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あゆっち @ayu_note_nismo @Yama_Daru 初めまして。 知り合いがそこに住んでます… バイクの暖気してたら排ガスが2階に上がってきて死にかけた話しを聞きました…。 ちなみに窓を開けると香辛料の匂いがすごいとの事です。 やまだる @Yama_Daru @ayu_note_nismo うわー知り合いが住んでるんですか! 排ガス問題全然考えてなかったですけど確かにそうなりますよね😟 香辛料はアレですよね、裏手の桝〇の奴ですよね笑 あゆっち @ayu_note_nismo @Yama_Daru 引越しも手伝いましたが車・バイク好きには堪らない物件です。 ただ、普通車+大型or中型バイクだとバイク出すのに車も出さないといけなくなるのが難点ですね…💦 香辛料は〇元です(笑) 洗濯物がスパイシーになります(笑)
福岡県行橋市の行事という地区。三基の庚申塔が、長峡川沿いにある貴船神社のいっかくにまつられています。 庚申塔群にむかって右側から順にご紹介します。 ◇◇◇◇◇ 座標値:33.7333086,130.9740573 碑面:猿田彦大神 建立年月:明治三拾二(1899)年 三月建立 台座には建立年月とともに、講中の名前がきざまれています。 ◇◇◇◇◇ 座標値:33.73332843,130.9740812 碑面:猿田彦大神 建立年月:(確認できず) 台座に講中の名前がずらりと刻まれています。 ◇◇◇◇◇ 座標値:33.7332733,130.9740857 碑面:猿田彦大神 建立年月:(確認できず) かろうじて猿田彦大神の「田」という文字が読めそうですが、はっきりとは読めません。結果として碑面を猿田彦大神としましたが自信はありません。台座には講中の名前も確認できませんでした。
テロ犯への便乗を司法が許すなど言語道断 小坪慎也議員に関する徳永議員による爆破予告犯「ヘイト議員」動議提出と決議 福岡地裁小倉支部令和4年3月17日判決 令和元年(ワ)第959号 議会決議の司法審査と部分社会の法理、議員の動議提出行為の内部規律 札幌高等裁判所平成29年5月11日判決 平成28年(行コ)24号/平成28年(行コ)30号 札幌高等裁判所令和2年8月21日判決 令和2年(ネ)96号:問責決議案の提案行為 さいたま地方裁判所川越支部令和4年6月30日判決 令和3年(ワ)266号 外部での言論活動を非難する動議提出行為は内部規律の問題ではなく司法審査対象 外部メディアでの言論活動を対象にするのは「その職務とはかかわりなく」なのでは? 本当に「違法不当目的・虚偽を知りながら敢えて事実摘示ではない」のか? 地方議員がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したのでは? 真実相
福岡県 行橋(ゆくはし)市の行事(ぎょうじ)という地区に、正ノ宮正八幡神社(しょうのみやしょうはちまんじんじゃ)が鎮座します。この神社には合計6基の庚申塔が祀られており、前回の記事では、拝殿前にまつられる1基の庚申塔をご紹介しました参照。 今回からの記事では、神社の参道脇に祀られる5基の庚申塔を順にご紹介してゆきます。今回の記事では、↓下図の「庚申塔①」をご紹介します。 ↑参道の様子。両側に庚申塔がずらっと祀られています。 「庚申塔①」は猿田彦大神が主尊です。庚申塔の側面や背面には建立年などの銘は刻まれていません。 場所:福岡県行橋市行事 座標値:33.7344334,130.9678008 しかし、台座部分に建立年などが刻まれているようです。「己巳(つちのとみ)」という干支と、「四月」という文字が見えますが、元号部分ははっきりとよみとれません。建立年は残念ながら推測することはできません。
