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Srebrenicaの検索結果1 - 40 件 / 218件

  • 「世界で最も優れた報道写真」と認められた作品いろいろ 2010年版

    プロの報道写真家の活動を支援し広く世界に紹介することを目的としてオランダで1955年に設立された非営利団体「世界報道写真財団」が毎年主催する「世界報道写真コンテスト(World Press Photo Contest)」。今年は125の国と地域から10万8000点を超える作品を約5700人の写真家が応募しており、その中から54人の写真家が受賞しました。その受賞作は「世界報道写真展」として日本を含めた世界45カ国で展示されています。 以下に掲載する写真はその受賞作です。東京と大阪での展示は既に終了していますが、京都は2011年9月21日(水)~10月16日(日)、大分は2011年11月6日(日)~11月20(日)、滋賀は2011年10月18日(火)~11月3日(木)という日程で開催されますので、気になった人は足を運んでみることをオススメします。 ※事故や事件を写した作品も多く、遺体の画像も含

      「世界で最も優れた報道写真」と認められた作品いろいろ 2010年版
    • スレブレニツァの虐殺 - Wikipedia

      13歳の少年の墓石(2007年7月11日) ボスニア・ヘルツェゴビナにおけるスレブレニツァの位置 スレブレニツァの虐殺[注釈 1](スレブレニツァのぎゃくさつ、セルビア語: Масакр у Сребреници、ボスニア語: Masakr u Srebrenici、英語: Srebrenica massacre)またはスレブレニツァ・ジェノサイド(Геноцид у Сребреници、Genocid u Srebrenici[2]、英語: Srebrenica genocide; 日本語名は英名による)は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中にボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァで1995年7月に発生した大量虐殺事件である。 当時国連軍の管理下にあり「安全地帯」(非武装地帯)とされていた当地において、セルビア人のラトコ・ムラディッチに率いられたスルプスカ共和国軍(Vojska Repu

        スレブレニツァの虐殺 - Wikipedia
      • 「ジェノサイド」、最も罪深くかつ証明しにくい戦争犯罪

        ボスニア・ヘルツェゴビナのZeleni Jadarの集団墓地から発見された1995年のスレブレニツァ(Srebrenica)虐殺事件の犠牲者の遺体を検証するInternational Commission for Missing Persons(ICMP、国際行方不明者委員会)の検視官(2008年7月10日撮影)。(c)AFP/ELVIS BARUKCIC 【7月22日 AFP】ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(1992-95年)の戦犯として13年間の逃亡生活を続け、21日に身柄拘束された当時のセルビア人勢力指導者、ラドバン・カラジッチ(Radovan Karadzic)被告が問われている罪の一つは、「スレブレニツァ(Srebrenica)の虐殺」におけるイスラム系住民らに対する「ジェノサイド」の罪だ。 「ジェノサイド」は国際人道法において最も重い罪でありながら、立件も最も難しい犯罪といわれて

          「ジェノサイド」、最も罪深くかつ証明しにくい戦争犯罪
        • 【国際社会に見捨てられた街】スレブレニツァの虐殺現場の今

          海外旅行をする人が必ず持つべきクレジットカードの決定版は? 国際ブランド、付帯保険、旅行中の特典、カードを選ぶポイントは様々。 海外40ヵ国以上を訪れた旅のプロがヨーロッパ向けクレカの選び方とおすすめを伝授している人気記事をチェック! 今からわずか20〜30年前のこと。当時のユーゴスラビア大統領であったチトーの死後に大統領の座を引き継いだセルビア人ミロシェビッチが掲げたイデオロギー「大セルビア主義」により、ユーゴスラビア構成国に独立模索と混乱の波が訪れます。 1992年に独立を宣言したボスニア・ヘルツェゴヴィナも例外ではなく、これに反発したセルビア人が主体のユーゴスラビア軍や、ボスニア系セルビア人による攻撃が始まりました。 特にボシュニャク人(ボスニア系ムスリム/イスラム教徒)は大セルビア主義にとっては「トルコ(オスマン帝国)からの侵略者」として考えられ、大セルビア主義に基づき、ボスニア・

            【国際社会に見捨てられた街】スレブレニツァの虐殺現場の今
          • 【AFP記者コラム】ボスニア紛争、スレブレニツァ虐殺の悪夢と取材の奇跡

            ボスニア東部スレブレニツァ近郊ポトチャリにある共同墓地で、新たに身元が確認された1995年の虐殺の犠牲者775人の共同埋葬に参加した女性(2010年7月11日撮影)。(c)AFP/DIMITAR DILKOFF 【7月21日 AFP】1995年夏。フランス革命記念日(Bastille Day)に仏軍が行う演習を取材するためクロアチアにいた私に、AFPの編集長から電話が入った。ボスニアへ行けるか?ボスニア東部の町スレブレニツァ(Srebrenica)がセルビア人勢力の手中に落ちたところだった。 もちろん私は「イエス」と答えた。ボスニアまでの旅費はあるか?いいえ。車は?いいえ。記者としては珍しく、私は運転免許さえ持っていない。でも、南スーダンやルーマニア、パレスチナ自治区ガザ地区(Gaza)での取材を通じ、現場へ行けばいつも小さな奇跡が導いてくれることを知っていた。 最初の奇跡は、クロアチア南

