の謎を解明した20世紀哲学の最高峰といわれるフッサール現象学。 難解と言われるが、その本質を「適切に」追いつめれば誰でも理解できるのだ。 フッサールの難解さの一つは、テクストの難しさだ。しかし、正しい読み方のコツを知っていればどんな人でもクリアに理解できる。 (本記事は、竹田青嗣+荒井訓『超解読!はじめてのフッサール『イデーン』』(12月26日)から抜粋・編集したものです。) 「確信成立の構造」の解明 まず何より心にとめておくべきことは、フッサールによる認識論の解明の根本アイデアは、一切の認識を主観のうちで成立する「確信」と見なす点にあるということだ。この根本発想が、「リンゴ→赤い、丸い」という「客観」から「主観」への視線を、「赤い、丸い→リンゴの存在確信」へと逆転する「現象学的還元」の見方を導く。 なぜこのような自然的な見方を逆転する発想が必要なのか。

                                    フッサールの本は言葉をこう置き換えればクリアに理解できる…現象学の「超解読法」!(竹田 青嗣,荒井 訓)
                                  • 200年前の名著、ヘーゲル『法の哲学』を「今」読むべきワケ(竹田 青嗣,西研)

                                    ヘーゲル社会哲学の核心とは? まず大きな見取り図をおいてみよう。 第一に、現代思想において、ここまでヘーゲルは、総じて、反動的、復古的な「国家哲学者」として批判を受けてきた(とくに、マルクス主義、ポストモダン思想において)。この批判には半面の理がある。『法の哲学』の国家論は、基本的に、君主制の正当性を主張する理論だからだ。 しかし別の半面からは、このヘーゲル批判は、「自由な市民国家」を最も本質的な仕方で根拠づけるヘーゲル社会哲学の核心を完全に見落としている。 これらの批判は、理論の外形だけをみてその本質を見過ごすという過ちを犯していると、われわれは考える。ヘーゲル哲学は、ルソーのそれと並んで、近代の民主主義理念を基礎づける最も重要な社会哲学だというのがわれわれの見方である。 第二に、しかし、にもかかわらず、ここで重要なのは、ルソーの近代社会の理論とヘーゲルのそれの間には、ひとつの明確な分裂

                                      200年前の名著、ヘーゲル『法の哲学』を「今」読むべきワケ(竹田 青嗣,西研)
                                    • 現象学解釈の「挫折」…なぜ20世紀哲学の最高峰の一つ「フッサール現象学」は現在も大きな誤解にさらされたままなのか(竹田 青嗣,荒井 訓)

                                      ヨーロッパ哲学の最大の難問=認識論の謎を解明した20世紀哲学の最高峰といわれるフッサール現象学は、じつは、その根本から無理解と大きな誤解にさらされたまま現在に至っている。 哲学の世界においてフッサール現象学はどのように扱われてきたのか。そして、フッサールが残した最高峰の哲学を理解するために、私たちはどんな方法をとればよいのか。 (本記事は、竹田青嗣+荒井訓『超解読!はじめてのフッサール『イデーン』』(12月26日)から抜粋・編集したものです。) 現象学解釈の「挫折」…その前提的背景 フッサール現象学は、存在論哲学のハイデガー、言語哲学のヴィトゲンシュタインとならんで二十世紀哲学の三つの最高峰をなす。しかし現象学の根本動機、根本理念、根本方法は、ここまで大きな誤解に晒され続けており、それは現在にまでいたっている。 フッサール現象学の最大の功績は、ヨーロッパ哲学の最大の難問といえる認識論の謎、

                                        現象学解釈の「挫折」…なぜ20世紀哲学の最高峰の一つ「フッサール現象学」は現在も大きな誤解にさらされたままなのか(竹田 青嗣,荒井 訓)
                                      • なぜいま『法の哲学』か──多様な価値の共存可能性について(竹田 青嗣)

                                        「自由な市民社会」の挫折 しかし、80年を境に世界資本主義の構造変化が生じ、現代資本主義の進展は急転する。先進国間の共存的な経済競争の条件は失われ、実体経済と金融経済の異常なアンバランスが常態となり、その結果、ピケティを参照する必要もないほど格差の再拡大が露わなものになってゆく(世界の1%の人間が世界の8割の富を独占しているというデータはよく知られている)。 つまり、世界の資本主義競争が、再び相克的な覇権闘争の状態へと向かいつつあるのだ(いまのところ、実力=武力を伴うものにはなっていないが)。 この先、資本主義はどこに向かうだろうか。社会主義の根本矛盾は、覇権的権力ゲームの進行による個人独裁と全体主義化にあった。資本主義の最大の弱点は、富の格差の拡大の自然的傾向であり、これは放置されると、やはり覇権的な金権ゲーム、あらゆる国家での全般的な「プルートクラシー」(金権政治)にゆきつく。 そして