福岡県築上郡と行橋市にまたがる築城基地(ついききち)。築城基地が、旧日本海軍の所有であった頃の関連施設で「稲童1号掩体壕(いなどういちごうえんたいごう)」があります。第二次世界大戦時に使用された施設で、軍用機などを空襲からまもるためにつくられた壕(ごう)です。稲童1号掩体壕は、丘の斜面を削ってつくられたようです。コンクリート製の屋根の上には土がかぶせられ、さらに周囲は木々が覆っています。 場所:福岡県行橋市稲童 座標値:33.693863,131.030232 パンフレット「稲童1号掩体壕」には、第二次戦争中、築城基地では合計20基前後の掩体壕(えんたいごう)がつくられていた、ということが説明されています。 昭和19年(1944年) 8月頃、旧日本軍の「築城海軍航空隊」 の築城飛行場に隣接する松原地区から稲童地区では、 「音無川」 河口から丘陵地帯にかけて誘導路・掩体壕がつくられ、 飛行場
福岡県行橋市にある戦争遺跡である「稲童1号掩体壕」を訪ねたとき、「奉安殿(ほうあんでん)」という史跡をたまたま見つけました。 旧仲津小学校の奉安殿 場所:福岡県行橋市稲童 座標値:33.693239,131.030350 私が全国にあった「奉安殿」という存在を知ったのは、80歳代のかたからのお話で、昔、小学校の校門近くに奉安殿が建てられていたということを聞いてからです。 奉安殿は、天皇・皇后の写真と教育勅語を納めていた建物です。戦前、全国の各学校につくられ、奉安殿を通るときには頭をさげて通るように言われていたそうです。戦争に備えて、国家への忠誠を国民に誓わせ、戦争が起これば命を投げ出して天皇のために戦うという意識を持たせることを目的とした建物でした参照。 そのため、戦争が終わってからはアメリカにより、全国の奉安殿は撤去されました。現在は、戦争遺跡としてわずかに残っているのみです。 奉安殿の
福岡県行橋(ゆくはし)市のホームページを拝見していると、行橋市に三基の郡境標柱があるということを知り訪ねてみることにしました参照。 行橋市に三基あるという郡境石 明治時代のはじめごろまで、日本は約70の「国」にわかれ、さらに「国」は「郡」にわかれていたそうです。現在の行橋市は、江戸時代には豊前国のなかの京都(みやこ)郡と仲津郡で構成されていたようです。 参照:『ふるさと子ども読本 行橋市制50周年記念』P.71 上の地図の、京都郡と仲津郡との境となる箇所に、「ここが境ですよ」と示すための郡界標柱がたてられていました。そのなかの三基が現在ものこされているということです。 三基をさがしにいってみたのですが、実際にみることができたのは、以下の写真の「京都郡の行事村」と「中津郡の大橋村」とをわける標柱石だけでした。 この標柱には「従是北京都郡」「従是南中津郡」ときざまれています。 これは行橋市役所
福岡県行橋市稲童地区にある安浦神社。 森に囲まれているこの神社では、太平洋戦争中に受けた空襲の傷跡を見ることができます。 (海軍航空隊の街の神社) この神社がある福岡県行橋市稲童地区には、築城海軍航空隊所属の航空機を格納する 巨大な掩体壕=稲童1号掩体壕や地下通信司令部などが作られました。 稲童一号掩体壕 地下通信司令部 そのためこの地域は米軍の攻撃目標となり、何度も空襲を受けています。 旧築城町史などによると、1945年3月から8月15日まで15回の空襲があったとされています。 中でも8月7日の空襲の被害は大きく、37人の飛行訓練生が死亡し、多くの兵士や 民間人が死傷しています。また、稲童掩体壕も狙われ、格納されていた夜間戦闘機 「月光」が炎上しています。 (今も残る空襲の傷跡) 稲童地域の村社である「安浦神社」も米軍の機銃掃射を受け、鎮守の森が焼失したそうです。 鳥居、燈籠、狛犬、石段
