引越し遍歴パートⅡ 2018年に「上京して10年で引越しを6回した」というブログを書いた。 月日は流れ、あれから6年…さらに2回の引越しをした。ホテル暮らしも含めると3回かもしれない。 前回の記事では主に神奈川〜千葉〜東京の引越し事情を書いた。関東の浅瀬でちゃぷちゃぷ遊んでいたに過…
![牛丼屋で接客の達人のおばちゃんに会った - G.A.W.](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/06a15c64ba0ceec233d86d71001ebb29a9dcbf5d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Ftheme%2Fog-image-1500.png)
この人は実兄の横暴から決して自分を守ってくれる事はない フラグが立ったんだろ。 すっかり冷え切った心で打ったメールに心情がよく出てるよ。 優しすぎるとは言われても 思いやりがある&何があっても私を守ってくれる とは言われたことがないだろ? — 2ちゃんねる駆け込み寺まとめ@ ウィキ - DQN兄貴 ◆UJzKvaq5Do 人から優しい人と評されている人のほとんどが、単純にスルー能力が高いだけだったりする場合が多いので要注意。 彼らが優しいのはあなたの行動を制限しないというだけであって、あなたが本気で困っていて助けを求めたとき、彼らは瞬時に頭の中で損得勘定をし結果デメリットが少しでもあると判断すれば、その場でただほほえむだけで、1杯の水すらくれないよ。 こういう人と結婚した人は、否応なしに強くなれる。でも、強くなった自分に気づいたとき、速攻離婚の手続きすると思うけど。 私の場合は、私
1.第1分類の馬鹿 (一般的な馬鹿) これは、倫理観は正常であるが、思考回路の能力が低いので、馬鹿だと思われるタイプ。 修正舵(教育とも言う)を当てることにより、ある程度の補正は可能だし、倫理観・道徳観は正常なので、人に危害を加えることは少ない、平和な馬鹿。外見で区別ができるので、避けやすいけど、別に避ける必要はない。普通に付き合うと、幸せになれると思う。深く付き合うといらつくけど、いらつくのは自分の責任であり、相手にそこまで求めることは間違っていると思う。 自分がこの分類に入ると思ったら、相場に手を出してはいけない。貯金しなさい。 2.第2分類の馬鹿 (見かけは正常だが実は馬鹿) 日本人で、特に高等教育を受けた人に多い。倫理観・道徳観が異常で、頭の回転が速いタイプ。 この馬鹿は、見た目は頭が良いように見えるが、「絶対に近寄ってはいけない」。このタイプの馬鹿は分類1と2の馬鹿を巻き込んで、
こういう⇒瀧澤くんとやらは典型的なパーである。 もうちょっと私も血気があったら、あいつとかあいつとかあいつとかみんーんな闇討ちにしてやろうとか思うけど、し・な・い・よ。 あれなんだよ、「瀧澤くん」って知らないんでそれは除外として、一般的に「典型的なパー」というのは一種のマシーンみたいなものというか、フナムシみたいなものというか、相手にしても無駄なんだよね。沸いてくる沸いてくる。そういう言論構造のマシーンなんだから。で、そういうの相手にしていると、自分もマシーンになっちゃうんだよ。 で、私について言えば、私の敵対者というか、悪の臭いのするやつっていうのは、それなりにたいしたもんだよと私は思いますよ。悪な分だけ。っていうか、私がこいつら悪だなと思う主観にすぎないんだけどね。 悪というのは、誘惑がその本質、いやその本質的機能というべきかな。魅了があるわけですよ。うぜぇうぜぇうぜぇと思うだけ負けて