              【AFP記者コラム】ボスニア紛争、スレブレニツァ虐殺の悪夢と取材の奇跡
            • 国際司法裁判所、クロアチアとセルビアの「大量虐殺」の訴え棄却

              セルビアの首都ベオグラードの難民キャンプで手押し車で毛布を運ぶ援助団体の職員。旧ユーゴスラビア紛争の勃発以降このキャンプで過ごした人は2000人を超える(2015年2月3日撮影、資料写真)。(c)AFP/ANDREJ ISAKOVIC 【2月4日 AFP】国際司法裁判所(International Court of Justice、ICJ)は3日、クロアチアとセルビア両国が1991~95年の旧ユーゴスラビア紛争中に大量虐殺(ジェノサイド)を行ったと互いに告発していた訴訟で、双方の訴えを棄却した。両国は不本意ながらもこの歴史的な判決を受け入れ、バルカン半島(Balkans)の流血の歴史の新たな一ページをめくると約束した。 セルビアのトミスラブ・ニコリッチ(Tomislav Nikolic)大統領は、隣国同士が「恒久平和」を目指していく上でこの判決が一助となることを期待すると述べた。一方クロア

                国際司法裁判所、クロアチアとセルビアの「大量虐殺」の訴え棄却
              • 「慰安婦」訴訟における主権免除

                Ⅰ 序説 1 主権免除とは 主権免除とは、主権国家は他国の裁判権に従うことを免除されるという慣習国際法上の規則である。かつては主権平等の原則から導かれる絶対的な規則であるとされたが(絶対免除主義)、国家による商業行為の発展にともない、現在では主権行為には主権免除が適用されるが業務管理行為には適用されないと理解されている(制限免除主義、大法院1998.12.17判決、最高裁2006.7.12判決)。 主権免除の範囲を定める条約として、1972年の欧州国家免除条約、2004年の国連国家免除条約があるが、前者は加盟国が8ケ国に過ぎず、後者は未発効である(2。また、日本を含む10ケ国に主権免除の範囲を定める国内法がある。このような国内法がない場合(後述の韓国を含む)には、主権免除を認めるか否かは慣習国際法に基づいて決定されることになる。 2 主権免除と戦後補償裁判 しかし、戦争行為は典型的な主権行

                • ISISの残虐行為の科学的背景 - 今日の覚書、集めてみました

                  The science behind Isis savagery (ISISの残虐行為の科学的背景) By Professor Ian Robertson Telegraph: 2:32PM BST 18 Aug 2014 Carrying out beheadings and other extreme acts is unthinkable for most people, but the right cocktail of factors can make anyone an extremist, says neuroscientist Prof Ian Robertson 斬首などの過激な行動をとることは大半の人にとって想像し難いことです。しかし、相応しい要因の組み合わせにより、誰でも過激主義者に出来るのです。 As Islamic State militants in Iraq

                    ISISの残虐行為の科学的背景 - 今日の覚書、集めてみました
                  • あまりにも偏向した悪書,ベヴェリー・アレン『ユーゴスラヴィア 民族浄化のためのレイプ』 - Danas je lep dan.

                    前々から酷そうだと思ってはいたが,実際に読んでみたらなるほど酷かったでござるよの巻。というわけで,だいぶ古くてもう色々指摘がなされていそうだけど書いてみる。ユーゴスラヴィア 民族浄化のためのレイプ作者: ベヴェリーアレン,Beverly Allen,鳥居千代香出版社/メーカー: 柘植書房新社発売日: 2001/05メディア: 単行本クリック: 1回この商品を含むブログ (1件) を見る 原著は,Beverly Allen, Rape Warfare: The Hidden Genocide in Bosnia-Herzegovina and Croatia, Minneapolis: University of Minnesota Press, 1996。 最初に述べておくと,ユーゴスラヴィア内戦において「民族浄化」の手段として集団レイプが行われたことは史実である。問題は,どの民族もそれを

                    • アレッポ東部、約5万人がまだ退避できず 国連特使

                      シリア北部アレッポの反体制派の支配地区から避難し、同市西郊の反体制派が掌握するカーン・アサル地方に到着した人々(2016年12月15日撮影)。(c)AFP/Omar haj kadour 【12月16日 AFP】シリア内戦で激戦地となっていた北部アレッポ(Aleppo)では15日、政府軍との合意に基づき、東部の反体制派地域から民間人と戦闘員ら数千人が退避した。しかし、国連(UN)特使と仏外務省によると、いまだ約5万人が東部に取り残され、その多くは民間人だという。 国連のスタファン・デミストゥラ(Staffan de Mistura)シリア問題担当特使は15日、フランス・パリ(Paris)でジャンマルク・エロー(Jean-Marc Ayrault)仏外相と共に記者会見し「不幸なことに、まだ5万人が(アレッポ東部に)とどまっており、このうち4万人は民間人だ。残りは戦闘員1500~5000人とそ

