かつて炭鉱の島として栄えた長崎市の「端島(軍艦島)」。閉山を迎えた1974年(昭和49年)、端島労働組合は島への思いを込めて一枚のレコードを制作した。収録された曲の名は『端島音頭』。端島音頭には、全盛時代の活気に満ちた島の姿を記憶にとどめようとする人々の心が込められた。歌ったのは当時NBC長崎放送の専属歌手だった男性と女性。閉山から50年がたった今年、端島音頭が当時の歌手2人によってよみがえった。 【画像】島民の思いが込められた「端島音頭」作詞者、作曲者は?残されたソノシート ■「端島音頭」誕生 一 野母のナー 野母の山から 端島を見ればヨー 今日もくるくる薬研が廻る 炭が湧き出る、宝島 ソレ ホンニヤレソレ 宝島 「端島音頭」は戦後すぐに作られたと伝えられている。島の盆踊りの定番曲で、その振り付けも島民によるものだった。 名調子に乗って7番まである歌詞には島の心象風景が盛り込まれていて、