近著に「安倍晋三の正体」「ニッポンを蝕む全体主義」「思想の免疫力」(評論家・中野剛志氏との対談)など、著書50冊以上。「適菜収のメールマガジン」も発行。本紙連載を書籍化した「それでもバカとは戦え」も好評発売中
国際政治学者を自称する三浦瑠麗とは一体何だったのか。太陽光発電事業への出資を名目に、およそ10億円をだまし取ったとして投資会社「トライベイキャピタル」本社と代表を務める瑠麗の夫の自宅マンションが東京地検特捜部により家宅捜索されたが、それをきっかけに瑠麗の過去の言動に注目が集まった。 瑠麗は「私としてはまったく夫の会社経営には関与しておらず、一切知り得ないことではございますが、捜査に全面的に協力する所存です」と関与を否定。もちろん夫が引き起こした事件と配偶者は関係ない。そういう意味では、瑠麗は巻き添えを食ったかのようにも見える。 しかし、次第に実態が明らかになっていく。瑠麗が経営する会社と夫の会社は同じビルの同じフロアにあり、両社は合同で行事を開催することもあった。さらに瑠麗は、政府の「成長戦略会議」やテレビ番組などで、太陽光発電事業を“猛プッシュ”していた。これによりネットでは夫のビジネス
三浦瑠麗、田村淳、国生さゆり……。剥がれゆくメッキとその正体【適菜収】 【隔週連載】だから何度も言ったのに 第38回 オワコンタレントが目指すのは、大学生か政治家か。岸田文雄襲撃事件から始まった統一地方選後半戦。そこで卑劣な工作活動を行ったのが、ハイパーメディアクリエイターを名乗る田村淳だった。自民党に対して点数稼ぎでもするつもりだったのかは知らないが、結果的に山口4区は統一教会と反統一教会の戦いでもあることが、周知、再確認された。近著『日本をダメにした新B層の研究』で、売国政治屋・マスコミをのさばらせた近代大衆社会の末路を鋭く分析した適菜収氏の「だから何度も言ったのに」連載第38回。 田村淳 ■「ほんこん」が「女ほんこん」を批判 《「脳科学はマスコミが作り出した幻」一大“脳ブーム“を生み出したベストセラー本を精神医療の権威が完全論破》という記事を偶然読んだ。テレビ番組のコメンテーターとし
【適菜収「それでもバカとは戦え」】#201 国際政治学者を自称する三浦瑠麗とは一体何だったのか。太陽光発電事業への出資を名目に、およそ10億円をだまし取ったとして投資会社「トライベイキャピタル」本社と代表を務める瑠麗の夫の自宅マンションが東京地検特捜部により家宅捜索されたが、それをきっかけに瑠麗の過去の言動に注目が集まった。 社民党・福島みずほ党首に上から目線 三浦瑠麗氏の発言に強烈な違和感 瑠麗は「私としてはまったく夫の会社経営には関与しておらず、一切知り得ないことではございますが、捜査に全面的に協力する所存です」と関与を否定。もちろん夫が引き起こした事件と配偶者は関係ない。そういう意味では、瑠麗は巻き添えを食ったかのようにも見える。 しかし、次第に実態が明らかになっていく。瑠麗が経営する会社と夫の会社は同じビルの同じフロアにあり、両社は合同で行事を開催することもあった。さらに瑠麗は、政
最近の若者の言葉遣いで気になるのが、すぐに《神》を持ち出すことだ。ネット上には「神だと思うロックバンド」「神だと思うアニメ」みたいな記事が溢(あふ)れている。「神動画」に「神アプリ」…。 カリスマは「神の賜物(たまもの)」という神学上の概念だが、今では「カリスマ・シェフ」がコンビニ弁当をプロデュースしている。《神》もずいぶん安くなったものだ。 19世紀ドイツの哲学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは「神は死んだ」と言った。その意味は、西欧において価値の根拠とされてきた《神の視点=普遍的真理》を設定することが理論上不可能になったということだ。にもかかわらず、《神》は平等主義や民主主義といった近代イデオロギーに姿を変えて私たちを支配している。その根底にあるのは「神との距離において人間は等価である」という信仰だ。 近代大衆社会はこうしたキリスト教本能をもつがゆえに、あらゆる格差、階層的なもの
『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』著者:適菜収 「B層」をキーワードに、ゲーテが予言した大衆社会の末路を読み解く! 「B層」とは?---マスコミ報道に流されやすい「比較的」IQの低い人たち 小泉郵政改革に熱狂し、民主党マニフェスト詐欺に騙され、流行のラーメン屋に並ぶ層。彼らの「選択」が国家を崩壊に導く! 序章 こんな社会に誰がした? 野蛮な時代がやってきた なんだか世の中がデタラメになってしまったと感じます。 三流のものがもてはやされ、おかしな考え方が幅を利かせています。 本当に価値があるものは、ないがしろにされ、軽く見られ、「つまらないもの」「古くさいもの」「過去のもの」として扱われている。 かつてドイツの古代史家バルトホルト・ゲオルク・ニーブール(一七七六~一八三一年)は、「野蛮な時代が来る」と警告を発しました。 その言葉に巨匠ゲーテは呼応します。 「その時代はすでに来た。私
市民運動および市民デモの訴えの多くはほとんど意味がない。彼らが依拠するのは知性ではなく、数の論理であるからだ。集会やデモを行う市民団体が毎回のように参加者数の水増し発表をするのは、その本性を示している。 デンマークの哲学者セーレン・キルケゴール(1813~1855年)は、市民の本質を「第三者」「傍観者」と規定した。 一人の人間が情熱を傾けて、自分に与えられた使命を果たそうとするとき、また彼らが手を組むときには集団も意味をもつ。そこでは、知性と覚悟が重視される。 しかし、水平化・平等化された近代社会においては、傑出した人間は軽視され、疎まれ、引き摺(ず)り降ろされる。そこに働くのは嫉妬の原理だ。そして個人が完全に等価になった結果、価値判断の道具として多数決が導入される。そこでは頭数を揃(そろ)えることだけが求められる。 キルケゴールはこうした野蛮を批判した。 「ところが今日では、だれもが意見
先日国内最大規模のグルメサイト「食べログ」で、ランキングの不正操作が明らかになった。複数の業者が特定の飲食店に対し好意的な口コミを投稿して報酬を得ていたのだ。 こうした消費者に宣伝と気づかれないような宣伝行為を「ステルスマーケティング」という。 これに対し「消費者の信頼を裏切るあるまじき行為だ」などと批判の声が上がったが、ナイーブにすぎるのではないか。わざわざ業者に依頼しなくても、店の関係者が自作自演でランキングを吊(つ)り上げているケースもある。その結果、地元住民が首を傾(かし)げるような店に、ある日突然行列ができたりする。インターネットの構造上、こうした問題は常に起こりうるはずだ。 しかしもっと大きな前提がある。それは、口コミサイトの評価は「料理について細かい論評を述べたい人たち」「携帯電話で料理の写真を撮ることをためらわない人たち」が下した判断にすぎないということだ。 スペインの哲学
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