                        アレッポ東部、約5万人がまだ退避できず 国連特使
                      • オランダ最高裁、「スレブレニツァの虐殺」で政府の責任を認める

                        ボスニア・ヘルツェゴビナのポトチャリ(Potocari)のメモリアルセンターから数百メートルのBudak村で見つかった大量虐殺の犠牲者の遺骨(2007年7月11日撮影、資料写真)。(c)AFP/HRVOJE POLAN 【9月8日 AFP】ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1995年7月に同国東部スレブレニツァ(Srebrenica)で、国連(UN)平和維持活動に参加していたオランダ軍部隊の施設から退去させられた後にセルビア人勢力によって殺害されたムスリム系住民の遺族が、住民の保護を怠ったとしてオランダ政府の責任を認めるよう求めていた裁判で、同国の最高裁は6日、政府の責任を認めた高裁判決を支持する判断を下した。 訴えていたのはセルビア人勢力のもとに送られて殺害された電気技師リゾ・ムスタフィッチ(Rizo Mustafic)さんの遺族と、セルビア人勢力に両親と兄弟を殺害された元国連通訳官ハサン

                          オランダ最高裁、「スレブレニツァの虐殺」で政府の責任を認める
                        • ウィキペディアにおけるジェンダーバイアス - Wikipedia

                          ウィキメディア財団の前事務局長であるスー・ガードナーは「なぜ女性はウィキペディアを編集しないのか」について、ウィキペディアの女性編集者が挙げた9つの理由を示した[1] 本項目ではウィキペディアにおけるジェンダーバイアス(ジェンダーギャップ、ジェンダーインバランス)について記載する。ウィキペディアの編集者の84%から91%が男性であると言われており[2][3]、ウィキペディアの全体的な偏りにつながっていると指摘されている[4]。編集者の参加が無料で開放的であり、ウィキペディアが編集者を採用するわけでもないにもかかわらず、このことはウィキペディアへの批判の1つである。そのため、人物を紹介する記事の約8割は男性で、女性は実績があって著名でも記事が存在しないケースも多い[5]。ウィキペディアのコミュニティはこの問題を認識しており、このジェンダーギャップを縮めようと試み、ウィキペディアに女性の記事を

                            ウィキペディアにおけるジェンダーバイアス - Wikipedia
                          • ボスニア虐殺20年の追悼式典、セルビア首相に投石

                            ボスニア東部スレブレニツァで行われた追悼式典で、出席した人々から石を投げられるセルビアのアレクサンダル・ブチッチ首相の一行と、一行を守る警備隊員(2015年7月11日撮影)。(c)AFP/ELVIS BARUKCIC 【7月12日 AFP】1990年代のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中、ボスニア東部スレブレニツァ(Srebrenica)でイスラム教徒8000人近くがセルビア人勢力に虐殺された事件から20年を迎え、11日に追悼式典が行われた。しかし出席したセルビアのアレクサンダル・ブチッチ(Aleksandar Vucic)首相に群衆から石やペットボトルが投げつけられる騒ぎがあり、首相は退席を余儀なくされた。 スレブレニツァでの虐殺は、欧州で発生した残虐行為として第2次世界大戦(Warld War II)以来最悪とされている。紛争ではボスニアの3民族が内戦に突入し、セルビアはその最中から終結後

                              ボスニア虐殺20年の追悼式典、セルビア首相に投石
                            • オランダ政府、「スレブレニツァの虐殺」の遺族に賠償へ 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

                              ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァ(Srebrenica)近郊ポトチャリ(Potocari)の記念墓地で、1995年のスレブレニツァの虐殺で死亡し、このほど埋葬が決まった犠牲者のひつぎに祈りを捧げる遺族の女性(2013年7月10日撮影、資料写真)。(c)AFP/ELVIS BARUKCIC 【4月11日 AFP】オランダ政府は10日、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1995年に同国東部スレブレニツァ(Srebrenica)で平和維持活動中のオランダ軍部隊によって国連(UN)施設から退去させられた後にセルビア人武装勢力に殺害されたイスラム教徒の男性3人の遺族4人に対し、それぞれ2万ユーロ(約280万円)の賠償金を支払うと発表した。 オランダの最高裁は昨年、3人の死の責任はオランダ政府にあるとの判断を下していた。国連平和維持部隊の行動に対し一国の政府の責任が認められたのは、これが初めて。

                                オランダ政府、「スレブレニツァの虐殺」の遺族に賠償へ 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
                              • ムラディッチ被告終身刑、虐殺遺族に安堵 「息子の死に償い」