福岡県、築城基地(ついききち)関連の戦争遺跡である稲童地区地下通信司令部壕を訪ねました。空襲から築城海軍航空隊の情報通信機能を守るために、1945年(昭和20年)3月に建造された施設です。↓下の写真は壕の出入り口を写したものです。この「稲童地区の司令壕」のほかにも、稲童地区より南側にある築上町広末地区、八田地区などにも地下壕がつくられたそうです。 場所:福岡県行橋市稲童 座標値:33.689910,131.029857 このような地下壕をつくることで、空襲の危険があるなかでも安全で効率的な作戦を指揮することができたのでしょう。司令部壕は出入り口が二カ所で、他の施設と比較し小さいために、空からの視認が困難であったと考えられます。司令部壕は航空機を保管している掩体壕(えんたいごう)群エリアに含まれています。 攻撃されるリスクは高かったと予想されますが、外壁を見てみても機銃掃射の弾痕などは確認さ
福岡県行橋市の海辺、沓尾(くつお)という地区に「鯨塚(くじらづか」とよばれる石塔がたてられています。案内板によると、1903年に、この付近にあらわれた巨大な鯨を捕獲し、その鯨を弔うためにたてられたとされています。捕獲された鯨をひと目見ようと多方から人が集まり、その見学料が現在の価値の「940万円」ほどにもなったということです。 場所:福岡県行橋市沓尾 座標値:33.732258,131.016731 鯨を捕獲するために、福岡県の沓尾から、大分県の姫島の先まで追いかけたそうで、地図でその距離を測ってみると、60㎞以上になりました。 論文『日本漁業における技術進歩【PDF】』を参照してみると、1900年代の初期には、日本の漁船はまだ「無動力船」が主だったようで、まさか60㎞もの距離を手漕ぎで鯨を追いかけたのでしょうか。同論文によると、数は少ないものの一部は石油をつかった動力漁船が日本では使用さ
敵の空襲から情報通信機能を守るために作られた地下通信司令部壕が 福岡県行橋市に今も残っています。 (築城海軍飛行場) この地下通信指令壕は「築城海軍航空隊」の施設の一部です。。 築城は、瀬戸内海や関門海峡を控えた内海航路の要衝であり、また洋上爆撃や電撃作戦や訓練がやりやすかった点から1943年(昭和18年)6月に海軍の航空隊が宮崎から移転しました。 築城飛行場の面積は145万㎡で、長さ1800m、幅50mの滑走路が、周防灘に向かって 伸びていて、ここで戦闘機乗組員の訓練や教育が行われました。 筑城飛行場の周囲には敵の空襲から飛行機を格納する、掩体壕が複数作られました。 その1つが稲童1号掩体壕です。 掩体壕と同時に情報通信機能を守る通信指令号もその周辺に数カ所造られました。 その1つは、稲童1号掩体壕のすぐ近くにあり、今もその姿を見ることができます。 稲童1号掩体壕から右に出て最初の道を左
福岡県 行橋(ゆくはし)市の行事(ぎょうじ)という地区に、正ノ宮正八幡神社(しょうのみやしょうはちまんじんじゃ)が鎮座します。この神社には合計6基の庚申塔が祀られており、今回は3基目の庚申塔をご紹介します。 下の図だと「庚申塔②」です。 ↓こちらが、実際の参道の様子を写した写真です。写真の右側手前にまつられる庚申塔をご紹介します。 場所:福岡県行橋市行事 座標値:33.7343908,130.9677996 正面に「猿田彦大神」と刻まれていますが、側面・背面には文字は確認できません。 台座部分には庚申講に属する方たちの名前らしき文字が、ずらっと刻まれています。このなかに建立年も刻まれていたのかもしれませんが、文字を読み取ることはできず、建立年は不明です。
