2023年12月16日09:39 カテゴリ佐賀の歴史アームストロング砲 佐賀藩が威信をかけた アームストロング砲(1) 維新期の佐賀藩のアームストロング砲、 命を懸けた鉄製の大砲の開発と は一体どんなものだったのか?現代の日本の産業界が注目する「失敗学」の実践者だった。 佐賀の鍋島藩は徳川幕府の長い鎖 国の時代、幕府より幕府直轄の肥 前長崎港を黒田藩と交互に警護す ることを命じられていた。 長崎港はオランダをはじめポルト ガルなどに、日本で唯一開港して いた。その為、長崎にはオランダ ポルトガルを窓口として、世界の 情報やものがあった。 鍋島藩は早い時代から、役目柄、 世界の情報や珍しい物を見てい た。 また一方では日本が、世界に比べ て、あらゆる面において、遅れて いることを痛切に感じ取っていた その点、鍋島藩は早くから世界を みる目が養われていたのです。 ところが、幕末を迎える頃、鎖