                                ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァ近郊ポトチャリにある追悼施設で、ラトコ・ムラディッチ被告に終身刑を言い渡した旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)の判決を聞くジェノサイド(大量虐殺)犠牲者の遺族(2017年11月22日撮影)。(c)AFP/Dimitar DILKOFF 【11月23日 AFP】「神よ、感謝します!」ネドジバ・サリホビッチ(Nedziba Salihovic)さんは、国連(UN)の法廷がボスニア・ヘルツェゴビナ内戦(1992~95年)の戦犯ラトコ・ムラディッチ(Ratko Mladic)被告(74)に終身刑を言い渡した瞬間、喜びで飛び上がった。 サリホビッチさんは他の大勢のボスニア人イスラム教徒と共に、オランダ・ハーグ(Hague)の旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)がセルビア人武装勢力の元司令官ムラディッチ被告に、ジェノサイド(大量虐殺)と戦争犯罪の罪で判

                                  ムラディッチ被告終身刑、虐殺遺族に安堵 「息子の死に償い」
                                • 旧ユーゴ・スレブレニツァ虐殺から18年、新生児など409人を新たに埋葬

                                  ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1995年に、現在のボスニア東部スレブレニツァ(Srebrenica)でイスラム系の男性と少年およそ8000人がセルビア人武装勢力に殺害されたスレブレニツァ虐殺事件から、11日で18年を迎えた。 スレブレニツァ近郊ポトチャリ(Potocari)の記念墓地では、昨年遺骨が発見されたうち新たに身元が判明した409人の犠牲者の埋葬式典が行われ、1万5000人を超える人々が参列して祈りを捧げた。今回埋葬された犠牲者には、14~18歳の少年44人と女性2人のほか、セルビア人から逃げてきたイスラム系女性がポトチャリの国連軍基地で出産し、直後に死亡した新生児の女児も含まれている。この女児の遺体は、虐殺で犠牲となった父親の墓の隣に埋葬された。 写真はポトチャリの記念墓地で、親類の墓の前で涙を流す虐殺事件の生存者の女性ら(2013年7月11日撮影)。(c)AFP/ELVIS

                                    旧ユーゴ・スレブレニツァ虐殺から18年、新生児など409人を新たに埋葬
                                  • 旧ユーゴ戦犯法廷、カラジッチ被告に禁錮40年 大量虐殺で有罪

                                    オランダ・ハーグの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)で、判決の言い渡しを待つ元セルビア人勢力指導者ラドバン・カラジッチ被告(2016年3月24日撮影)。(c)AFP/Robin van Lonkhuijsen 【3月25日 AFP】ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦(1992~95年)中、第2次世界大戦(World War II)以来欧州で最悪の残虐行為に及んだとされる当時のセルビア人勢力指導者、ラドバン・カラジッチ(Radovan Karadzic)被告(70)に対し、オランダ・ハーグ(Hague)にある国連(UN)の旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)は24日、ジェノサイド(大量虐殺)などの罪で禁錮40年の有罪判決を言い渡した。 クォン・オゴン(O-Gon Kwon)裁判官は、1995年にスレブレニツァ(Srebrenica)でイスラム教徒の成人男性や少年約8000人が殺害されたジ

                                      旧ユーゴ戦犯法廷、カラジッチ被告に禁錮40年 大量虐殺で有罪
                                    • スレブレニツァの犠牲者300人は「国の責任」、オランダ裁判所

                                      ボスニア東部スレブレニツァ(Srebrenica)近郊ポトチャリ(Potocari)にある墓地で、1995年のスレブレニツァの虐殺で殺害された親族のひつぎのそばで涙を流す女性(2014年7月11日撮影)。(c)AFP/ELVIS BARUKCIC 【7月17日 AFP】オランダの裁判所は16日、第2次世界大戦(World War II)以来に欧州で起きた最悪の虐殺事件「スレブレニツァ(Srebrenica)の虐殺」で殺害されたイスラム教徒の男性や少年のうち、300人以上の死についてオランダ国家の責任を認める判決を下した。 1995年に起きた同事件では、ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦終結のわずか数か月前に、セルビア人武装勢力により8000人もが殺害された。オランダ政府は、同国の国連(UN)平和維持部隊が犠牲者らの保護を怠ったとして、遺族らから訴えられていた。 イスラム教徒が暮らす小さな飛び地

                                        スレブレニツァの犠牲者300人は「国の責任」、オランダ裁判所
                                      • スレブレニツァ虐殺の7被告、旧ユーゴ国際戦犯法廷で判決

                                        中途半端な英語使いが英国からのニュースを東京で読み、あちこちふらふらうろうろ。時々嘘。 はてブ = http://b.hatena.ne.jp/nofrills Twitter = http://twitter.com/nofrills Twitterのログ = http://twilog.org/nofrills ◆「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月) ◆「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月) ◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください

                                          スレブレニツァ虐殺の7被告、旧ユーゴ国際戦犯法廷で判決
                                        • カラジッチ被告「私は表彰されるべき」、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷

                                          オランダ・ハーグ(Hague)の旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(International Criminal Tribunal for the former Yugoslavia、ICTY)で開かれた公判に出廷したラドバン・カラジッチ(Radovan Karadzic)被告(2012年10月16日撮影)。(c)AFP/Robin van Lonkhuijsen 【10月17日 AFP】オランダ・ハーグ(Hague)の旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(International Criminal Tribunal for the former Yugoslavia、ICTY)で16日、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦(1992~95年)中の残虐行為で人道に対する罪などに問われている当時のセルビア人勢力指導者、ラドバン・カラジッチ(Radovan Karadzic)被告(67)の公判が開かれた。カラジッ

                                            カラジッチ被告「私は表彰されるべき」、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷
                                          • ムラディッチ被告の終身刑確定 「ボスニアの虐殺者」

                                            オランダ・ハーグの国際法廷に出廷し、顔をふくラトコ・ムラディッチ被告(2021年6月8日撮影)。(c)Peter Dejong / POOL / AFP 【6月9日 AFP】オランダ・ハーグの国連(UN)国際刑事法廷メカニズムは8日、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦のセルビア人勢力軍事部門元司令官で、「ボスニアの虐殺者」との異名をとるラトコ・ムラディッチ(Ratko Mladic)被告について、ジェノサイド(大量虐殺)などの罪で終身刑とした一審の判決を支持した。これで同被告の刑が確定した。 一審は2017年、ムラディッチ被告に対し、1992~95年のボスニア・ヘルツェゴビナ内戦時のジェノサイド、戦争犯罪、人道に対する罪で終身刑を言い渡し、被告は控訴していた。 ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦では、セルビア人勢力がスレブレニツァ(Srebrenica)を制圧した際、イスラム教徒の男性と少年を中心とし

                                              ムラディッチ被告の終身刑確定 「ボスニアの虐殺者」
                                            • 壊れる前に…: ジェノサイドを否定

                                              New Serbian president claims Srebrenica 'not genocide' - 先週セルビアの大統領に就任した極右民族主義者の Tomislav Nikolić がスレブレニツァの虐殺は「ジェノサイドではない」と語りました。 1995年7月11日、ボスニア・ヘルツェゴビナ。国連によって安全区とされていた Srebrenica という町で、8,000人ものムスリム系ボスニア人がセルビア系の民兵組織に殺されたとされるこの事件は、国連の旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)によってセルビアによるジェノサイドであったと認められています。 ニコリッチ大頭領はモンテネグロ国営テレビのインタビューに応え、「深刻な戦争犯罪が犯されたが、ジェノサイドではない」と述べたそうです。 セルビア国内では、スレブレニツァの虐殺を否定する歴史修正主義的な言説がまかり通っているようで、

                                              • スレブレニツァ虐殺から20年、新たに身元が判明した犠牲者を埋葬へ

                                                ボスニア東部スレブレニツァ近郊ポトチャリの施設で、新たに墓地に埋葬される「スレブレニツァの虐殺」犠牲者のひつぎにすがって嘆き悲しむ遺族たち(2015年7月9日撮影)。(c)AFP/DIMITAR DILKOFF 【7月10日 AFP】ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争末期の1995年にイスラム教徒の男性と少年およそ8000人がセルビア人部隊に殺害されたボスニア東部の町スレブレニツァ(Srebrenica)に9日、新たに身元が判明した犠牲者136人のひつぎが到着した。「スレブレニツァの虐殺」から20年を迎える11日に、記念墓地に埋葬される。 記念墓地には既に6241人の遺骨が眠っている。スレブレニツァの犠牲者のほとんどは、遺骨の一部しか見つかっていない。虐殺の規模を隠ぺいする目的で、多数の遺骨が当初の集団墓地から別の場所に移されたからだ。 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では、約10万人が命を落とした

                                                  スレブレニツァ虐殺から20年、新たに身元が判明した犠牲者を埋葬へ
                                                • セルビア大統領、スレブレニツァ虐殺で初の謝罪

                                                  セルビア首都ベオグラード(Berlgrade)で撮影されたトミスラフ・ニコリッチ(Tomislav Nikolic)大統領(2012年5月15日撮影、資料写真)。(c)AFP/ANDREJ ISAKOVIC 【4月26日 AFP】セルビアのトミスラフ・ニコリッチ(Tomislav Nikolic)大統領は25日、ボスニア国営テレビのインタビューで、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1995年7月に約8000人のイスラム教徒が殺害されたスレブレニツァ(Srebrenica)虐殺事件について、私的な謝罪の言葉を初めて口にした。だが一方で、事件を「大量虐殺」と呼ぶことは避けた。 「スレブレニツァで行われた犯罪行為について、私はひざまずいてセルビアへの許しを請う」。同大統領は、第2次世界大戦以後に欧州で行われた最も残虐な大量虐殺について、こう語った。「我々の国家や国民の名の下に、個人が犯した犯罪行為