                                          なぜいま『法の哲学』か──多様な価値の共存可能性について(竹田 青嗣)
                                        • 「カントがニュートン」なら、「ニーチェはアインシュタイン」?…認識論と存在論のパラダイムを本当に転倒させた哲学者はどちらだったのか(竹田 青嗣,荒井 訓)

                                          「物自体」、「世界自体」というものは存在しないニーチェの認識論の「転回」のキーワードは、「力への意志」あるいは「力相関性」という言葉で示すことができる。またニーチェの存在論の「転回」のキーワードは、「生成」が「存在」に先行する、である(すべて『権力への意志』)。 まず「力への意志」あるいは「力相関性」(これは竹田によるキーワード)とは何か。 伝統的な認識論の構図は、まず「客観」が存在しそれを「主観」(=認識)が「正しく」認識できるか否か、というものだった。カントのよく知られた「物自体」という概念は、人間の認識は神のように「全知」ではないから、客観それ自体、つまり世界それ自体(「物自体」)を正しく認識することは不可能である、ということを意味する。 これに対して、ニーチェは彼らしい言い方でこう主張する。 そもそも「物自体」、「世界それ自体」というものは存在しない。「物自体」の概念は、神の全知な

                                            「カントがニュートン」なら、「ニーチェはアインシュタイン」?…認識論と存在論のパラダイムを本当に転倒させた哲学者はどちらだったのか(竹田 青嗣,荒井 訓)
                                          • 竹田青嗣の現象学解釈を検証する (3) - しまうまのメモ帳

                                            前回は、『純粋理性批判』第二版における「形而上学的演繹」の議論を中心的にとりあげ、純粋悟性認識の〈機能〉を解明するカントの議論をたどってみました。そこでは、純粋悟性認識の〈機能〉のさまざまなあり方を、判断表からの導出によって得られたカテゴリー表に示すことがおこなわれていました。これにつづいて今回は、「形而上学的演繹」につづく「超越論的演繹」の議論を中心的に見ていくことにしたいと思います。 しかしながら、『純粋理性批判』の中核をなすともいわれる「超越論的演繹」の議論はきわめて難解であり、正直なところわたくし自身、その議論を理解したといえるにはほど遠い状態にあることを告白しなければなりません。さらに、カントやフィヒテの思想にかんする優れた研究で知られるディーター・ヘンリッヒらによって、「超越論的演繹」の解釈にまつわる問題があらためて提起されて以来、「超越論的演繹」をめぐる研究状況は錯綜しており

                                              竹田青嗣の現象学解釈を検証する (3) - しまうまのメモ帳
                                            • 【書評】『村上春樹のタイムカプセル 高野山ライブ1992』加藤典洋、小浜逸郎、竹田青嗣、橋爪大三郎ほか著(而立書房・2420円)団塊よ君はどう生きたか

                                              1992(平成4)年の冬、高野山の宿坊で4人の論者を囲み、村上春樹の小説をきっかけとした話し合いが持たれた。その記録だ。4人の論者とは、小浜逸郎(批評家)、竹田青嗣(哲学者)、橋爪大三郎(社会学者)、そして今は亡き加藤典洋(文芸評論家)。いずれも当時40代前半だった。参加者はおよそ70人。話し合いは徹夜となり全員が悩みもがいていた。同世代の私も同じような悩みを抱えていたことを覚えている。 60年代後半の学生運動には「社会を良くしたい」という理想があった。しかし、運動が進んでいく中で、目的のためには手段を選ばなくなり、仲間を殺すまでになってしまった。 理想は輝きを失い、運動の火は消えた。失語症のようになった者たちは自己療養のようにして、「社会を良くする」よりも「自分が良くなる」方が先ではないかと考えるようになった。他人には強制しない自分だけのルール(本書では「マクシム=格率」と言っている)を

                                                【書評】『村上春樹のタイムカプセル 高野山ライブ1992』加藤典洋、小浜逸郎、竹田青嗣、橋爪大三郎ほか著(而立書房・2420円)団塊よ君はどう生きたか
                                              • 200年前の名著、ヘーゲル『法の哲学』を「今」読むべきワケ(竹田 青嗣,西研)

                                                ラッセルの見当違いなルソー批判 その代表格であるバートランド・ラッセルの批判を確認しよう。彼はいう。《現在では、ヒットラーはルソーの帰結であり、ルーズヴェルトやチャーチルはロックの帰結である》(『西洋哲学史2』(ラッセル、市井三郎訳、みすず書房、628頁))。驚くべき誤謬に満ちた批判といわねばならない。 ロックはルソーとともに「万人の自由」の解放の考えにもとづく社会契約論を提示した。しかしその理論の基礎は、いわゆる「天賦人権論」であり、神によって所有権の正当性を与えられた市民たちの連合による、王権への抵抗権を根拠づけるものだ。 しかしこれは王権神授説への対抗イデオロギーにすぎず、哲学的には、キリスト教圏以外では妥当性をもたない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)ローカルな理論にすぎない。ルソーに対するラッセルの無理解はいたるところに見出せる。二つだけ重要な点を挙げよう。 ラッセルはいう