彼は、楽しい方に楽しい方にと、どんどん移り住んでいく性格の人間なんだよ。 今属してるグループが割と楽しくても、向こうのグループの方が楽しそうだと思ったら、すかさずそっちに移って、また楽しそうなグループがあったらそっちに移る、っていう具合にね。 そうやって、楽しい方に楽しい方にって進んでいくから、別にアナタが望んでいるような、お互いの自意識を尊重したまったり平和な友人関係は彼は望んでないんだよ。 アナタの自意識を尊重しようとも思わないし、アナタのコンプレックスがどうとかも気にしないし、ただ楽しければいいんだよ。 だってアナタの自意識を尊重すると、面白い事が起こるの?笑えるイベントがあるの? で、彼みたいな人間は、楽しそうな方、楽しそうな方って進んでいて、ガッツリどこかに属してる訳じゃないから、どうしても孤立してしまう時間が出来ちゃうんだよね。 で、アナタの登場だ。 アナタは別に、面白い人間で
という事は大事だろうか。 これはある人のブログを読んでいて、その捉え方をまだいまいち掴みきれず感じることなのだけれど、ここで問題にするのはもう少し別の事になる。 「自分にとってどうあるか」。物事がすべて己に意味のある作用をするものでなければならないのか。 その捉え方は常人から見れば、世界に対する子供じみた理解であり、執着でもある。 人はある時点まで来れば、自分の存在が重要などでない事を悟る。そこまで行き着かなければ生きた事にもならないだろうが、その集団は無意識に「その地点」への果てしない距離を作り出す軸を持っていたかとも思う。 「自分が意味ある人間である」としたい意識は、早々完全に捨てきれるものではないが、無自覚に、強く持っていた場合災いを呼ぶ。今回、この傾向はいろいろな所で見えていた。オウムが道を間違えた事にこの意識が働いていたのかは知らないが、今オウムから意識が抜けつつある人間を見てい
(05/15)豪雨の前兆 52 (09/27)暗闇坂ノボル (09/27)暗闇坂クダル (09/27)暗闇坂 (09/06)夏の終わりのB.5 8. (09/06)夏の終わりのB.5 7. (09/06)夏の終わりのB.5 6. (09/06)夏の終わりのB.5 5. (09/06)夏の終わりのB.5 4. (09/06)夏の終わりのB.5 3. (09/04)味について (09/04)夏の終わりのB.5半 (09/04)夏の終わりのB.5 (08/25)濃色のサーブ 3. (08/25)濃色のサーブ 2. (08/25)濃色のサーブ (08/10)大黒様 2 (08/10)大黒様 (08/10)うなぎ 3 (08/10)うなぎ 2 Whisper Not by alamal (12/02) Whisper Not by alamal(eshek) (12/02) Whisper Not
「私はうつ病じゃないんですか?」 「うつ病ではありません。」 「私は統合失調症じゃないんですか?」 「統合失調症でもありません。」 「一体何の病気なんですか?」 「あなたは神経症でもアスペルガー障害でも精神発達遅滞でも躁鬱病でも摂食障害でもナルコレプシーでも認知症でもない。」 「じ、じ、人格障害だとでもいうのですか?」 「もちろん、人格障害のどのタイプにも該当しない。」 「じゃあ、なんだっていうんですか!」 「つまり、あなたは精神医学の枠組みでは疾患や障害にはあたらない、ということです。」 「先生、私は一体何だというんですか!」 「標準偏差のなかに入る、ごく普通の人、ということになると思う。」 「……。」 「ただし、それは精神医学の物差しで言えば、の話です。善悪の物差しで言えば、一般に、あなたの所業はクズ、と呼ばれるに値するものだと思います。」 「クズ…。」 「違うというのですか。」
なぜだか知らないが、世の中にはとにかく他人が羨ましくて羨ましくて仕方のないひとがいて、そういうひとは、他人のちょっとした美点だの恵まれているように思える点だのひとつひとつに過敏に反応して、ひねくれたけなし方をしたり、誉めるとしてもゼッタイに気持ちよく受け取れないような誉め方をした挙句に 「私なんか、シロイさんに比べると」 「シロイさんは悩みなんてないでしょう。いいなあ。私とは違う」 とかゆーこちらとしてはどう返していいか皆目見当のつかないフレーズをほいほい投げてきやがるんですけれども。 ええまあ確かに私はあなたとは違うでしょうよ。 両親も違うし、出身地も違うし、誕生日も違うもの。 あなた以外の人間は、全員あなたじゃないからねー? でもでもほら、私なんて、あなたと違って、今年は職と家と彼氏を一度にうしなって、金もなくて、限りなく路頭に迷う系のひとになって、ほんとNHKスペシャルのワーキングプ