                                                    セルビア大統領、スレブレニツァ虐殺で初の謝罪
                                                  • ボスニア虐殺決議案、ロシアが拒否権行使で否決

                                                    ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボに近いビソコで、1995年の「スレブレニツァの虐殺」の犠牲者として新たに認定された136人のひつぎを運ぶトラックに触れ、涙を流す女性(2015年7月9日撮影)。(c)AFP/DIMITAR DILKOFF 【7月9日 AFP】国連(UN)安全保障理事会は8日、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中の1995年7月に起きた「スレブレニツァ(Srebrenica)の虐殺」を「ジェノサイド(大量虐殺)」として非難する決議案を採決したが、常任理事国のロシアが拒否権を行使し否決された。 スレブレニツァの虐殺では、8000人近くのイスラム教徒の男性や少年がボスニアのセルビア人部隊に殺害され、第2次世界大戦(World War II)以後に欧州で起きた最悪の虐殺事件となった。 決議案は、事件から20年の節目に合わせ、英国が提出。安保理15か国のうち、アンゴラと中国、ナイジェリア

                                                      ボスニア虐殺決議案、ロシアが拒否権行使で否決
                                                    • 「スレブレニツァの虐殺」、オランダ政府に一部責任 控訴裁判決

                                                      オランダ・ハーグで、「スレブレニツァの虐殺」をめぐる裁判に臨む裁判官ら(2017年6月27日撮影)。(c)AFP/ANP/Remko de Waal 【6月27日 AFP】ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争末期の1995年、ボスニア東部の町スレブレニツァ(Srebrenica)で起きた虐殺事件について、オランダの控訴裁判所は27日、当時、国連(UN)の平和維持部隊として自軍を派遣していたオランダ政府にも一部責任があるとの判断を下し、賠償金の支払いを命じた。 同裁判所は2014年に出された下級審の判決をほぼ支持し、「スレブレニツァの虐殺」のうちイスラム教徒の男性約350人の殺害にオランダ政府の責任があると裁定した。この事件では、イスラム教徒の男性や少年8000人近くが殺害されている。 1時間に及んだ判決で裁判官は、「オランダ国家は不法な行動を取った」とし、「セルビア人武装勢力がイスラム教徒の男性と

                                                        「スレブレニツァの虐殺」、オランダ政府に一部責任 控訴裁判決
                                                      • コソボ、ノーベル文学賞のハントケ氏を入国禁止に

                                                        スウェーデンのストックホルムで行われたノーベル賞授賞式で、演説するオーストリア人作家ペーター・ハントケ氏(2019年12月10日撮影)。(c)Jonathan NACKSTRAND / AFP 【12月12日 AFP】オーストリア人作家ペーター・ハントケ(Peter Handke)氏の2019年ノーベル文学賞(Nobel Prize in Literature)受賞に抗議の声が上がる中、コソボは11日、ハントケ氏を「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」に指定し、入国を禁止した。ハントケ氏は、コソボを何度も訪れていた。 バルカン(Balkan)半島諸国で、ハントケ氏はユーゴスラビア紛争中のセルビア人による残虐行為の擁護者とみなされており、スウェーデン・アカデミー(Swedish Academy)が同氏を受賞者に選定したことで、古傷が暴かれる事態となっている。 ハントケ氏の受賞をめ

                                                          コソボ、ノーベル文学賞のハントケ氏を入国禁止に
                                                        • Aleppo Syria battle: Evacuation of rebel-held east

                                                          BBC correspondents chart how rebels lost their hold on Aleppo after four years More than 3,000 people have been evacuated in buses and ambulances from a besieged rebel-held enclave in the Syrian city of Aleppo, officials say. The International Committee of the Red Cross (ICRC) says the full evacuation of civilians and rebels is likely to take several days. Government forces, backed by Russian alli

                                                            Aleppo Syria battle: Evacuation of rebel-held east
                                                          • Who will help Myanmar's Rohingya?

                                                            Tens of thousands of Rohingya have fled to refugee camps in Bangladesh since October Rejected by the country they call home and unwanted by its neighbours, the Rohingya are impoverished, virtually stateless and have been fleeing Myanmar in droves and for decades. In recent months, tens of thousands of Rohingya have fled to Bangladesh amid a military crackdown on insurgents in Myanmar's western Rak

                                                              Who will help Myanmar's Rohingya?
                                                            • CW2_A602065A.indd