                                                  200年前の名著、ヘーゲル『法の哲学』を「今」読むべきワケ(竹田 青嗣,西研)
                                                • 『超解読! はじめてのヘーゲル『法の哲学』』(竹田 青嗣,西 研):講談社現代新書 製品詳細 講談社BOOK倶楽部

                                                  『精神現象学』と並ぶヘーゲルの代表作、超解読ついに完成。難解な「ヘーゲル語」をかみ砕き、近代社会の「原理」の書として読み直す。 予備知識なしに、重要哲学書がわかる「超解読」シリーズ! 所有、契約、責任、犯罪と刑罰ーー社会の基礎をなすさまざまなルールは、どのような根拠があれば「正しい」と言えるのか? そして「よき」社会、「よき」国家とは? まさにわたしたちが今生きている世界の「原理」を考える。 ヨーロッパ哲学史上、最も重要にして最も難解なヘーゲルの主著を、おなじみのコンビがわかりやすく読み砕く。

                                                    『超解読! はじめてのヘーゲル『法の哲学』』(竹田 青嗣,西 研):講談社現代新書 製品詳細 講談社BOOK倶楽部
                                                  • 竹田青嗣の現象学と欲望論を読み解く (7) - しまうまのメモ帳

                                                    前回、竹田欲望論と岸田唯幻論の違いについて検討をおこなったところで、あくまでも「意識の水面」に定位しようとする竹田の立場が、現象学に対してくり返し投げかけられてきた「先構成批判」に対する竹田の反批判にも通じているのではないかと述べておきました。このことを手がかりに、竹田のポストモダン思想に対する批判に含まれている問題のごく大まかな見取り図を描いてみたいのですが、それに先立ち、今回はもう少し具体的な場面に考察の対象を絞り込んでおきたいと思います。 まずは前回に続いて、竹田欲望論の立場からの岸田唯幻論に対する批判を、もう少し見ておくことにします。 たとえば岸田秀も『幻想の未来』で、人間の欲望は「他人の欲望の模倣」だと言っている(ラカンもそう言う)。だがそれは、人間は欲望の定まった通路を、「本能」の形ではあらかじめ持っていないから、多くの場合それをまず母親という他者に見習って形成するという意味だ

                                                      竹田青嗣の現象学と欲望論を読み解く (7) - しまうまのメモ帳
                                                    • 「カントがニュートン」なら、「ニーチェはアインシュタイン」?…認識論と存在論のパラダイムを本当に転倒させた哲学者はどちらだったのか(竹田 青嗣,荒井 訓)

                                                      ヨーロッパ哲学の最大の難問=認識論の謎を解明した20世紀哲学の最高峰といわれるフッサール現象学は難解で知られるが、じつは「知識ゼロ」の人ほど正しい理解にたどりつきやすいかもしれない。なぜなら、フッサール現象学が難解とされてきた理由は、フッサールのテキストが難解ゆえに、誤解と無理解にさらされてきたからだ。 しかし、その本質を「適切に」追いつめれば、​じつはフッサールの根本構図はきわめてシンプルだ。誤解にまみれた先入見がなければ誰でも把握できる。 現象学の根本方法は、フッサールの主著『イデーン』の解読と正しい理解なしには把握できない。 このたび、哲学者の竹田青嗣氏と、早稲田大学商学学術院教授の荒井訓氏が、現象学のエッセンスを一般読者が理解できるように可能なすべての努力を払った『超解読!はじめてのフッサール『イデーン』』が刊行された。現象学の予備知識ゼロの人、あるいは現象学に挫折した人は、本書を

                                                        「カントがニュートン」なら、「ニーチェはアインシュタイン」?…認識論と存在論のパラダイムを本当に転倒させた哲学者はどちらだったのか(竹田 青嗣,荒井 訓)
                                                      • 「予備知識ゼロ」の人こそ最短距離で理解できる「はじめてのフッサール」…そもそも「ヨーロッパ哲学最大の難問」である「認識論」とは何なのか(竹田 青嗣,荒井 訓)