太平洋戦争中に敵の空襲から航空機を避難させるために作られた掩体壕。 この掩体壕は、日本各地にありますが、築城海軍航空隊に近い、福岡県行橋市稲童地区には、大型の飛行機を格納する巨大な掩体壕が作られ、今も残っています。 (築城海軍飛行場) 「築城海軍航空隊」は1942年(昭和17年)10月に宮崎県富島町(現・日向市)に開隊し、1943年(昭和18年)6月に福岡県の築城に移転して本格的に活動を行います。 福岡県東部のこの地区に飛行場が作られたのは、瀬戸内海や関門海峡を控えた内海航路の要衝であり、また洋上爆撃や電撃作戦や訓練がやりやすかった点が考えられます。 築城飛行場の面積は145万㎡で、長さ1800m、幅50mの滑走路が、周防灘に向かって 伸びていて、ここで戦闘機乗組員の訓練や教育が行われました。 飛行場の北部にあたる稲童地区には、屋根のある「有蓋掩体壕」が7基前後、「コ」字状の土塁で飛行機を
福岡県行橋(ゆくはし)市の行事という地区に、正ノ宮正八幡神社が鎮座しています。正ノ宮正八幡神社の参道脇と拝殿前に、合計6基の庚申塔が祀られていました。内訳は、参道脇に5基、拝殿前に1基です。 今回の記事では、拝殿前に祀られる1基の庚申塔をご紹介します。 ↓参道の両脇に祀られる庚申塔群。 ↓正ノ宮正八幡神社 拝殿。 拝殿にむかって左手側に巨大な庚申塔が祀られています。 場所:福岡県行橋市行事 座標値:33.734699,130.967565 「猿田彦大神」とだけ刻まれており、建立年など、他の銘は確認できませんでした。 裏側にまわり銘がないか確認しましたが、みつかりませんでした。 もしかしたら台座部分に、昔、建立年が刻まれていたのかもしれませんが、苔が表面を覆い、文字は確認できません。
上の写真は戦前の学校に必ず設置されていた奉安殿(ほうあんでん)です。 奉安殿の中には、御真影と呼ばれていた天皇皇后両陛下の写真と教育勅語を安置していて、奉安殿の前を通るときは立ち止まり服装を正したうえで最敬礼をしていました。 (福岡県行橋市で奉安殿に遭遇) 今回、おっさんは海軍築城飛行場関連の施設の現地見学のため福岡県行橋(ゆくはし)市に行きました。 行橋市内にある大型飛行機を格納していた稲童1号掩体壕の施設の片隅に、奉安殿が 移設されているのを偶然見かけました。 奉安殿!!今までその存在は耳にしていましたが実物を見たのは今回が初めてです。 (奉安殿は昭和10年頃から普及) 1890年(明治23年)御真影と勅語の各学校への下賜が行われます。 そして奉安殿の建設は1935年(昭和10)以降に全国的に広まります。 奉安殿の大きさは奥行85cm、高さ1.5m、幅1.2m以上とされ、壁厚25cm以
みなさんこんにちは。無事にコロナから復帰したちゅうです。 咳もだいぶ良くなって完全復活まであとわずか!! 今回は、ぼくがコロナにかかる前に家族で撮影に行った時のお話。今回は、何とぼくの朝活に家族が付き合ってくれた記念すべき1日を記事にします!!(そのすぐ後にコロナに感染するんですけどね・・・。) 家族で朝活!!最高すぎる!! 福岡県の簑島海水浴場へ家族で朝活に行ってきた!! 今回は家族も一緒に朝活 当日の朝を迎える 現地到着!! 子ども達も楽しそう!! そして生まれるお気に入りの1枚 朝活で1日を充実したものに 福岡県の簑島海水浴場へ家族で朝活に行ってきた!! ぼくのブログでは、おなじみになりつつあるこの場所。簑島海水浴場!! これまで何度も記事にしました。 www.photo-no-wa.com www.photo-no-wa.com www.photo-no-wa.com こんなに記事