                                                              レファレンス 2008. 3 113 レファレンス 平成20年 3 月号 国立国会図書館調査及び立法考査局 欧米諸国における軍隊の海外派遣手続き(事例紹介) ―議会の役割を中心に― 福 田 毅 目 次 はじめに Ⅰ 議会による派遣承認が法制で義務づけられている国 1 アイルランド 2 イタリア 3 オーストリア 4 スウェーデン 5 スペイン 6 チェコ 7 ドイツ 8 ハンガリー 9 米国 Ⅱ 議会による派遣承認が慣例となっている国 1 オランダ 2 デンマーク 3 ノルウェー 4 フィンランド Ⅲ 議会による派遣承認が義務でも慣例でもない国 1 イギリス 2 オーストラリア 3 カナダ 4 フランス 5 ベルギー 6 ポーランド 7 ポルトガル 8 ルクセンブルク おわりに――若干の考察 ―資料― レファレンス 2008. 3 114 はじめに 多くの国の憲法は、軍の指揮権や戦争状態の

                                                              • 「どこかで生きているかも…」 息子を待つ母親たちの苦悩 スレブレニツァの虐殺から25年

                                                                ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァに近いポトチャリの墓地を歩くメイラ・ジョガスさん(2020年7月3日撮影)。(c)ELVIS BARUKCIC / AFP 【7月13日 AFP】ファティマ・ムジッチ(Fatima Mujic)さんは毎日、夫と3人の息子に祈りをささげている。4人は、ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァ(Srebrenica)で、25年前の夏に数日間繰り広げられたイスラム教徒の大虐殺で殺されたのだ。 だが、今も行方が分からない長男に祈りをささげることは毎回ためらってしまうと、ムジッチさんはAFPに語った。「どこかで生きているとまだ思っている。長男のために祈り始めると手が震えて、どうすればいいのか分からなくなる」 ボスニア・ヘルツェゴビナでは、1992年から始まった内戦が終わりに近づいていた1995年7月11日、イスラム系住民が多数を占めるボスニアの町、スレブレニツ

                                                                  「どこかで生きているかも…」 息子を待つ母親たちの苦悩 スレブレニツァの虐殺から25年
                                                                • 元セルビア人指導者カラジッチ被告の上訴審、検察は終身刑求める

                                                                  オランダ・ハーグの国際刑事法廷メカニズム(MICT)の法廷で上訴審の審理に臨むボスニア・ヘルツェゴビナ内戦のセルビア人勢力指導者ラドバン・カラジッチ被告(2018年4月24日撮影)。(c) AFP PHOTO / ANP / Yves Herman 【4月25日 AFP】2016年にオランダ・ハーグ(Hague)の国連(UN)旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)でジェノサイド(大量虐殺)などの罪で禁錮40年の有罪判決を言い渡されたボスニア・ヘルツェゴビナ内戦のセルビア人勢力指導者、ラドバン・カラジッチ(Radovan Karadzic)被告(72)の上訴審の審理が23、24日の両日、ハーグで行われた。被告側は無罪あるいは裁判のやり直しを、検察側は終身刑を求めた。 審理はICTYを継承したハーグの国際刑事法廷メカニズム(MICT)の法廷で行われ、最終日の24日、カラジッチ被告は検察側の起

                                                                    元セルビア人指導者カラジッチ被告の上訴審、検察は終身刑求める
                                                                  • Serb leader Tadic apologises for 1991 Vukovar massacre

                                                                    The two leaders went together to the memorial at Ovcara and laid wreaths at the site of the mass grave President Boris Tadic has become the first Serbian leader to pay his respects to Croatian victims of a notorious 1991 massacre. During a visit to a memorial to 260 people murdered at Vukovar, Mr Tadic gave a statement expressing his "apology and regret". Vukovar was captured in November 1991 afte

                                                                      Serb leader Tadic apologises for 1991 Vukovar massacre
                                                                    • セルビア:アンジェリーナ・ジョリーとのメディア戦争

                                                                      アンジェリーナ・ジョリーは、彼女の映画監督デビュー作「In the Land of Blood and Honey(原題)」について、公開からひと月あまりの間、アメリカでの評判よりもボスニア・ヘルツェゴビナとセルビアでの評判を気にかけていた。それら両国の観客の反応を特別の関心を寄せて待っていたのは、その戦争映画でそれらの国の人々を描いたからだった。そして、彼女の心配は実証されることになった。 ボスニア・ヘルツェゴビナのムスリムが、セルビア人警官とボスニア・ヘルツェゴビナのムスリム女性との戦争ラブストーリーを温かく歓迎する一方、セルビアのメディアは、セルビア人に対する憎しみを広めたとして非難し、ジョリーに対する戦争をはじめた。 セルビアの日刊紙クリルは、セルビアでのジョリーの名声を著しく傷つける連載記事[sr]を開始した。 アンジェリーナはこの映画で、30万人のムスリムがボスニア・ヘルツェゴ

                                                                        セルビア:アンジェリーナ・ジョリーとのメディア戦争
                                                                      • オランダの恥 | 小林恭子の英国メディア・ウオッチ