                                                        ヨーロッパ哲学の最大の難問=認識論の謎を解明した20世紀哲学の最高峰といわれるフッサール現象学は、じつは、その根本から無理解と大きな誤解にさらされたまま現在に至っている。 現象学の根本動機は、ひとことでいうと「認識問題の解明」だ。 現象学を理解するための不可欠な第一歩として、まず、この根本動機についてわかりやすく説明しよう。「認識問題」とはいったい何なのか? (本記事は、竹田青嗣+荒井訓『超解読!はじめてのフッサール『イデーン』』(12月26日)から抜粋・編集したものです。) 「認識問題」とは何なのかまずヨーロッパの「認識問題」とそれが大きな難問であることの理由からはじめよう。 哲学の認識問題は、ギリシャ哲学で、哲学者のさまざまな世界理説が登場し対立を示したところから始まる。普遍認識はそもそも不可能であるという懐疑論(=相対主義)は、ソフィストたちによって主張されたが、その代表者はプロタゴ

                                                          「予備知識ゼロ」の人こそ最短距離で理解できる「はじめてのフッサール」…そもそも「ヨーロッパ哲学最大の難問」である「認識論」とは何なのか(竹田 青嗣,荒井 訓)
                                                        • 「カントがニュートン」なら、「ニーチェはアインシュタイン」?…認識論と存在論のパラダイムを本当に転倒させた哲学者はどちらだったのか(竹田 青嗣,荒井 訓)

                                                          一切の認識は、まず客観自体、物自体があって、それを「生き物」が正しく認識する、というのではない(客観→認識図式の解体)。一切の認識は、それぞれの「生き物」の「力への意志」に応じて主体のうちに「生成」される。「正しい認識」なるものはどこにもなく、また「客観それ自体」というものもない。 認識とは、根本的に個々の「生への意志」「力への意志」の相関者である。それゆえまた、まず「存在」があるのではなく、個々の生き物の「力への意志」(生への意志、欲望)に応じた世界の「生成」がはじめにある。そしてここから「客観的存在」なるものが、一つの「想定」として現われてくるにすぎない! さて、このニーチェの認識論と存在論はやや分かりにくいかもしれない。そこでもう一つ補助線をひいてみよう。 【つづきの「ニーチェは「『世界』は存在しない」と主張したのか?…ニーチェの認識論と存在論の正しい理解」では、ニーチェの認識論と存

                                                            「カントがニュートン」なら、「ニーチェはアインシュタイン」?…認識論と存在論のパラダイムを本当に転倒させた哲学者はどちらだったのか(竹田 青嗣,荒井 訓)
                                                          • 「カントがニュートン」なら、「ニーチェはアインシュタイン」?…認識論と存在論のパラダイムを本当に転倒させた哲学者はどちらだったのか(竹田 青嗣,荒井 訓)

                                                            そもそも何かが「存在」するとはある主体にとって何かが認識されるということだ。 何かが認識されるとは、何らかの対象の諸「性質」(重さ、熱さ、色合い、運動など)が認識(感知)されるということだ。 対象の性質が認識されるということは、生き物の「身体や欲望」というそれを認識する「力」があるということだ。

                                                              「カントがニュートン」なら、「ニーチェはアインシュタイン」?…認識論と存在論のパラダイムを本当に転倒させた哲学者はどちらだったのか(竹田 青嗣,荒井 訓)
                                                            • 【解説】竹田青嗣『欲望論』(1)〜イントロダクション〜|ittokutomano

                                                              はじめに 「苫野一徳オンラインゼミ」に掲載している「名著紹介・解説」コーナーより、竹田青嗣『欲望論』の解説を一般公開します。 現在、英訳プロジェクトが進行中です。世界で読まれるようになれば、おそらく、哲学史が大きく動くことになると思います。 でも、それまでしばらくの間、この本の哲学史的意義は十分に理解されないままかもしれない……。 そう考えて、弟子としては、少しでも多くの方にこの本を吟味していただきたいと思い、こちらに紹介・解説を載せることにしました。 第1回目の今回は、まず簡単な紹介から。ご興味を持ってくださった方には、ぜひ、本書を直接お読みいただけると嬉しく思います。 哲学史を総覧し、未踏の地へと踏み出す著作 21世紀、ついに日本から、哲学史を塗り変える革命的な哲学書が登場した。 自分の師匠の著作について、あまりこのような言い方はすべきではないのかもしれないが、しかしどうしても、そう断

                                                                【解説】竹田青嗣『欲望論』(1)〜イントロダクション〜|ittokutomano
                                                              • 『新・哲学入門』(竹田 青嗣):講談社現代新書 製品詳細 講談社BOOK倶楽部

                                                                本書の主な内容 第1章 哲学の本質 第2章 本体論的転回と認識論の解明 第3章 欲望論哲学の開始 第4章 世界認識の一般構成 第5章 幻想的身体論 第6章 無意識と深層文法 第7章 価値審級の発生 第8章 「善と悪」 第9章 「きれい-きたない」審級 第10章 美醜 第11章 芸術美 第12章 芸術の本質学 終章 芸術の普遍性について

                                                                  『新・哲学入門』(竹田 青嗣):講談社現代新書 製品詳細 講談社BOOK倶楽部
                                                                1