【2020.11.22公開】【2021.1.9追記】 『朝日が撮りたい!!!!』 そんな欲求がどうしようもなく湧き上がってくることはみなさんあるはず。 あるよね? ということで、朝日の撮影に行くことにしました。 行橋市の簑島海水浴場に朝日を撮りに行った話 今回は簑島海水浴場で撮影!! 最高の朝日だった・・・ 雲の感じがおもしろい 縦構図もいい感じ お約束のリフレクション 行橋市の簑島海水浴場に朝日を撮りに行った話のまとめ 行橋市の簑島海水浴場に朝日を撮りに行った話 朝日といったら海!! 異論は認める。 ということで、どこの海で撮影したらきれいに朝日を撮影できるか調べてみました。 方角的に考えると北九州市の海よりも、お隣の行橋市の方がきれいに撮影ができそう。砂浜もきれいな所が多くうってつけです。 実は以前も行橋市で朝日の撮影をしましたが、はっきり言って最高でした。 www.photo-no-
福岡県行橋市の県道行橋停車場線(通称・駅前通り)拡幅事業で立ち退き対象となる老舗ミシン販売店の米山商会(中央3丁目)が、今月で閉店します。 市中心街を貫く通りで86年間という長い間営業してきた「街の顔」の一つです。店内に展示している江戸末期や明治、大正、昭和の希少なミシンは、閉店後に市歴史資料館に寄贈することになっています。 1916(大正5)年、裁縫の新時代到来を予感した初代米山栄助さんが豊前市で開業を開始しました。1934(昭和9)年に現地へ移転し、木造2階建ての2階では洋裁学校を経営。戦時中は1階が軍需工場となって軍のシャツなども作りました。戦後は主流だった米国シンガー社の総代理店となって九州に販売店を広げる役割を担いました。 2代目辰次さんの一人娘、敏子さん(79)と現社長の信雄さん(83)は結婚した1962年から実質的に店を運営してきました。2代目の頃は、購入ミシンを持ち帰るため
先日、年明けして初の朝活へと行ってきました!! 行った場所は、ふぉとの輪では定番となっている行橋市の簑島海水浴場。 今回は、その時撮った写真を紹介するだけのまったりとした記事ですが、最後までよろしくお願いします。 行橋市の簑島海水浴場で朝活をしてきた さ、朝活開始!! 標準ズームで撮ってみよう ここまで来たら望遠も使わないと 超広角~超望遠まであるといろんな撮影ができて楽しい 行橋市の簑島海水浴場で朝活をしてきた 今回行った簑島海水浴場は何度も撮影に訪れている場所で、何回か記事にもしました。 見てくださるという心優しい方はコチラから。 www.photo-no-wa.com www.photo-no-wa.com さ、朝活開始!! SONY α7RⅢ TAMRON17-28 F2.8 なんか独特な空の色。そして雲。 焼けるのか?焼けないのか??ドキドキが止まらない。 SONY α7RⅢ T
山の中に現れた石の壁。キチンと並んでいます。 これは福岡県行橋市とみやこ町の境にあるホトギ山(御所ヶ岳)にある、古代山城の 遺跡・御所ヶ谷神籠石(ごしょがたに こうごいし)です。 上記写真は、その御所ヶ谷神籠石の中門の石塁で1300年以上に建設された石積で、高さ7mです。 中門は、上から見るとこんな感じです。 (神籠石とは) 「神籠石(こうごいし)」とは、山中に列石や土塁、石塁で囲いを作った遺跡のことです。 現在、北部九州から瀬戸内海沿いの地域にかけて、16ヶ所が確認されていて、いずれ敵の侵攻を見張り、また妨害するために古代の官道を見張りやすい位置に築いたとされています。 そのため、この御所ヶ谷神籠石も、北麓約1.5kmに大宰府と京都平野をつなぐ古代官道があります。 (御所ヶ谷神籠石の概要) 御所ヶ谷神籠石は、自然の地形と約2kmに渡る土塁や石塁で固められている要塞です。 場所が広いので全
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