                                                                        「スレブレニツァ虐殺事件」は、オランダにとって重い意味を持つようだ。〔この町の読み方はいろいろあるようだ。) elmoiyさんにご指摘いただきネットを見ると、ヤフーなどから時事通信の記事他が出た。 国連とオランダを提訴=スレブレニツァ虐殺事件の遺族 6月5日6時0分配信 時事通信 【ブリュッセル4日時事】ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦末期の1995年、東部スレブレニツァでセルビア人勢力に虐殺されたイスラム系住民約8000人の遺族が、虐殺を傍観したとして、国連とオランダ政府の責任を問う集団訴訟をオランダ・ハーグ地裁に起こした。 原告は、オランダに設立された遺族会「スレブレニツァの母たち」に属する遺族約6000人で、国連とオランダ政府の責任を認定するよう求めている。金銭的な補償は求めていない。 これとは別の遺族10人は、一人当たり2万5000ユーロ(約410万円)の損害賠償を請求している。 おそ

                                                                          オランダの恥 | 小林恭子の英国メディア・ウオッチ
                                                                        • スレブレニツァの虐殺から25年、ボスニア・ヘルツェゴビナ

                                                                          1995年に「スレブレニツァの虐殺」が起きたボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァに近いポトチャリの墓地で、新たに身元が特定された犠牲者の埋葬式に参列し、ひつぎの前で故人を悼むボスニアのイスラム教徒の女性ら(2020年7月11日撮影)。(c)ELVIS BARUKCIC / AFP 【7月12日 AFP】ボスニア・ヘルツェゴビナは11日、1995年に起きたスレブレニツァ(Srebrenica)の虐殺から25年を迎え、現地で追悼式典が行われた。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)を受け、式典の規模は大幅に縮小された。 新型ウイルスの拡大を食い止めるため厳格な制限措置が取られたが、多くの人が追悼式典に参列。式典の中で過去1年間で身元が明らかになった犠牲者9人の遺体が埋葬された。 1995年7月11日、イスラム系住民が多数を占めるボスニアの町、スレブレニツァをセルビア人武装勢力が

                                                                            スレブレニツァの虐殺から25年、ボスニア・ヘルツェゴビナ
                                                                          • 「スレブレニツァでジェノサイドはなかった」――セルビア新大統領トミスラヴ・ニコリチの発言をめぐって - Danas je lep dan.

                                                                            「スレブレニツァでは何人かのセルビア人による戦争犯罪がおかされた,だがジェノサイドはなかった」 先日,モンテネグロのTVにおいてセルビアの新大統領トミスラヴ・ニコリチ(Tomislav Nikolić)が上のような発言をしたと各所で報じられている(この件については,id:nofrillsさんのまとめ*1が非常に参考になりました。ありがとうございます)。 BBC News - Srebrenica 'not genocide' - Serbia's President Nikolic Serbian president denies Srebrenica genocide - World news guardian.co.uk New Serbian president claims Srebrenica 'not genocide' - News - DW.DE では,実際にニコリチは何と

                                                                            • Best Pictures Of The Decade: The Noughties >> TotallyCoolPix

                                                                              01. The second tower of the World Trade Center explodes into flames after being hit by a airplane, New York September 11, 2001 with the Brooklyn bridge in the foreground. Both towers of the complex collapsed after being hit by hijacked planes. REUTERS/Sara K. Schwittek TotallyCoolPix is all about the images and this is a retrospect all about the years 2000-2010 aka The Noughties. We could write ab

                                                                              • Watch: Full Video of WikiLeaks’ Julian Assange & Philosopher Slavoj Žižek With Amy Goodman

                                                                                In one of his first public events since being held under house arrest, WikiLeaks editor-in-chief Julian Assange appeared in London Saturday for a conversation with Slovenian philosopher Slavoj Žižek, moderated by Democracy Now!’s Amy Goodman. They discussed the impact of WikiLeaks on world politics, the release of the Iraq and Afghanistan war logs, and Cablegate — the largest trove of classified U

                                                                                  Watch: Full Video of WikiLeaks’ Julian Assange & Philosopher Slavoj Žižek With Amy Goodman
                                                                                • 国際戦犯法廷、元ユーゴ連邦軍参謀総長に禁錮27年

                                                                                  国連(UN)旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(International Criminal Tribunal for the former Yugoslavia、ICTY)に入るモムチロ・ペリシッチ(Momcilo Perisic)被告(2011年9月6日撮影)。(c)AFP/PETER DEJONG 【9月7日 AFP】オランダ・ハーグ(Hague)の国連(UN)旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(International Criminal Tribunal for the former Yugoslavia、ICTY)は6日、元ユーゴ連邦軍参謀総長のモムチロ・ペリシッチ(Momcilo Perisic)被告(67)に対し、1995年にボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァ(Srebrenica)でイスラム系住民大虐殺を指揮したなどとして、禁錮27年の実刑判決を言い渡した。 ペリシッチ被告は、

                                                                                    国際戦犯法廷、元ユーゴ連邦軍参謀総長に禁錮27年