僕が次世代PlayStation(PS2)のチームに配属されて言い渡された仕事は現行PlayStation(PS1)のゲームをPS2の上でも動かすというものだった。 その頃は新しいゲーム機が出ると古いゲーム機のゲームはその上では動かないというのが普通だった。そんな中SCEではPS2でPS1のゲームも動かしちゃおうというのだ。それはとても画期的なことだと思った。そして、入社して数年目にそんな仕事に関われることがとても嬉しかった。
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僕達が作ろうとしていたSPUエミュレータは不要のものとなってしまった。しかし、PS2のサウンドプロセッサがなくなるわけではない。先輩と「これからの仕事は何になるんですかね?」「新しいチップのテストベクタでも作るんですかね?」などと話ながら帰ってきた僕に告げられた次の仕事は予想外のものだった。 「え?」という感じだった。GPUエミュレータは別の先輩が担当していた。聞けば、その先輩は会社をお辞めになるというのでその引き継ぎをしろということだった。GPUはグラフィックのプロセッサだ。サウンドからグラフィックへの大転換である。しかし、僕に選択肢などあるわけないのでわけも分からぬまま引き受ける。 僕にとってエミュレータは一種のコンバータだ。古いプロセッサ用の命令を新しいプロセッサ用の命令に変換するのがメインのお仕事だ。実際のところ、サウンドだろうがグラフィックだろうが、変換後の命令の動きが違うだけで
1999年3月2日未明、僕は東京国際フォーラムの舞台袖にいた。その日は次世代PlayStation(PS2)の発表の日だった。僕の担当は現行PlayStation(PS1)との互換性があることを発表する時に実機で動くPS1ゲームを実演して見せることだった。 前の晩からスタンバっていたのには理由があった。初めてリッジレーサーが動いてから数ヶ月、GPUエミュレータは格段に進歩していた。たくさんのPS1ゲームが動くようになり、その中でも一番良く動くクラッシュ・バンディクー3をデモ用のゲームとすることになった。しかし、たまに止まるのだ。 デモ中に止まったら大変なことだ。結局当日までそのバグはとれなかった。だが、ずっと動かし続けていれば止まらないということがわかっていた。そこで夜を徹してクラッシュ・バンディクー3を実機で動かし続ける…ということになったのだ。
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