■[メモ]キャラとかうるせえこといってんじゃねえよ 「キャラを立てる」ことと「キャラ設定を作りこむ」ことはまったく別のはなしだと思うんだけど、そこを混同して、作りこんだ設定さえ用意すれば簡単に話や世界が作れると勘違いしている作品がけっこう多い気がしてならないのであった。いくら設定があったって行動やエピソードで描かれなかったら意味ねえよ。そして作品のテーマや物語の構造に関係ない設定がいくらあったところで、それは何ら作品の面白さに寄与しない。 ふと思ったのは、アニメのムックとかってキャラ設定とキャラ紹介が一緒にのってたりするじゃないすか。そのこと自体はかまわないんだけど、でもそれで誤解しちゃってる「作り手」の人もいるんじゃないのかなもしかして。本来、キャラ設定とキャラ紹介って、実はまったく別のものだと思うんだよね。キャラ設定ってのは作り手が最初に決めた約束ごとで、キャラ紹介ってのは作品中のその
業の深いことよのお、と思わず呟きたくなることがある。何と言おうか、強烈に業の深い人というのが時々いて、こういう人たちは別に何事もなくとも強烈な業深さを漂わせている。で時々、期待に違わぬ業深さを発揮して、何しろ薄々感じていたことではあるから別段驚きはしないものの、強烈な違和感を味わわせてくれる。 知人に、年齢を考えれば驚嘆に値する結構な美人がいた。私より大分年上の人だが、お肌の美しさは格別で、それだけで一種不気味なものさえ感じさせた——何と言おうか、皴ひとつ染みひとつなく、脂も浮いていないのに剥き卵と言うにはあまりにぬるぬるした感じの肌で、それだけで何となくひとつ了解できるものがあった——この人の住んでいる世界は私のそれとは全然違う。何と言おうか、ホルモン全開の人にしか見えない世界の様態というやつがあるのだ。私が業と言ったのは、即ちそれだ。世の大多数にとってどうなのかは知らないが、♀であるこ
自分が避けているからであろうか。 ダメでギラついた人というのは、変な言い方なんだが。 簡単に言うと、秘伝とかチャネルを後生大事に持って、対人的に自己を支えている人。 仕事でいうと、奇妙なツボみたいのがあって、そこを握って人に教えないとかで、卑屈な偉そうオーラを出している人。あるいは、人脈があってそれをスイッチに尊大と卑屈が使い分けられる人。 まあ、一目でわかりますよ。ギラついた感じが漂っているから。 我ながら若い頃はダメだったなというのは、私はこういう人たちの心を酌んであげられなかったことだ。結果的に敵をつくりすぎたし、気が付くと、自分もギラつきだしてしまった。 仕事は長くやることが肝要とかいうけど、反面、このギラつきを育てることにもなる。 所謂耐震偽装問題は尻つぼみになったが、あのドラマの良さはギラつきキャラが出てきたことだ。姉歯なんていうのはあれでギラつきがあったら、それなりに社会とい
そういえば青島が意地悪ばあさんというのをやっていたな。あまり見たことはないが。 先日、ちょいとしたことで、ちょいとしたものを借りようと横にいた爺に頼んだら、意地悪された。うひゃ、いたぜ、意地悪。思わずのけぞった。意地悪快楽油が顔にぬるっと輝いたのでドンビキ。 頼むということでこちらが弱者ポジションに立ったのがしまったである。 考えてみると近年意地悪キャラに当たることがないのは、なぜだろう? こちらが意地悪キャラになっているからか、適当に意地悪キャラを避けているのか(たいていは小銭で避けられる)、意地悪キャラが社会に減ってきたからか。さて。愚考。 減ってきたからかな。 代わりに下品キャラというのが増えたように思う。モラル低下以前のキャラ。あれが意地悪のポストを奪っているのではないか。 文明は意地悪から下品へ。 人はつらい運命に耐えていると意地悪になる。けして立派な人格にはならない。そこ勘違い
それほど多いわけではないが、昔幾人かユダヤ人の知り合いがいた。ユダヤ人といっても、イスラエル国籍ではなく米人であったり英国人であったりする。名前からベン・バーナンキのようにベタにわかる名前もあるが、米人なら普通にわかっても日本人にはわからないユダヤ人名もある。 なぜ彼らがユダヤ人であると知ったかというと、二つの契機がある。他の人が、彼はね、彼女はね、となんとなく伝えてくれるのである。そんなこと伝えてもらってもねみたいだが、うまくいえないのだが、その、なんというか奇妙に絶妙に軽くふっと伝えるのである。伝えられてどうかというと、よくわからない。そういえば、ユダヤ教会(日赤の裏)でよくいろんな会合とか企画があったのだけど、なぜそこかって考えてみたらわかるよな。でも、当時私はよくわかってなかった。 もう一つは、僕はあたしはユダヤ人なんだというふうに打ち明けられる場合。これにも二つある。何かの話題で
ちょっと危険な話題だが、「料理の下手な女」について最近思うことが多いのでちょっと書いてみる。最初に断っておくが、料理は女がせよとも、女は料理が上手でなければならないともまるで思わない。 先日、「父への恋文」(藤原咲子)を読み返していて、その藤原ていは料理が下手だったらしい印象を受けた。 塩と砂糖を入れまちがえるのはいつもだが、料理の種類も少なく、魚や肉は焼くか、煮るかの状態でほぼ原形のまま、大皿にどんとのっていた。 この様子は目に浮かぶものがある。私の母親も似たようなものだ。私の母も藤原ていも信州人だからということもなかろうとは思うが、都市的な文化のない地域にはあまり美食というものはない。 「美麗島まで」(与那原恵)に描かれる母与那原里々のエピソードもすごい。娘与那原恵はこう語っている。 私は子供のころ、里々のつくる料理のまずさに閉口して、これは自分でつくるしかないと台所に立ったほどである
■[mind]スタンドアロン型ナルシスト ちょいと前に書いた「恋とはいったいなんじゃろか・2」というエントリに、地味にじわじわとリアクションをいただいているようで苦笑い。長くて読みづらい文章でごめんなさい。あれは恋愛とナルシズムについて書こうと思ったんだけど、それぞれについて書きたいことがでてきて、なんかねじれたわかりにくい書き方になってしまいました。とはいえ、あのような分かりにくい文章であっても、「しかと聞いとけ オレ似の誰か」のココロでそれなりに切実な思いもこめて書いただけあって、ちゃんとどっかの誰かに届くものなんだーと感心しました。ココロ動かしてくれたアナタにありがとう。インターネットおもしれー(最近こればっかり)。 で、件のエントリに関連して思うのは、ナルシズムを否定する(ナルシストと思われるのをおそれる)あまり、よけいにねじくれてめんどくさくなってることって思いのほか多くね?って
question:1140009632 はてなの質問にこんなのがあったから、回答を考えてみたんだけど! でも、締め切られてるじゃんこれって!!! もったいないから日記に書きますね…! > 友達がどこかに出かけたいと思ったときに、 > 真っ先に僕が誘われるような人間になりたいです なるほど! 友達の多い人って何が違うんだろうね! なぜ人は、その人のことを友達と思うんだろう! そうなるためには、どうすればいいのか、ぼくなりに考えてみたよ! たぶん、多くの人は、少なからず「自分を認めてほしい」と思ってるんだよ! 素晴らしい業績を残して尊敬されたい、とか 着飾ったりダイエットして、わーきれいって言われたい、とか ちょっとしたギャグをとばして、笑わせたい、とかね…! だけどそれって、褒めてくれる人がいるから成り立つんだよね! あるいはギャグやジョークなら、大笑いしてくれるひととか。 だから人は、自分
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